アメリカ大陸横断-13 2006年

2010-04-30 09:48:45 | 海外旅行
          宿泊施設のクーポン券

[ 2006年4月30日 ]   St Louisの少し西側、Lake St Louis付近の宿を出発。
St Louis を観光後、I-70を走り Indianapolisに到着。  走行 480km

 アメリカをドライブ旅行に出掛ける前には 「何かあったら面倒見て下さい、お願いします!!」と、永いことアメリカに駐在し、今はJEOL USA副社長になっておられるWada氏に連絡してから出かけました。 携帯電話の番号を教えてくれて「何かあれば、いつでも連絡下さい」と言ってくれる面倒見の良さにただ感謝有るのみです。 その彼から「タナカさん、 セントルイスには西部開拓に向かった幌馬車をイメージする大きなモニュメントがあります。 それは是非見てください!」と言われていました。 I-70を走行してミシシッピ川の鉄橋を越えてSt Louisの市域に入り再び川に近づく頃、そのモニュメント“ Geteway Arch”が見え始めました、 ステンレス鋼で外装された高さおよそ190mのそれは、たしかに目立ちます。 中を見物するつもりで入り口まで行きましたけれども観光バスでやって来た高校生の集団で混雑していたし、 あまりにも近づくと、全体を格好良く写せない。 それで、対岸に移動して撮影したものがこの写真です。 



その後、その昔、鉄道駅であった建物まで歩いて市内見物してセントルイスとはお別れしました。

 Illinois州のI-70をひた走って東に進むと、Indiana州に入ります。 そしてお決まりのインフォメーションセンター”Clearcreek Indiana Welcome center"がありました。 ここは単なる休憩施設だけで無く、扉に取り付けられたたプレートの表示からすると、トルネードから身を守るシェルターも設置されているらしいです。


 この写真は妻のカメラに記録されていた物で、僕の頭の中の記憶には残っていません。 もし”WOMEN"の表示が”MEN"だったら、僕は絶対に扉を開けて、中を見せて貰ったはずですから。 「旅の途中でトルネードの姿を遠くからでも見るチャンスがあれば」との思いで、中央部を横断するルートを選んだ事は前にも書きましたけれど、こんな表示だけ見て満足している内が、ハッピーかもしれません。 本当に出逢っちゃったら怖すぎますから。 そんな事以外は取り立てることも無く州都インディアナポリスへと向かいました。

 明日はIndy500などで有名な”The Indianapolis Motor Speedway”に立ち寄る予定です。 そんな訳で、今夜の宿は市の南にあるモーテル Conffort Innに泊まりました(40.20$)今回の旅で初めて、インフォメーションセンターで入手したクーポン券(Topの写真)を使ってみました、とてもお得な値段で泊まれますね・・・ 2人一部屋でこの料金ですよ。 もっとも宿の中には、「今夜はそのクーポン価格で提供出来る部屋がもう有りません」と断られた事もありました。 そこら辺は心得ておきましょう。


 各地のインフォメーションセンターではクーポン券が印刷された小冊子の他にも、上の様な地図、観光案内など様々な資料を無料で貰えました。
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アメリカ大陸横断-12 2006年

2010-04-29 14:28:09 | 海外旅行
       緑が多くなったUS-50沿線風景

[ 2006年4月29日 ]  Kansas Cityを出発。 US-50を東に走り、Missouri州都 Jefferson Cityに立ち寄る。
                夕刻 St Louis 手前のLake St Louis近くの宿に泊まる。         走行 386km

 昨夜のKansas City西郊の宿は既にMissouri州であったらしい、 これからは州都に立ち寄りながら東に進む予定にしたのでI-70を離、US-50でイリノイ州の州都 Jefferson Cityに向かいました。 道路に沿った風景は木々の多いものに変化してきました。 道も真っ平らな大平原のそれから、幾分Up・Downする様になりました。 州の議事堂の建物はお決まりの構造、 中央に女神様を乗せたドームが聳え、左右に翼を広げた建物、 そして、独立宣言起草者Jefferson氏の銅像が建物正面に立っています。





 裏手にはMissouri川がゆったりと流れている。 ここで久しぶりに日本人家族の観光客と出会いました。 日本人に会ったのはラスベガス以来かもしれない。



 ここからSt Louisへは地図上にシーニックドライブの表示がされている州道94号線を走りました。 緑が多く、車で走っていて気分の良い道ではありましたが・・・  それ程早くないスピードで走行していた僕の車の後ろにピッタリ付く車がありました。 対向車も無く、交通量が少ないのだから、さっさと追い越すか、「もっと車間を空けて走ってくれないか?」 と思うくらい狭い車間のまま付いて来る。 僕が少しスピードを上げると、後ろの車もスピードを上げてついてくる。 「変な奴にくっつかれちゃった、 どうしたものか?」 ギャーンとスピードを上げて、随分間を明けてから、道端に車を止めました。 相手は走り過ぎないで、僕の車の横に止めてこっちを覗いて見ています。 なんだか子供を乗せた中年の小母さんでした。 カリフォルニアナンバーでローカルな道を走ったのがイケなかったかな? 兎に角出発前には、「追い越すなら、素早く追い越せ、道路で隣の車と並行したまま走るな」  「ピストル持ってる変な奴が、それを撃ってくる場合もあるぞ」てな恐ろしい話しも聞いて来ましたから、 ただの小母さんの車で何事もなく済んで良かったです。

 St Louisの市街の手前でI-70に戻り、 ”Lake St Louis”近くのモーテル Days Inn (税込 67.46$)に宿泊。



**************** 2010/04/29 ******************
 新潟県まで山菜の偵察に来たのだが、 まだ桜が満開、僕達が例年獲物を取る場所への林道は残雪で塞がれ行くことが出来なかった。 山菜はもう少し後ですね。
 仕方なく、田んぼの畦のような場所で「こいつは3級品だ」とボヤキながら、コゴミとフキノトウを少しだけ採って帰宅。
 でも、六日町のカタクリの花が咲く坂戸山も良かったし、八海山の伏流水が湧き出す大崎地区の水源を守るお不動様の祭りだとかで、法螺貝を吹き鳴らす3人の山伏を先達に、地区住民代表が山裾の水源地前に集まり、護摩を焚く祭りの見物も出来たし、それなりに面白い旅が出来ました。
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アメリカ大陸横断-11 2006年

2010-04-28 20:04:16 | 海外旅行

        Kansas City ダウンタウン

[ 2006年4月28日 ]  Ottawa( Kansas City南西近郊)を出発。 雨のKansas Cityをぶらつき、
                夕刻 MLB 地元チームの試合を観戦。 球場近くに宿泊。       走行 154km

 これまで随分と走ってきたので、此処らで休息が必要です。走る距離も短くし、夜にはMLB地元Kansas City Royalsのホームゲームを観戦する計画も組んでいます。 もう詳しいことは忘れてしまったのだけれど、 I-35を北東進してKansas Cityの中心部に入り、I-70と交差する付近で一般道へ降りて行きました。 そして、地下に何層もある公共の大きな駐車場に車を入れて、街中の見物に出かけました。 雨が降っていたので、黄色い雨具を身につけ、傘を持ち「本屋さんがあるのはあっちの方だよ」と言われた方向に歩き出しました。

 途中に鉄道駅Union Stationが有ったので構内に入ってコーヒー休憩です。 アメリカでは鉄道は交通の主流から外れたとは言え、駅舎の床は大理石、 天井からはシャンデリアが下がっていたりして、往時の繁栄ぶりを忍ばせてくれます。 

 僕達が探したい大きな本屋さんはなかなか見つけることが出来なくて... 歩きくたびれただけで、また駐車場に戻りましたっけ。 駐車場を出る時にエレベータに一緒に乗ったアフリカ系の顔色をしたオジサンが「駐車床の色を覚えて置くと良いよ」と教えて呉れましたが、 たしかに、エレベータに乗ると行き先ボタンの脇の表示は数字より色の方が先に目に飛び込んできたので、なるほどと思いました。

 そして夕刻、球場に近い遠征してくる野球チームも御用達らしいHoliday Innに宿を確保、 道を隔てた球場のチケット売り場で地元チーム応援席・一塁側の席のチケット(2枚で54$)を購入、 初めてのMLBゲームを観戦しました。 まだシーズンは始まったばかりだし、天気は雨で試合を一時中断するような気象条件だったし、観客も少なく、若干盛り上がりには欠けた試合風景でしたが、雰囲気は堪能出来ました。
 





**********  4月28日 **************
 雨の振る中を、川越のSさんと二人雨の降る中を榛名山中腹目指して出かけてきました。前橋ICを降りる頃には路面も乾きだした。お目当ての場所でまだ小さいタラの芽を取れるだけとって、三国峠を越えて湯沢へ、そこでフキノトウ、こごみを一掴みつんで、街中のスーパーで油や竹輪を購入、今夜の天麩羅の準備はこれで完了。 六日町の魚野川沿いの公園で揚げたて天麩羅でビールをごくり!! こんな事やってる時が最高です。 用意しておいた原稿でアメリカ大陸横断もUpしました。 さあ車の中で寝るか、 「お休みなさい!」
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アメリカ大陸横断-10 2006年

2010-04-27 09:26:02 | 海外旅行
[ 2006年4月27日 ]  Dodge city を出発、 US-54を東進し Wichita に至り、
                そこより I-35 にてKansas Cityを目指し、手前の Ottawa にて宿泊。  走行 480km

 ”Gun Smoke St ”なんて西部劇の影響受けた名前の街路が有った昨夜の宿泊地 Dodge cityは既にKansas州に入っていたのです。 手の指を広げて地図帳の上に乗せてみると、太平洋岸と大西洋岸から丁度同じくらいの場所まで来ています。 昨夕は鉄道線路の北側に広がる比較的豊かそうな住宅街の広がりの中を車で走りまわり、小高い地点から少しばかりの感傷を持って夕日を眺めたものでした。 それから「このガソリンスタンドは地元の客しか来ないだろう」と思える場所で給油して、支払いをするために店内のレジに並びました。 高校生のアルバイト兄ちゃん風の男性がレジをやっていて「お客さん△?○カード持ってますか?」と聞いて来る。 意味判んないから聞き返すと、僕の後ろに並んで居た客に「△?○カード持ってたら、チョット貸して下さい」と声を掛けて、その割引カードを僕達に「このカードのことだよ」と示してくれた。 当然そんなの持ってるはずないんだけれど... 俺ってこの辺りに住むインディアン系の人物とでも思われたのかな?

Dodge cityの東、Kansas州の東西方向のほぼ中央部に規模の大きな都市Wichitaがあります。 そこへはUS-54号線で向かいました。 旅の出発前にWichitaの事なんか、コレポッチも調べていません。 その街中に入り、大きな川を渡る時に公園などが見えたようなので、休憩がてら立ち寄りました。 先住民の博物館があったので、ついでに見学しました。


 昼食も兼ねた休憩の後、I-35に乗って、Kansas Cityを目指します。 州都がKansas Cityでは無く、その西にあるTopeka だと知っていたら、 そっちに立ち寄ってからKansas Cityに向かうルートを取ったのだけれど、 単純に州都はKansas Cityだろうと思って、 そっち方向に直行しました。 こんなのも無知の曝け出しにしかなりませんね。 モーテルの値段は大都会の中よりも郊外の方が安いのは当然なので、手前の”Ottawa”の町で”TraveLodge”(税込67.91$)に宿泊しました。

 今日は道の傍にカウボーイ用品店を見かけたので、立ち寄ってみました、憧れの西部劇グッズ・テンガロンハットやブーツ等が沢山並べてありました。しかし、試着してみると僕にはてんで似合わない。 仕方なく、ベルトや革手袋の小物をお土産に買いました。 どれも”Maid in China”であったりして、少しがっかりですが。
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アメリカ大陸横断-9 2006年

2010-04-26 16:14:25 | 海外旅行
         大平原の中を走る US-50

< アメリカ横断ー9 >

[ 2006年4月26日 ]  Colorado Springs を出発、 I-25を南下、Pueblo に至り、
                そこより US-50を東進してDodge cityに泊まる。        走行 533km

 昨日泊まったColorado Springsは、近くにFort Carson基地、U.S. Air Force Academyや,それにまつわる、産業の集積された地域で人口の多い大きな町でした。  モーテルを出発する時には青空のもとロッキー山脈の雪を乗せたピークも眺められました。 しかし、Puebloに向かって南下し、そこからUS-50を東進しだすと、単調な大平原の眺めの道になりました。 道の前方遙か遠くに白い構築物(カントリーエレベータ)が微かに見え、それが近づくと家並が出て来る。 すると速度規制の数値が変化します。その数字に従って走行速度を 65 > 55 > 45> 35 > 45 > 55 .> 65 マイルと変化する操作を何回繰り返したことでしょう。 そして、この日の宿泊地ワイアット・アープが活躍した Dodge cityには日没だいぶ前に到着しました。


   コートを翻して歩くワイアットアープ像、前方は鉄道の駅、手ぶれでボケボケでごめん m(_ _)m



 兎に角、「アメリカ大陸を横断してるんだ!」という意識が無ければ、単調過ぎて車の運転も飽きの来る道を一日中運転しました。

牧場の柵にそって置かれた手作りのディスプレイ。 小さな村落で学校の生徒が野球練習して居る風景などは、こちらから
 
 高速道路沿いに設置されている、休憩施設の写真はこちらから。 その、休憩施設に付いて書いておきます。 日本の高速道路のPAやSAは駐車スペースとトイレ、レストランや売店がセットになっていますけれど、アメリカで州間高速道路の脇に設置された休憩施設の多くは駐車スペース、トイレ、ピクニックテーブルの組み合わせのみで、売店やレストランなど無い場合が大半でした。 食事のためにレストランに寄りたければ、高速道路の出入口近くに設置されたガソリンスタンドや食事施設の有無を表示してある看板を見て、一旦高速道路を降りて、そのような店を利用する感じです。  またガソリンスタンドに併設された売店では、品揃えは日本のコンビニより落ちますけれど、何か食べ物も売っています。
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アメリカ大陸横断-8 2006年

2010-04-25 19:26:39 | 海外旅行
       I-70 ロッキー山脈 Vail Pass 休憩施設の窓から見た雪景色

 < アメリカ横断―8 >

[ 2006年4月25日 ]  Grenwood springs を出発、 雪の峠越え、 Denver を経由し Colorado Springs に宿泊
                 383km 走行

 山間の温泉町Grenwoodのを出発して、暫くの間川沿いの道が続きます。 I-70、川、その対岸にはAmtrakの線路が見える川べりに休憩施設がありました。 チョット立ち寄って休憩していると、シカゴからサンフランシスコに向かう展望客車を連結した列車が緩い勾配の線路を下っていく姿に出会いました。 ラッキーです。 乗せた写真に列車は写っていません。

 今日はいよいよ標高3200mを越える峠越えルートをDenverに向かって走ります。 ロスで借りた車は当然ノーマルタイヤですので雪道だったら困ります、ですから、この峠越えは、大陸横断ドライブルートの中で一番気にしていた所です。 道路の情報は各州にあるDepartment of Transportation(略称DOT)が公開しているWEBサイトで調べる事が出来ます。 デンバーまでの峠越えするI-70はコロラド州のDOTが情報を提供してくれていました。 (しかし2010年の今日確認したらRoad conditionは別サイトで公開する様になってますね)。これら各州のDOTが公開する情報は工事区間、道路状況、などは言うに及ばず、雪道の運転上の注意など、至れり尽くせりの情報満載ですから一見の価値ありですよ。 当時は3月頃から毎日峠道の様子を映し出すTVモニタの画像をチェックしましたっけ。 旅立ってからも宿でインターネットに接続しては道路の路面状態をチェックしてきました。 気象条件と路面コンデションはノーマルタイヤでなんとか行けそうです。

 3000mを越える峠越えのルートと言っても、実際に走ってみて判ったことですが... 草津温泉から志賀高原への山岳道路等とは異なり、ゆったりしたカーブや緩やかに高度を上げて行く様子は中央高速道路の「韮崎から小淵沢に至る区間の道路状況と似ているな」と感じました。 全線に渡って、ほぼ黒いアスファルトの路面は出ていましたが、低い気温の中で舞う小雪は路面に当たっても溶けず通過する車両の風に煽られ、滑るように路面を撫でて流されていました。 また3249mのVail Pass、では路側には雪壁が残り、 3401mのEisenhower tunnel入り口付近ではシャーベット状の雪の上をチョッとだけ走りました。 またDenber側に下っていってから降ったばかりの雪景色にも出会い「無事に通過出来て本当によかったな」の気持ちで一杯でした。


       雪景色の中を デンバーに向かって下って行く I-70

 随分と順調に峠越え出来てしまい昼前には高層ビルの立つDenverの街に到着。 街中で車を駐車しやすくて見物する気になったのが州の議事堂と近くにあった教会でした。 以降東に向かって旅を進めて行くなかで、州都の議事堂、あるいは教会に立ち寄り見物させて貰うのがお決まりの儀式となりました。 丸屋根の上に女神像を乗せた議事堂の建物はワシントンDCにある合衆国議事堂でお馴染みでしょうが、各州の議事堂もそれに右に倣えで似たような作りです。 でも知事さんの居室をガードする係の人が座る机の引き出しにはピストルが入ってるのが見えたり、 素晴らしい書棚の図書室を見せてもらえたり、 結構楽しめましたです。 ところで期待していたロッキー山脈の景観は雪のちらつく天候で雲に覆われていて、白銀のピークは眺める事が出来ませんでした、 残念!!

 さて、ここまでI-70を東進して来ましたが、懸案のロッキー山脈の峠越えが済んでしまい、先の日程が見通せる様になったので、寄り道コースを進む事にします。 I-70を外れ、DenverからPuebloまで I-25 を南下し、そこからI-70と並行するUS highway50号線(以下US-50の様に表記します)で暫く東進するつもりです。 でも今日はPuebloへ南下する途中の Corolado springs の町のMotel6に宿泊しました。 受付で貰った町の案内パンフレットには 僕の興味を惹く”ProRodeo Hall of Fame & Museum of the American Cowboy” と長ったらしい名前の施設があるじゃないですか。 早速車に乗って、見物に出かけました。 しかし時すでに 5 PM を回り、施設の職員のお姉さんたちが家路に着く時間になっていて、館内は見学出来ませんでした。 これまた残念!! 

施設の正面に飾られたロデオの銅像の前で写真を撮っただけで宿に戻りました。




******************* 2010/04/25 倉岳山ー高畑山 登山 *******************

 久しぶりの好天の中を山の会の仲間8人で 中央線沿線の山、倉岳山ー高畑山を歩いてきました。歩数計:およそ25,000歩。 倉岳山から穴路峠への急降下、そして高畑山への登り返しと結構疲れる山だったな。 雨でも降ってたら、穴路峠から鳥沢に直接、降りてたと思います。

      倉岳山頂上手前の急登を登っているところ。

 中央線梁川駅下車、8:45
 倉岳山 山頂   11:30 ー 12:30
          昼食・大休憩、山頂は40人以上の登山者で大賑わいでした。
 高畑山 山頂   13:40 ここは静かな山頂でした。
 鳥沢駅 到着   16:03 鳥沢駅発 16:33 
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アメリカ大陸横断-7 2006年

2010-04-24 10:14:03 | 海外旅行
 冴えない天気が続いています、 ずっと家の中に居るとくさくさして来るので、午後はこぬか雨の中を一時間ほど傘を持って散歩して来ました。

< アメリカ横断ー7 >

[ 2006年4月24日 ]  I-70 を Rich field から Grenwood springsまで。500km 走行

 昨日まではロスを出発してI-15を北東方向に車を進めてきましたが、 いよいよI-70を東に向かって走りだしました。 大陸横断ドライブをする人の選ぶルートはもっと南のルートをフロリダに抜ける人、 南部の主要都市を巡ってAtlantaを通り大西洋岸に抜ける人もいますす。 僕もカントリーミュージックのレコードの発信地ナッシュビルなんか大いに興味はあるので、それを考えないではなかったですが、大洪水に見舞われたニューオーリンズなんかを余所者が観光がてら通過したら嫌がられる様な気もしちゃうし、 ロッキー山脈の峠越えやデンバー辺りからロッキー山脈を眺めてみたい気分もあったし、ワイアット・アープなんかが活躍した地域も立ち寄ってみたいし、そんなこんなで、ほぼ中央部を横切って進む州間高速道路 I-70をメインの横断道路に選んだのです。

 上に載せた地図はUtah州にあるRich fieldの宿から I-70を東進して、Colorad州との境を左に、今夜の宿泊予定地Grenwood springs(標高1900m付近)、そして峠越の中の主要地点の一つVail Pass(標高3249m)を右端とした範囲を旅で使用した地図帳からコピーしたものです。 州境を越えて主要な町Grand Junctionがありますが、その手前のFruitaにインフォメーションセンターが置かれているのがみえます。 今までもカリフォルニアからネバダ、ユタと2つの州境を越えてきて、州境にはインフォメーションセンターは設置されていたはずですが、立ち寄る気分にならないで積極的に探しもせずに通過していました。 しかし、コロラド州Fruitaの町でインフォメーションセンターに初めて立ち寄りました、 そこには気の良い小母さん2人が詰めていました。 立ち寄った僕達に「暖かいコーヒーはどうですか?」と勧めてくれる。 無料だったか、1ドル程度の1コインで済んだか忘れましたが、ほっと一息付けました。 それに地図や観光ガイドや宿の割引クーポンを集めた小冊子などが並べられ、欲しければ貰えます。 それ以来、すっかりインフォメーションセンター贔屓になりました。 旅を終えた我が家の押入れに、州境のインフォメーションセンターや、州の議事堂見物などの度に貰った紙の資料がダンボールで眠っているのはそんな訳です。

 カナダやアメリカでは恐竜の化石が出土します、ここのFruitaのインフォメーションから道を隔てて「Dinosaur Journey Museum 」が有ったので入場してみました。 入り口の樹には花が咲いていました、それを撮影しながら入り、入場券を購入すると、窓口の小母さんが「入り口の花、あれは△○Xて名前よ!」なんて話しかけてくれる。 いやー益々此処ら辺の親切な小母さんが好きになっちゃうな。 それはさておき、この博物館は骨格展示だけではなくて、恐竜発掘の現場の一翼を荷なっていますね。 館内のガラス壁で区画された作業場には掃除機や工具が置かれ、そこでは石に埋れた骨を削り出す作業を進めています。 こんなのは、なかなか日本では見られません。



 今日の宿泊は峠越えの手前、巨大な温泉プールで有名な「Grenwood springs」の町です、 ここはスキーで有名なAspenへの道を分ける所でもあります。 Hot Spring Lodgeの受付に行って宿泊申し込みをすると、「明朝は温泉プールをご利用になれません、その代わり、宿泊代金は通常110$ですが、9拾何ドルに値引き致します」 それで宜しければと応えてくれた。 一泊しかしない僕達にとって、それは願っても無い申し出でした。 用意してきたスイミングパンツを持って巨大プールに向かいました。 プールの傍らには金網にかこまれた源泉と思しき湧出もみられます。 その源泉の近くでは仄かな温泉の香りがしましたけれど、プールの方は随分と水で薄められていると見えて、温泉の匂いはしませんでした。


 夕刻、川の対岸、Amtrakの駅もある町中のレストランまで歩いて出かけ、夕食。 頼んだワインが値段の割に随分と美味しく感じて、 町の酒屋で同じ銘柄のボトルを入手、日本まで持ち帰って飲んだけれど、現地で飲んだあの味は再現しませんでした。 旅の雰囲気、体調、それらの総合で”旨い!!”と感じたのかな? こういう事って何度か経験しています。

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アメリカ大陸横断-6 2006年

2010-04-23 10:37:24 | 海外旅行
 今は菜種梅雨なんでしょうか? ぐずついた天気が多いです。そんな時、外に出ないで家に居て、株のデイトレなんて馬鹿なことやっていると、小遣いの原資が減ったりします。 今年はヘマが多くてかなり凹んでいます。

< アメリカ横断ー6 >

[ 2006年4月23日 ]  Zaion を出発、 Brice Canyon NP観光、 I-70に入り、Rich fieldにて宿泊。 354km 走行


 ザイオン・ロッジのベランダのテーブルで昨日の内に買って置いたサンドイッチで朝食を摂ってから、行動開始です。 今日の観光予定地 Brice Canyon NPはZionの北東、直線にしたら80kmほどの近距離にあります。 宿からは一旦公園のゲート方向に戻ります、Utah州道9号線に入ると、ジグザグと急激に高度を上げてBrice Canyonに向かう道となります。 高度を上げきったあたりに”Checkerboad Mesa"があったり、


 まだBrice Canyon NPのゲートをくぐらない手前で土柱の片鱗を眺められたりします(Topの写真)。  Brice Canyonは写真に見られるような鮮やかな赤茶色の土柱の林立する公園です。 四国の徳島にも土柱がありますが、規模があまりにも違いすぎて比較するのが憚られます。 公園内部に入ると観光道路は尾根筋に付けられていますから、車から降りただけでは土柱を上から眺める景観しか得られません。 歩きで土柱の根元に達する事も出来ますが、 下って登り返す時間的な余裕と心の余裕がなかったので、それはパスしました。 その代わりに、一つのView Pointからもう一つ隣のそれまでリム歩きを楽しみました。


 見物を終えた後、北上して、州間高速道路 I-70 を目指しました。 途中の道路脇には車と衝突して生涯を終えた鹿が3ヶ所ほど転がっているのが見えました。 僕達の車の前方にも鹿の集団が現れて、道を横切ろうとしているのが見えたと思った瞬間、先頭の鹿が慌てて路側へ逆戻り。 あんな大きい鹿と衝突したら、車にもダメージが生じるし、衝突しなくて本当に良かったですよ。 そんな風に鹿と出会った地帯を過ぎて、最初に出くわした小さな村落の小さな店で休憩しました。 店主に道端に転がっていた鹿の事を聞いてみました。 内心では「車で、あれを拾ってくれば鹿肉が食べられるぞ・・・」と思いつつの質問でしたが、答えは「町からトラックが来て、片付ける事になっている」んだそうです。 ちょっと勿体無い感じです。 丸々太った、尻のデカイ鹿だったのに。

 さて、この日以降、一週間先まで宿の予約は取ってありません。 行き当たりばったりのモーテル泊まりの予定です。 それと言うのは、I-70のロッキー山脈峠越えルートでデンバーに向かう予定ですが、そのルートが雪等の路面状況で通過困難な場合、日程の変更は避けられず、宿の予約を入れることに躊躇したからです。 
 これから先の一番の関心事は”ロッキー山脈の峠越え” 気象条件の良いときに一気に越えるつもりです。 峠の手前にある世界一大きい?温泉プール付の宿に泊まるのも楽しみにしています。 それらを勘案して、 今日の宿は I-70 沿いのRich fieldでモーテル Days Inn(74.42$)に宿泊しました。
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アメリカ大陸横断-5 2006年

2010-04-22 11:19:45 | 海外旅行
 昨日の夜には5月に行う山仲間の親睦会の世話役さん達の集まりがあって、妻は都内に出かけて行きました。 その場の話しを今朝になって聞いてみました。 なんと既に、60通以上の返信があり50人以上の方が「参加」の表示をしてくれたそうだ。  往復ハガキの返信を待つだけじゃなくて、電話でバンバン連絡入れて勧誘しちゃうのですから、こういう時って「女性パワーは凄いよな!」と感じます。 それに対して、いつも煮え切らない態度を示す癖のあるKさんからは「クジラや黒マグロの刺身などは、僕には出さない事。 会場禁煙であれば参加しても良い」みたいな返事だったとか。 まあ当人は半分ジョークの積りであったりするのだろうが・・・ 「出席/欠席の意思表示をハッキリさせれば良いのに」と思ってしまう。 「刺身なんか食べたくなかったら、口にしなけりゃいいじゃないか」と思うのだが、 もしかすると「他の人が、それを口にすることなんか見たくない」って、海外の変人に同調しているのかな? とにかく幹事を悩ませるのは止めようぜ。

< アメリカ横断ー5 >

[ 2006年4月22日 ]  ラスベガス を出発、 Zaion国立公園のロッジに宿泊。

 アメリカ大陸横断の途中で最初から立ち寄りたいと計画した場所の一つがZion国立公園(NP)です。 ここが西の端とすれば東の端をArches NPとする比較的まとまった地域に国立公園が集中して、グランドサークルと呼ばれています。 今回の旅で、まだ訪れていなかったZaion NP、そして明日はBrice Canyon NPに立ち寄る計画です。 ラスベガスからはI-15を北東進して、St Georgeの町を過ぎてから、右に別れていく州道 Utah-9に入ると到着します。 およそ290km程度の道のりです。

 国立公園内部に置かれた宿泊施設は予約無しだと空いてなくて泊まれない心配もあったので、Webで予約は済ませてあります。 予約のフォームには氏名や住所、連絡先電話などの欄が有るので、当然記入して置きました。 ただ、これまでは「住所なんて形だけ」と軽く考えていたのですが、 ここでは大事でした。 予約が受け付けられてから2週間ほど経ったある日のこと、郵便物が届きました。 赤い紙に印刷された、公園内部の宿泊施設までの車乗入れ許可証でした。 Zion NPではUtah-9号線のSouth Entranceを通過してZion Lodgeを経由、その先までの舗装された公園内道路は一般車の乗り入れは禁止されています。 公園利用者はSouth Entranceゲート近く、ビジタセンターも置かれたSpringdaleの町の駐車場に車を置き、そこからは 無料で運行されているシャトルバスを利用することになります。しかし許可証を持つ僕たちはロッジまで車を乗り入れる事が出来ました。



 Zion NPはGrand canyon NPの雄大な景観に較べると小振りな感じですが、 聳え立つ岩山に囲まれ流れに沿った平坦地には樹木が茂り、穏やかなキャンプ生活が出来そうな場所です。 「インディアンの聖地であった」と言うのもうなづけます。 子供を載せた乳母車を押す人、散歩する人、カヌーで川下りを楽しむ人、サイクリングする人と、垂直の赤い岸壁に挑む人を除けば穏やかな楽しみに溢れた公園でした。  僕たちはシャトルバスの終点からThe Nallowと呼ばれる沢歩きの起点まで散歩して、遊歩道を戻ってきました。 夜はロッジに併設されたレストランで食事、 そのレストランの予約はロッジに到着して散歩に出掛ける前に済ませておきました。
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アメリカ大陸横断-4 2006年

2010-04-21 09:56:41 | 海外旅行
 初旬に出かけた京都桜見物の相棒の熊ちゃんからデジカメファイルを焼いたDVDがクロネコメール便で届きました。 早速、僕がメインで使っているPCで写真を見始めたのだが、途中でCD/DVDドライブが反応しなくなってしまった。 最初は「DVDのファイルがマトモじゃないのか?」と疑ったりしましたが、 妻のVistaマシンで見たら全部見ることが出来たから、僕のPCがボロくなったと判断するしかないですね。 まだまだ十分使える積りでいたけれど、OSはXPだし、ハードディスクは一度入れ替えたし、そろそろ買い替えないとダメかなぁ? 

 TVのニュースはヨーロッパ各国の空港のアイスランドでの火山噴煙による閉鎖は徐々に解除され始めたようで、なによりです。


< アメリカ横断ー4 >

[ 2006年4月21日 ]  ロスアンゼルス から ラスベガス へ移動。 オートクルーズの話し。

 ロスアンゼルスからラスベガスへの距離はおよそ430km、州間高速道路 I-10を東に走り、北東方向に向かう I-15に乗り換えます。 ちなみに、高速道路の番号ですが偶数は東西方向に走る道路に、奇数番号は南北方向に走るそれに付与されています。 この区間は途中に特に見所があるとも思えない単調なドライブの一日です。 車はナビ付ですから、道の心配はほとんどないのですけれど、 米国で発行された道路地図も携帯して来ました、新宿の本屋さんで入手した物で1500円程度でした。 地図帳は道路沿いの休憩施設や観光などの便宜を図るために設置されているインフォメーションセンターの情報を得られて、それなりに便利です。 それからアメリカでの運転で右側通行に付いて心配される方がいますけれど、ウインカーとワイパーの操作ミスはあるし、街中の道路ではそれなりに気を使う必要がありますけれど、それ程の心配する事はありません。 特に高速道路の走行なんか一方通行の道路を走っている様な物で、上の写真はラスベガスへ向かう途中の状況ですが、3車線の道路が全部一方通行状態で、右や左と気にする必要はありません。

 高速道路を単調に走る場合にアクセルペダルを操作しなくても、一定速度で走行出来る「オートクルーズ機能」を使うと、とても助かります。 レンタカーの借り出しの場合、特にそれを注文する必要は無く、アメリカのレンタカーの場合、標準装備されていると考えて良さそうです。 問題はその使い方です。 半年前のグループでのドライブ旅行の時の事ですが、日本でトラックを業務で運転していたS君などはオートクルーズを使うことに興味を示さず、アクセルペダルに足を乗せ続けていましたが、僕なんか足がくたびれるし、珍しい物は触ってみたい方ですから、すぐに使い始めました。

 [ オートクルーズの操作 ]

オートクルーズ操作に必要な物はハンドル周辺に置かれています。 車種やメーカーによって異なりますが、コントロールは以下の様なものが基本です。 実際に操作する方法は車に備えられた取扱説明書を読むか、レンタカー会社の人に聞いてください。
 

1. オートクルーズ機能の開始と停止     ON/OFF
    車のエンジンを始動させて動き始めたとき、オートクルーズはOFFしています。
    オートクルーズ機能を使いたければ、 「ON」します。

2. オートクルーズのスピードセット       SET
    アクセル操作で加速して例えば時速55マイルに達したとします。
    ここで「SET」操作を行うとアクセルから足を離しても一定速度での走行が始まります。

3. オートクルーズ中のスピード微調     UP / Down、 あるいは矢印表記
    前走車との間隔を一定に保つためにはスピードを微調整する必要があります。
    その場合 UP / Down操作を行うと、時速がおよそ1km程度のピッチで変化します。

4. オートクルーズスピード設定の解除    ブレーキ操作で減速
    オートクルーズのスピードセットした状態が解除されます。 

5. オートクルーズ再復帰            Resume
    ブレーキ操作でオートクルーズスピード設定の解除した後、再度元の速度に戻したい場合
   「RESUME」ボタン操作で、アクセル操作無しで、以前にセットしてあった速度まで加速して行きます。



 専用のレバーにまとめられたトヨタカローラ(今回借り出したタイプ)


押釦タイプでコントロールするマツダ車(前回借り出したタイプ)


 オートクルーズでの走行で戸惑うのは、カーブを走行する時です。 日本の道で走行している場合カーブの手前で減速、カーブに入り始めたら加速開始などとアクセル操作する癖が付いている僕達にとって、一定速度のまま先が見通せないカーブに入って行くのが少し怖く感じる場合があるのですが、道路脇に設置された速度規制標識の速度で走っていれば、カーブも安全に走行出来る曲率であったり、傾斜が付けられていたりするらしく、速度を落とさなくても安全に走行可能なであるらしい。 しかし、それに慣れない内は戸惑います。 別の日に妻が運転中にあった事ですが、鉄道線路を高架で越えるS字状の道路が有りました。 そこで妻はブレーキを踏んだのです、 それまで一定間隔で後続していた大型トラックが巨大な警笛音を響かせます。 いやー怖かった。

 何はともあれ、長距離ドライブの初日、無事にラスベガスに到着出来ました。 大きなカジノが立ち並ぶ区画の道路を隔てた東側のモーテル風の宿に泊まりました。 宿泊代金は100$ほど(アメリカのモーテルでは2人一部屋での料金表示です)ホテルと銘打つ宿より全然安いです。 そして食事は大きなカジノ「フラミンゴ」の中のバイキング形式のレストランで摂って満腹になりました。
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