20代の同僚との再会

2016-12-23 11:06:16 | 昔話
 明日はかっての会社の先輩のお宅にお悔やみに伺う予定が組まれている。 そう言った類の訪問はどちらかと言えば、 苦手と言うか参加したくない気持ちが強いのだが・・・ 今年の夏が過ぎていつの事だったか、 その先輩のお宅(我が家から歩いて7分)の敷地に何時も駐車してある車が長期間見えなくなって居ることに気がついた。 洗濯物が干されているのを見ることも無くなった様な気がしたので、 「高齢者向けの住宅に奥様ともども移住されたか?」 そんな気がして、 隣家のベルを押して様子を聞いてみたのが11月の初旬。 そしたら「ご主人が亡くなって、 奥様が暮らしている」と教えてくれた。 その事を40年近く続く永きに渡って旧職場の新年会の幹事の任にあたってくれているモリ氏に伝えた。 そのモリ氏から 「年内にお悔やみに行く事にするから、 家を知っているタナカ君も同行して」 と頼まれると、 亡くなった事を連絡した手前、 「行きたく無い」 そんな返事は出来ないってものだ。

 その弔問メンバーにM君が参加する事がメールで知らされた。 俄然、 弔問よりも、 当時(昭和43年4月1日付で転職したばかりの会社で)同僚となった新入社員だったM君との再会に興味が湧いて来ました。

 大学で電気系の学部で学んで来たM君だが、 「電気ばかりじゃツマラナイからと、 単位の取得とは関係の無い物理や化学の講義を聴きに行ったりしていた」と言い、 「科学の先端を行くのはソ連、 だからロシア語を勉強しよう!」 そんな彼が音頭を取って始まった、 昼休みに当時居室のあった開発館の屋上での勉強会に僕も加わったのだ。 だから、 今でも「ウルーク フタロイ(第2課)」、「マーリンカヤ アー クノー バルショイヤ ソビエトラヤ(部屋は大きく明るいです)」 そんな教材の一節が僕の頭の片隅にはこびりついているのです。 

 そして昭和40年代後半、 オイルショックや円高に動いた経済環境の中、 勤務先の業績が悪化し人員整理の嵐に巻き込まれた。 その前にM君はさっさと会社とオサラバして、 吉祥寺で赤ちょうちんの店を始めたり、 縁あって結ばれた奥さんの実家が営む照明器具製造会社の技術面の一員として活躍し、更には経営に携わったりと変化して行った。 そんな彼と最後に会ってから、 かれこれ40年は過ぎただろうか? なにせ彼は、 その間に毎年開かれていた電気研の新年会にほとんど参加して来なかったから、 出会う事も無かったのだ。 そんな彼と、 明日には出会うことになる。 血色の良い唇と頬に紅味がさしていた20代だった彼と、 高齢になった彼の風貌のギャップは如何程のものか? 興味深々です。

 話題にするチャンスが有るかどうか判らないけれど、 ロシア語の勉強会と時を同じくして使って居た「材料科学入門Ⅰ 物質の構造 ジョン ウルフ編 岩波書店」 まだ捨てずに本棚に残っています。 その本をカバンに入れて出かけて見ようかと考えている。
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