落とした財布が戻った話

2016-12-31 16:20:36 | タナカ君的日常
 昨晩(30日)ショージ君の山荘で嬉しい話を聞いた。

 「今夜は留学生達が遊びに来ています、 ベトナム料理の夕飯を一緒にどうですか?」 昼間にそんな内容のメールがショージ君からあった。 その夜は降雪の期待も持てない気象条件だったから、 雪の結晶撮影は期待薄。 喜んで夕食の時間に山荘に出かけて行ったのです。

 そこで聞いた嬉しい話。 初めてのスノーボードを楽しみにやって来たベトナム人4人組、 一人が鹿島槍のゲレンデで転んだ際にどうやらチャックをきちんと閉めていなかったスキーウエアのポケットから、 知らぬ内に財布が落ちてしまったらしいのだ。 しかし、 そのゲレンデに落ちていた財布を拾った人がパトロール辺りへ届けて呉れた様で、 無事に落とし主のベトナムから来ている20代の若者の手に戻ったのです。

 「日本と言う国、 そこに住む日本人に対して、 とても好印象を持った事」を語ってくれました。 日本人全員がそんなに良い人ばかりじゃ無い筈だけど、 喜んでもらえて本当に良かったです。

 夕食後には 「また遊びに来たら会いましょう!」 とお別れして全天・星空の中を”ひのみのの家”に戻って来た。


 ところで「29・30日の2日間は長野県では降雪が見込める」との予報で写真撮影目的で出かけて来たのだけれど、 実態は29日の夜から30日の未明に掛けての、 言って見れば「一晩だけの降雪」 だった。  30日の日中は陽射しが燦々、 引き続く31日の今日も降雪の見込めない一日で、 午前中は四季山荘のオヤジの所を再訪したり、 午後もこんなブログを書いて暇を潰して居るのです。 明日の元旦以降も降雪予報は暫く無し。 渋滞の酷く無い明日の内には東京へ戻る事にします。

 「皆様 良いお年を!!」
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6号機で本番撮影

2016-12-30 12:18:28 | 雪の結晶撮影
 雪の無い期間にせっせと作り込んで来た雪の結晶撮影装置6号機、 いよいよ本番撮影となりました。 12月29日、 昼には大町に到着したが、 北アルプスの山並みは常念から白馬まで全部ピークが見渡せる晴天で、 天気予報通りに雪が降ってくれるのを待つのが一苦労。

 四季山荘のオヤジの所で碁を打ったり、 上原の湯に入りにいったりして時間潰しの一日だった。 午後7時を廻った頃には既に雪は降ってはいたものの、 気温は0~+1℃程度で撮影には適さない上に、 雪の形状も六華の結晶が見当たらなかった。 それで四季山荘のオヤジに頼まれた買い物をBig大町店で済ませてから、 再び四季山荘に届けがてら立ち寄り、 時間待ち休憩をさせて貰ったのだ。 そして午後の8時半頃に外に出て降雪の様子を確認すると、 羽毛服に降りかかる雪の中に鏡面的にライトの光を全反射してくれる六角形が混じっているのがやっと見つかった。


 急ぎおいとまして、 車を青木湖の先、 佐野坂上部交差点を左に曲がってすぐの道路脇へ駐車した。  撮影準備に取り掛かったのが夜の9時、 外気温まで冷却する必要のある試料ステージ等をまずは車外に出して冷却開始。 ついで撮影装置のセットアップだが、 今回は従前通り、 車の後部ドアを跳ね上げて、 車内に撮影装置を設置した(三脚とフライシートを組み合わせた物は使用しませんでした)。 撮影準備が整い、一枚目のシャッターを切った時刻は9時51分だった。 それから2時間、 降雪の中の六華を探してはシャッターを切ったのだが、 自慢出来る写真は撮れませんでした。Top写真が今回の撮影行でのベストの物です。

 想うような写真が撮れなかった理由は大きく二つあります。

1. 一片の完全な結晶が得られない

   大概雪の粒等が付着して舞い落ちて来ます。

2. コントラスト良く撮影するための照明条件への理解不足と

  まだ背景画像や表面照射光源の組み合わせについて
  これから沢山撮影して実体験を積む必要が有ります。



夾雑物だらけの結晶


 ロシアの写真家さんの色合いを真似た背景光使用例
 結晶の形が際立たない画像となってしまっている 


上と同じ被写体に対して星雲画像を背景光として使用例


TG-3付属LEDを表面照射光源とした
背景画像と雪の輝度のバランスが悪い

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安曇野への出発準備

2016-12-28 20:09:50 | タナカ君的日常
 今年まとめた雪の結晶撮影装置6号機、 それを使って雪が綺麗に撮影出来るか? その確認のための撮影行に明日から安曇野に向かう。 その際には車を使うから、 荷物は幾らでも積んでいけるのだが、 来年2月には飛行機を利用して北海道に行く計画もある。 その場合、 撮影機材や防寒具を一人で持ち運べるように、 コンパクトにパッキング出来る事が極めて重要。 そのパッキングの状態を確認するのも今回の撮影行での重要な目的の一つだ。

 荷物をまとめて見た結果だが、 機内持ち込み分としての6号機本体および、 温度計やルーペ、 ランタンなどの周辺グッズはカメラ機材を持ち運ぶ肩掛けカバンに収納出来た。 しかし、 帽子や羽毛服、レッグウオーマー等の防寒具でデイパック一つは満杯になってしまった。 更に、 降雪のある屋外で撮影装置を設置するための三脚とテントのフライシートを組み合わせた雪覆いのセットも重量的には2.5kg程度だが、機内持ち込み出来るサイズのザックからはハミ出てしまうのだ。 その他に撮影装置に組み込んであるデジカメ2機種の電池の充電器やケーブル類等の必須ユニット。 撮影した雪の画像を大きな画面で見るためにノートパソコン。

 独りで持ち運びするための重量とサイズでのパッキング、 それはなんとかクリヤ出来そうだが、 機内預けする場合に想定される、 手荒な荷扱にも耐えるパッキングと言った面では問題が発生する。

 そんな事を考えたら、 飛行機利用の撮影行にはノートパソコンは携行品から除外するようですね。 また、 羽毛服等の嵩張る防寒具は着用して、 背負うザックの中にはカメラなどの衝撃に弱そうな撮影に必須なグッズを全て詰め込み機内持ち込み手荷物にしないと駄目でしょうね。

Top画像は今回車に積む荷物の内、 どこかのゲレンデ上部にリフトで出掛けるとした場合の荷物です。 他にもダンボール詰めした荷物があります。

 その中には撮影装置に組み込んだ表面照射LED光源の制御ユニット等での故障発生に対処するために、 ハンダゴテやニッパー、ドライバー等の工具も含んでいますが・・・  故障発生など無く、 無事に撮影行が出来たなら、 北海道行きの時の荷物にはそんな工具はリストから除外して、 持って行きません。

 明日29日と明後日の長野方面での降雪予報は有るものの、 綺麗な六華の結晶に出会えるか? 運任せの撮影行に出かけて来ます。
 
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個人的な十大ニュース@2016

2016-12-27 10:40:17 | タナカ君的日常
 「良いお年を!!」 お互いにそんな挨拶言葉を投げかけて昨日は市が運営する地域センターでの囲碁の対局を後にした。 もうそんな時期なのです。 年の暮れと言えば「今年の十大ニュース」なんてのが新聞紙面等を賑わす時期でもある。 僕もこのブログの中で過去(2009年2014年)に2度ほど書いていた。

 実は今年もどんな事があげられるかな? と想って書き出した紙切れがコタツのテーブルの上に載っている。 思いつくままにピックアップしたもので重要度順と言う訳ではないのだが、 その紙切れ上の文字をここに記して置くことにした。 なかにはブログUpした項目もあるので、 それに付いてはLinkを張って置きました。

1. ブログ閲覧数の記録Up

2. 囲碁の棋力Up 去年よりも一階級分程度Upしたんじゃないかな。

3. 三年目となった安曇野生活での人付き合い

4. 押しかけ管理人 別荘地の草刈り。

5. 雪の結晶撮影装置6号機完成
 デジカメ TG-3を使用

6. 5年目の車検

7. 残存歯数 変化なし。 72歳での残存歯 26本

8. アセリャ 閉店、 開店から1年しないで店仕舞い。

9. 儲けそこねたトランプバブル

10. 叔父の死去



 このリストを書いた時には未だお腹の中に居た二番目となる孫、 無事にこの世に姿を現しました。

ダントツ・トップ : 二番目の孫の誕生!!

 大きな目で見ればイギリスのEU離脱投票、 泥沼化したシリア内戦やヨーロッパに向かう難民や移住希望者の群れ、 北海道沖公海での中国漁船による漁獲量の増大とそれに伴う日本海域での漁獲減少、 収拾の目途が付かない福島原発事故処理等、 今年も多難な年でした。
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墓場に急ぐ低気圧

2016-12-26 11:53:09 | 雪の結晶撮影
 オホーツク海ないしはベーリング海は「低気圧の墓場とも呼ばれる」。 今の時期その墓場へと急ぐ低気圧は北海道上を横断または東北進するコースを取る事が多く、 そんな時には大雪が降って飛行機の運行キャンセル、 列車の運行休止なんて事態も発生する。 つい2~3日前(クリスマス前)にもそれがあった。

 そんなドカ雪に近い降雪の時には降雪の中から一片の雪の結晶を筆先に掬い取るのは難しくなる。 北海道への雪の撮影に出かける日取りを決める時には「気温の低下する時期」という条件以外にも、 「降雪はあるが、 極端なドカ雪にならない」 そんな条件も加味した。 旭川の観光協会やユースホステルに問い合わせた時に、 そんな条件で質問すると・・・ 「年末年始の辺りは降雪量が多くなることがある」そんな話を聞かせてくれた。 まさにクリスマス前はそんな状態が生じたのだ。 だから北海道行きのチケットは2月初旬の時期の物を購入した訳だ。

 この暮れから正月に掛けては安曇野の借家をベースにして、 鹿島槍や五竜のスキーゲレンデに出かけて撮影にトライする予定を立てている。 その際に使う背景画像のサイズを大きな物に変更する必要性を感じ、 デジカメの液晶モニタに表示する画像サイズを大きくする、 そんな作業に今は熱中しているのです。

<撮影装置 5号機 での背景画像例
       : 1画面に4パターン >

 星雲

 2色グラデーション

<撮影装置 6号機 で今後使用する背景画像例
           : 1画面に1パターン >

 IMG_1975

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寒い冬場に幽霊話

2016-12-25 12:52:23 | タナカ君的日常
 職場の先輩(ある人にとっては直属の上司)だったK氏宅を弔問に訪れた。 K氏の闘病から亡くなる迄の様子、 一人暮らしとなった奥様の最近の暮らしぶり、 弔問に訪れた僕達の中からは若い頃に酒を飲んだ後に泊めてもらった話など、 最初は故人に関わる話題が主だったのだが、 後半にはタイトルにした幽霊話まで飛び出した。 

 その話をして呉れたのは40年ぶりの再会として紹介したMさんだった。 とあるアトラクション施設に隣接するホテルの照明システムを受注して工事期間中の事、 作業関係者など誰も居ないはずの深夜に工事中だった客室の室内ランプが時折点灯するのだと言う。 その室内照明は部屋の中に人が居ると点灯する様なシステムが組まれていた。 だから、 深夜にハッキリしないけれど 「誰かが徘徊しているのでは無いか?」、 「幽霊かも?」 なんて話になって、 その原因を探るべく直接設計に関わった技術者と共に、 車でホテルの敷地内を深夜に巡回・張り込みをして、 幽霊が点灯させたかも知れない部屋には即座に立ち入って調査する探偵まがいのことをした。  しかし当然人の立ち入った様子も無く、 幽霊が動き回った様な心霊的な不気味さも感じなかった。 それでも消えていた照明が点灯する事実はあるのだから、 当然の事として制御回路の誤動作を念頭にした調査に切り替た。 

 原因追求手法の詳細を書いても興味ない人が多いだろうから、 結果だけ記すと、 人の動きを検出する目的に使用していた電気部品・焦電型センサーが急激な気温変化の環境下で発生するノイズに制御回路が反応したのだと言う。 そして最終的にはオシロスコープ等を使って、 ノイズの詳細を把握し、 制御回路に焦電型センサーの出すノイズ信号に対しては反応しない様な機能を付加して誤動作を無くし、 無事に納入を済ませた。 そんな幽霊話でした。



 さて40年振りに再会を楽しみにしたMさんの事。

 待ち合わせたバス停でバスから降りてきた人々の大半は弔問に向かう顔見知りの仲間でしたが、 Mさんを識別出来ませんでした。 同じ方向に向かう列の先頭近くに帽子を被った見知らぬ人が居たので、 隣を歩いていたヤマギシ氏に「あの帽子被ってるの誰?」と聞くと「Mだよ」と教えてくれたのです。

 眼をつぶって、 彼の語る声を聞くと紛れもなく聞き覚えのあるMさんの声です。 今も血色が良く、 頬には若かりし頃と同じく紅味が差しています。 ゴルフもしているそうだから、 日焼けもしているけれど、 写真で見る頬の紅味は日焼けとは違う血色の良さですよね。 ナイス・シルバーエイジの風貌の人間になっていました。

 ただ、 別れ際に「撮影した写真の素顔をブログに載せても良いか?」と聞いたところ、 若い頃には「闇◯△」そんな名前の赤ちょうちんの店を開いた時の様なやんちゃな若さは無くなって、 返事は「止めて欲しい」だったので、 写真には少し加工を加えました。
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背景画像・IMG_1975

2016-12-24 12:26:16 | 雪の結晶撮影
背景画像・IMG_1975

 正月を前にした年の暮れだが、 部屋の片付けや、それに疲れたら雪の結晶撮影に使う背景画像の作成やテストに明け暮れている。 とりあえず正月に白馬方面で雪の撮影に使用する背景画像(Top写真 IMG_1975)を作ったので紹介する。


 背景画の前に置いたダミーの被写体: 透明なプラスチック片
差し渡しの長辺は約3mmの六角形に切り出し


背景画像の中のダミー試料
試料の左上部の側方よりLED光(アクア・ホワイト色)で照射。


背景画像の無い状態


 背景画像が無いのも雪の結晶の形の特徴が際立って、 良い写真になるかもしれませんね。 正月には形の良い雪が落ちて来てくれる事を期待しています。
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20代の同僚との再会

2016-12-23 11:06:16 | 昔話
 明日はかっての会社の先輩のお宅にお悔やみに伺う予定が組まれている。 そう言った類の訪問はどちらかと言えば、 苦手と言うか参加したくない気持ちが強いのだが・・・ 今年の夏が過ぎていつの事だったか、 その先輩のお宅(我が家から歩いて7分)の敷地に何時も駐車してある車が長期間見えなくなって居ることに気がついた。 洗濯物が干されているのを見ることも無くなった様な気がしたので、 「高齢者向けの住宅に奥様ともども移住されたか?」 そんな気がして、 隣家のベルを押して様子を聞いてみたのが11月の初旬。 そしたら「ご主人が亡くなって、 奥様が暮らしている」と教えてくれた。 その事を40年近く続く永きに渡って旧職場の新年会の幹事の任にあたってくれているモリ氏に伝えた。 そのモリ氏から 「年内にお悔やみに行く事にするから、 家を知っているタナカ君も同行して」 と頼まれると、 亡くなった事を連絡した手前、 「行きたく無い」 そんな返事は出来ないってものだ。

 その弔問メンバーにM君が参加する事がメールで知らされた。 俄然、 弔問よりも、 当時(昭和43年4月1日付で転職したばかりの会社で)同僚となった新入社員だったM君との再会に興味が湧いて来ました。

 大学で電気系の学部で学んで来たM君だが、 「電気ばかりじゃツマラナイからと、 単位の取得とは関係の無い物理や化学の講義を聴きに行ったりしていた」と言い、 「科学の先端を行くのはソ連、 だからロシア語を勉強しよう!」 そんな彼が音頭を取って始まった、 昼休みに当時居室のあった開発館の屋上での勉強会に僕も加わったのだ。 だから、 今でも「ウルーク フタロイ(第2課)」、「マーリンカヤ アー クノー バルショイヤ ソビエトラヤ(部屋は大きく明るいです)」 そんな教材の一節が僕の頭の片隅にはこびりついているのです。 

 そして昭和40年代後半、 オイルショックや円高に動いた経済環境の中、 勤務先の業績が悪化し人員整理の嵐に巻き込まれた。 その前にM君はさっさと会社とオサラバして、 吉祥寺で赤ちょうちんの店を始めたり、 縁あって結ばれた奥さんの実家が営む照明器具製造会社の技術面の一員として活躍し、更には経営に携わったりと変化して行った。 そんな彼と最後に会ってから、 かれこれ40年は過ぎただろうか? なにせ彼は、 その間に毎年開かれていた電気研の新年会にほとんど参加して来なかったから、 出会う事も無かったのだ。 そんな彼と、 明日には出会うことになる。 血色の良い唇と頬に紅味がさしていた20代だった彼と、 高齢になった彼の風貌のギャップは如何程のものか? 興味深々です。

 話題にするチャンスが有るかどうか判らないけれど、 ロシア語の勉強会と時を同じくして使って居た「材料科学入門Ⅰ 物質の構造 ジョン ウルフ編 岩波書店」 まだ捨てずに本棚に残っています。 その本をカバンに入れて出かけて見ようかと考えている。
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赤ちゃんの哺乳量

2016-12-22 10:58:00 | タナカ君的日常
初めての背比べ

 2番目の孫が生まれて2日目、 助っ人に行っている妻から「貴方は病院に赤ちゃんを見に来ないのか?」 そんな命令形ともとれる質問形の言葉を投げかけられた。 「そこで仕方無く・・・」なんて表現をすると、 後で物議を醸す可能性が高いのだが、 午後の囲碁の対局が終わった後で自転車で谷保駅に向かい、 そこから電車に乗って産院を訪れて、 赤ちゃんを抱っこさせて貰って来た。

 保育園でお兄ちゃんを迎えた妻ともども病室を訪れたのは午後の5時頃、 その時は部屋の主は授乳などのために部屋を留守にして、 個室には鍵が掛かっていた。

 授乳を終えて戻ってくる母親を待つことしばし。 そして部屋で赤ちゃんの様子を見せてもらったりしていると、 看護婦さんが入って来て、 「名前などの自己紹介」や「今夜の当直にあたること」 などを述べてから、 赤ちゃんの体調や母親の状態等を聴き始め、 「母乳はちゃんと出ているか?」、「オッパイをちゃんと飲んで呉れているか?」 そんな質問に及よび、 更に看護婦さんと母親とのやり取りが続きました。

看護婦 「どのくらい飲みましたか?」

母親  「 に でした」

看護婦 当然の様な声音で 「 に ですか 」

 聞いていた僕は意味が判りませんでした。

 看護婦さんが退室してから聞いて見ました。 「 に って何?」と。

そしたら、 それは 「2cc飲んだ」 との会話だったそうです。
「随分少ない量だなー!」 「どうやって計量したんだろう?」と興味をもちました。 授乳量は赤ちゃんの体重変化で計測。 出産2日目の新生児では、 その程度の授乳量で当然なんだそうですね。 
   
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計画出産

2016-12-20 08:24:50 | タナカ君的日常
 今年の春、 息子のところから 「二人目を妊娠しました」と話があった。 出産予定日は正月の二日だった。 それが 「12月19日に計画出産します」と変化したのはいつだったか? その話を聞いた時には「年内に産まれれば、 税金が安くなるかな?」 そんなサラリーマン時代の思考が頭を駆け巡ったものでした。

 計画出産・前日

 計画日の前夜は三重県から出かけて来てくれた嫁さんのご両親共々夕食をご馳走になった。 翌日に入院する病院(息子の自宅近く)を見物してから、 これまた近所で客席が結構沢山ある寿司屋で会食をした。 それは妊娠中の食事として「生物(ナマモノ)」の摂取を控えていた妊婦の「お寿司が食べたい」との希望に依るものだったとか。 「病院には翌日の朝6時に入院する予定になっている」 そんな話も聞きました。 会食後に僕たちは帰宅。

 計画出産・当日

 妻はいつも通り、 午前中は昼迄、 近所の農家への野菜収穫の手伝いに出かけて行った。

 11:25  LINE 受信

 「入院してから5時間経過しましたが、今回もペースはゆっくりのようです、 まだまだ生まれる気配はないので、気長にお待ちください。 無痛はほんとにすごくて、痛みは全くないのでベッドの上でただただのんびりしています。」 そんなメッセージが入っていた。

 11:55 LINE で返信

 昼近くなって、「もうソロソロかな?」と想っていましたが、 まだでしたか。 ノンビリ行きましょう

 午後3時過ぎた頃 立川駅近くまで出かけていた妻から

「どうやら産まれる気配が出て来たみたいだから、 私はこのまま病院に行きます」、 「貴方は適当に夕飯を食べて下さい」と電話あり。

 18:15 LINE で 無事に出産の連絡あり。

 19:56 LINE で 赤ちゃんの写真届く。

 その写真の中にはお兄ちゃんとなった孫が赤ちゃんの手を触れている2ショットがあったのだが、 「触れる手にはどんな力で握って良いのか判らない頼り無さ」、 顔の表情には「未だぎこちない兄弟関係や長時間の病院での待機疲れ」が入り交じったような・・・ ある意味素敵な記念写真だと感じます。

 出産・翌日

 出産への立会や孫の世話をしてくれた三重のジジ・ババは夕方には帰宅の途につく。 それと交代して妻は父親の帰宅時間まで、 孫の面倒を見るために出かけて行くことになっている。 母親が退院・帰宅となるまで、 これは続く予定です。
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