近所の紅葉@2014

2014-11-30 11:30:55 | タナカ君的日常
 「紅葉の名所」わざわざそんな所に行かなくても、なんだか今年は「近所の樹々の紅葉」に結構な美しさを感じている。 Top写真は神社本殿の左右のモミジ、


 公園のイチョウの樹を取り囲むベンチでくつろぐ人々。


 遊歩道脇に植えられた桜の落ち葉の赤や黄色。


公園のコナラの落ち葉の茶色



 明日から師走、 一年が本当にはやく感じられる中、
 しみじみと 「キレイだな!」 そう思いながら散歩の出来る幸せ!!
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撮影装置 4号機の実験・試作

2014-11-29 22:54:13 | 雪の結晶撮影
 2014年の秋、オリンパス社の顕微鏡モードを備えた「TG-3」を組み込んだ「撮影装置 3号機」を製作したばかり。 それを持って草津温泉に雪の結晶の試し撮りに出かけたのが2週間ほど前の話、 その3号機を本格的に使いこなすところまでいってないに4号機の試作のために実験を開始したのだ。

 ちなみに4号機、ロシアの写真家さんが雪の結晶撮影に使っている撮影装置をWEB上で「My technique for snowflakes shooting 」として公開してくれている方法を真似て作ってみようと言うものだ。 特徴はマクロレンズと被写体の間にレンズを挿入して拡大率をUpするものだ。 多分そんな事で小さな雪の結晶を見事なまでにシャッキリしたフォーカスの合った絵を得ているのだろう、 それを僕もやってみたいのだ。

 3号機・TG-3の顕微鏡モードでそれは出来ないのか? 使い込んで無いから未だ判らないのだけれど、 フォーカスはAuto、 露出もオート(絞り優先モードを使えない)等の点に物足りなさを感じたものだった。

 そこで OM-D + 60mmマクロレンズ の前面に親戚のオジサンから貰って来てあったフィルム・一眼レフカメラから50mmレンズを取り外して挿入して、どんな拡大撮影が出来そうか実験してみた。

 最大拡大率・1.5倍 となった条件

1. 50mmレンズのフォーカスは∞に固定。

2. 50mmレンズとマクロレンズは可能な限り密着。

3. 50mmレンズ前面と試料との間隔はおよそ5mm

 およそ上記の条件でマクロレンズのフォーカス操作を行った場合、 マクロレンズ単体の場合に較べて拡大率1.5倍のそれなりの像を得る事が出来たのです。

 カメラ本体に付いているマクロレンズと前面に置くレンズの光軸が一致しないと種々の収差や歪が出て綺麗な像が得られない。 だから、 追加のレンズをどの様に取り付けたら良いか? これからまた暫くの間、4号機製作に向けて実験や試作で遊べそうです。
 
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恐怖の3日後

2014-11-28 18:27:02 | タナカ君的日常
 久しぶりに歯医者さんに行った。 我慢出来ない痛みとか言うのじゃないんだけど、 奥歯の歯茎と接する辺りになんだかギャップが出来ていて、その縁がやけに鋭い刃物の様に感じられ、頬の内側に当たるのが気になっていたのでね。

 歯医者さんに診てもらったら、かぶせてあった金属の下側の部分の歯が虫歯侵蝕されていたようだ、 2年前に隣の歯を治療してもらった時に医者からは「この奥歯、対抗する奥歯が抜歯されていて、噛み合わせが無いのだから、抜いてしまった方が、隣の歯の歯磨きがきちんと出来て良いと思います」そう提案されていたのだが、 僕は抜かないで置けば、 何かの時(例えばブリッジの入歯)に使える土台になってくれるのでは? そう考えて「そのまま残して置いて下さい」と頼んで残して置いたのだ。

 しかし今回、歯医者を受診して、虫歯状態が進行していることの説明と伴に、「やはり抜歯した方が良いと思う」と提案されて、 「ではお願いします」となったのだ。

 その抜歯は次回の予約を入れた3日後のに行われる。 20代前半の時に抜歯した事があるのだが、 それから50年近く、 虫歯の治療はしてもらったが、 抜歯の経験はしていない。 

 それでなんだか、とても恐怖感を感じる3日後なのです。
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家の提供を申し出たけれど

2014-11-27 09:07:05 | 地震の周辺
 安曇野から東京に戻る日の朝の寝床の中で、 ふと浮かんだアイデア。 これから来年の6月頃まで、この家を僕が使うことはほとんど無く空き家状態になる。 白馬村では住居の全壊や半壊が発生して避難所生活を送っている方々が居る。 転居先を早くも見つけて避難所を去る人も出ているのだが、 そんな方へのTVインタビューの中では「避難所ではプライバシーも守れないし、出られて嬉しい」そんな回答をする人の映像も流れていた。 だから、「僕が借りている家を来年の6月までの条件付きで使ってもらうのはどうだろう?」 と思いついたのです。

 そのアイデアを実行するには大家さんの了承を得なくてはなりません。 朝7時を少し過ぎた頃に長野市に住む大家のMさんに電話を入れました。 

僕  : 「地震の被災者の方に家を来年の夏までを条件に
      白馬村を通じて提供する考えはどうでしょう?」

Mさん: 「タナカさんの判断で進めてくれて良いですよ」
     「貸出の手続き等、私は忙しくてタッチ出来ませんから
       タナカさんが進めて下さい 」
     「 何か進展がありましたら、その都度連絡下さい」

 大筋こんな話で大家さんはOKしてくれたのです。 そこで冷たい雨の降る中を白馬村役場に向けて車を走らせました。 到着したのは9時少し過ぎた頃、 部署案内を眺めていた僕に女性職員さんが近づき「どんなご用件で?」と聞いてくれたので「避難場所の運営などを担当している部署の方と話をさせて頂きたい」、「半年ほどの期間、家を提供しようと思って・・・」と答えると、 「総務課が担当していますから」そう言って、その窓口へ案内して下さった。 ところが、窓口の付近は人々でごった返し状態(なにやら報道関係者も多数屯しているらしい)、 総務課のデスクに居る職員さんの殆んどは忙しそう、受話器を耳にあてて対応中の人が大半でした。 窓口に並ぶ人に用件を聞いてくれる人はいない。 窓口まで案内してくれた女性からは「ここでお待ち下さい」と言われたけれど、 どのくらいの時間待ったら相談出来るか見通せない。 そこで「受付の順番待ちカードなんか無いのでしょうか?」と聞いたら、 総務課の職場の中に入って行き、綴じた書類を眺めていた職員さんに近づいて、僕の来意を告げてくれた様子。 その結果、そのような家の提供の受付は「観光課が分担してくれているから、そちらへ行けば話が進められる」と聞き出してくれ、 その観光課の場所まで案内してくれた。 庁舎の2階にあった観光課には来訪者はゼロでガラガラ、すぐに職員さんが対応してくれました。

 対応してくれた職員さん

1. 既に申し込みのあった物のリストには
   20件近くの登録がなされている。
   発生後3日でこれだけの登録があるので、
   今後益々の件数増加を見込んでいる。

2. 長野県からも県営住宅の提供の話が来ている。

3. 以上の様な状況からして、
   2つ隣の町にある物件に対して希望者が出て、
  「中を見せてくれ」、「鍵を貸して」と具体的な話が
   今日・明日に出る、 そんな状況には無い。

 そんな話をしてくれました。

 私は、ひのみのの家の様な広さの物件なら「使いたい」希望者が即座に現れ、 今日・明日にでも家を見に来る人が現れるかもしれない。 そんな状況なら明日まで安曇野での滞在を延長して話をまとめても良い。 そんな心づもりで役場を訪れたのですが・・・

観光課の担当者の話しぶりは

 白馬村村内には多数の宿泊施設、あるいは別荘などが存在しているから、被災者の仮住まいは2つもとなり町(遠隔地)の物件に頼らなくても、なんとかなるだろうと見込んでいる雰囲気がありありでした。

「来年の夏まで借家を提供したら役に立つのでは?」 その考えは僕の一人相撲だったようです。 まあ、担当の方も登録だけはしておきますからと言う雰囲気。 そんなだから、僕も登録を取りやめる事はしませんでしたが、 すぐに東京へ帰宅の途につきました。

 そして帰宅後、大家のMさんには申し込みの顛末と、今後の見込みにたいする僕の感想を添えたメールを発信しました。 多分この件はこれで終了する事になりそうです。
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暖房が無いと寒い

2014-11-25 10:59:49 | 安曇野生活
夏の暑い時期を過ごす目的で借りた、安曇野の古民家。 寒い季節がやって来て、北アルプスの稜線には雪が乗り、晴れてくれれば美しい山並みが見渡せる。 寒いだろうなと想いつつ、この3連休は安曇野にやって来た。

やはり東京よりも気温は低い。上着は登山用の羽毛服を、下半身用には毛の厚手のズボン下を用意して来たからそれらを着用しました。 上半身は寒さに耐えれたけれど、下半身がどうにも寒くって、こんなブログ記事を座って書く時には、毛布を腰巻の様に巻き付けて寒さを凌ぎつつ書いている。


家の中には住んでいた方が使っていた古いコタツや石油ストーブはあるけれど、 それらは使わずに3~4日の事だからとやせ我慢生活を続けてみた。 しかし暖房器具を使わないと室内でも動くのが億劫になる。 それでこれからのために防寒用羽毛パンツを通販サイトで捜したりしています。

こんなだから冬の寒い時期には友達に「安曇野へ一緒に遊びに行かない?」と誘う気分になれないですね。 かと言って、「暖房完備」そんな状態を僕の小遣いで実現するのは無理な話し。 やはり、夏の暑い時期だけ「遊びにおいでよ!」と誘うに留めておきましょう。

ところで今朝には水道の不凍栓を閉めて東京に帰る予定だったのですが、 午後に大町の「アルプス囲碁村会館」で友好親善を目的に訪日中の中国人大学生グループとの対局が行われる予定がくまれていて、「タナカさんも出て」と誘われたので参加することになりました、 それで帰宅は一日延ばします。
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地震災害と復旧作業

2014-11-24 21:50:07 | 安曇野生活
地震に襲われ倒壊家屋が多く出た白馬村堀之内地区、そこでは多くのTVカメラクルーや報道カメラマンが倒壊した家屋が見渡せる位置に陣取り、あるいは地区内を歩き回り、被写体を探し求めていた。 野次馬カメラマンの僕も同じ様に歩き回り、シャッターを何回もきりました。 倒壊した家屋の状態にも興味を惹かれてシャッターを押したのは言うまでもありませんが、 災害復旧や生活復旧への動きを見せる風景にも興味を持ちました。

例えば

1.横倒しになった暖房用燃料タンクを3人掛かりで直してました。
   
2.携帯電話のアンテナの根元に設置されたユニットの動作確認。
  
3.垂れ下がった電線の撤去復旧。
  
4.ひび割れ、段差の生じたアスファルト道路の復旧作業。
  
5.災害救助で出動した長野県警・新潟県警の災害救助部隊、
自衛隊の車輌がサンサンパーク白馬の駐車場に並んでいた。
  
6.家屋の安全性審査の実施協力を呼び掛ける車。
7.保険会社の社名を表示した車。

前夜に発生した地震災害から立ち直るための動きが結構迅速に行われつつある事を感じさせてくれました。 ただし、堀ノ内地区への交通アクセスが良好な状態に有った事が幸いしているのかも知れません。 なにしろ野次馬の僕の車が大した支障も無く、現地に近づけた事がその証明です。

これが東京直下地震、建造物の多数倒壊、道路網の寸断、そうなったら復旧作業の進み具合がどうなってしまうだろうかと? 心配になりますね。

 その他の被害状況を撮影したものを並べておきます。

崩れた道路や擁壁


倒れた家ときっちり残った家


道路に発生した段差


揺れて倒れた家


側壁がひしゃげた家


1階が押し潰れた家


飛び出したマンホール
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夜中に強震

2014-11-23 16:41:30 | 安曇野生活
昨夜10時を少し過ぎた時間のこと、3枚の毛布だけでは寒くて、「掛け布団を使わないと眠れない?」そんなことを考えていたら突如として強い揺れが襲ってきた。 Top写真は近所の家のブロック塀の上に乗っていた棟瓦が落下した様子です。 道路に散乱したものを石垣の上に片付けたものと思われます。

今朝7時前、借家の建物に被害が出なかったかとカメラ片手に外に出た時、隣のオジサンが声を掛けて来た。「昨夜の地震、あんな強い揺れは産まれて初めてでせー、ビックリしたね」と。

幸い、建物に決定的なダメージは無かった模様、長野市内に住む大家さん宛に建物の写真を添付したメールを送っておいた。

夏に滞在した時に聞こえたヘリコプターが飛ぶ音に較べると、はるかに数が多いヘリが通過して行った。 TVを点けると白馬村辺りで被害が沢山出ている様子を中継してました。

そこまでは車で30分ほどの近さです、 それで野次馬根性丸出しで現場に行って見ました。大町から白馬村に向かう国道では、10台前と7台前、そして僕の車の直ぐ後ろに回転赤色灯をつけたパトカーがいる状態の車列の一員となって車を走らせたのです。

被害の出た地域は白馬村から長野に向かう県道33号線に沿った堀之内地区、その上空には3機のヘリが旋回していましたから直ぐに判りました。

 堀之内地区のある場所ですが、長野オリンピックでクロスカントリー競技が行われた場所に近い、山裾に民家が集まるそんな場所です。 撮影地点は県道33号線に沿った「サンサンパーク白馬」の駐車場からです。

堀之内地区を抜けて長野に向かう道路の交通は手前で封鎖されていたので、県道脇にあった車を置ける場所から歩きました、およそ300mの距離でした。


主要なTV局の中継車は交通規制線を越えて、倒壊家屋近くに陣取って現場中継してました。
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晩秋の安曇野へ

2014-11-22 20:12:49 | 安曇野生活
 朝の6時に家を出て安曇野目指して中央高速を走ったけれど、3連休の初日のこととて八王子JCT付近から軽い渋滞が始まっていた。 ところで国立ICから高速に乗って八王子に向かう途中のこと、大岳山のピークの真上辺りの位置に3層になった笠雲が乗っているように見えた。 走るに連れて、その笠雲は御前山の上に乗っている感じになった。 そんなだから、その雲は秩父盆地周辺のどこかの上に広がっていた雲なんでしょうね。 走行中にカメラを出して写真撮る訳にはいかなくて「残念!」と思ったのだが、 釈迦堂PAに休憩のために立ち寄った所、八王子あたりで見えた笠雲と同じ様な構造とサイズの笠雲が大菩薩よりもやや西寄りに並んだ山並みの上に広がっているのが見えました(Top写真がそれ)。

 今日はどうやら笠雲が発生しやすい気象条件の様です。 更に進んで、甲府南IC付近から後方に見え始めた富士山の頭にもベレー帽の様な笠雲が乗っていました。 長坂IC付近からドアミラーで富士山に乗った雲を見るとベレー帽のサイズが小さくなって、イスラエルの人が頭に乗せる丸い布切れみたいな感じになってました。


 そして安曇野に入ると、 こっちでは雲が全くない青空が広がり、 北アの主稜線はこの写真のように、雪がそれなりに着いていました。

 途中では何度も写真休憩しながら、 昼前に無事にひのみのの家に到着。 久しぶりに使う水道の蛇口からは赤水が迸り出て来ました。
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民主党の元総理

2014-11-21 09:47:04 | タナカ君的偏見
 民主党の元総理、ご存知「野田ブー」。 その彼がゲスト登場した2・3日前に放映された 「BSフジのプライムニュース」を興味を持って見守った。

 「腐り・膿ただれた様な自民党政権をひきづり下ろすべき」そう思ったから、 それまでの選挙では小選挙区は自民党、全国区では共産党に投票、 そんな何が何だか判らん投票行動の持ち主の僕だったが、 とにかく野党に政権を取らせたい一心で民主党に票をいれたのだ。

 しかし政権を取った後の出来事の多くを唖然とする思いで見つめ、 最後の消費税Upを決めて解散に及んだ行為には呆れ返ってしまったものだった。 そんな政権担当能力欠如の印象を与えてしまった民主党、 プライムニュースの中で、「なにか少しは期待しても良い変化が民主党に生じているか?」 そんな点に興味を持って視聴したのだ。

 しかし画面に現れた「野田ブー」は相変わらずの豚顔のまま。 反町キャスターの「尖閣諸島の国営化で中国の猛反発を受けた事に対して、どう考えているか?」の質問に、「石原知事の東京都が買い取るよりも国が買い取った方が良いと考えて実行した」、「正しい事をしたと今も想っている」と脳天気。

 「当初の公約に無かった消費税Upを決めて、政権を降りた」、「解散をせずにUpした消費税を使って何かを為す、それは考えなかったのか?」 の質問に 「Upした消費税で社会福祉を充実させる、 議員定数の削減などの三党合意が出来たから、解散した」そんな回答をしていた。

 しかしねー、自分たちの考えた事を実行出来る立場、政権を持つとはそう言う事じゃありませんか? それを政敵と何か口約束の合意が出来たからといって、政権を手放してしまうなんて 「馬鹿か!!」の思いしか浮かびませんよ。 

 まあ、その他にも民主党のあれこれでは「夫婦別姓」提案、「外国人労働者の子供(故国に残した者を含めて)への子供手当て」、ヤサ男が「八ッ場ダム建設凍結」発言をしたものの、 なし崩しで建設続行されたこと。 行政の無駄を探す会議でのヤサ女の「世界1位で無くちゃいけないんですか?」みたいな発言なども駄目人間の集まりの政党と感じていたものだ。

 野田ブーは「民主党政権で良いことも沢山実行しました」の発言も、「何が有っただろうか?」と思い出せないのだ。  しいて挙げれば、政権が発足した初期の頃、国を相手に係争中だった公害や医療訴訟的な裁判がバタバタと和解した事があっが、 僕の気持ちは「良いこと」とは感じていなかった。 その報道を見た時は「裁判に関わる公務員の皆さんは、面倒くさい裁判を和解の方向でケリを付けても、上司から叱られないで済むチャンス到来! とばかりに「和解でケリを付けてるな」そんな風にひねくれて見ていたものだ。 逆に国民である原告側にとっては、「良い政権が出来た」と思った人達がいたかも知れませんね。

 今回の解散選挙にあたって「みんなの党」では解党して民主党に擦り寄る人達も出ているのだが、 僕は今回の選挙でも民社党には絶対に投票しません。 自民か? 「為替レートをこんなに円安にしても欧米各国から非難を浴びないでいる点は大した物だ」 と思いつつも、 「悪い円安」を実感する日も近いと考える僕は、 そんな状況を作り出しつつある自民党にも投票する気持ちは起こらないでいる。
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市田柿で干し柿作り

2014-11-20 10:08:35 | タナカ君的日常
 長野県飯田市にある市田の地名を冠した市田柿、 その産地に立ち寄って名産の市田柿を入手して来てあった。

 その渋柿の皮を剥いて紐で吊るしてからおよそ10日が経過した。 どれもが、だいぶ干し柿らしい面構えになりつつあるが、 色の違いに個性が出ています。

 一番右下に吊るした美味そうな朱色になっている柿、 こいつは「熟しすぎで、実が柔らかくなり過ぎだな」 そう思いながら皮を剥いた物でした。
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