2010簗場生活-22 樵作業

2010-08-31 18:14:27 | 国内旅行と山歩き
 先日「今年は樹を伐るのはもう止めた」と言ったばかりだけれど、 北側の沢の斜面に生えている胡桃の大木が、サウナ小屋の上を跨ぎ、母屋の2階の屋根の上にまで枝を伸ばしている。 これについては「雪の時期に屋根から雪が滑り落ちる邪魔になって、 重みで屋根が潰れたら修理にお金が掛かるから伐ってしまいたい・・・」とショージ君の奥さんが呟いて居た事がある。 樹を伐るについては、意外と面白い作業だから、伐るのはやぶさかではないけれど。 屋根の上に張り出した枝を下ろす過程で母屋の側面にある便所の換気扇、風呂釜の煙突、あるいは壁板、そしてサウナ小屋の屋根などに損傷を与える可能性が極めて高い。 僕の一存で作業を開始する訳にはいかないから、 2段伸ばしハシゴを樹の途中まで伸ばし、その上に一本ハシゴを樹上にセットし、枝を伐るべき箇所付近まで登れる準備を整え、ショージ君の到着を待っていました。 やって来たショージ君と言えば ”とのこ” やスプレー殺虫剤などを持って、テーブルの虫食い穴をふさぐ最後の仕上げ準備をしてやって来ました。 最初にテーブルの仕上げ迄の話を聞いてから、件の胡桃の樹の枝を伐る話を持ち出しました。 内心は樹木を大事にするショージ君の事だから何か理由をつけて反対されるかと思っていました。 ところが躊躇する理由は高所作業で怪我をする事だけでした。 それはメモ用紙に「僕が怪我をしても責任は問いません」的な内容の鉛筆書きの念書モドキを書いてテーブルに置いてクリヤーしました。 家の側壁の煙突等の備品の損傷は少々の事なら覚悟する気持ちの様です。 もっとも僕が提案した切断箇所と切り離し方ならば、 「家へのダメージがほとんど回避出切る可能性もある」と判断したのかもしれません。 実施許可が出ましたから、更に準備を進めます。 自分自身の落下対策ロープの展張、 切断箇所が一気に落下しない様に切断側と残存側を繋ぐロープの取り付け。 切断用工具(鋸、バール等)の落下防止細引きの取り付け、 こんな事で午前中は過ぎて行きました。

 昼食後の一眠りの後、 いよいよ樹上切断作業の開始です。 樹の枝と言っても、およそ直径20cm強もある手ごわい枝です。 鋸で切り込み始めてしばらく、 直径の半分も切込みが入ると「ミシッ!」と最初の断裂音が聞こえました。 そこで一旦樹から降りてお茶休憩。 再度樹に登り、切断を続行「ミシ、ミシッ」の連続音が始まり、枝先が屋根に当たり始めます。 下からは「ウマイ、ウマイ最高の落ち方してますね」と声が掛かる。 屋根を擦って落ちる枝先は2本有る便所の換気扇のパイプの一本を歪ませながら下まで落下しました。 後はロープで高さを保持したままの太い切断部をユックリ下まで下ろせれば万々歳なのですが・・・ 樹の股の部分を支点にして、下に居るショージ君にロープの端を持って貰っていましたから、それを徐々に緩めていけば、静かに降ろせるつもりだったけれど、 ロープを持ったままハシゴを登って来る考えは無かったらしく、地上でやっと掴まえられる長さのロープの握りを一挙に離してしまったらしい。 太い枝の切断面が落下を始め、逆に握っていた方のロープが勢い良く上に滑り上がって来る。 「ヒエー、 なんてこったい!」と思った瞬間に太い枝は地面に当たり、全ては安定状態に収まりました。 途中サウナ小屋のストーブの煙突のT型煙出し部分がはじけ飛び、小屋の壁に沿って積んで有った薪の一部が飛び散った程度のトラブルだけで済んだのは許容範囲でしょうか?



 ともかく懸案事項の屋根の上の枝は除去出来ました。 冷や汗混じりの汗でビッショ濡れになった作業着を脱ぎ、風呂で汗を流し、甚平に着替え、 胡桃の樹の神様にもビールをお猪口に入れて供えました。  そして2人して作業の無事終了のビール、本当に美味しかっです、 お疲れ様。
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2010簗場生活-21 料理の一日

2010-08-30 11:06:38 | 国内旅行と山歩き
 今朝は稜線付近に白い雲がある程度で頭上には真っ青な空が広がっている。 山並み展望だけでも楽しいかもしれないけれど、静かに料理と洗濯と少々の片付けごとをする予定です。 料理の食材は夕顔(?)と金糸瓜と、名前聞いたけれどよく判らない細長ーい豆。 豆は茹でて少し軟らかくなってから油炒め、 夕顔は皮を厚めに切り取り、柔らかな実を大きくぶつ切りにして みりん、しょーゆ、少々の砂糖、等で味付けして煮ると大根の煮物より上品な感じに仕上がり、とても美味しいと言う。 その美味しさは昨日小野塚さんのところで実際に食べさせて貰ったから間違いない。

 問題は同じ様に仕上がるか? そうそう味付けのキーポイントは「蟹あるいはホタテのような缶詰を加えて煮る」そんな秘訣があるみたいだから、大町のスーパーが開く時間に出かけて行って買ってこなくちゃ・・・

 昨日の車で走り回った下界の暑かったこと。 それにひきかえ、今は半袖シャツだけでは少し肌寒い室温。 そんな中でトーストしたパンにバターを口に運び、 湯気の立ち昇るコーヒーカップが自作テーブルの上に有る。 コンロの鍋で金糸瓜と細長い豆を一緒に茹でています。 さっき爪楊枝で茹で具合を確認したけれど、もうすこしだった。 グツグツ・ポコポコ音を立てる鍋の音、 静かで涼しく文句無しの世界です。 その世界とも、今週末には「さよなら」する予定です。 

 そんな感傷にひたっている間に、金糸瓜は少し煮過ぎてシャキシャキ感が弱くなりました。 でも豆は良い塩梅に茹であがり、 醤油、砂糖で味付けして油炒めにしたものは、なかなかの味に仕上がりました。 ところで茹でた豆を手に持ってぶら下げていたら、光に透けて、中の豆粒が蛙の卵の様に並んで見えました。 面白いので、ついパチリ!


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2010簗場生活-20 津南から柏崎経由簗場に戻り

2010-08-29 17:08:18 | 国内旅行と山歩き
 急に津南に行ってみようと考えたのは、今年の雪祭りの時に「カジカ漁は8月やります。 その時に電話してあげます」との約束が活きているのか? チャラになっているのか? 電話も来ないし、こっちからも電話していないのでハッキリしないけれど、8月の週末になる事だし 「ともかく行ってみよう」と何時もの行き当たりバッタリモードの行動です。

 そうは言っても簗場から新潟県の津南まで行って「今夜は魚捕りに行けません」と言われたら、 めげない僕でもガッカリ度が大きいので長野市を過ぎて野沢温泉の入り口あたりで津南の小野塚さんに電話を入れてみました。
タ : 「もしもし、 何時も雪祭りの時にお世話になっているタナカです」
タ : 「カジカ捕りに今夜あたり出かけるようなら連れて行ってもらえないかと、電話して見たのですが・・・」
オ : 「俺はカジカ捕りしないんだよ」、「シンちゃんの電話教えるから聞いてみてくれる?」
タ : 「はい、 お願いします・・・025 763 メモ メモ ・・・」 

そして電話 「もしもし、 シンちゃんのお宅でしょうか?」  「いいえ、違います!!」
(僕がメモした番号の末尾が間違っていました。 お粗末。)

 こんな事があって、昨夜は野沢温泉泊まり。 そして今朝は道の駅で手に入れた手土産のりんごジュースのビン詰めもあることだし、とりあえず小野塚さんのお宅に直行、朝まだ早い7:30に玄関のチャイムを「ピンポン!!」しました。 応じて玄関に出てくれたのは小野塚さんのお父さん「息子は外に居るはずですよ」との話です。 家の裏手の畑の方に行って見ると作業着姿で立ち働いていました。 「今日は道普請が有って、これから出なくちゃならないんだよ」との事です。 きっとシンちゃんだって地区の道普請に出るんだろうから、「昨日連絡が取れていても、夜遅くに明かりを使ってやるカジカ捕りは行かなかっただろうな」と自己納得しておきました。

 上の写真は黄色く熟れたゴーヤを割って真っ赤な果肉に包まれた種です。 「食べて御覧、ぜんぜん苦くなんか無いし、甘いんだよ!」「鯉も、これは好きなんだよ」と言って、錦鯉の泳ぐ池に投げ込んでみせてくれました。 そして、そんなに熟れすぎていない店に並んでいるような緑色のゴーヤ、 黄色いミニトマト、 今までに見たことも無いひょろ長い豆、 それと巨大な夕顔の実など、たっぷりのお土産を逆に頂いてしまいました。




 今日は地域の共同の道普請作業のある小野塚さんには遊んで貰えそうもありませんから、 すぐにお暇して柏崎で日本海に出て糸魚川経由で簗場に戻りますが、途中の”鵜の浜海水浴場”で海辺に少し遊びました。 もう砂浜で遊ぶ人の数は少なく、浜茶屋では床の解体工事が始まっています。 夏の海水浴シーズンはもう終わりみたいですね。

 今は名立の道の駅のお風呂の大広間で暑さの盛りを避けながらブログの原稿を書いています。 
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2010簗場生活-19 葛温泉

2010-08-28 15:15:17 | 国内旅行と山歩き
 先日、湯股へ向かう途中の葛温泉を車で通過中「ここのお風呂は良いですよ、少し熱めですけれど。 3軒有るなかでは一番好きです」と教えて貰った宿「高瀬館」へ昨日はブログをUpした後に出かけて入湯してきました。 

 宿の駐車場にはバイクを含めて他県ナンバーの客の車が数台、 玄関を入ると出入りを検知するチャイムが鳴って玄関脇のカウンターへ奥から女性が出てきた。 「お湯、入らせて下さい」と僕、「遠い所へ良くお出でくださいました、 700円で御座います」と受付の女性。 その時には特に気にもならない「遠い所へ・・・」の言葉だったのだけれど、 後になってフト思った「もしかしたら駐車場に監視カメラが設置されていて多摩ナンバーと判っての挨拶言葉だったかな?」とね。

 お湯は両側を客室に挟まれた長ーい廊下の先に有り、 内湯には「あつめ」「ぬるめ」と表示された2つの浴槽がありました。 湯はほとんど透明、湯股で湧き出している湯のように匂いは強く無い。 先客は3人居たのですが、僕が入って5分もしない内に皆な出てしまい、 内湯も露天風呂も僕一人で独占でした。  露天風呂の湯は打たせ湯にもなるパイプや中央にしつらえた噴水状の場所からふんだんに供給されている。 だから、その流出口から流れ出す湯の量もかなりの物です。 Topの写真でその様子が見て取れるでしょ?

 入湯後は自動販売機のアサヒ・スーパードライを「コクコクッ」と喉に流し込んでから一休み、金曜日の午後4時なんとも贅沢な一刻でした。

 とまあ、ここまでは昨日の事。 今朝はハシゴを持ち出して、鋸一本でドングリの実がなる大木を一本切り倒しました。 これでまたBS電波の受信レベルが「5」上がって「22」になりました。 雨天モードと通常モードが煩く切り替わる領域をとりあえず脱出しましたのでTV受信のために樹を切るのはこれで打ち切ります。 その後も昼過ぎまであれこれ働いたのだけれど・・・ 気分を替えて、新潟県津南町まで遊びに行って見ることにします。 今は午後の3時過ぎ、明るい内に着けるかな。
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2010簗場生活-18 妻は帰り、薪作り

2010-08-27 14:59:38 | 国内旅行と山歩き
 今朝の妻は僕のお気に入りの御馳走”短冊状ジャガイモで醤油味の油炒め”を作ってくれてから、大町駅前を9時半頃に通過予定の新宿行き高速バスに乗って東京へ帰っていきました。 僕は大町駅まで車で送って行ったのですが、バス到着まで20分以上の待ち時間があったので、バスの到着を待つこと無く、すぐに簗場の山荘に戻りました。

 今日はショージ君もやって来ないし、妻も居なくなって、静か過ぎる環境になってしまった。 そこで扱い方は昨日教わっておいた騒音発生器(電動丸鋸)を持ち出して、BS放送電波障害対策のために切り落としてあった枝を切断して、ストーブにく入るサイズの薪を作る作業に取り掛かりました。 日除けの付いた帽子、つなぎの作業服、軍手、長靴と何回も写真にだした外作業スタイルですが、 主たる目的は蚊除けです。 帽子にも作業服にも軍手にも虫除けスプレーを吹きかけてあります。 そうしないと、蚊の大群に襲われて大変な事になっちゃいます。 山荘に来てからのテーブル作りや枝下ろしなどの外作業の度にスプレーをシューシュー吹きかけて、既に一本使い切ってしまいそう。 今度、大町に出るときに虫除けスプレーを補充しないといけないな。

 さて昼ちょっと過ぎ迄ほぼ目一杯働いたし、 これから温泉にでも入りに行ってくるかな
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2010簗場生活-17 夫婦で言い合い

2010-08-26 17:48:52 | 国内旅行と山歩き
  妻より少し早くに起き出して、2階から台所に降りてお湯を沸かし始めるところから、今日の一日は始まった。 湯股への一泊ハイキングで使用した6人分の食器やシュラフ、ザック等が部屋一杯に広がっていて、こいつも何とか片付けないとならない。 山で使った炊事道具や食器洗いを湯沸かし作業と平行してやっている時に妻も起き出してきた。 そして最初の言葉が台所と居間を隔てるカウンターを指差して「ここに並べてあった、お皿やアルミの食器も洗っているんですか?」、「せっかく洗って乾かして置いたのに・・・」とブツブツといちゃもんモードの言葉を並べ始めた。 「そんなの洗って置いてあるのか? 洗う必要があるのか、判る訳ねーだろう!」と僕も応戦モードの言葉を返してしまう。 すると「貴方が昨日パソコンやっている時に、私が洗い物していたのを見てないんですか?!」と口撃は続く。 こんな言い合いは湯股へ出かける前日あたりから多くなりはじめた感じがします。 妻が簗場の山荘に来てから10日以上経過しました。 旅をしていてもストレスが溜まって、何かと協調性が低下する日頃になったって事ですね。

 3週間を越すアメリカ大陸横断ドライブの時にも最後は口喧嘩になってしまい「これから海外旅行は別々に行くことにしようぜ」てな事になって、ここ何年か山仲間と計画して出かける北欧、カナダ、アイスランドなどの旅は妻が行くときに僕は不参加、僕が参加する時は妻が不参加の状態でした。 それがこの春のハワイへは一緒に出かけて、まあまあの旅を続ける事が出来たのですが、 その時の日程は10日間でした。 今回は厳密に言うと12日目となります。 これからすると 「10日を越す2人だけで顔つき合わせる旅をしない!」 これが夫婦の不和を生じない秘訣かもしれません。 10時過ぎて妻はバス会社に電話して切符を予約、明日には大町から高速バスに乗って先に帰宅することとなりました。 「明日に帰宅すればイランから一時帰国している友人とも会える」と嬉しそうです。 兎に角、切符の予約電話を入れた後の妻の物言いは随分と穏やかになった様に感じます。 「ふー! やれやれ」 これで時折生じる別居話に進展する口喧嘩は回避出来そうです。 
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2010簗場生活-16 高瀬川・湯股温泉

2010-08-25 21:37:29 | 国内旅行と山歩き
                 高瀬川・湯股露天掘り温泉にて

<8月24日> 晴れ
 一晩泊まりで高瀬川奥の湯股に出かけました。 リーダーのショージ君の目的には信大留学生との交流なんてのもありますが、僕の主目的は露天掘り温泉入浴です。


 メンバーはリーダーショージ君、 アレクセイ:ロシア、欧:中国、ニル:タイ、のメンバーと僕たち夫婦の総勢6名。 まずは高瀬ダムでタクシーを降りたばかりで歩き出す前の雄姿が上の写真です。 

 実際に歩き出すまでは「午前11時から4時間近く、暑い盛りを歩くなんて死ぬ・・・」と思っていたものですが...  あにはからんや高瀬ダム沿いの湯股に向かう登山道は樹陰が多く、快適に歩ける道でした。 30数年前の夏の盛りに千天出会いから北鎌尾根へと歩いた事もあるのですが、記憶なんか殆ど残っていないって事ですね。 そして今の世は高瀬ダム堰堤上部までタクシーが利用可能です。 ですから湯股までの歩きは水平な歩道を歩く趣があります。 

          木陰の多い湯股への道で

15kg近い荷物を背負って長時間歩いた経験なんか無いメンバーにとっては登り下りの少ないルートとは言え堪えた人も居たようです。 それでも文句を言わず(日本語が堪能で無いので、文句を言うのを控えて居た人もいたのが真相かな?)標準的なコースタイムから大きくずれる事も無く、ダムの右岸の道を南下することおよそ4時間で二股に到着しました。 更に釣り橋を渡り、ロープを頼りに湯股側の川原に降り立ち、上流に向かい巨大おっぱい型の噴湯丘を見渡す砂地のテント設営適地まで進みました。



 到着後はテント設営、水汲み、温泉の湯加減調整工事などと結構忙しく立ち働き、お湯に浸かったのは夕方の6時近くになりました。 ちなみに湯加減は本流の冷水と岸辺の川床から湧出する熱水の混合度合いで適温になるように石を並べたり、水路を掘って冷水の流入量を按配する工事になります。

           テント設営地の様子

 夕食後は野生動物の襲撃から身を守るために火を焚きます。 燃料にする流木は川原にふんだんにありました。 焚き火の肴はオシャベリです。 メンバーの中には若いのに既に40ケ国を越える国々に足跡を残した人もいました。 「ピースボート」と言う船旅に通訳として乗り組む事で、多くの国を訪れるチャンスを物にしたとのことです。 羨ましい話です。

高瀬ダム出発 11:10、 途中50分ほど昼食休憩、 湯股・清嵐荘 15:40、 湯股キャンプ地着 16:15。  就寝 21:30。


<8月25日>  気象予報では曇り後雨だったが、実際は晴れ、下山・解散後 雷雨

           ひときわ大きく、高さ3m程に見える噴湯丘

 熱水を噴出している突起物で目立つ物は川の中や川岸にも有るのですが、 ひときわ大きく、高さ3m程に見える噴湯丘に近づくには川を渡渉しないとなりません。 流れも速く深そうで、渡渉には少し危険な感じもあり、渡河したのは4人のメンバーでした。 膝程度の深さで渡れる場所を選んでストックを下流に突いて慎重に渡ります。 僕も川の中に転んだらデジカメがお釈迦になるので気合を入れて渡りました。


           流れる熱水に落ち込んだトンボと湯花と石の織り成す模様  撮影者:アレクセイ 

 帰り道の大半は極く緩い下り傾斜だし、食料をほとんどお腹の中に入れたので随分と荷も軽くもなったし、昨日より早いペースで高瀬ダムに戻りました。 堰堤上に設置されている公衆電話でタクシーを呼びます。 おいぼれ3人組みはタクシー、 若者3人は空身で七倉の駐車場まで歩いて下山なんてタクシー代節約術も取り入れました。 そして大町のスーパーでビールと摘みを買い込んで山荘に無事に帰着。 打ち上げのビールの美味しいこと 「まさに幸せ!!」の一言です。 

           掛かっていた桟道が崩落している湯股の絶壁の川原で

起床 06:00、 朝湯や朝食後に噴湯丘見物 09:30 湯股出発 09:50、 高瀬ダム帰着 14:20。

 皆が帰って、この原稿を書いていると雷鳴と共に凄い雨、天候悪化のタイミングも絶妙です。 素晴らしい山行を共にした皆さん有難う御座いました。 
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ショージ君

2010-08-24 07:48:35 | 昔話
 ここのところ頻繁にブログの中に登場するショージ君、 その彼の所有する山荘に僕は居候を決め込んでいるのですが、 そんな関係になるまでの経緯を書いてみます。 今から30年近く昔のこと、僕たちの所属する山岳会山行で残雪期の北鎌尾根から槍を目指す計画が実行されました。 不幸な事に、その中の紅一点S子が尾根へ出て翌日の行動開始して直ぐに滑落して骨折、ヘリコプターで救助される事故を起こしてしまった。 その後、彼女は松本市内の病院に搬送され入院生活を送ったのですが、 不思議な縁で松本生まれのショージ君と結婚する運びとなったようです。 退院後暫く経ってから我が家に遊びに来た彼女は結婚することになった経緯や「タナカさん、彼はスキー場の近くに別荘を持っているの、今度遊びに来て!」と嬉しそうに話してくれたものです。

 そんな招待(?)にはすぐに乗る癖のある僕は、早速お正月休みにまだ2歳くらいだった子供を連れて簗場の山荘でスキーを楽しませて貰いました。 その後、ショージ君の家庭でも赤ちゃんが生まれて、我が家の子供の遊び相手にも丁度良く、 それからは年に一度、お正月休みと言えば簗場で過ごす様になりました。 しかし、その頃はあくまでも 「ショージ君の奥さんのお客様」 としての訪問でした。

 ところで今から十数年前に、ショージ君が長野県内各地の赴任先の教員住宅や借家での生活から脱却して、 高瀬川を挟んで西に有明山を望む安曇野の地の一角にマイホームを建設することになったのです。 カナダからの輸入材を使った本格的なログハウスです。 しかも外壁や屋根などの主要構造の組み立ては業者に依頼するものの、 内装の壁、床、階段、ベランダ、手摺、そして塗装などは全部自分自身で手掛けて完成させる、 いささかドンキホーテ的な家作りが始まったようです。

 そんな家作りの話が奥さんから電話で掛かって来た時には、半分は「なかなか完成して住めるようにならないのよ!」といったボヤキ言葉も含まれていました。 そこで面白がり屋の僕は一週間強の夏休み期間を利用して3食付住み込み大工仕事の手伝いに出かけました。 最初の内は壁材を屋根の勾配に合わせて切断するための採寸作業補助程度しかやらせてくれなかったショージ君もだんだんと釘打ち作業もさせてくれるようになりました。 そして2階への階段の組み立て設置の頃には僕は2階に上り、ショージ君が仁王立ちになって持ち上げる階段を上からザイルで確保したりと猫の手以上の働きをするようになりました。 別棟の工具保管庫兼作業小屋への電気配線は地面を掘って、塩ビパイプを埋設して母屋からケーブルを引き込む作業もやりました。(ACコンセントを介しての電気配線でしたから電気工事士の資格は不要でしょう?)、 さらに秋口に入ってからも塗装作業の手伝いにも出かけました。 そんな事が有ってからは「奥さんのお客さん」から「ショージ君のお友達」に一歩近づいたって訳です。 そんなこんながあって、今では夏の暑い時期に一ヶ月近く山荘で居候状態の生活を送らせてもらっています。

 ここ簗場の山荘にやって来てテーブル作りの時に、ルータやチェーンソー、サンダー等々木工工具が贅沢に揃っている訳もお分かり頂けたでしょうか?  これから松本からやって来る他のメンバーの到着を待って、インターネットアクセス不能な湯股に向けて出かけます。

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2010簗場生活-14 キャンプ出発前

2010-08-23 18:16:33 | 国内旅行と山歩き
 ここ簗場の山荘付近で静かにしている分には涼しくて快適だけれど、 食料の買出しなどで大町まで出て、道路脇に設置された温度表示で「34℃」なんて数値を見ると、途端に暑苦しくなって来ます。 明日は湯股にキャンプに出かけるのですが、リーダー:ショージ君、信大留学生の若者3人、そして僕たち夫婦2人の合計6人のグループです。  今日は午前中にやって来たショージ君と一緒に食料計画を立てたり、買出しに出かけたり、 装備を揃えたりで午後は過ぎて行きました。 共同装備のテント、炊事道具、寝袋、ザックに背負子等は全部ショージ君の装備を使います。 コンロなんか登山用の他に卓上コンロまで持つことになったし、 温泉作りのスコップまで持ちましたから一泊の荷物としては結構な大荷物(写真)になりました。 僕たちの背負うザック(写真には入っていません)の中はツェルトの他は寝袋、食器、着替え、飲み水程度とほぼ個人装備だけ。 食料や炊事道具等の共同装備は若者の持つザックに詰め込んでしまいましたから気楽と言えば気楽です。 でも主要メンバーは松本市内を8時集合で出発して簗場の山荘までやって来ますから、 ここの山荘で荷物の最終的なパッキングを済ませて高瀬ダムに向かい、 実際に歩き始める時間は11時頃になる予定。 まさに暑い盛りに歩く事になりそうです。 それが気がかりで、 荷物の分担は決めたのだから「僕たち夫婦だけ、早い時間に山荘を出発して、涼しい内に歩き出したい」と提案してみたけれど、リーダーのショージ君には即座に”自己中”な提案は却下されてしまいました。 「しょーがねえな・・・ 我慢して暑さの中を歩くしかねえか」 そうなると、途中の沢の冷たい水でやる昼の流しソーメンだけが救いかな。
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2010簗場生活-13 中華料理レストラン

2010-08-22 14:36:54 | 国内旅行と山歩き
 中国の病理のお医者さんをしていて今は信州大学に来ている陳さんファミリーがホームステイにやって来た。 奥様と小さな女の子、そして中国からたまたま遊びにやって来ていたお父さんとお母さんの正に”陳さんファミリー”。 昨夜の夕食はそのファミリーのお父さんとお母さんが中国の家庭料理を作ってくれた。 今まで、この山荘に留学生を向かえて彼らの国の料理を食べさせて貰った事は何度か有るのだけれど、いつも料理が全部出来上がってから、全員で「いただきまーす!!」となるのが普通でした。 ところが昨夜のそれは、何だかレストランに行って食事をしている雰囲気になりました。 小切りにしたバナナの実を芯に包んだお菓子風の料理から始まって最後の餃子に至るまで、一品一品の温かい料理が仕上がるとテーブルに供される。 とにかく年配のお父さんお母さんが台所で立ち働いて、その留学中の息子夫婦と僕たちはビールを飲みながら次々に出てくる料理をせっせと食べるだけ。 料理をしてくれているお父さんとお母さんには、 ちょっと申し訳ない気分になりながらも、贅沢な夕食になりました。 只々「謝謝!!」の言葉あるのみです 

 白馬の大雪渓を登り、五龍岳へ縦走した後に、たまたま山荘に立ち寄ったF君も、この思わぬ展開とご馳走にビックリです。 彼の話によると、僕や妻宛に「下山後に立ち寄るかも・・・」とメールしたり、 携帯電話にダイヤルしてくれていたらしい。 しかし、メールの宛先がPCメールであったために、 一日に一度インターネットアクセスする為に電波の届く下界に降りた時にしかメールは開ける事が出来ない僕たちは見てなかったし、 僕の携帯電話に至ってはテーブル作りで作業中は部屋の中に置きっぱなしで携帯していない(携帯可能電話です)から、 呼び出し音なんか聞こえなかった。 F君にすればメールにも返信が無いし、電話も繋がらないし、 「もしかしたら歓迎されていないのか・・・?」と思いつつ立ち寄ったそうな。

 僕は、夏休みの工作とも言うべきテーブル作りの一番のハイライト「脚の取り付け」も上手く出来たし、 出来上がったテーブルを見て「タナカさん、この作った奴、自宅に持って帰らないの? 家のやつに見せたら、絶対に欲しがるな!」とF君は言うし、ショージ君の奥さんは「お父さん、これスゴク立派だし、家で使うのに丁度良いから持って帰るか?」と言ってくれる。 そんな言葉を聞いて僕の心は「灰」ではなくて、完全に「High」になっちゃいました。 いやー、昨日は良い一日だった。 きょうから暫く水分の抜け切っていない脚の乾燥を進めて、最後の塗装作業にチャレンジです。 

 それじゃー「暫く暇かなって?」 とんでもない、あさってから一晩泊まりでスコップを装備に持って、 高瀬川の上流、北鎌尾根へのルートの途中にある湯又に行って「露天掘り温泉」を作って遊ぶ予定が入りましたから。
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