脱あしたのジョー

MTオリーブフィットネスボクシングクラブのブログ

Are you able to speak japanese?

2018-11-03 | Weblog

体育会系でよく礼儀とか、あいさつは基本だとか言って大きい声であいさつさせることがしつけや礼儀を教えることだと勘違いしている奴ら、そういうことは中身がなければ非常にナンセンスだと思っている。まずそんなことを言っている人間がまともに日本語が話せるのだろうか。そこまで言うのだったら指導者としてある程度のレベルの国語力がなければ指導者失格、あいさつとか礼儀とか言う前に自分が正しい日本語を話し、そのクラブで使われている言葉のレベルを上げることが必要だ。指導者が正しく適切な日本語を使えば、その言葉が子供に影響し、子供は礼儀正しい振る舞いをするようになるだろう。指導者の言葉がとぼしければ、その群れ自体がずれてくる。やんちゃですとか何か少しくせのあるような奴らが集まるようなクラブは責任者の話す言葉や教養レベルがひくいからそれに付随してそういう奴らが集まってくるのだと思っているが、まともな人間を集めたかったら国語力を磨いてきちんと話ができるようにすることだ。そのコミュニティで正しい日本語が語られたら自ずとそのコミュニティは安定し、品格がそなわり礼儀正しくなるものだ。その指導者のレベルを知りたかったらその指導者がどういう本を読んでいるか、その読む本のセンスでこの人は教養があるかないかということがわかると思う。本を読んでいないと言うのは論外であるが、How to本を読むのが読書なんて思っているのももってのほか、ある程度難しい言葉が使われていて専門的な知識が多少必要な本を読むことで、知識が深まり、多面的な見かたができる。そういう本を読めなくてはダメだ。小中学生を相手にするのだったら多少教育的なことも話す必要もある。本当に親から信頼を得たかったら、自分がやってきたスポーツの小さい価値観で、しかも語彙力もないのにそれがすべてだと思わないこと、読書を習慣にして日本語をきちんと学んで応対、対応すること、そのことが相手の信頼を生み、言葉を生かすことが全体をいい雰囲気にかえて行くのだと思う。

本を読むことは国語力を高めること、そして知識を深めることで、これは指導者には求められることだ。私も本が好きだが、うちのメンタルトレーナーは私以上に本を読む。この前は本屋の話で盛り上がったのだが、彼は大阪に行った時は4時間ぐらい本屋にいて専門書から一般の本までまとめて買いまくるらしい。精神医学のドクターは人の話を聞く仕事なのでその人を知るためにいろいろと共感を得たり、外側からアプローチする必要があるからだろう。現に言葉を知っているし、私があげた文学や哲学などのたとえはほぼ知っているので話がしやすいのだが、これを患者に例えたら私のような複雑なインテリ系が来てもきちんと相手に合わせて話が対応できるということだ。言葉理解は受け入れてくれていると言う安心感を生み出すのだが、相手をミスリードすることなくベターな方向に導くために日々読書をして研鑽する姿はまさにプロフェッショナルである。

うちのジムには年齢や性別をこえて多くの人が集まっている。いろいろな人が集まっているのだからプロフェッショナルとまでいかないがある程度どういう人が来てもその人の言葉をきちんと理解し受けとめ、時にはアドバイスできるぐらいの教養は必要だと思うし、それができるかできないかでそのコミュニティの質がかわると思っている。

私は基本的にバカみたいにでかい声をだしてあいさつしたり、意味のないヒエラルキーをつくってまとまっているなどとほざくよりも、女性がいるから裸でトレーニングしないとか、気合を入れて大きい声をださないと言うような思いやりや気づかいが大事だと思っている。コミュニティのレベルがひくいとこれができない、こういうことは指導者の日本語力や知的レベルに関係していると思う。

 

 

 

 

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