ブログを開くのは、実に久しぶりだ。
14日の夜、記事を書いている途中で、パソコン上に不具合が生じ、作業を中止せざるをえなくなった。それ以来、10日近く、パソコン不在の日々を過ごした。傍にいるべき恋人を遠くへ連れ去られた感じの、ずいぶん寂しい日々だった。
パソコンがなくても、したいこと、しなければならないことは、いくらでもあるのに、この幾日か、妙に手持ち無沙汰な感じを、容易にぬぐいきれなかった。パソコンが、今や生活の一部になってしまったということなのだろう。
昨夕、やっと使える状態になり、机上のあるべき位置に据えられた。
今日は、久しぶりに原稿を書ける喜びに浸っている。
台風13号が過ぎ去った後、心地よい秋晴れの日が続いている。
庭のあちこちに咲くミズヒキソウの赤い花が、よく目につくようになった。草取りのとき、あえて引き抜くことをせず、生えるに任せているのが、ミズヒキソウである。
私の庭は地質が悪く、あまり見事な成長をしてくれないのが残念だが、つんと伸びた花軸に、点々と小花を咲かせるミズヒキソウが大好きだ。地味で派手さはないが、つつましく咲く姿がいい。
命名(漢字で表せば水引草)も、花の雰囲気に似つかわしいと思う。
香月泰男の『春 夏 秋 冬』<絵と文>(谷川俊太郎編)を眺めていたら、「水引草」と題する絵に出くわした。有名な大作、シベリアシリーズなどに用いられている黒色と黄土色を背景に、三本のミズヒキソウが描かれている。
そこに添えられた詩文には、
秋の色は赤
赤は秋が美しい
まんじゅしゃげの赤
ほほづきの赤
柿の赤
ざくろの赤
水引草の赤
みぞそばの赤
楓のあか
赤は秋だ
と、うたわれている。
読んでいると、脳裏に<秋の赤>が巡る。まんじゅしゃげ・ほほづき・柿・ざくろ・水引草・みぞそば・そして、楓……と。
一言でいえば<あか>だが、それぞれがぞれぞれの、秋の赤を演出して、限りなく美しい。
秋という季節の中では、格別赤が映える、と私も思う。
14日の夜、記事を書いている途中で、パソコン上に不具合が生じ、作業を中止せざるをえなくなった。それ以来、10日近く、パソコン不在の日々を過ごした。傍にいるべき恋人を遠くへ連れ去られた感じの、ずいぶん寂しい日々だった。
パソコンがなくても、したいこと、しなければならないことは、いくらでもあるのに、この幾日か、妙に手持ち無沙汰な感じを、容易にぬぐいきれなかった。パソコンが、今や生活の一部になってしまったということなのだろう。
昨夕、やっと使える状態になり、机上のあるべき位置に据えられた。
今日は、久しぶりに原稿を書ける喜びに浸っている。
台風13号が過ぎ去った後、心地よい秋晴れの日が続いている。
庭のあちこちに咲くミズヒキソウの赤い花が、よく目につくようになった。草取りのとき、あえて引き抜くことをせず、生えるに任せているのが、ミズヒキソウである。
私の庭は地質が悪く、あまり見事な成長をしてくれないのが残念だが、つんと伸びた花軸に、点々と小花を咲かせるミズヒキソウが大好きだ。地味で派手さはないが、つつましく咲く姿がいい。
命名(漢字で表せば水引草)も、花の雰囲気に似つかわしいと思う。
香月泰男の『春 夏 秋 冬』<絵と文>(谷川俊太郎編)を眺めていたら、「水引草」と題する絵に出くわした。有名な大作、シベリアシリーズなどに用いられている黒色と黄土色を背景に、三本のミズヒキソウが描かれている。
そこに添えられた詩文には、
秋の色は赤
赤は秋が美しい
まんじゅしゃげの赤
ほほづきの赤
柿の赤
ざくろの赤
水引草の赤
みぞそばの赤
楓のあか
赤は秋だ
と、うたわれている。
読んでいると、脳裏に<秋の赤>が巡る。まんじゅしゃげ・ほほづき・柿・ざくろ・水引草・みぞそば・そして、楓……と。
一言でいえば<あか>だが、それぞれがぞれぞれの、秋の赤を演出して、限りなく美しい。
秋という季節の中では、格別赤が映える、と私も思う。