ぶらぶら人生

心の呟き

<長沢蘆雪の絵画>

2007-11-01 | 身辺雑記
 永らくTさんにお借りしている雑誌『知るを楽しむ この人この世界 <ギョッとする江戸の絵画>』(辻惟雄著)中の<猛獣戯画~長沢蘆雪>を読み、DVDで絵画の鑑賞もした。
 藘雪の作品の一つ二つは見ているはずだが、辻惟雄氏の解説で、その生涯を知り、時代背景などを参考にして絵画を見ると、さらに面白く、この画家がもっと長生きしていたら、絵画世界がどんなふうに広がるのだろうかという興味も湧いて、不慮の死が惜しまれ、残念な気がした。
 全く知らなかったが、長沢蘆雪(1754~1799)は、円山応挙(1733~1795)の弟子の一人で、優れた画才を持つ人だったようだ。<応門十哲>と呼ばれるすぐれた画家の中でも、その才能は際立っていたようだし、応挙という巨匠の教えを習得しながら、ただ模倣に終わらず、師にない、ある意味では師を超えた画風を打ち立てた個性的な画家であったようだ。
 そうした非凡さが、師の亡き後、弟子仲間の反感を買ったのかもしれない。死の要因は謎に包まれているのだという。46歳という若い死である。運命という言葉で、簡単には片づけがたい哀惜の念を深くする。長命であったら、蘆雪の世界は、さらに大きく広がり、深まったことであろう。

 代表作は、串本の無量寺にある<龍虎図>の虎の絵。
 思わず、口元の緩む可笑しさがある。ものを狙う猫に似た虎を、躍動感をもって捉えているのだが、写実的というより、蘆雪の心が掴んだ虎である。バランスが崩れたような全体像、前足の不自然さなど、戯画めいた面白さがある。
 解説者の辻惟雄氏が、蘆雪を、「江戸時代の鳥羽僧正」と称される理由がよく分かる。
 師の円山応挙は勿論、応挙と同時代の曾我蕭白(1733~1781)や白隠(1685~1768)などの影響も受けながら、独自の画風を打ち立てた画家といえるようだ。
 「大黒天図」「捕鯨図」「白象黒牛図屏風」「群猿図」など、見た作品は少ないが、みな面白い。


 <カットとして添えた写真は、散歩途中で見た柿の木。> 
コメント
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