ぶらぶら人生

心の呟き

城崎温泉にて 6 (下駄奉納)

2008-02-29 | 旅日記
 城崎の駅前に、いかにも<出で湯の町>らしい光景を見つけた。
 各温泉宿の下駄が奉納されているのであった。(写真)
 看板には、与謝野寛の歌、
 <手ぬぐいを下げて外湯に行く影の
   旅の心を駒げたの音>
 を記した横に、
 <城崎温泉では、毎年、古下駄を供養おたきあげし
  新下駄を奉納することによって 訪れていただいた
  お客様の安全とご健康を祈念しております>
 と書かれていた。

 その近くには、足湯もあり、飲泉場もあった。
 お湯を飲んでみると、昨夜感じたとおり、塩分を少々含んでいた。
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城崎温泉にて 5 (城崎駅前の島崎藤村文学碑)

2008-02-29 | 旅日記
 城崎に一泊した翌朝は、真っ青な空が広がっていた。
 宿の車で送っていただき、城崎駅に出た。
 島崎藤村の文学碑は見ておきたいと思い、少しゆとりをもって出た。

 駅前の目立つ位置にその碑はあった。
 『山陰土産』の一説が刻まれている。
 島崎藤村が洋画家の次男を伴って、城崎温泉を訪れたのは、北但地震の後であり、城崎を描いたくだりには、復興途上の城崎の情景が描かれている。

 余分な話だが、藤村の泊まった宿は、<ゆとうや>。
 <ゆとうや>は、貴賓用の棟もあって、多くの文人が宿泊している様子であった。
 志賀直哉も、車夫に最初に連れて行かれた宿は、<三木屋>ではなかったようだ。
 その名前は伏せてあったが、<三木屋>の女主にそのことを話すと、最初に案内されたのは<ゆとうや>だと教えてくださった。生憎、大谿川の氾濫で、泊めてもらえなかったらしい。二つ目の宿は、志賀直哉自身のお気に召さず、次に案内されたのが、<三木屋>ということだったようだ。
 <ゆとうや>の前は散歩の道すがら通ったが、中の様子は分らなかった……。 
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城崎温泉にて 4 (城崎麦わら細工伝承館)

2008-02-29 | 旅日記
 志賀直哉の『暗夜行路』に、<殊に麦藁を開いて貼った細工物が明るい電灯の下で美しく見えた。>とある、その麦わら細工は、日本全国で、城崎だけで作られている工芸品のようだ。私は、<城崎文芸館>で、<麦わら細工伝承館>を見学する併用の入場券を勧められるまで、行ってみる気は全くなかった。
 が、折角の機会だからと、出かけてみることにした。(写真)

 夕方近く、館内の見学者は、私ひとりだった。
 麦わら細工完成までの工程をビデオで見たあと、展示の作品を見て歩いた。
 生易し作業ではなく、神経を集中しなくてはできない手作業であった。時間をかけて作られた作品は、見事な芸術品である。
 安価であれば、入手したい文箱などもあったが、簡単に買えるお値段ではない。精巧な技の生み出した作品を職員の説明を聞きながら、その歴史について知り、現在に至るまでの作品の数々を見て廻るのみ。
 <城崎文芸館>の方で売っていた安い鍋敷きを、すでに記念に買っておいた。それは、いわゆる麦わら細工と呼べるほどの、手の込んだものではなく、子どもでも作れそうな、加工以前の空洞のある麦わらをそのまま使ったものである。

 今日の入館者数を尋ねると、30人くらいとの答えだった。
 私は一対一で、説明を受けた。入館者が多いときには、こういうわけにはいかないとのこと。私は幸運だったようで、懇切丁寧な案内を楽しませてもらった。
 土、日の多いときで、100人程度とか。人数として多いというべきか、少ないというべきか、よく分からない。
 匠の名品は、見るに値するものではあった。

 <麦わら伝承館>を出ると、腰の辺りに冷えを感じ始めた。
 駅前の方まで散歩するのは諦めて、一に湯の前にある与謝野寛・晶子の歌碑を見て引き返した。刻まれた歌の文字は読みづらかった……。 
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城崎温泉にて 3 (大谿川に沿って)

2008-02-29 | 旅日記
 志賀直哉が『暗夜行路』の中で、<高瀬川のような浅い流れが町の真中を貫いている。>と記しているのが、大谿川である。
 桜の頃、あるいは川端に柳が揺れる季節には、風情を増すだろう。
 今は、小雨のそぼ降る冬のさなか。
 ひとりで辿る川沿いの路は、蕭条としていた。

 湯の町、城崎には雨が似合うのかもしれない。
 夜、宿で借りた『城崎文学読本』を読んでいると、雨を読んだ歌が実に多かった。その一部を引用しておくことにする。

 北ぐにの海に入らむとする川のたゆたふ水に雨さむく降る (前川佐美雄)
 四方(よも)の山に雲井雨ふり昼ふかし街の温泉(いでゆ)にひたり行くかな
                                  (木下利玄)
 下(しも)つ枝(え)は水にひたりて川柳ほつ枝(え)ゆれたり雨の日ぐれを(同)
 丹波より但馬に汽車の入りしころ空を乱して雨は降りたり (斉藤茂吉)
 湯けむりの湯の香に沁みて雨のふる夕べの町に入り来たりけり (太田瑞穂)

 前川佐美雄の歌には、家族でカニを食した風景もあり、思わず微苦笑してしまった。私自身、カニの食べ方が決して上手ではなく、テーブルの向こう端にまで、ほぐした身が飛び散り、困惑したので……。

 海蟹(うみがに)をほぐして食へり妻子らとあられもなしに食ひ散らけたり

 (写真は、大谿川。)
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城崎温泉にて 2 (城崎文芸館と志賀直哉文学碑)

2008-02-29 | 旅日記

 城崎温泉の宿<三木屋>で、志賀直哉関連の資料を見せていただいた後、散歩に出かけることにした。
 2月20日、京都発の特急きのさき1号が、城崎駅に到着したのは、2時前であった。が、散歩に出かけたのは、三時前にはなっていただろう。
 途中、快晴に恵まれ、残雪の照り返しもあって、車窓に差し込む日差しはまぶしいほどだった。ところが、城崎近くなり、列車の進行する右手方向に、円山川がゆったりと流れているのに気づいたあたりから、空模様が急に怪しくなってきた。
 折りたたみの傘を持って外出しようとすると、宿の人から、宿の傘をどうぞと言われ、お借りすることにした。

 目的は、文学碑めぐりと城崎文芸館を訪れることだった。
 宿でいただいたマップを頼りに歩いてゆく。
 宿の人から、歩くコースについても説明を受けていた。
 三木屋の隣にある旅館<つたや>は、桂小五郎潜居の地ということで、この宿で『竜馬がゆく』を執筆した司馬遼太郎の文学碑が、玄関先に立っていた。
 折角<まんだら湯>の前を通りながら、吉井勇の歌碑は見落としてしまった。何しろ案内マップの印字が小さく、小降りの雨の中、傘をさしながらの碑めぐりは快適とはいえなかった。
 温泉街を流れる大谿川沿いを歩いて、まずは城崎文芸館に入った。そこには、城崎温泉にゆかりの文人墨客たちが詳しく紹介されていたし、前回書いた<北但地震>と温泉街復興の経緯も説明してあった。

 一番見ておきたかった志賀直哉の碑は、<城崎文芸館>の前に立っていた。が、碑文を確かめるには至らなかった。黒々とした銅版?の文字は、離れた位置からは読みづらかった。文芸館に引き返して、確かめることをしなかったのが悔やまれる。(写真) 

 志賀直哉と城崎といえば、『城の崎にて』が有名である。その作品の背景にある体験が城崎に関係があるからだろう。
 実は、『暗夜行路』の一節にも、城崎は出ている。その部分を引用しておくことにする。(<三木屋>の名も出ているので…。)

 <城崎では三木屋という宿に泊まった。俥で見て来た町の如何にも温泉場らしい情緒が彼(注 小説の主人公・時任謙作)を楽しませた。高瀬川のような浅い流れが町の真中を貫いている。その両側に細い千本格子のはまった、二階三階の湯宿が軒を並べ、眺めはむしろ曲輪(くるわ)の趣きに近かった。又温泉場としては珍らしく清潔な感じも彼を喜ばした。一の湯というあたりから細い路を入って行くと、桑木細工、麦藁細工、出石焼、そういう店々が続いた。殊に麦藁を開いて貼った細工物が明るい電灯の下に美しく見えた。
 宿へ着くと彼は飯より先ず湯だった。直ぐ前の御所の湯というのに行く。大理石で囲った湯槽(ゆぶね)の中は立って彼の乳まであった。強い湯の香に彼は気分の和らぐのを覚えた。……>

 (付記 城崎温泉の雰囲気は、ここに記されているのと、ほとんど変わらない。
 しかし、『暗夜行路』という小説は、前編は大正10年から書き始められ、出版は大正11年。後半が完成するのは、昭和12年。随分長い歳月をかけて完成された作品である。)

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