万両の実が色づき始めた。
花が実となり、赤く熟すまでのプロセスなど、じっくり眺めたことがない。
ふと今日、庭の万両を眺め、赤く熟す前の実も美しいと思った。
過程には折々の美が潜んでいるのだと。
ものすべてには、生じて果てるまでのプロセスがある。
その刻一刻の過程のなかに、美は刻まれているのだろう。
とりとめもなく、そんなことを考えていた。
シオンと桔梗の枯れ茎を片付けた。
その後に、一輪の花を見つけた。
茎は短く、花も小さく。
今日は、ソコロのSさんが、パソコンの点検に来てくださった。
同時に、山口から友人が久々に来訪。
新米を届け、さらに簡易餅つき器を持参して、お餅もついてくださった。
気のおけない友達なので、餅米が蒸される間に、あり合わせのもので昼食をとった。
片付け上手な彼女は、私が乱雑にしている引き出しを小器用に整理までし、そのとき思いがけず顔を出した研ぎ器で、錆びた包丁まで研いでもらった。
花が実となり、赤く熟すまでのプロセスなど、じっくり眺めたことがない。
ふと今日、庭の万両を眺め、赤く熟す前の実も美しいと思った。
過程には折々の美が潜んでいるのだと。
ものすべてには、生じて果てるまでのプロセスがある。
その刻一刻の過程のなかに、美は刻まれているのだろう。
とりとめもなく、そんなことを考えていた。
シオンと桔梗の枯れ茎を片付けた。
その後に、一輪の花を見つけた。
茎は短く、花も小さく。
今日は、ソコロのSさんが、パソコンの点検に来てくださった。
同時に、山口から友人が久々に来訪。
新米を届け、さらに簡易餅つき器を持参して、お餅もついてくださった。
気のおけない友達なので、餅米が蒸される間に、あり合わせのもので昼食をとった。
片付け上手な彼女は、私が乱雑にしている引き出しを小器用に整理までし、そのとき思いがけず顔を出した研ぎ器で、錆びた包丁まで研いでもらった。