無惨なら枯向日葵に劣らざる 中原 道夫 (9月19日の読売新聞 四季 長谷川 櫂 選)
同感! そう頷きながら、上記の句を読んだ。
私の脳裏に、郵便局前の枯向日葵の姿が浮かんだ。
前回、局に出かけたとき、すでに末枯(うらが)れていた。
その姿を思い描きながら、午後、葉書の投函と散歩を兼ねて、郵便局に出かけた。
今は、完全な枯れ姿となっていた。
逞しく、しかも、美しく咲いた向日葵をブログに投稿したのは、確か7月下旬のころだった。
二か月後の姿が、上記の写真である。
私の姿だって、人目には似たものに映るだろう。
選者は、
<どんな人生を送るにせよ、人生とは無惨なもの。だが人間の無惨さにしみじみと思い当たるには、ある年齢を重ねなければならない。>
と、解説文に書いておられる。
これまた同感!
PCで、中原道夫氏について、調べてみた。
1951年生まれの俳人。私より20歳も若い。
年齢に関わらず、人生に無惨を感じることがあっても、不思議ではないけれど。
この句のように、単なる写生句ではなく、背景に人生の垣間見える作品が好きである。
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今日、投函した葉書は、見知らぬ小3の、<聖>ちゃんという名の坊やに当てたものである。
敬老の日に、毎年、小学生からの手紙が届く。
お手紙を書くようにと先生にいわれ、しぶしぶ書かされている姿を想像するとかわいそうだ。
私は、遠い昔を思い出す。
戦地で戦っている兵士宛に、慰問文を幾度も書かされたことを。
「戦地の兵隊さん、お元気ですか」に始まり、私たちは戦勝を信じてがんばっていることや季節の様子を綴り、最後には、お決まりのように、「銃後は、私たちが守ってゆきます」と結んだ。
見知らぬ兵隊さんに宛てた手紙を書くのは、少々苦痛であった。
だが、書くのは嫌だなどと自己主張はできず、子供心にも、非国民のレッテルを張られたくなかった。
あの手紙は、兵士に送り届けられたのだろうか。
<聖>ちゃんと同じ年頃の思い出だ。
その後、戦局が悪化してからは、そんな手書を書かされることもなくなった。
対象は異なるけれど、自発的ではない励ましの手紙など、書かせない方がよいのではあるまいか。
<聖>ちゃんへのお礼を書きながら、今年も同じ思いを繰り返した。
<聖>は、<たかし>と読むらしい。
ご両親の願いが込められた名前に違いない。
手紙には、漢字で<聖>、封筒には、平仮名で<たかし>と記してあった。
少々重い名前だなあ、と思いながら、漢和辞典で、<聖>を確かめた。
<名付け>の項には、あきら・きよ・きよし・さと・さとし・さとる・たかし・たから・とし・ひじり・まさ、などがあった。