ブルーベルだけど

君にはどうでもいいことばかりだね

歯の治療が一先ず終了

2020-12-12 01:26:18 | 日記
9月12日に書いた「上唇小体辺りが膨らんで圧迫感有り(痛みや腫れはなし)」という症状に対する一連の治療がようやく終了しました。

治療内容は次の内容で計7回。

「患部レントゲン → 麻酔注射 → 幹部切開 → 膿出し → 殺菌」
「 差し歯後方に穴を開けて膿出し → 殺菌 → ガーゼ状の詰め物で栓」
「詰め物を除去 → 膿確認 → 殺菌 → セメントで蓋」✕ 2セット
「患部レントゲン → 詰め物を除去 → 膿確認 → 殺菌 → セメントで蓋」
「詰め物を除去 → 膿確認 → 殺菌 → セメントで蓋」
「詰め物を除去 → 殺菌 → プラスティックで蓋」


お陰様で経過は良好 ♪
膨らみも圧迫感もなくなり、4回目辺りで膿も皆無に ♫

「この治療でダメなら病院で組織をごっそり切除する手術が必要」と宣告されていただけに、喜びもひとしおだ。


7回の治療で痛みを感じたのは初回の麻酔注射の針と、3回目辺りで行った歯垢除去の際の一瞬のみ。

「う~ん、名医だ」と感激していたところ、床屋のマスター Nさんに話したら「今はどこでもそうですよ」と、他のお勧め歯科医を教えてくれました。


前回、「年を取ると若き日には考えられないようなことが起きるもの」って書いたけど、時代も変わり歯科医も進歩して、「歯医者 = 痛い」は昔の話になったようです。




さてさて、フォトは誰だか分かりますよね。
あの時君は(僕も)若かった ・・・ 。







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月一の記帳

2020-12-06 00:57:01 | 日記
記帳の他、シーツ洗濯もデータバックアップもあし、翌日は日帰りで遠出する予定があるからと、前日は早めに就寝。

早く(ビジネスパーソンに比べれば遅い)起きると1日が長い。
シーツを干し終えてもまだ〇時だ。


記帳は概ねスーツ姿で出掛ける。
「コートも…」と考え、クローゼットから取り出してビニールを剥ぎタグを取る。

う~ん、何だか足元がおぼつかない。
感染拡大を受け、このところ殆ど外出していないから。


いつものように、駅前の A行で記帳。
混んでいたけど、記帳機は空いていたので待たずに完了。

目前の駅へ急ぐも、改札から大勢出てくる。
表示を見ると、電車が出た直後 ・・・ と ほ ほ 。

陽光が眩しいホームで5分程待ち、電車に乗ってあの駅へ。


B行には数名待ち人がいたので、至近の C行へ。
C行はガラガラで、待たずに記帳完了。

B行へ戻ると待ち人なし。
即刻記帳して駅へ戻る。


馴染みの中華料理店は素通り。
今、新型コロナ感染リスクは出来る限り回避したい。

改札で表示を見ると、また電車が行ってしまった直後 ・・・ と ほ ほ 。
やむなく5分程待って乗車。

自宅最寄駅に到着したら、ちょっと遠回りしてマンションへ。
メールボックスを確認したら、エレベーターで部屋へ。


部屋へ戻ると、2台の PC は未だウイルススキャン中。

時計を見ると、部屋を出て戻ってくるまでの所要時間は70分。
寄り道なしのパターンでは最長記録が出た模様。

行きと帰りでそれぞれ電車を見送ってしまったのは痛い。


今回はウイルススキャン完了を待って、記帳内容を管理表に入力。
勿論、手持ち現金(通常 + ピン札)も、財布の中身も。

結果は、単月としては若干予算オーバー、累計ではアンダー ♪

今年は月一旅行を控えていたのでアンダー続きだったところ、先月から月2で遠方にいる母の病院受診の付き添い(面会)をしているので、予算とトントンになる予定。




平日であっても自由に出歩ける身で良かった。
これも早期完全リタイア組の特権だ。







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かつて何度も歩いた道

2020-12-03 00:18:52 | 日記
高校卒業までは、当たり前に歩いた。
大学進学で上京してからは、ちょっと懐かしく歩いた。
就職して、結婚して、子供が出来て、その帰省時には、待っている大切なひとが喜ぶ顔を思い浮かべながら歩いたものです。

段々疎遠になって、何年も歩かないこともありました。 本当にごめんなさい。
今年前半はコロナ禍による緊急事態宣言で、歩けなくなってしまいました。
今日は少しワクワクしながら、少し寂しい気持ちで歩いています。


悲しいことがあったとき、嬉しいことがあったとき、辛かったとき、楽しかったとき、前を向きながら、俯きながら、ドキドキしながら、落胆しながら…

暑い日も、寒い日も、風の日も、雨の日も、夜明け前に、早朝に、昼時に、昼下がりに、夕方に、夜に、深夜に、何度も何度もこの道を歩きました。


家に帰れば、笑顔の母、寡黙な父、優しい祖母、変わり者の兄、元気な妹がいた。
家族6人が暮らす生活感に満ちた空間がありました。

でも、それは永遠ではなかった。
祖母が亡くなり、父が亡くなり、兄も妹も大人になり家を出て、母も緊急入院して車椅子の生活になり老人ホームへ。


母が、認知症と闘うように、か細くなった声で僕の名前を呼んでくれることが有難い。
そして兄夫婦が日中仕事で家に来ていることが有難い。


もう、あの頃とは違う。

誰もいなくなった母屋。
骨董品や雛人形、五月人形、鯉のぼりを収めた蔵も、新婚時代に父母が住んだ離れの棟も、母が草むしりをした土地に建つプレハブも解体され、今は駐車場。

それでもこの道を歩く。
昔は賑わっていた、今は閑散とした、僕にとって特別な道。


そんなに遠くない将来、かつてこの道を家族のそれぞれが、或いは連れだって歩き、様々な想いを抱きながらここで暮らしていたことなど誰も知らない時代がやってくる。

そうやって代替わりしていくのだろう、これまでも、これからも。
僕の時代も既に終わり、息子達の時代になりました。


それでも6人の想いは残り、引き継がれる。
ひとは遺伝子の方舟なのだから。




また帰ってきましたよ。
今から会いにいきますからね、母さん。 今月は3回来るからね。

「有難い」という言葉の真意が、今はよく分かる。







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