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巻機山の宿・雲天

2010-02-28 18:00:50 | 国内旅行と山歩き
 日本百名山の一つ新潟県・巻機山、この登山口のある清水にある山の宿「雲天」の世話になった人は大勢居るにに違いない。 僕たちも米子沢や割引沢の沢コースから、一般的な井戸尾根コースや白毛門からの尾根道縦走とコースや季節を変えてなんど訪れた事だろう。 そして下山後は清水の中央付近にあった山の宿「雲天」の座敷に上がり込んで蕎麦をすすり、ビールを飲む。 その時に面倒を見てくれた宿の父ちゃん・母ちゃんが今では少し下った場所に陣取って相変わらず「雲天」を営業している。 今日の午前中は津南雪祭りの宿を出た後、急に思い立って、というか・・・雪深い清水への道路も雪が消えていて簡単に入れると踏んで訪れてみたのです。

 まずはのバス停終点迄行って、旧雲天跡地で雪壁の写真をパチリ。 それから今営業中の場所に下っておそるおそる訪ねてみた。 玄関の戸を開けて声を掛けるとすぐの囲炉裏のある部屋から母ちゃんが立ち上がって顔をだした。

カカ: 「お前さん方、見た顔ではあるが、誰であったかな?」
僕達: 「以前よくお世話になった○△会の者です」
カカ: 「おー、そうであったか、まあ良く来た。 上がらっしゃい」

座敷に上がると、群馬県の高崎から来たと言う、数人の20代の男女の若者が丹前姿などで囲炉裏の廻りでくつろいでいた。
その客人達にも挨拶し、母ちゃんにも「久しぶりに顔見たくなったものだから、やってきました」とご挨拶。
カカ:「まあ、お茶でも飲ましゃい」 と言って、お茶と分厚く切った大根の漬物を勧めてくれる。
そうこうしている内に、父ちゃんも囲炉裏端へ入ってきた。 今年は80歳になるとか。
カカ: 「父ちゃんも癌で何度か手術したが、こうして生きている」
カカ: 「俺たちは百歳まで二人で、この宿をやっていかなきゃならないすけ、父ちゃんには”癌なんかで、簡単に死んでもらっては困る”と言って有る」 などと毒舌と言うか元気の良さと言うか、語り口は以前のままでありました。


若い頃の父ちゃんの熊撃ちの話し、雲天が清水を離れて営業を始めてからの、清水のあれやこれ。 話しは尽きないのだけれど、千円ポッキリ渋滞が始まる前に東京に戻りたい僕達はお暇して帰り道に着こうとしました。

 宿の母ちゃんは玄関先まで送ってくれて話しはまだまだ続きます。

カカ : 「幾つになったネ?」
僕  : 「66になりました」
カカ : 「まだ働いているかね?」
僕  : 「イヤ、一年前に・・・」
カカ : 「都会の人はそのくらい迄、働けばいいだろう」 
カカ : 「コッチの方の田舎では、働かなくなると、すぐにダメになるすけ、俺は百まで働くつもりだよ」
カカ : 「あんた方も百まで生きるんだよ!!、 また来て下さい、元気でね!」
 この前60歳の定年後に訪れた時には「まだまだ身体が動く内は働かないといけない」と説教されましたが、今回は「もう十分働いたようだから、遊んでも良いよ」と神様に許してもらった気分になりました。
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津南雪祭り

2010-02-27 22:53:08 | 国内旅行と山歩き
         2010年津南雪祭り会場のカマクラ群

 ハワイの宿で南京虫に食われて、そのカユイ・カユイ状態が治まっていないのに、新潟県津南町の雪祭り見物に出かけてきました。 川越でSさんを拾って、関越にすぐに乗る予定をしていたのだが、1000円ポッキリ渋滞が鶴ヶ島付近から花園ICあたりまで続いているらしい。 そこで国道254の下道を寄居まで走り、花園から関越高速に乗りました。 そこから後は渋滞も無く、路面に雪が全く無い状態であっけなく津南まで到着してしまいました。 僕たちの雪祭り見物は今年で連続4回目になりますが、辰ノ口集落の地区会場の集まりにまぜてもらうのが主たる目的で、町のメイン会場はちょこっと見るだけで済ませています。 燗酒に入れるためのカジカを近くを流れる信濃川で去年の夏に取り、保存してあったそれを今夜はもっぱら焼き専門職人に徹している”しんちゃん”。 その”しんちゃん”には夏のカジカ漁(ヤスで突く)の時に、電話で呼んでもらう話が成立しました。 昨年の春先に糸魚川付近で獲って冷凍保存しておいたホタルイカを家から持って来て、酒の肴に提供する小野塚さん。 この地域の人々の食品保存能力は恐るべきものがあります。 「昨年採取した根曲がり竹を茹でて壜詰めにし、一ヶ月後に料理しようとしたら先端付近がクニャリと軽くつぶれてしまい、ここで貰った壜詰とは状況が全く違う」と僕が話したら「それは竹の子に付いている菌を完全に殺していないから、そうなるんだよ!」 「圧力釜を使った場合で10-20分、普通の鍋でなら2時間程度煮ないと、長期保存は出来ないんですよ! タカナさん」 とたちどころに答えが返ってくる。 それが料理をもっぱらにしているであろう女性からでなくて、酒を飲み、ワイワイやっている男性達から答えが返ってくる。 海で採ったサザエなんかも茹でて年単位で保存して食べるなんて話も平気でする。 こんなところが、とんでもなく面白くて毎年来てしまっているのです。 勿論、よそ者の僕たちを歓待してくれるこの場の空気の居心地の良さが最大のものではあるのですが。

下の写真は焼いたカジカです。今回一緒に来る予定だった熊ちゃんが何故か来れなくなって、でもカジカ酒は飲みたいから「お土産にカジカを貰って来い」なんて要求されたと話をしたら。 2匹もあれば充分なのに、しんちゃんは、こんなに沢山カジカを焼いて呉れました。




 この会場は道路脇の公民館前広場がそうなのだが、なんだか布の長細い袋に納めた魚釣りの釣竿でも肩に担いだ風の年配の方が歩きで通りかかる。 隣の地区まで行って「蕎麦打ちして来た」なんて話のやり取りがあって、その方は飄々と通り過ぎて行く。 なんだか”その人の打つ蕎麦は絶品”なのだそうな。 いやー本当に良いなーここは「また来年も来ます、ご馳走様!」とお礼を言って宿へ引き上げてきました。
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良い時期に辞めましたね?!

2010-02-26 17:51:26 | タナカ君的日常
 昨日帰宅したら、来年度の健康保険納入に関するお知らせの郵便が任意延長で加入している会社の健保組合から届いていて「2/26迄に書類に記入して返信下さい」との内容だった。 26日は今日だし、久しぶりに元の職場を訪れる良いチャンスかもと思って出かけてきました。 用向きの有る健保組合の窓口は一番後回しにして、元の同僚たちの所にも何箇所か立ち寄ってちょっとだけ世間話してきました。 世の中の例に漏れず、業績は厳しいらしく、管理職は年収10%カットだとか、組織も大きく変更されそうだとか、暗い話題が多かったです。 そして僕に対して「タナカさん、ハワイ旅行なんて羨ましいな! 良い時期に辞めましたよ・・・ 」とも言われました。 確かに運・不運てありますね。 息子の就職時期は丁度不況から回復しつつある時期だったから、今年の様な就職の内定が取れない子供を持つ親の心配は無かったし。 親の世代のように戦争に行くことも無く死にそうだし。 多分死ぬまで経済的に困窮しなくて済みそうだし。 自分自身「俺って、随分恵まれているんだろうな」と思うこと時々有りますもの。 ただね、そうだからと言って「幸福感にあふれて生き生きと生活しているか?」というと、それ程でもないんですよね。 ここら辺は「気持ちの持ち方なんだろうな」と想っています。 話しはコロコロ飛びますけれど、会社の中も暗い話しばかりだけでは無くて「今取り組ん出る仕事が面白いところに来ているんだ!」と元気な人にも会えました。 確かに技術屋の仕事って面白いと思って熱中出来る時があるんですよね。 その「面白いと感じる」のも回りの人間関係や、自分自身の気持ちの持ち方等で大きく左右されるのですけれど。

 昨日のブログで話題にした虫刺され、皮膚科の病院に行ってきました。 旅先で発症したこと。 虫に食われたかもしれないこと等を話して、症状を見て貰いました。 先生の見立ては「南京虫のような虫でしょうね」「これは、すぐに治ります」と言って、痒み止めのチューブ入りの軟膏と3種類ほどの飲み薬を処方して呉ました。 それから昨夜帰宅後に当面の痒み止めとして使ったチューブ入りの軟膏(昨年のNZで現地購入した虫刺されの薬です)を見せると、面白がって、調べてみたいからと薬の成分表示部分あたりをコピーしたりしてました。 僕の2人前の患者さんの診察にも長々と検査や治療の話しをしていて、 診察を待っている僕は「話しが長げー医者だな」と若干イライラ気味で待って居たのですが、 自分の時にはそんなに気にならないものですね。 人間って、勝手なものです。
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虫に食われて帰国

2010-02-25 18:24:40 | タナカ君的日常
 今朝はハワイ時間で早朝6時に宿へピックアップの車が来る、とんでもなく早い便で帰国してきました。

 ハワイ最終の昨夜は僕も妻も虫に食われて、両手両足や首筋がひどい有様です。兎に角痒くて堪りません。 泊まった宿の一つには泊客の評判記事に「なんだか変な虫がいる様で食われちゃったぜ、もうこんな宿には泊まらないよ」と書き込みがして有ったのは見たけれど。そこの虫が僕たちの身体に着いていたのかもしれません... 

 家に着いてからした事は、
1. 駅前の薬局でバルサンを買う。
2. 旅行荷物の衣類やケースを空の浴槽に放り込む。
3。 着衣を脱ぎ、これも浴槽に放り込む。
4。 シャワーを手早く浴びる。
5. 浴槽に蓋をしてバルサンを焚く。

インスタントラーメンなら、ここで3分間待つのですが。
バルサンなので3時間待ちます。

その待ち時間に何処かレストランへ行って、夕飯食べたら、すぐに眠るようです。

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ハワイ旅行も終盤

2010-02-24 17:08:34 | 海外旅行
 とうとうハワイ旅行の帰国前日になりました。 一日中ホノルル周辺で過ごすことになります。 午前中の手始めにダイヤモンドヘッド山頂へお散歩に出かけます。 ワイキキビーチから眺めると高層ビル群と釣り合って高そうな山に見えますけれど、展望施設(旧軍事施設)が設置されている山頂の標高は232mしかありません。 子供づれから年寄りまでぞろぞろ登る観光地です。 トーチカ状の部分に登るために山体をくり貫いて作られた螺旋階段や山頂周辺などは混雑渋滞まで発生してます。 写真はその山頂からワイキキビーチ方向の眺めです。

 ちなみに山歩きの出発点はクレータ内部の登山口からですが、そこまではHISやJTB等のツアー参加者はワイキキの中心街から、それぞれの旅行社が運営するバス便に乗れば到着します。 僕たちの利用したHISの場合、一時間毎に運行していました。 登頂にはおよそ40分、下山も含めると1時間を越えます。 バス便の事を考えると、山頂や途中のベンチでゆっくり休んで、下山後も登山口付近の涼しい木陰で休憩したりできる勘定です。

 山歩きを終えて宿に戻ると昼近くなりました。 ホテルの部屋で残り物のジャガイモを焼いて、インスタント味噌汁の味噌を薄く塗って軽い昼食。 その後、僕は昼寝、妻はホテル内部の探検に出かけたようだ。 妻が帰ってきての話では、日本の年配者で一ヶ月を越える長期滞在をしている方から話を聞いてきたとの事。 それによれば、20階より上の部屋を借りていて、その月額料金は15万円程度だそうな。 その話を聞いて僕が驚いたのは料金の事よりも、長期間滞在し続けられる環境がこのホテルに有ったことです。 僕たちの部屋は8階の部屋なのですが。一日中車の音がうるさくて夜も僕は安眠出来ません。 「次からはこのホテルを利用するのは止めよう」と考えていたからです。 その騒音の原因ですが、ベランダを含めた部屋の構造が未だレーダが開発途上であった頃に飛行機の襲来を発見するための聴音器と同様な効果を発揮して外の道路を走る騒音をバンバン集音してしまうのです。 上層階と中層階とで構造が違うのだろうか? ベランダと部屋を隔てる窓の一部は10cm幅程度のガラスが縦に20枚近く組みあわさって、ハンドル操作でギャップが出来て、外の空気を取り込めるのだが、閉側にしても構造上3-5mm程度の隙間があって、遮音性がまったく悪いんですよ。 ちなみにホテルの名前は”Aqua Island Corony"さんです。
 
 お昼寝のあとは海に入れる支度をし、ワイキキ・ビーチで目出度く海の中に入ってきました。 足だけ水に入った状態ではなんだか冷たくて寒そうだったけれど、全身を思い切って水に入れたらなんとかなりました。 100m近く沖に向かって進み(歩き)ましたが、ズーット遠浅の海でした。




夕方からは浜辺の公園のステージで無料のフラダンスショーをやっているので見物。 とりあえずこれでハワイの旅は満喫しました。 明朝6時にピックアップの車が来るので、早起きしないといけません。 フロントにはウエイクアップコールをお願いしました。
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ハワイ島からオアフ島へ戻りました

2010-02-23 13:13:01 | 海外旅行
 ハワイ島からオアフ島に戻りました。 今朝は7時前には起き出して、飛行機に乗り込める様に荷物を整理してから、朝食そして8時には宿を出発しました。 日本にいる間はハワイ島の最終日は島内を一周ドライブしてから飛行場へ向かえばOKと軽く考えていたのですが... 「200kmの道のりを午前中に走るのはチョット厳しいでしょう」という妻の言葉に従って島内一周は止めました。 その代わりに、溶岩樹公園やその近くの海辺の公園に寄り道してHilloの街でノンビリすることになりました。 出発した朝の天候は霧で遠くは見通せない状態でしたが、時間がたつに連れて青空も見えて来て、ヒロの街中のドライブインで安くて美味いランチをのんびり食べ終わった頃には見事な青空です。 海辺の道には午前中で授業の終わる?高校生の集団がバス停の方向にぞろぞろ歩いていました。 僕のような日本人が思い描くハワイらしい写真が撮れましたのでUpしておきましょう。

 レンタカーも追加料金を発生させるような事故にも遭わず、空港で無事に返却できました。 飛行機も定刻に飛び立ち、オアフ島までの航路で見える島は内陸部に雲を纏っているものの、海岸線ははっきり見える状態です。 ハワイ島の4000m峰マウナケア山などは雲の上に姿を見せています。 2月だと言うのに雪は全く被っていません。 来る時にも着陸前に、この雪の無い山の状態が見えていたので、山頂で夕日と星空を眺める業者ツアーが満員で参加できなかった時に「4駆の車を借りられたら、自分で運転して登ってみるか」なんて気持ちになったのです。

 Hawaian Airさんの便は行きも帰りも、日本のJRの運行のように定刻運行してくれて、まったく快適でした。 ハワイに来ることがあるなら、この飛行機はまた使っても良いな!! なんて感じです。 キラウエア火山のある国立公園の近くの宿 ”Volcano Inn” さんも清潔で静かなゆったりした部屋(40平米の広さにQeenサイズベッドが2つ)で80$以下の料金でした。 これまたお勧めです。

 ハワイへやって来たというのに、実はまだ一度も海に入って泳いでいません。 明日も「ダイアモンドヘッドのピークまで歩きに行こう」という計画になってます。 そして明日がハワイ最後の夜となります。 泳ぐ時間がとれるかな?
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Hawaii Volcanoes NP見物

2010-02-22 13:56:53 | 海外旅行
            溶岩流が残したトンネル内部

 キラウエア火口を中心とする国立公園地域を車でドライブしながら、途中の見所や火口壁のハイキングコースなどを歩き廻って、一日を過ごしました。ハワイ島に渡ってからは日中に雨に会わない日が無かったので、今日もその覚悟はしていたのですが...

 公園地域への入口にはNPS管理の入場料を徴収するゲートがあって、車一台分の10$を支払います。 ゲートを直進してビジターセンターに立ち寄って、海辺への道路の様子などを確認してから、見物モードに入りました。 まずは最大規模のキラウエア火口のView Pointジャガー・ミュージアムへ。 そこで周回道路の片側は閉鎖されているので、反転して噴気孔地帯や、溶岩流が残した巨大なトンネル、1970年代に発生した溶岩流の景観、幾つもの副次的な噴火口跡など途中の見所に立ち寄り、ある場所では軽いハイキングなどをしながら溶岩が最終的に流れ込んだ海辺へと車を進めました。 そんな風に夕方の4時まで国立公園内を廻ったのですが、雨は一滴も降らず、それどころか、マウナケア山頂の天文台施設の輝きまで見通せる、とんでもない好天に恵まれ「ラッキー!!」としか言い様がありません。

 この火山地帯は地球規模の歴史でいえば最近にも溶岩流を伴う噴火を行っていて、近年の溶岩流はまだ色も風化せずに見事な輝きの黒色を呈し、海岸地帯を眺望出来るView Pointに立つと、それは黒い大河の流れの様に見渡せます。 その溶岩の流れは道路を横切り、人家を焼き払ったりしながら海へと流れ込んだのですね。



 この溶岩が道路を覆ってしまった地点からは、溶岩流の上に付けられた目印にしたがって進むと昨夜見物した赤熱した溶岩のある地帯が前方数キロメートル先に見渡せます。 ただ、遠い上に明るい昼間なので、肉眼では煙は確認できましたが、溶岩の赤色は判りませんでした。

 ところで、今日の見所のひとつには”荒廃した火山の砂礫地帯に植物が勢力を拡大していく様子を観察する区域がありました。 そして昨日の溶岩流見物コース付近のKalapanaでは、とてもまばらでしたが黒い溶岩流の上に家を再建し始めた人達がいます。(中には”FOR SALE"の立看板も) これは溶岩で家を焼き尽くされた元の持ち主さんたちでしょうか? その様子は植物の再生よりも興味深い景観でした。
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溶岩流の見物

2010-02-21 17:38:31 | 海外旅行
ハワイ島東南部では現在も地底から溶岩が地上に噴出し、流れ出している場所があります。それを見物する観光客のために夕方5時から8時まの間溶岩台地の上に仮設された歩道と見学エリアが開放されます。 今夜はそれを見物に行って、夕食を8時半頃にとって、宿で落ち着いたのは10時過ぎになってます。 だから今日のブログはその写真をメインに載せて、文章は軽く省略です。



 この写真は上部の写真の左下部で煙が多く見える部分を暗くなってから、多分2・300mmの望遠状態で撮影したものです。


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マウナケア山で夕日見物

2010-02-20 17:56:52 | 海外旅行
ハワイ諸島の最高峰マウナケア(標高4205m)山頂での夕日見物と中腹での星空見物のツアーに参加するのが、今日の目標でした。 僕達が宿泊したHillo郊外のArnott's Lodgeさんの売りは宿泊客には”Mauna Kea Adventures Sunset and Starshow"の料金が格安の$80で提供されることです。 航空券や宿の予約は事前に済ませておいたものの、アドベンチャーツアーの申し込みはハワイ島に到着後、「天候の様子を確認して、大丈夫そうなら申し込む」と自分の都合を前面に行動してみました。 それで、ツアーの申し込みは今朝になってロッジのオフィスで行ったのですが、既にに車の定員一杯の申込者があって、今朝はもう受け付けられません!」と断られてしまいました。  朝一番のこのパンチはかなり応えました。 仕方なく朝食を時間を掛けて食べてみたり、近くの浜辺へ出てみたり。 昼近くになってから、再度事務所に行って「申し込みのキャンセルは出ていませんか?」と聞いて見ましたが、結果はNO! マウナケア山頂へは4駆の車を用意すれば登頂可能ですが、日本に居る間に調べた範囲でHilloの空港に事務所を置いているような有名どころのレンタカー会社ではその山道にレンタカーで入ることを許可していません。 それは分かった上で空港のレンタカー事務所を訪れました。 その結果、ハワイ島で商売している”HARPER"社では山頂へのドライブを許可しているとの情報をくれました。 教えてくれたその会社の場所は空港から僕たちの宿への帰り道です。 探しながら道を戻り、見つけられないまま宿まで戻ってしまいました。 そこでロッジで受付をしている親切なおばさんにお願いして、電話で、「今日これから4駆を借りられるか?」 「レンタル料金は幾らか?」 問い合わて貰いました。 結果は2人分のツアー料金と同じ程度(160$)の金額で貸して呉れるそうだ。 それで宿までピックアップをお願いして、HARPER社の事務所に行って契約作業をしました。 その契約作業の中では「途中の2800m付近にあるビジターセンターで、40分ほど滞在して、高度順化してから山頂を目指して下さいとか諸々の注意事項も聞かされたうえで、通常のレンタカー契約依りも多い枚数の書面に署名をして、無事に4駆を借り出しました。

 宿のツアーの出発時間は15時。 僕たちもその時間に出発しました。 中腹の2000m付近までは雲が広がり、下界では俄か雨も降ったのですが、ビジターセンタ-は雲海の上、山頂も当然青空が広がっていました。 6時半頃の日没を眺め、山頂にやって来た車は日没後30分以内に下山する事が要求されていますので、日が没して暫くすると、山頂観光の車は下山を始めます。 この山頂への道は火山礫の未舗装道路でなんたらかんたらの情報はあるのですが、群馬県や新潟県の山中で山菜採りに凸凹林道を走り回っている僕にとっては、未舗装といても極上の部類の道路でした。 それにビジターセンターから山頂までの内、山頂側のおよそ半分の区間は舗装されていました。

 ところで、さすがに4000mを超える山頂の空気は薄く、 カメラのシャッターを押すために息を止めただけで酸素不足を感じてしまいました。 写真は到着した直後日の有る内に撮影したGPSの高度表示画面です。

 中腹のビジターセンタの建物の照明は暗室作業に使う様な赤色灯で星空観察に邪魔にならない配慮がされています。 その建物の前面で口径が40cm近く有りそうな反射望遠鏡などがツアー会社によって並べられ、星団の観察や、月面クレータの観察・パソコン画面表示などがなされていました。僕たちはツアーには参加していませんが、ちゃっかりと望遠鏡を覗かせてもらいました。 満足感一杯で夜9時過ぎて宿に帰着。
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ハワイ3日目

2010-02-19 16:49:43 | 海外旅行
 ハワイ旅行3日目になりました、 夕刻18時過ぎの飛行機でハワイ島へ渡る日です。 それまでの一日の過ごし方には色々な案があったのだけれど、 パールハーバーのアリゾナ記念館見物をメインに、余った時間で更にドライブと決めて宿からレンタカーで出発です。 GPSのWayPointはHonoll空港と宿に準備して来ただけだから、若干の心細さはあるけれど、高速道路”H1 WEST”に乗って西進。 アリゾ記念館の案内などが出てきて「おっ、もうすぐか!!」と出口標識を意識しだして間もなく、助手席の妻が「あっ、ここですね!」と言った時には急ハンドルが必要な位置になってしまった。 当然の如くパスして次の出口を待って降りました。 結果的には「降りるべきところを見逃して、ウロウロした挙句に、目的地に着きました」って事です。 ハワイの高速はアメリカ本土の高速道路に比べると出口案内が出てから出口の分岐までの距離が短く感じたのは気のせいだろうか? いや、気のせいでは無くて、案内が一個出るとすぐに出口ですね。日本の高速の様に1km、500m手前と複数回の事前案内は無しですね。

 パールハーバーの戦跡はNPS(国立公園サービス)の管理下で運営されているんですね。 ちなみに戦艦アリゾナの見学コースだけは無料でした、 見学には整理券が必要で、入り口のビジターセンターで時間指定された入場券を配布してくれていました。 僕たちは10時頃の到着で12時のチケットを受け取りました。 他の潜水艦や降伏調印式の行われた戦艦ミズーリなどを見学するのは別途有料チケットを買わないといけないシステムでした。 この区域への入場者は圧倒的にアメリカ国民であるようです。 もちろん僕たちの様な日本からの観光客、の他に中国言葉の団体観光客も居ましたが、それは少数派と言わざるを得ません。

 海中に沈没した戦艦の構造物上に設けられた記念館はボートに乗って訪れます。 そのボートの指定時間までの暇つぶしに、日本軍の爆撃の様子などを編集した映画を見せてくれます。 ここで救われたのは解説の言葉の中に「ジャップ」の表現は使わず、「ジャパニーズ」の表現がなされていた事でした。 ハワイ島には日本の移民などが多いことへの配慮でしょうか? ニューヨークを訪れた時にも5番街にほど近い河べりの航空母艦や潜水艦を見学したことがあるのですが、空母の飛行甲板の下の格納庫での映画では何回も「ジャップ」の言葉が聞こえて、どこか嫌な気分がしたものです。

 見物を終えてボートで戻ってきたら、はや1時。 妻は昨日の宿への戻り道や今朝の、高速出口の間違いでの道迷いの印象が強烈で、不安でたまらないらしく「今から空港へ行きましょうよ」なんて提案するけれど、さすがにそれは用心のし過ぎでしょう。 「西海岸の雰囲気をチョットだけ味わってから空港に行こうよ!」と高速1号線WESTを終点まで走り、更に2時過ぎまで一般道を更に少し進んで、波静かな西海岸を眺め、空港への戻り道に着きました。 今度は道を間違える事も無く、レンタカーの返却も含めて3時までに空港に着きました。 

 ハワイ島HILLOのロッジに到着すれば無線LANが使えるはずなので即UPを予定してホノルル空港でのたっぷり有る待ち時間に原稿を書いていました。
 到着した宿ではビールを扱っていないので教えてもらった店を目指して夜道を車に乗って買出しに出かけましたが、店は見つからずしかたなく宿に戻って部屋に入ろうとしたらカードキーが見当たらない。 車内や持ち物を散々探した挙句、最後は道路を隔てた別棟のオフイスに行ってカードキーの再発行をしてもらってやっと部屋に落ち着ける騒ぎがありました。 昨日の道が分からなくてウロウロしたのも疲れたけれど、今日のカードキー紛失騒ぎも草臥れました。 疲れにハワイへやって来た気分です。
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