脱あしたのジョー

MTオリーブフィットネスボクシングクラブのブログ

不完全である人間

2018-11-05 | Weblog

日本人は完璧主義だ、トレーニング一つにしてもなぜそこまでやらなくてはいけないのか完璧性をもとめるのか理解できないのだが、本当に日本人はまじめで完璧性を求める民族だ。日本のトレーニングする場所がピリピリしているのはただ一生懸命真剣にやっているからではなく、そのトレーニングの中で完璧性を求めるからである。そういう完璧性を求めるまじめさと家父長制的な制度がパワハラと言うものを生み出しているのだが、実際我々も自分の子供のことになると期待しているからこそ、ついなぜそれができないのかと感情的になるのだが、監督やコーチが罵倒したり叱責するのはそれに近い感情であろう。確かに監督やコーチの罵倒や叱責と言うのは期待の裏返しであると言えるし、こういう気持ちの部分から愛情のある体罰と言う矛盾形容した言葉がでてきたのだろう。しかしどうであっても一般論で考えたら人をたたいたり、罵倒したり、人が傷つくような言葉を使うのは間違っている。

さらに監督に対しても完璧性が求められスポーツの監督と言うものは人間的にも立派でなければならないという間違った価値観が求められる。しかし私に言わせてみればそれしかやってこなかったと言うような人間は人としては半人前、現に今パワハラとかセクハラの問題が次々と上がってきているが、それしかやってこなかった人間なんて言うのは所詮そんなものだ。いくらその小さい世界で立派にふるまっても限界がある。完璧性を求めるのは自分が井の中の蛙で一般論で物事を理解できない、小さなものさししかもっていないからだ。人間は不完全だ。不完全だから失敗や間違いもするし、不完全だからこそ一生懸命努力する。指導者はまず自分は不完全であると言うことから認めなくてはならない。そう本当に認めることによって私は本当の人間関係の礎を築くことができると思っている。競技者のことがきらいな監督はいないと思うし、競技者もみんな本当にうまくなりたいと思っていることは確かなことだ。だから完璧を求めてそれができないとネガティブな言葉をつかってはいけない。そこからは何もうまれてはこない。今日あげた動画はジウンの教会に食事にありつきに行った時に学生のグループがよく歌っていた歌。あまりにも歌うので歌詞をおぼえてしまったが、この歌にMan shall not live by bread alone, but by every woad...とあるが、言葉は大事だ、不完全であってもお互いが支えあい、共に成長していく姿を描きながら相手を生かす言葉を選びとっていけたらと思っている。

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