ぶらぶら人生

心の呟き

12月の庭 (小春日和)

2010-12-01 | 草花舎の四季
 あまりいい天気なので、草花舎へ食事に出かけた。
 小春というより、まるで春そのもののような好天であった。
 小春空・小春日・小春日和などの季語が、ぴったりの一日であった。
 
 ここ三日、遅い朝食を済ませた後、快適な一日をスタートさせることができなかった。
 昨日も、一昨日も、朝すべき装いさえしないままで一日を過ごした。
 身の引き締まらない過ごし方であった。
 そんな日に限って、来訪者があるのはどういうわけだろう?
 両日とも、玄関先の立ち話ではあったが、老醜をさらしているような羞恥があった。
 今日こそはと思いながら、やはり午前中は、いい加減な時間を過ごした。今日も来客の合図があったけれど、宗教関係者と分かったので、インターホンで断った。
 お昼前、見るともなくかけていたBS2の画面に、作家の南木佳士の姿があった。
 母校の小学6年生を対象に、作文の指導中であった。
 <ようこそ先輩>とかいう番組だろう。

 浅間山について、生徒が初めに書いた作文は、申し合わせたように、かつて聞き知った、あるいは調べて知った浅間山の噴火についての説明文であった。
 そこには、生徒ひとりひとりの個性は全くなかった。
 南木佳士さんは、<からだで書く><五感で書く>ことの大事さを教え、生徒と一緒に登山を試みられた。
 鬱病を患われた南木さん自身、山登りによって、新しい生き方を見出し、小説にも生かされてきた。授業にも、それが応用されていた。
 学習と登山のあとに書いた、子どもたちの作文は、一回目とはまるで違う、生き生きとしたものになった。同じ体験をしても、子どもたちが、それぞれの五感を通して感じることは、それぞれに異なっている。顔が違うようにである。そこが面白い。

 私にとって、南木さんの教えが、格別新しいことだとは思わなかった。
 が、そこには、文を書く上での<真理>が潜んでいる。

 ブログ一つ、楽しんで書けない私は、「いけないな」と、心に呟いていた。
 身体を動かさないから、五感も死んでいるのだ、と。
 口紅をさす、という単純なことさえネグレクトすることが、生活をだらしなくする。
 そのだらしなさに嫌悪感を抱きながらも、無理をしなくてもいいと、自分を甘やかす無為の日々は、決して楽しくない。

 そうだ、草花舎に行ってこようと、予約の電話をした。12時前であった。
 OKの返事をもらって、やっと外出の気分になり、装いを整えた。
 1時半過ぎに出かけ、郵便局で用を済ませた後、草花舎に行った。

 庭を歩く。
 小春日和の空を仰いで。
 花水木(白い花)の木は、まだ少々葉を残している。(写真①)
 黄色い花をつけた植物(写真②)の名前は忘れた。
 ナニワイバラの実(写真③)は、赤朱色となっていた。

         ①

         ②

         ③


 食後のデザートに、<半熟カステラ>をいただいた。(写真④)
 甘味が程よく、歯ざわりのやさしい、おいしいカステラであった。

 「<ごぎげん>になろう!」の講師、Sさんが来られた。
 今日、講習会があるとは知らなかった。
 3時半からとのこと。
 私は、初回に一度出席しただけである。
 NLP(神経言語プログラミング)の考え方に基づいて、自己の変革を図り、晴れ晴れとした<ごきげん>な生き方を目指そうというもの。
 いい試みだと思うけれど、生きる基盤に共通性のある人同士の場合が、より効果的ではないかと思う。私は、その集いの中で、あまりにも年齢が離れすぎている。
 会には出席せずに帰宅した。
 食後のひととき、Sさんと雑談をし、老いの生き方について話した。
 いつも平穏とはゆかない、凸凹のある心理状態に辟易しながら、私は私自身で、私の生き方を模索するしかないだろう、と思っている。

         ④
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