郵便局に着くと、視線は燕の巣を捉えた。
今年も、無事雛が孵化したようだ。
一羽の親燕が、巣の端にいる。心なしか落ちつかぬ様子である。
私の姿に警戒心を抱いているのだろうか?
危害を加えられないようにと、幼い子燕を見守っているようにもみえる。
、
若くて美しい女性の局員が、脚立を持ってきてくださった。
「4羽、いるようです」
と、教えてくださった。
が、その姿は見えない。
大きな口をあけて餌をねだるには、幼すぎるのだろう。
親燕が代わる代わる餌を運んでくると、巣の中に蠢くものがかすかに感じられる。
結局、折角の脚立は使わなかった。
震災地にも、燕はやってきているのだろうか?
昨年の棲家を失った燕は、戸惑ったことだろう。
完全に棲家を失ったもの、傾いた家の軒端だけは残っているもの、様々に違いない。
燕にとっても、受難の初夏である。
昨年、郵便局の燕のことをブログに書いたご縁で、毎日新聞の女性記者Rさんと知り合った。 その有能な彼女は、九州に転勤され、お会いする機会がなくなった。
が、燕の季節になると、毎年Rさんを思い出すだろう。