ぶらぶら人生

心の呟き

中野孝次、小島寅雄、住宅顕信

2008-03-08 | 身辺雑記

 中野孝次 (1925~2004) 作家・独文学者・評論家
                    代表作『清貧の思想』
                    『ハラスのいた日々』
                    など多数。
 小島寅雄 (1914~2002) 教師・鎌倉市長・良寛会会長など歴任
                    代表作『わたしの良寛さま――二合庵老春抄』
                    『しぐれゆく 小島寅雄画文集』『ふりむけば良
                    寛』など。
 住宅顕信 (1961~1987) 俳人 白血病にて25歳で死去。

 友人からいただいた中野孝次著『老年の良識』を読んでいるとき、<無心に書く>の項に、良寛会会長・小島寅雄の名前があった。そして、その書や画について次のように書いてあった。

 <わたしは一目見たときからその画と書に魅了された。とぼけたような線で画かれた仏や地藏さまや不動の姿。まるで童画のようだが、それはあたたかく懐かしくじかに働きかけ、われわれを無邪気の世界に誘う。書もまた、どうだおれはうまいだろうというような邪念がまったくなく、心のままに書いてたのしんでいるかの如くである。その字が画によく合う。
 小島さんの字の「無心に遊ぶ」という特徴がとくによく出ているのは、ひらがなに於いてだと思う。……(以下略)……
 ……小島さんの仮名を見ると、実に闊達自在、自由奔放である。手本なぞあるものかと言わんばかりに、ほとんど稚拙体に心の赴くままに書く。…まことに勝手に書いていてしかもなんともいえぬ味がある。…見ているだけでたのしくなる字だ。
 つまりそういうのが小島寅雄という人の今の心のありようなのである。衒いとか欲とか俗心がまったくなく、まさに「葉を落としすっかり裸になった木」さながらに、あるがままの自分になりきっている姿がそこにある。……>

 このように紹介された、小島寅雄という人を私は知らなかった。
 文面から、ふと、先日、本を通してご縁のできた小野セツローさんの世界を思い出した。その画にも、手づくりの品にも、中野孝次の小島寅雄に対する評と相通じるところがあったように思う。
 しかし、小島寅雄という人の画も字も、具体的には知らない。
 そこで、インターネットに頼った。(中野孝次は、最期まで、パソコンとか新しい文学とかに関心を示さなかった人のようだ。テレビも、ニュース以外は見ないと、自ら記しているし、晩年の読書は専ら古典だった様子。)
 中野孝次の思想には、惹かれるものを感じながら、私自身は、パソコンもテレビも、現代的なものから目をそらさず、むしろ大いに活用しようと努めている。この点では、中野孝次の晩年の生き方とは、相容れないものがある……。

 ありがたいことに、小島寅雄という人について、インターネットを通して、知ることができた。良寛に特別の関心を持っている人であれば、誰でも知っているはずの人物だった。著書も沢山ある。
 ただ、中野孝次が取り上げている、その字と画については、本の表紙から、おおよその雰囲気を垣間見るしかなかった。
 画文集『しぐれゆく』を求めれば、字にも画にも、同時に触れ得るだろうと思った。早速、購入の手続きをとろうかと、一瞬迷ったが、今回は思いとどまった。是非入手したいという思いが高まるまでは、…と我慢した。
 小島寅雄という人は、良寛に心酔しているというだけでなく、自らも得度して僧となった人である。
 仏教講話の文章が、追悼記事として載っているのを読むことができた。
 話し言葉を文章化したものであるから、非常に分りやすく、生の声を聞いているかのような面白さがあった。
 その講演題が、<自由律俳句にみる淋しさ>というのであった。

 実は、その話の中に出てきたのが、住宅顕信(すみたくけんしん)である。
 白血病のため早世した住宅も、小島寅雄氏と同じく僧籍を持ち、自由律の俳句を残した俳人でもあった。
 この人についても、インターネットに詳しくその生涯を紹介している人があった。
 <ゆ>と名のる人のブログであった。
 『大空(たいくう)』という句集や、代表作として人口に膾炙している
 <咳をしても一人>
 で有名な尾崎放哉に心酔していたという。
 小島寅雄の講演の中には、
 <雨音にめざめてより降りつづく雨>
 <淋(さみ)しい指から爪がのびてきた>
 などが引用してあった。
 その他、<ゆ>氏の資料から得たものに、
 <若さとはこんなに淋しい春なのか>
 という、<淋しい指から……>の句同様、胸にじいんとこたえる句もあった。
 岡山市出身の人で、旭川河畔には句碑も立てられているようだ。
 旭川河畔の碑といえば、竹久夢二の詩碑は見てきたのだが……。
 住宅顕信の碑に刻まれているのは、
 <水滴の
   ひとつひとつが
    笑っている
         顔だ>
 という、やはり自由律の俳句である。

 昨日の午後のひと時、知らなかった世界に足を踏み入れ、関心の移ろうままに、三人の文学者の生き方に心を寄せ、考えさせられた。
 中野孝次から小島寅雄へ、そして住宅顕信へと。
 中野孝次については、以前にも書いた気がするが、『麦熟るる日に』という自伝的小説を読んで感動を覚えて以来、愛読者となった。

 (写真は、三年前に、友人からいただいたシクラメンの花。夏には、鉢から一枚の葉さえ姿を消し、もうダメかと思っていると、冬近くなって、葉がのぞき、花が咲き始める。今年で三度めの花が咲いた。勿論、いただいたときの、葉や花の美しい姿には及ばないけれど。)                  

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