城崎に一泊した翌朝は、真っ青な空が広がっていた。
宿の車で送っていただき、城崎駅に出た。
島崎藤村の文学碑は見ておきたいと思い、少しゆとりをもって出た。
駅前の目立つ位置にその碑はあった。
『山陰土産』の一説が刻まれている。
島崎藤村が洋画家の次男を伴って、城崎温泉を訪れたのは、北但地震の後であり、城崎を描いたくだりには、復興途上の城崎の情景が描かれている。
余分な話だが、藤村の泊まった宿は、<ゆとうや>。
<ゆとうや>は、貴賓用の棟もあって、多くの文人が宿泊している様子であった。
志賀直哉も、車夫に最初に連れて行かれた宿は、<三木屋>ではなかったようだ。
その名前は伏せてあったが、<三木屋>の女主にそのことを話すと、最初に案内されたのは<ゆとうや>だと教えてくださった。生憎、大谿川の氾濫で、泊めてもらえなかったらしい。二つ目の宿は、志賀直哉自身のお気に召さず、次に案内されたのが、<三木屋>ということだったようだ。
<ゆとうや>の前は散歩の道すがら通ったが、中の様子は分らなかった……。
宿の車で送っていただき、城崎駅に出た。
島崎藤村の文学碑は見ておきたいと思い、少しゆとりをもって出た。
駅前の目立つ位置にその碑はあった。
『山陰土産』の一説が刻まれている。
島崎藤村が洋画家の次男を伴って、城崎温泉を訪れたのは、北但地震の後であり、城崎を描いたくだりには、復興途上の城崎の情景が描かれている。
余分な話だが、藤村の泊まった宿は、<ゆとうや>。
<ゆとうや>は、貴賓用の棟もあって、多くの文人が宿泊している様子であった。
志賀直哉も、車夫に最初に連れて行かれた宿は、<三木屋>ではなかったようだ。
その名前は伏せてあったが、<三木屋>の女主にそのことを話すと、最初に案内されたのは<ゆとうや>だと教えてくださった。生憎、大谿川の氾濫で、泊めてもらえなかったらしい。二つ目の宿は、志賀直哉自身のお気に召さず、次に案内されたのが、<三木屋>ということだったようだ。
<ゆとうや>の前は散歩の道すがら通ったが、中の様子は分らなかった……。