11月28日
途中、車窓に富士山を眺めながら上京
富士川の辺りから眺めた富士山
頂きに、雪が少ない。
三島の辺りから見た富士山
雪の量、少し多く。
しかし、例年に比べ、雪が少ない。
それだけ、暖かな初冬なのだろう。
東京では、まだ木枯一号が吹いていないと、ニュースが伝えていた。
(帰途、再び富士山を眺める機会があったのだが、
快晴でありながら、富士山頂にだけ、雲が湧き出ていた。)
谷中参道
桜並木も、もみじ葉を多く残していた。
S茶屋にて
キンズの鉢
お墓参りのときには、必ずS茶屋に寄り、お供えの花を求めたり水桶を借りたりする。
一昨年あたりから、応対してくださる人が変わった。多分、お母様からその娘さんに引き継がれたのであろう。最初の方は、私と同年くらいの人であった。詳細はわからないが、茶屋のお仕事ができなくなられたのであろう。
前代の方とはかなり親しく対話していたが、新しい方に変わってからは事務的な付き合いであった。
が、今日は卓上の鉢の植物について尋ねたことから、急に距離が縮まった。
キンズ(金豆)という植物だと教えていただいた。
毎月、新しいものが届けられるという。
私にも、経験がある。姫リンゴがよく実って喜んだことを思い出す。
鉢植物を育てることの難しさなどで、話題が一致する。
墓所はきれいに掃除されていた。
黒猫がひょっこり顔を出す。
最近読んだばかりの、保坂和志の『ハレルヤ』を思い出す。
谷中には、猫と烏が多い。
師との永訣から15年が経った。
今より体調に自信のあったころには、一年に二度上京し、その都度お墓参りをしていたが、近年は年に一度の墓参となってしまった。
その一度の墓参さえ、今年は無理かもしれないと考えていたが、長年旅には慣れていて、出かけてみれば、なんということもない。家や施設で暮らしている日常より、よほど気分が生き生きしている。
亡き人はみな、心の中に常に生きている人たちである。が、お墓に参ると、わずかな時間ではあるけれど同じ立ち位置で対話できる、そんな思いがする。だから、せめて一年に最低でも一度は、お墓にまいりたいと思う。しかし、来年のことが気楽に言える年齢ではなくなった。が、今年程度の元気さがあれば、逡巡することなく出かけようと思う。
師の85歳に比べれば、私の方がはるかに元気かもしれないと、師の晩年に思いを馳せる。
教えを受けたことは、今なお私の生きる支えとなっている。
小説は一切書かなくなったけれど、相変わらず、稚拙な文章をブログ上で綴っている。
文学については勿論だが、表現上の問題についても多くの指導を受けた。就中、私の文章には、助詞の「に」が多いと指摘されたことを、今もよく思い出す。現在も、「に」を多用する癖がなおらず、推敲の折、他の表現に置き換えることが多い。
小春日和の好日に、今年も墓前で語ることができ、心安らぐ。
途中、車窓に富士山を眺めながら上京
富士川の辺りから眺めた富士山
頂きに、雪が少ない。
三島の辺りから見た富士山
雪の量、少し多く。
しかし、例年に比べ、雪が少ない。
それだけ、暖かな初冬なのだろう。
東京では、まだ木枯一号が吹いていないと、ニュースが伝えていた。
(帰途、再び富士山を眺める機会があったのだが、
快晴でありながら、富士山頂にだけ、雲が湧き出ていた。)
谷中参道
桜並木も、もみじ葉を多く残していた。
S茶屋にて
キンズの鉢
お墓参りのときには、必ずS茶屋に寄り、お供えの花を求めたり水桶を借りたりする。
一昨年あたりから、応対してくださる人が変わった。多分、お母様からその娘さんに引き継がれたのであろう。最初の方は、私と同年くらいの人であった。詳細はわからないが、茶屋のお仕事ができなくなられたのであろう。
前代の方とはかなり親しく対話していたが、新しい方に変わってからは事務的な付き合いであった。
が、今日は卓上の鉢の植物について尋ねたことから、急に距離が縮まった。
キンズ(金豆)という植物だと教えていただいた。
毎月、新しいものが届けられるという。
私にも、経験がある。姫リンゴがよく実って喜んだことを思い出す。
鉢植物を育てることの難しさなどで、話題が一致する。
墓所はきれいに掃除されていた。
黒猫がひょっこり顔を出す。
最近読んだばかりの、保坂和志の『ハレルヤ』を思い出す。
谷中には、猫と烏が多い。
師との永訣から15年が経った。
今より体調に自信のあったころには、一年に二度上京し、その都度お墓参りをしていたが、近年は年に一度の墓参となってしまった。
その一度の墓参さえ、今年は無理かもしれないと考えていたが、長年旅には慣れていて、出かけてみれば、なんということもない。家や施設で暮らしている日常より、よほど気分が生き生きしている。
亡き人はみな、心の中に常に生きている人たちである。が、お墓に参ると、わずかな時間ではあるけれど同じ立ち位置で対話できる、そんな思いがする。だから、せめて一年に最低でも一度は、お墓にまいりたいと思う。しかし、来年のことが気楽に言える年齢ではなくなった。が、今年程度の元気さがあれば、逡巡することなく出かけようと思う。
師の85歳に比べれば、私の方がはるかに元気かもしれないと、師の晩年に思いを馳せる。
教えを受けたことは、今なお私の生きる支えとなっている。
小説は一切書かなくなったけれど、相変わらず、稚拙な文章をブログ上で綴っている。
文学については勿論だが、表現上の問題についても多くの指導を受けた。就中、私の文章には、助詞の「に」が多いと指摘されたことを、今もよく思い出す。現在も、「に」を多用する癖がなおらず、推敲の折、他の表現に置き換えることが多い。
小春日和の好日に、今年も墓前で語ることができ、心安らぐ。