ぶらぶら人生

心の呟き

緊急通報装置のこと

2010-11-15 | 身辺雑記
 昨日、土田の浜を散歩し、同級生のY子さんと話したことで、今日は急に忙しい一日になった。
 Y子さんから得た朗報は、<緊急通報装置>のことであった。
 入手方法を尋ねると、民生委員に相談せよとのことである。

 昨夕来、その担当委員が誰であるかを調べることから始めた。
 知人に教えてもらった委員は、他地区の担当者だった。が、今日、その人を通して、私の地区担当の民生委員の方が訪問してくださった。

 初めとお会いする方であった。
 早速、<緊急通報装置>設置の手続きをお願いした。
 申し込んでから、早くて半年、一年くらいかかるかもしれないということだ。
 先の長くない者にとっては、気の遠くなるような話だが、意外に何事もなく半年あるいは一年が過ぎてくれるかもしれない。
 とにかく設置の手続きをしてもらった。

 <緊急通報装置>というのは、万一自分の言葉で救急車などを呼べぬ状況になったときにも、ボタンを押すだけで、通報ができるというものらしい。

 装置をつけた場合でも、ボタンを押すこともできないまま、命果てるということもあるだろう。それは、運命と諦めるしかない。
 が、ボタンを押すだけで、難を逃れることが可能なら、取り付けてもらいたい。
 そんな思いで、お願いした。


 民生委員といわれる方の仕事内容や、緊急通報装置のことなどをパソコンで調べた。
 民生委員の手を煩わさなくても、パソコンの情報を見る限り、設置は可能かとも思われるのだが……。
 装置はNTT、その他から販売されているようである。

 <心の安心>のために、どれだけの人が設置しているのだろう?
 設置の後、実際にどの程度使われているのだろう?
 その当たりのことは、よく分からない。

 民生委員の役割をパソコンで知り、大変な仕事だと分かった。
 しかも、無給の仕事だという。
 ひどく重い気分になった。
 せめて人に迷惑をかけないようにと心がけて生きてきたのだが、老いはひとりでに、今まで全く無縁であった人にまで、惑をかけなくては生きられないのだろうかと…。


  (添付写真 昨日、近所の畑に咲いていたダリアと近所の庭に咲く山茶花。)

             

      
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行く秋の草花

2010-11-14 | 散歩道
 海辺に行く道のほとりには、行く秋の草花が揺れていた。
 ススキは、いかにも日本の秋の風情である。

       

       

 赤い実、黄色い実。なんの実だろう? 
 それぞれの実りの姿。

       

       

 蔦紅葉も美しく。

       

 タンポポの軽やかな冠毛。黄色い小さな菊は、イソギク? 

       

       
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晩秋の海

2010-11-14 | 散歩道
 暖かな天気に誘われて、ぶらりと外に出た。
 足の向くに任せて、東に歩いた。
 歩いているうちに考えが定まり、北浜から土田海岸に抜けることにした。
 そして、丘の上のY子さんに声をかけてみようと。

 北浜への道には、人気がなかった。今は、鶯の声も時鳥の声もない。
 潮騒が遥かから聞こえてきた。
 沖を見る。
 白い船影が見えた。

 海岸近くに出て沖を見ると、船影はない。
 白いそれは、幻影だったのだろうか?
 海辺の丘には、10台ほどの車が止まっていた。釣りに来た人のものであろう。

 海への坂を下る前に、急坂を上り、Y子さんの家に立ち寄った。
 運よく在宅中のY子さんに会えた。
 
 Y子さんの家を初めて訪問したのは、数年前の冬の寒い日だった。
 当時、私は散歩を日課としていた。散歩中に、偶然出会ったMさんに誘われて、Y子さん宅に立ち寄ったのだった。
 今日と同じように庭先の長椅子に腰かけて話し、落日を眺めた。
 それぞれが人生の黄昏にあり、寂寥感をいだいて、冬の落日を眺めたのだった。

 真っ先に逝ってしまったのは、Mさんだった。2月の初旬のことだった。
 その葬儀に、私よりは付き合いの長いMさんの姿がなく、私は不思議に思った。
 そこで、浜に行った日には、Y子さん宅に立ち寄ってみた。が、不在続きであった。
 後で分かったことだが、年明けに転んで膝を傷め、その治療のために、彼女は入院中だったのだ。

 昨年の暮れ以来、近くに住む同級生の3人が亡くなった。知る範囲でも、二人が入退院をしている。


 Y子さんは、若い日の労働のために腰が曲がっている。その上に、怪我による膝の不具合もある。それでも、手押し車に頼りながら、毎日、海辺を歩いているのだと話された。
 私が辞去しようとすると彼女も立ち上がり、今日の散歩をともにしたのだった。
 一緒に急勾配の坂を下り、海辺を歩いた。

          北浜の眺め

         土田海岸 
          防波堤に人影があった

         土田海岸

 「お元気でね」
 と互いに言いつつ、磯の果てるところでY子さんに別れ、海を背にして坂を上った。トランペットの丘についてみると、ここにも晩秋の景があった。
 エンジェルストランペットは落葉し、わずかの花を残すだけとなっていた。

        

 (今晩、ブログを書きながら、いつの日か、二人のどちらかが、小春日和の散歩を思い出として偲ぶことになるのだろうと、侘しいことを私は考えている。)
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霾(土降る)日

2010-11-12 | 身辺雑記
 霾(土降る)というのは春の季語で、この季節には珍しい現象のようだ。
 しかし、今日は終日、黄砂が降り、風景を土色で覆った。
 午前中は風が強く、戸外に出る気にもなれなかったけれど、午後は風が収まったので、ポストまで行き、土降る野道を歩いてきた。
 近景はまずまずだが、20メートル先になると、人影も灰色の翳となっていた。
 <霾(つちふる)>や<霾翳(ばいえい)>という言葉を思い出しながら歩いた。
 折から、上りの1両列車が通り過ぎていった。(写真)

        

 国道へ出るため、よく中学校の通学路を通らせてもらう。
 今日も、校庭の側を歩き、花壇の花を眺める。

 片隅に立て札があった。(写真)
 <被爆アオギリ二世>と書いてある。
 よく見ると、札の下に、メッセージが添えてあった。
 広島市長・秋葉忠利氏の言葉である。

 旧広島逓信局の中庭で被爆したアオギリは、爆心地側の幹半分が熱線爆風で焼けてえぐれてしまった。しかし、樹皮が傷跡を包むようにして成長。焦土の中で青々と芽を吹いたという。
 その後、被爆アオギリは、平和記念公園に移植され、
 “平和を愛する心”“命あるものを大切にする心”
 を継承するため、そのアオギリが実らせた種を発芽させて育て、「被爆アオギリ二世」と名づけて配布されているのだという。
 最後に、
 <皆さんの手で大きく育て、平和の尊さを伝えてください。>
 と、記してあった。

 中学3年生の手で、9月30日に植樹された、と立て札にある。
 植樹に至る経緯は、記されていないので、よく分からないけれど。

 「被爆アオギリ二世」の苗は、まだ貧弱だ。(写真)
 4枚しかない葉は黄色く色づいて、落葉寸前である。

 来春になると新芽が出て、少しずつ成長してゆくに違いない。
 メッセージにある趣旨が、しっかり根付くといい。
 被爆して傷ついたにもかかわらず、生き抜いたアオギリの生命力は、きっと校庭の片隅で、力強く新しい命を生き続けるだろう。

 私も力をもらって、少しでも長く「被爆アオギリ二世」の成長を見守りたい。
 
         立て札        

               アオギリの苗
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深まる秋

2010-11-11 | 旅日記
 紅葉を眺める小さな旅。
 友人の車に乗せてもらって、山口に行ってきた。

 津和野町・殿町の銀杏並木が、城下町風情に趣を添えていた。
 山口線の沿線にある山々も、山肌を錦に染め始めていた。
 急に秋が深まった感じである。
 山口のパークロードの欅並木やその周辺の木も色づいていた。

 木々が最も個性を発揮するのは、若緑のころと晩秋の紅葉の時期である。
 燃え出ずる新芽のころの命漲る季節と違って、命果てる寸前の今は、滅びの美しさと言えばいいだろうか。

 いい季節のドライブとなった。

       津和野殿町の銀杏並木

       山口パークロードの紅葉

       同上

       同上

       同上

       同上


 山口県立美術館にも立ち寄った。
 現在、<(とがった鉛筆で日々をうつしつづける私)吉村芳生展>が開催中である。
 かなり昔、草花舎で、細密な鉛筆画の花の絵を見たのが、画家・吉村芳生の絵との出合いであった。以来、おりおり作品に接する機会があったが、まとまった作品を観るのは今回が初めてであった。
 コスモスを始め、花々の大作のほか、《新聞と自画像2009年》364点は、特異な世界であった。様々な問題の切り取られた新聞紙面に自画像を重ねて表現されている。以前の《365日の自画像》に比べ、新聞というメディアがプラスされ、面白い試みに思えた。
 
 コレクション展小企画として、<雪舟と雪舟流><殿敷侃>展が、それぞれの小さな会場で開かれていた。
 時代の背景も画材も異なる作品。

       山口県立美術館前    
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11月の庭 (思いのほかの話)

2010-11-08 | 草花舎の四季
 通草(アケビ)の実は落ちただろうな、と思いながら、草花舎の裏庭に回った。
 驚いた!
 一つしかなかったはずの実が、6個に増えている。
 ここ3週の間に、通草の周囲にあった木々の葉が吹き払われ、今まで繁った木の葉の陰に隠れていたものが、突如、現れたのだ。
 繁みが、その存在を隠していたらしい。一房のように固まった5個の通草があろうとは、今日まで全く気づかなかった。
 私の見続けてきた一個の通草も、蔓がたわんで、位置を移動しているのだった。
 自然も春夏秋冬、留まることなく変化しているのだ。
 季節の変わり目に当たる3週間は、いい加減な見方しかできない私の目にも、その変化は明らかであった。
 みな赤紫の、いい色に染まっていた。 
 
         通草の実

 八ツ手の蕾が目立ち始めた。
 よくよく見ると、蕾のいくつかは、渋色の皮をつけている。今まで、白い蕾となって、初めてその存在に気づいていたらしい。
 小さな蕾から花になるまでのプロセスは、八ツ手の花一つとっても、様々な変化をするらしい。
 私は茶色の衣を着ている一過程を、完全に見落としていた。この年齢になるまで。

 ヤツデの花だけでなく、見ているようで、見ていないことは、実に多いのだろう。

         八ツ手の花の蕾


 ここ2年半余り、月曜日を、草花舎へ食事に出かける日と定めてきた。
 スーザンさんにお会いし、日本語の勉強を一緒にするためもあった。
 が、最近は、系統的な勉強をしていない。
 スーザンさんが、仕事のため外国に滞在されることも多く、こちらにおられても、予定の仕事があって、月曜日に必ずお会いするとは限らない。

 今も、スーザンさんは、私と話すときには、できるだけ日本語を習得しようと努めておられる。 
 初めは、日本文化を理解するため、また日常会話をある程度こなせることを願って、日本語を習得しようと考えられたのだろう。
 が、現実的には、なかなか難しい。仕事のかたわら、他国語をマスターすることの困難に、気づいてこられたに違いない。
 私自身、学校で10年間も英語の勉強をし、いくらかは素地があるのに、それを活かし応用して、スーザンさんと会話するのが容易でないのと同じである。

 
 私は最近、色々なことに囚われない生活をしたいと考えるようになった。
 多分、日毎に加わる老いのせいであろう。
 そこで、気ままな会話は、月曜日に限らなくてもいいだろう、と思うようになった。 が、草花舎の食事は予約制でもあり、スーザンさんとも係わりのあることなので、YさんやTちゃんに相談した。
 その結果、私が気の向くときに来てほしい、と言ってもらった。
 私が食事を予約する日には、スーザンさんにも伝えるから、とのことだった。

 草花舎は、田舎住まいの身にとっては、唯一、おいしいコーヒーや食事を楽しめ、上質な会話のできる場所である。
 これからも、折々訪れることになるだろう。
 そして、食事をする日には、スーザンさんの都合がよければ、お会いしてお話することになるだろう。

 草花舎とは全く関係のない話だが、私のわがままから、ブログのコメント欄も、暫く閉じることにした。
 コメントには、功罪がある。
 私の書いたものとは無関係に、恥ずかしいような、性的なコメントも自在に入ってくる。人の目に触れないうちに、できるだけ消去してきたけれど。
 ブログを始めて、いただいたコメント数は、決して多くはないけれど、それでも230余り(私の返信は除いて)になる。
 大方はありがたく読ませていただき、抵抗もなくお返事を書いてきた。
 ところが、公平にお返事を書くことを、最近、億劫に思うようになった。
 私の恣意で、返信を書いたり書かなかったりするのは失礼なことだと考え、暫くコメント欄を閉じた。旅に出るのをきっかけに。
 (残念な思いを抱きながらも…。)

 思考力、文章力の衰えを感じながら、書く以上は、読んでくださる人の心に少しでも響くような日記(ブログ)を書いてゆきたいと考えている。        
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11月の庭 (紅葉して)

2010-11-08 | 草花舎の四季
 風の強い日となった。
 草花舎にゆく。
 3週間ぶりの訪れであった。

 庭が晩秋の景となっていた。
 白い花、赤い花を咲かせる2本の花水木が、紅葉して見事であった。
 裏庭にある洋風の大樹も紅葉していた。
 いずれも、すでに一部の葉を落とし…。

 地面には、セイジの花、薔薇の花などが咲いて、庭の彩が賑やかになっていた。 
 

         花水木(白)の紅葉

         花水木(赤)の紅葉

              裏庭にある大樹の紅葉

         薔薇の花 

         ブルーキャッツアイ

         セイジ

         セイジ(パイナップルセイジ)


 今日はスーザンさんも来られ、3週間ぶりにお会いした。
 一緒に食事をし、一緒に帰ってきた。相変わらず、たどたどしい会話をしながら。

 YさんとTちゃんは、10月末、京都に行かれたとき、<タオ療法>を受けてこられたという。
 ひとしきりその話を聞いた。
 買い求めてこられた、遠藤喨及著『タオ指圧入門』(講談社文庫)を見せてもらった。
 目次を読み、あちこちを拾い読みした。
 「経絡」という言葉がしきりに出ており、電子辞書で確かめた。
 
 本の帯には、<「気」で治す究極の療法!>とある。
 <呼吸法>といい<気>といい、身体に宿る目には見えない何かが、人間の健康と深く関わることは、否定し難いように思う。

 <タオ(道)>という言葉は、以前、買い求めて読んだ加島祥造著『求めない』や『LIFE』にも出ていた。
 それと全く同じではないかもしれないが、相通じるところはありそうだ。
 

 故・増水静人という方が「経絡指圧」の創始者らしい。
 <病気>という言葉から考えても、<気>や<気の経絡>というものが、人間の病(不調)と大きな関わりを持つことは間違いないのだろう、と思える。

 命のある間は、老いの身ながら、そこそこに健康で、心晴れやかに過ごしたい。
 生き方の参考になるかどうか、とりあえず、本を読んでみようと思い、アマゾンに注文した。        
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情(こころ)かなしも…

2010-11-07 | 身辺雑記
 小春日和が続いている。
 <立冬>の今日も、快晴であった。

 ポストへの葉書投函と、Oさん宅へ届け物をする用を思いつき、午後、外出した。
 明るんでしーんとした日差しの中を歩いていると、なぜともなく、哀しみがつき上げてきた。
 なんだろう?
 昨日と変わる何もないのに。 
 私自身にも、説明し難い情動であった。
 <存在>すること事態から生じる虚無? 
 老いがもたらす哀しみ?

 「情(こころ)かなしも ひとりし念(おも)えば」
 歌の下の句を心の中で呟いていた。
 哀しみのあとに、ひとりでに心に浮かんだ歌詞であった。
 上の句が、すぐには出てこない。歩きながら考えた。
 そうだ、「うらうらに照れる春日にひばり上がり」だった。
 作者は大伴家持。
 
 春日に似た小春日があたりに満ちている。
 春愁ならぬ秋思。

 Oさん宅にゆき、お菓子を届けた。
 秋の庭を歩いて、Oさんと一緒に草花を眺める。
 菊、センリョウ、その他、名前を知らない草花。
 乙女のようなピンク色の椿の花も咲いていて、ひとりでに心が慰められた。


      

      

      

      

      

      

      


 花を眺めているところへ、Oさんの子息が車で帰宅された。
 退職後、海に出て、趣味と実益を兼ね、漁を楽しんでおられる。
 大海原に舟を浮かべての釣り。
 今朝は7時に出て、1時に磯に上がったと話しておられた。
 釣果は鰆(さわら)、9匹だったとか。
 商品としては傷のある鰆2匹を持ち帰っておられた。
 もっとスマートな魚を想像していたが、思いの外、肥えている。
 釣具というものを初めて見た。(写真)
 物珍しい。秋刀魚をこの針につけて云々と、釣具の使い方まで教えてもらった。

 わずかなお菓子を届けて、鰆の切り身をいただいて帰った。
 家で取れた生姜を添えて。
 鰆のお刺身は食べた記憶がない。
 が、思いの外、鮮魚のせいか、おいしかった。鰆には、確かに山葵より生姜が合うようだ。

     
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崖の草刈り

2010-11-07 | 身辺雑記
 昨日は、崖の草を刈ってもらった。
 同級生のHさんは、8時前に来て、早朝から作業を開始。
 裏庭から、草刈り機の音が聞こえ続け、心の落ち着かない時間を過ごした。
 
 10時、休憩をしてもらおうと外に出て見ると、H夫人のヨウちゃんも来ておられた。
 三人で、お茶を飲みながら話す。
 ヨウちゃんの話を聞いて驚いた。
 Hさんは、お盆前後に2週間、入院しておられたのだという。
 比較的軽い脳梗塞だったようだ。
 歩いて5分の近くに住みながら、入院のことを知らなかった。
 後遺症が全くなく、本当によかった。
 ただ、ヨウちゃんは、やはりご主人の体調が気がかりで、一緒に来て仕事を手伝っておられたのだ。

 Hさんお話を聞いて、異常に気づくのが早ければ、大事に至らないですむことが分かった。我慢強さは禁物のようだ。予兆を見逃さないことが肝心らしい。
 Hさんのように全快が可能であれば…。

 草刈りや草取りは、午前中に終わった。
 快晴の小春日和なので、刈り取られた草は、たちまち乾いた。
 3時から再び来て、きれいに片付け、車の荷台に積んで持ち帰ってくださった。
 
 今朝、救急車の音が間近に聞こえたので、外に出てみた。
 車の行方は分からなかったけれど、前方に焚き火の煙が見えた。
 Hさん宅の前で、昨日持ち帰られた刈り草が燃されているのだった。

        


   失われてゆく農具

 昨夕、H夫妻の、刈り草の片付けを眺めた。
 崖の斜面にある刈り草が、手馴れた様子で、能率よく片付けられてゆく。
 運搬具として、<とりのす>一つと、シートが使われていた。

 前回までは、二つの大きな<とりのす>に草を詰めて、車の荷台に運んでおられた。
 シートという新式の草集めについて尋ねると、ヨウちゃんは、焚き火のとき、過って一つのとりのすを焼いてしまった、その代役なのだ、と話された。

 昔から農作業用に使われてきた、大きなとりのす(写真 上)は、今はもう作る人がいなくなったとのことだ。(小型の、簡便なとりのすの方は、現在も、しかるべきお店で売っているらしい。)
 改めてよく見ると、<とりのす>は、実用品ながら、なかなかの芸術品でもある。
 

 時代とともに、失われてゆく農具は、他にもあるのだろう。
 滅び行くものは、農具だけではないのかもしれない。
 H夫妻のような、労働のタイプも、次第に失われているように思う。
 味のある農夫の姿も、近頃はほとんど見かけなくなった。

         

                  
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紅葉と少年

2010-11-04 | 身辺雑記
 今日は、友人とグラントワに行った。
 会員カードの更新を行い、<神々のすがた 古事記と近代美術>展(開館五周年記念展)を見てきた。
 画材に関心が乏しく、どうしても見なくてはとの思いが高まらなかったが、訪れてみると、画家それぞれの独創的な、神話の絵画化・視覚化をそれなりに面白く眺めた。
 名だたる大家の作品がかなりあった。
 高橋由一・青木繁・横山大観・安田靭彦・堂本印象・平山郁夫・彫刻の竹内久一(大きな神武天皇立像の作者)などなど。

 来訪の友人を送った後、長く放置していたガウラ(白蝶草)の枯れ茎を片付けた。
 ゴミ袋一杯分を始末すると、裏の入り口がすっきりした。
 茎下に生えていた草を引いているとき、
 「もみじ、きれい」
 と言う少年の声が届いた。
 「あれ、ほしい」
 と。
 団地の子どもらしいことは分かったが、名前は知らない。
 「いいよ。お入りなさい」
 と、裏口の引き戸を開けた。

 小学校一年生だという。
 坊やは庭に入って、あれがいい、こちらがいいと梢を指さす。
 坊やの指示に従って、紅葉の枝に手を伸ばして、幾枚も摘み取ったけれど、ろくな葉はない。一枚一枚微妙に異なるけれど、葉先が枯れ色になっていたり、色づきに不満があったり…。
 「あっちの紅葉、どうかな?」 
 と言いつつ、横庭・前庭にある紅葉の色づき具合を確かめることにした。
 坊やもついてきた。
 都合5本ある木のどこにも、押し葉にしたくなるような美しい葉はない。
 「友だちにも上げる」
 と言って、10数枚のもみじ葉をカバンに入れると、坊やは、
 「行かなきゃ」
 と、駆けていった。
 夕刻が近いというのに、今から何があるのだろう?
 葉選びに夢中になれる童心を羨ましく思った。
 それに付き合ったひと時は、私も無心の境地にいたのだが…。

 (添付写真は、裏庭にある2本の紅葉。) 


       
           
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