今年は、柿の生り年らしい。
あちらこちらで、豊作が目立つ。
「柿が咲いたね」
遠い昔、幼い姪の言ったことばを、今年も思い出す。
語彙の乏しい幼子は、感覚的な捉え方をする。
花ではないから咲くという表現はおかしい、などと思うのは大人の世界だ。
子どもの表現には、巧まざる詩心がある。
姪に倣って、柿が咲いているな、と私も思いながら、実だくさんの木を見上げた。
柿の実は、山里に似つかわしい秋の風情だ。
華やぎの中に、かすかな寂しさがある。
柿の実の明るさが消えるころ、冬の足音が聞こえてくる。
27年前まで住んでいた家の跡には、かつて屋敷があった証のように、1本の常緑樹が残っている。
夏、黄色い花を咲かせるカンナの群生している側に。
その家にいた頃は、多忙な勤めの時期であり、木の存在をあまり意識しなかった。
先日、歩道から、その木を眺め、赤い実をつけていることに気づいた。
艶やかな濃い緑の葉に、多数の赤い実が乗っている。
赤い実をつけることも知らなかった。
多忙は、折に在るものを見えなくするらしい。
植物に無関心だったわけでもないのに。
老いは暇を与えてくれる。そして、見えてくるものもある、ということらしい。
クロガネモチの木?
樹木の本を調べて、そうかもしれないと思ったが、自信はない。
あちらこちらで、豊作が目立つ。
「柿が咲いたね」
遠い昔、幼い姪の言ったことばを、今年も思い出す。
語彙の乏しい幼子は、感覚的な捉え方をする。
花ではないから咲くという表現はおかしい、などと思うのは大人の世界だ。
子どもの表現には、巧まざる詩心がある。
姪に倣って、柿が咲いているな、と私も思いながら、実だくさんの木を見上げた。
柿の実は、山里に似つかわしい秋の風情だ。
華やぎの中に、かすかな寂しさがある。
柿の実の明るさが消えるころ、冬の足音が聞こえてくる。
27年前まで住んでいた家の跡には、かつて屋敷があった証のように、1本の常緑樹が残っている。
夏、黄色い花を咲かせるカンナの群生している側に。
その家にいた頃は、多忙な勤めの時期であり、木の存在をあまり意識しなかった。
先日、歩道から、その木を眺め、赤い実をつけていることに気づいた。
艶やかな濃い緑の葉に、多数の赤い実が乗っている。
赤い実をつけることも知らなかった。
多忙は、折に在るものを見えなくするらしい。
植物に無関心だったわけでもないのに。
老いは暇を与えてくれる。そして、見えてくるものもある、ということらしい。
クロガネモチの木?
樹木の本を調べて、そうかもしれないと思ったが、自信はない。