草花舎のTちゃんに、宇佐見英治著『迷路の奥』のことを尋ねられた。
私は、その著者の名も、勿論、本についても知らなかった。
宇佐見英治(1918~2002)は、仏文学者、詩人である。
スーザンさんが、その本の題名や内容について関心を持っておらるのだという。
早速、パソコンで調べ、古本を見つけて入手した。
Tちゃんと、その本について話をした日、傍にAさんもおられたので、
「ご存知?」
と、私はAさんに尋ねた。
「どこかで聞いたことがあるような…」
と、Aさんはおっしゃっていた。
Aさんは、大学で仏文を専攻なさったと聞いている。どこかで、宇佐野英治の著作にご縁があったのかもしれない、と思った。
過日、ディディエ・ステファンさんのオープニングの集いがあった日、Aさんは一冊の本を持ってこられた。
矢内原伊作著『アルバム ジャコメッティ』である。(写真 上)
矢内原伊作(1918~1989)とジャコメッティとの係わりを、この写真集で知った。
この本の中に、宇佐見英治のことも出ていて、Aさんの記憶となっていたのだろう。
宇佐見英治と矢内原伊作は友人関係であり、二人ともジャコメッティと親交があったのだ。
『迷宮の奥』にも、ジャコメッティについて書かれたエッセイが載っている。
(この本については、また日を改めて書くことにしたい。)
ひとりの人間が、生涯に接する書物には限りがある。
生涯無縁であったかもしれない本に、あるいは人に、思いがけぬきっかけで、次々と不思議な縁が生じる。面白いことだと、つくづく思う。
矢内原伊作の本には、ジャコメッティの彫刻について、次のように書いてある。
<不要なものを一切剥奪した後に残る究極の人間存在ともいうべき、亡霊のようでいて、しかもなんとも言えず親密な、不適でしかも限りなくつつましい石膏の彫像>
と。
ジャコメッティの彫刻を言い尽くしているような言葉である。
作品は目にしたことがある。が、ジャコメッティその人を知るのは、今回が初めてだった。
矢内原伊作の目が捉えたアルバムには、当然のことながら、単なる写真集とは異なる趣がある。下の写真は、その一枚である。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2b/e8/1030ed3d28e800f49d665257bd383fe1.jpg)
私は、その著者の名も、勿論、本についても知らなかった。
宇佐見英治(1918~2002)は、仏文学者、詩人である。
スーザンさんが、その本の題名や内容について関心を持っておらるのだという。
早速、パソコンで調べ、古本を見つけて入手した。
Tちゃんと、その本について話をした日、傍にAさんもおられたので、
「ご存知?」
と、私はAさんに尋ねた。
「どこかで聞いたことがあるような…」
と、Aさんはおっしゃっていた。
Aさんは、大学で仏文を専攻なさったと聞いている。どこかで、宇佐野英治の著作にご縁があったのかもしれない、と思った。
過日、ディディエ・ステファンさんのオープニングの集いがあった日、Aさんは一冊の本を持ってこられた。
矢内原伊作著『アルバム ジャコメッティ』である。(写真 上)
矢内原伊作(1918~1989)とジャコメッティとの係わりを、この写真集で知った。
この本の中に、宇佐見英治のことも出ていて、Aさんの記憶となっていたのだろう。
宇佐見英治と矢内原伊作は友人関係であり、二人ともジャコメッティと親交があったのだ。
『迷宮の奥』にも、ジャコメッティについて書かれたエッセイが載っている。
(この本については、また日を改めて書くことにしたい。)
ひとりの人間が、生涯に接する書物には限りがある。
生涯無縁であったかもしれない本に、あるいは人に、思いがけぬきっかけで、次々と不思議な縁が生じる。面白いことだと、つくづく思う。
矢内原伊作の本には、ジャコメッティの彫刻について、次のように書いてある。
<不要なものを一切剥奪した後に残る究極の人間存在ともいうべき、亡霊のようでいて、しかもなんとも言えず親密な、不適でしかも限りなくつつましい石膏の彫像>
と。
ジャコメッティの彫刻を言い尽くしているような言葉である。
作品は目にしたことがある。が、ジャコメッティその人を知るのは、今回が初めてだった。
矢内原伊作の目が捉えたアルバムには、当然のことながら、単なる写真集とは異なる趣がある。下の写真は、その一枚である。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2b/e8/1030ed3d28e800f49d665257bd383fe1.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/27/d9/760c0c04192258eac25c01ced1e0b981.jpg)