脱あしたのジョー

MTオリーブフィットネスボクシングクラブのブログ

感謝と今後もご協力よろしくお願いします

2020-12-28 | Weblog
今年はコロナウイルスの影響でいろいろなことに制限をしいられた1年であったと思います。途中休会と言う形をとらせていただきましたが、それでも今こうしてジムが運営されていることはひとえにみなさんのおかげですし、ジムでトレーニングする間もひとりびとりが他者のことを考えて行動し、トレーニング中もマスクを着用し、人に感染させない、しないようにと務めてくださったことに深く感謝を申し上げます。
もう2020年もわずかとなりましたが、2021年は二つの方針をかかげてみなさんと共に歩んで生きたいと思います。

ひとつはコロナ禍において我々が感染させない、しないように心がけ、時には注意を促すこと。ワクチンが開発され実際に供給されつつあります。日本が一般の人にいきわたるのは4月以降と予想されていますが、我々とコロナウイルスの戦いはさらに続くことでしょう。
そういう中でジムではマスク着用、喚起と消毒に努めていきたいと思っていますが、しかしジムでできることには限界があります。これからもさらに皆さんひとりびとりの協力が必要です、自分は大丈夫ではなく、自分は無症状で人にうつしてしまったらと言う相手を気づかい、思いやりの視点で、ジムの安全が保たれ安心してトレーニングできるようにジムではマスクを着用し、日ごろから手洗いやうがいを徹底して心がけていただくようお願いします。

そしてさらにもう一つはジムで弱い立場の人たちを大事にすること、格闘技では誰がマイノリティかということを考えてそういう人たちが平等に生き生きとトレーニングできるように配慮することです。
格闘技では女性はマイノリティであると言っても過言ではありません。特にうちのようにダイエット目的で来る人はボクシングに興味のない人もいます。ボクサーとか試合に出るような人間を特別視したり、そういう人間たちが中心になってジムが形成されたり、暴力的な行為はもちろんのこと、武勇伝ややんちゃ話を自慢したり、トレーニングで怒号をひびかせたり、裸でトレーニングしたり、あきらかにこれは不平等だろうとか、女性などがこわがったり威圧感を感じるような行為を認めないのがジムの方針です。
うちのジムではそういう弱い立場の存在を顧みて、彼ら彼女らがここで何ら疎外感をうけることなく、またある種の恐怖を感じることなく、生き生きとトレーニングできることが平等であると信じていますが、2021年もそういった人たちを大事にしていきたいと思っています。

2020年も本当に会員のみなさんに支えられ助けられました。忙しい中時間をつくって来てくれるトレーナーはもちろんんこと、ビギナーの人たちに自分の手をとめてミットを持って指導してくれるベテランの人たち、おかげさまでみなさんの技術が平均的に向上し、来たらベテランの人たちも教えてくれるのでジムに来やすく、ジムがいい雰囲気になったと思っています。コロナ禍において専門家の人たちのアドバイスはジムを運営していく上では大きな力となったと思います。特にマスクの着用は最初はかなりパフォーマンスがおちるので少しためらいましたが、DRのアドバイスで決断でき、スムーズに事が運ばれました。さらに英語を教えてくれている講師の方に感謝します。英語を学ぶと言うことだけではなく、イングリッシュクラブのおかげで日ごろからジムになじみのない人や来たくても行きにくいと言う人たちがジムにくるようになりましたが、このイングリッシュクラブもジムの活動のひとつです。

ラテン語の言葉にこういう言葉があります。Concordia res parvae crescunt.コンコルディアー・レース・パルウァエ・クレスクント、日本語に訳すと「小さな物も調和によって大きくなる 」と言うことです。私はこのコロナ禍において、そういう中でも他人を顧みる、日本人の助けい合いの精神に心をうごかされましたが、今この状況において必要なのはひとりびとりが他者を気づかい、思いやる気持ちだ思います。
コロナウイルスはどのように注意していても防ぐことはできません。そして我々はその巨大なウイルスの前では無力で、時にはこのウイルスの脅威に疲弊し、心がおれそうになります。しかし人に感染させてはいけないと言う思いやりの気持ちをもつことは感染力を大きくさげるものだと信じています。ひとりびとりが他者を気づかい思いやることで目には見えないけど、それは大きな力になると思います、我々はひとりでは無力ですが、しかしお互いを気づかい、思いやることでジムに調和が生れ、ラテン語の言葉のようにその調和は大きな力となって感染を防ぐ力になると信じて、これからも気をひきしめて一致団結してこのコロナ禍を乗り越えていきたいと思います。
最後に2020年も本当にご協力ありがとうございました。2021年もまたよろしくお願いします。
새해 복 많이 받으세요(来年もたくさんの福をうけてください)!





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AMAZING GRACE  私の学生時代のクリスマスの思い出

2020-12-22 | Weblog
ジムに入る前は体温をチェックします。37度以上はジムでトレーニングできません。入ったらアルコールで手と指先を消毒してください。アルコールは70%から75%のものを使用しています。 ジムではマスクを着用してトレーニングしてください。尚マスク着用に関してご事情のある方は遠慮なく申し出てください。 

Amazing graceと言う歌がある。一時期ヘイリーウエスタンらが歌って有名になった曲であるが、これはもと奴隷商人が神の恵みにふれて改心した気持ちをあらわした歌である。
時はクリスマスシーズン、時々食事にありつきに行っていた教会でこの曲を聴いている時、ジウンに「これ作曲した奴ってもと奴隷商人だろ、散々人を殺しておいて最後の最後に自分は救われた、自分はなんて幸せなことかということをよくもまあまあ歌にして歌えるもんだ、最低な奴じゃねえか、本当に改心したんだったら死を持って償うべきだ」と確かそのようなことをぼろくそ言ったと思う、しかし彼女はそんな私に「ホヨンそういう視点ばかりで物事を見ていたら心がすさんでいくよ、そんなことばかり言っていたら幸せになんてなれないよ」と言ったのだが、正直、そう言われてドキッとした。確かに私は人間の悪の部分についての指摘は鋭いし、実際そういうことを指摘して人間なんてそんなもんだと思っていた。しかし実際はそう言って勝ち誇ったような気になっていたが、言ったところで自分の心が満たされるわけでもなく、何となくそれが負け惜しみのようなものだと思っていたのだが、彼女は私の心を見透かしているのか、時々こういう確信をついたことを言うのだ。

その週の夜ではあるが、ジウンの教会でクリスマス会がもたれるということで私は彼女に誘われて半ば強引にクリスマス会に参加させられた。彼女はクワイヤーに参加していて5曲ぐらい、そこで韓国語と英語のクリスマスの歌を歌ったと思う。そして最後に歌った歌が有名なO Holy Nightである。あっこの歌知っていると聴いていたが、聴いていくうちに不思議な雰囲気につつまれて、そしてなぜか自然と涙があふれてくる、おそらくそれは私がこの曲と言うか彼女たちの歌っている姿に甚く感動をおぼえたからだろう。ある作曲家は歌うことは祈ることだと言ったが、まさにその彼女たちの歌う姿は祈りそのもので、その歌声を天にとどけようとしていた姿に深く感動したのである。
人間は本当に高尚なものにふれると自分の罪深さや弱さがわかる、聖書などで神が人の前に現れた時に「こんな罪深い私を」とひれ伏す姿が表現されているが、それは人間なんてそういう大きな存在を前にしたら無力で弱いものだと言うことを表現しているのだと思う。そして徹底して自分の無力さを思い知らされる時、大事なものに気づかされる。

以前の私は上から目線でうがった見方で人間なんて所詮こんなもんだとうそぶいていた、所謂自分を絶対化し神の目線で世の中を見ていたと思う。しかし我々が神になったところで、ひとりでは何もできない、ひとりでは自分すら幸せにできない愚かな存在だ。しかし自分がへりくだって、無力だとわかる時、愛し合うことや助け合うこと、そして支え合って生きることの大切さがわかるであろう。人間は同情されたり、愛されたり、助けてもらったりすることで生きている、そしてそれを我々は感謝の気持ちで受け入れることが必要であり、その相互関係が人間の心を豊かにするのだと思う。
結局最後の試合で、私は小さな島々のファイナルでまけてしまったが、その時自分の限界を知り、小ささそして無力さを知ることができた、おそらく私のこの体験はアメイジンググレイスの作者にも似た気持であったのだろう、神聖なものにふれて自然と出てくる涙はまさにそうだったと思う。

さびの部分でFall on your knees, O hear the angel voices(ひざまずいて天使の声に耳をかたむけろ)とあるが、傲慢な態度では天使の声を聞くことはできない、自分の無力さを知りへりくだることで、見える大切なものがあるが、それは平和につながるものだと信じている。
May the miracle of Christmas fill your heart with warmth and love. Merry Christmas!


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CNNのニュースから

2020-12-17 | Weblog
ジムに入る前は体温をチェックします。37度以上はジムでトレーニングできません。入ったらアルコールで手と指先を消毒してください。アルコールは70%から75%のものを使用しています。 ジムではマスクを着用してトレーニングしてください。尚マスク着用に関してご事情のある方は遠慮なく申し出てください。

トムクルーズが感染対策をおこたったスタッフに「次やったらクビだ」と激怒して言ったらしい、記事だけを読んでみると激怒してクビだと言った原因はソーシャルディスタンスをとらなかったということだが、味方によってはその一つの行動にトムが激怒して次やったらお前たちはクビだと、一方的にその権力を振りかざしたと言うようにもとれるが、彼の行動には賛否両論の声がある。しかし私は彼がクビだと激怒したことに至るにはそれなりの原因があったと思っている。私は掲示板やフェイスブックで自分は大丈夫ではなくもし自分が持っていて相手にうつしてしまったらどうしようということを考えて相手に対する思いやりの気持ちを持ってほしいということを繰り返し繰り返し言っているが、今こういう時期だからこそ、ひとりびとりが他人のことを顧みて行動しなくてはならないからだ。
うちのクラブの人たちは本当にこのことをしっかりと理解してくれて、ジムが運営できるようにと協力してくれているのがわかる。パフォーマンスはさがるがそれでも文句ひとつ言わず全員がマスクを着用し感染対策に協力してくれていることには非常に感謝している。
だから管理者から見てひとりでも相手のことを考えていない、無神経に行動するような人間がいたらわかるし、見ていてあぶなっかしい、そういう人間がいたらそれなりの措置をとるのは管理者として当然のことだと思うのだが、私はトムクルーズが「お前ら次やったらクビだ」と言う発言は、単に感情的に言ったのではなくて前からそういう行動に対して問題を感じていたのだと思っているが、そう考えると彼の言動は乱暴とも思えないし、むしろそうだと思っている人間もいるのではないかと思っている。
こういう緊急事態だからこそ人のことを考えていない、他人への配慮にかける人間はわかるし、そういう人間がひとりでもいたらまわりに迷惑がかかる。
こういう人間には厳しく接するのは管理者として当然のことだ。
今どのように努力してもコロナウイルスは防ぎようがない厄介なウイルスである、しかし他人への配慮によって感染率はひくくできる。もし誰かがかかってしまった時に、そういう自分勝手な人間がいたら仕方がないではすまされない、なんとも言えない気持ちになるのではないかと思う。私は管理していていつも思うことはもし誰かがかかってしまった時に我々がそれをうけいれることができるかということだ、そしてもしそうなったら残念ではあるが仕方がないと言うぐらいの管理を心がけて行かなくてはいけないと思っている。



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Mele Kalikimaka 天使降臨

2020-12-14 | Weblog
ジムに入る前は体温をチェックします。37度以上はジムでトレーニングできません。入ったらアルコールで手と指先を消毒してください。アルコールは70%から75%のものを使用しています。 ジムではマスクを着用してトレーニングしてください。尚マスク着用に関してご事情のある方は遠慮なく申し出てください。

昨日12月12日はハワイアントーナメントの決勝だったあの日、私がまけてボクシングを引退した日だ。たいした才能もなかったけど、こんな自分でも小さな島の大会ではあるが優勝させてくれたジョージとアレンには感謝、この試合は最後だったので勝って感謝の言葉をのべたかったが、しかし私にはそんな絶対的な強さはない、その試合は判定ではあったが大差の判定でまけてしまった。
ここにアドラーの言葉がある。
「我々のまわりには他者が存在し、我々は他者と何らかの関わり合いをもって存在している。個人としての人間は弱い存在であり、限界があるので、孤立した状態では自分自身の目的を達成することができない。もしも自分一人で生き、自分一人だけの力で問題に対処しようとすれば、死に絶えてしまうだろう。」アルフレッド アドラー

チルソの夏と言う日本映画がある。これは何十年も前の日本と韓国の話。当時はお互いの差別がはげしくいがみ合っていた。それでも下関では日本と韓国が陸上の交流試合を毎年行っていたようで、そこであった日本人女性と韓国人男性の思春期によくある切ない恋物語である。その映画のシーンで好きになった男の子にもっとアプローチするために女子高生が韓国語の勉強をする。がしかしそれを知った親が韓国語なんかおぼえるなとその女子高生たちに勉強を無理やりやめさせる。笑い話だが、私はこの映画の中である演歌歌手が韓国人の男子学生にひかれていく娘に「外人とか関係ないが、でも朝鮮人だけは絶対ゆるさん」と言うセリフを聞いて、本人がわるいわけでもない、ただのセリフとはわかっているが、しかしどうしても彼に好感はもてないのだが、当時の韓国朝鮮人蔑視そして日本人にたいする偏見はえげつなかったと思う。チョン、チョッパリ、イルチェ(日本製)これが私が言われた言葉であるが、こういう環境では自然と自分はひとりだ、だから強くならなくてはいけないと思うのは自然なことである。でも強くなろうとしても思い知らされることは自分は弱い本当に弱いということである。人間はいくら泣いても叫んでも自分の力ではどうすることもできないことがある。そんなみじめでなさけない涙を流せば人間はいかに無力であるかと言うことがわかるはずだ。でも弱さを認めてそれを受け入れれば見方がかわる。人間は相手によって支えられなくてはいけないし、自分も彼、彼女らの弱さを受け入れて、支えていくという相互関係によって人間は存在しているのだ。人間は一人では生きていくことができない、その相互関係の中で我々は生かされているのだ。そしてその生かされている自分がその相互関係の中で積極的にかかわって生きることで本当の自分の生き方が見えてくる。私は思う人間はひとりでは生きてはいけないし、存在しない。我々は生きているのではなく生かされているのだ。人間は相互関係の中でこそ自分を知り、そして目的を知らされる存在だ、ここに我々が生きる意味と目的があるのではないかと思う。
今日あげた歌は日本語の歌で特に歌詞が好きだ。この歌はいろいろとつらいこともあったが一歩一歩歩んで行ってたどり着いた自分の道を歌っているが、しかし苦難を通してそのたどりついた道はゴールではなく始まりだ。ここから本当の生き方が見えてくるだろう。
 
試合がおわったああ負けたと思って天(正確には天井)を見上げたが、ジウンがその私を見て、天使が見えたのかと思ったと冗談を言っていたが、確かにその時天使がおりてきて平安を与えてくれたのかもと思っている。
 

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예수는 웃었다 

2020-12-09 | Weblog
ジムに入る前は体温をチェックします。37度以上はジムでトレーニングできません。入ったらアルコールで手と指先を消毒してください。ジムではガイドラインを参考に行動してください。また水分補給は十分におこなってください。 アルコールは70%から75%のものを使用しています。 ジムではマスクを着用してトレーニングしてください。尚マスク着用に関してご事情のある方は遠慮なく申し出てください。

クリスマスはイエスの生まれた日だが、学生の時「イエスは笑ったか」と言うことを授業で発表したことがある。なぜこういうことが問題になるかというと中世の修道院では笑いというのは、聖書にイエスが笑ったという記述がないことから笑うことは低俗だとみなされていたからだ。ショーンコネリー主演の「バラの名前」という映画がある。これは修道院で禁書を読んだ修道士が殺されていくわけだが、その禁書が何であったかと言うことがあかされないままに事件を解決していく中世を舞台にしたサスペンスである。
私はその禁書はイエスが笑ったという記述がある写本だと思っている。それを見つけてしまっては修道院の規律だけではなく、彼らの持つドグマさえもくずれかねないので、それを見た人間を殺害したと推測している。この映画は原作そのものが難しいので、そういう推測ができるのは宗教学や哲学を勉強した人でないとわからないと思うが、当時神であるイエスが笑ったか笑わないかということは、非常に大きな問題であったのだ。話は映画の話になったが、私自身はどういう結論を出したかというと、笑ったである。確かに原典を見ても笑ったと言う記述はない。しかし彼の行動からは笑いの雰囲気というものが十分に伝わってくる。特に彼の演説はユーモアに満ちていて、おそらく当時は彼の話を聞いて笑ったものもたくさんいたであろう、こういうユーモアは仏頂面では語ることはできない、自らも笑うからこそこういうアイロニーは生きてくるのであって、私はその観点から彼は笑ったと結論づけたのである。

笑いは人間を救う、イエスの時代、当時の為政者に押さえつけられ、迫害さえもあった群衆が唯一立ち向かうことができたのは、この笑いを通して語られたアイロニーで、イエスの演説というのはまさにその為政者に対するハチのひとさしで、多くの民衆はこの演説によって救われただろう。しかし笑いといってもDQN軍団のように程度のひくい笑いではなく、知的好奇心を刺激する笑いである。よく大阪の人間は「笑わしたら勝ちだ」みたいなことを言うが、しかしこれは一理ある、しかしそれはめちゃくちゃなことを言って笑わすということではなく、物事の本質をみきわめたアイロニーのようなもので、聞く相手に一本取られたと思わせる笑いのことである。
知性をくすぐる笑いは、人間にとっていい刺激となる、笑いに知性など必要あるのかと思うかもしれないが、しかし知性や思いやりをともなった笑いは、時には相手を励まし勇気づける最大の力になると信じている。

これは我々の間で有名な話、前にも書いたが施設で育った女性には親からつけられた名前がなかったらしい、彼女はそのことにかなりのコンプレックスを持っていて、非常に寂しい思いをしたそうである。
彼女が働いて大学に行った時、ある男性と知り合った、彼はおとなしいが誠実で真面目、彼女は生活の安定を求めていたので、彼のことが気に入り、二人は恋におちた。そしてある時彼女は、たぶんこの人なら自分の気持ちを理解してくれると思ったのだろうか、思い切って自分のことをうちあけた。自分が施設で育ってみよりがないこと、そして自分のコンプレックスである親からつけられた名前がわからないということ、不安にかられながらも自分の思いをぶちまけたのだ。しかし彼はその話を聞いてこう言った「大丈夫、神様にも名前はないんだよ」十戒の掟に神の名をみだりにとなえるなという掟がある。聖書では神に名前をつけることはタブーとされていたので、GODと呼ばれる神は厳密には名前が無いのだが、彼が神に名前がないと言ったのはまさにそのこと、彼は彼女のその深刻な問題を受け止めジョークで返したのだ、そしてその答えに彼女は笑った、そして笑って自分のいやな過去と決別したのである。その後二人はゴールインしたとかしないとか、笑いは力である、人間にとって笑いは不可欠なもので、幸せな生活というのは、どれだけ我々は笑いのある生活ができるかということだ。世界にはまだまだ多くの人が迫害にあったり、搾取されたり、権利を奪われている。クリスマスは与える日であり、喜びの日、我々も自分たちのことだけではなく、そういった人たちのことをおぼえてすべての人が笑いと喜びに満ちたクリスマスを迎えたいと心から願う。


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コロナ禍での運営にあたって

2020-12-08 | Weblog
現在コロナウイルスが広がりつつありますが、それでも多くの人たちがジムを利用してくれています。コロナ禍においてみなさんひとりびとりがまわりに迷惑をかけないように日常生活においてもうがい手洗いを徹底してくださり、最近はマスクをしてトレーニングしている人が多くなってきましたが、みなさんの行動を見いてもわかるように、こういった思いやりや配慮によってジムが運営されていることに感謝しています。
高知でもかなり拡散してきましたが、コロナウイルスに感染した人は現在高知県では103人、確率で言うと約1万人にひとりかふたりぐらいの割合でさほど多いとは感じられません。
しかしこれからもコロナウイルスが拡散し、8000人そして5000人にひとりというような割合になるとかなりその感染が自分たちに差し迫っていることがわかるでしょう。コロナ禍においてうちのトレーナーや会員の人たちはジムが運営できるようにとひとりびとりが気をつかってくれています、出張や使用などで人ごみの多い場所に行った場合はきちんと2週間明けてくださり、日ごろからもそういう場所には近づかないように心がけてくださっていますが、今このコロナ禍においてもジムを運営できるのは皆さんのおかげだと感謝しています。しかしコロナウイルスは拡散し、高知県も6日連続で2桁の感染者を出しています。ジムが守るべきことは皆さんと家族の安全そして社会的立場、そういういったことがおびやかされるようであれば私どもにとっては不本意であると思います。どのように注意していてもコロナウイルスに100%かからないという保証はありません、今後はどうなるか予想できませんが、その広がりに注意しつつ、確率的なことを基準にして、ジムには専門家の人たちがいますのでアドバイスをうけつつ、運営していますが、みなさんの安全と立場を守るために休会することもありますのでご了承ください。

この時期に時間をつくって楽しんできてくれている、そしてきちんとルールを守って、他人に配慮してジムの運営に協力してくれている人たちには申し訳ないことですが、しかし我々が守るべきことは会員の人たちの家族の安全と社会的立場ですのでご理解いただけたら幸いです。現在ジムは運営できていますがこれからもご協力よろしくお願いします。

ジムの情報などはFacebookや日記に掲載していますので引き続きご覧になってください。


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スポーツの団結力と教育で学ぶ団結力は違う

2020-12-04 | Weblog
ジムに入る前は体温をチェックします。37度以上はジムでトレーニングできません。入ったらアルコールで手と指先を消毒してください。ジムではガイドラインを参考に行動してください。また水分補給は十分におこなってください。 アルコールは70%から75%のものを使用しています。

だいぶ前にCMか何かでおもしろくなくては学校ではないとか言ううたい文句の宣伝があった。私の意見では学校なんておもしろいところではない、おもしろくなかっても最終的に行ってよかったと思うところ、生徒様に来てくださいと言うところではない。
うちのクラブの人たちは進学校に行っていた人が比較的多いが、こういう時期だからこそきちんと机に座って人の話を聞いてきた人間とそうでない人間の差が出る、いわゆる学校教育の大切さを実感している。
ずばずば言うがこの時期学校教育を無視して好きなことをやってきたDQNとかやんちゃですの行動はあぶなっかしくて、そういう輩がジムにいるだけで不安をおぼえる。こういう人たちは基本的なことができていないので、きちんと人の話を聞いて、報道機関や政府が言っているような一般的な意見をきちんと聞いて行動できない、何事も自分で勝手に判断する傾向があると思っている。
どこかで聞いてきた偏った自分にとって都合のいい話を聞いて、そこだけとってさもそう行動するかが正しいと言わんばかりに、コロナはインフルエンザと同じだとか、かかっても重傷者は少ないとかよくわからないが自分勝手な持論を展開する、おそらく災害時に行ってはいけないところに行ったりして他人に多大な迷惑をかけるのはこの手のタイプである。

しかし一方学校教育できちんと人の話を聞いてルールを守ってきた人たちは何をしてはいけないか、何をしたらいいのか、そして曖昧なことはきちんと聞いて判断する、こういうことをしたら今まわりに迷惑がかかってしまうということよく考えて行動してくれるので安心できるのだが、うちの会員の人たちはほぼ、自分がうつらないという視点ではなく、人にうつしたら迷惑がかかると言う視点を持っていて、かなり気をつかってくれるのだが、そういったことは彼ら彼女らの学校生活と無関係ではないと思っている。

学校と言うところは生徒目線で楽しさを追求するところではない、勉強して、そして何よりもそこで社会のルールを学ぶ、そしてそういう中で自分たちがどのように学校生活をエンジョイできるかと言うことを考える場である。

今再びコロナウイルスが広がりつつあるが、確かにコロナはいくら気をつけてもかかるときはかかる、この前ある会員の人が言っていた「これだけみなさんが相手を思いやって行動してくれているのだからかかっても仕方がない、誰も責めることなんてないと思います」と、確かに私もそうだと思う、これからも彼ら彼女らの行動を信じて、そしてまず第一に彼ら彼女らの安全と社会的立場を考えつつ、これ以上運営が無理だと思ったらすぐにひいて、みなさんの行動と信頼を裏切ることなく慎重に行動したい。

そしてこれからも自分は大丈夫ではなくて、自分がもっていてうつしてしまったらという視点で相手を思いやる気持ちを持って行動してほしいと思う。マスクはうつらないのではなくうつしてはいけないためのものである。

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Save Hongkong people!

2020-12-03 | Weblog
ジムに入る前は体温をチェックします。37度以上はジムでトレーニングできません。入ったらアルコールで手と指先を消毒してください。ジムではガイドラインを参考に行動してください。また水分補給は十分におこなってください。 アルコールは70%から75%のものを使用しています。

今香港で人権が蹂躙されている事態が起こっているのに、テレビでは不倫会見、これだけの事態になっているのに日本のマスメディアは芸能、スポーツ、あげくのはてにはサルが出たかよ。こういう時、日本人は外国で起こっていることに関心をもたない島国で、単一民族だということが理解できる。正直半分外国人の私はこういう報道のあり方にすごく不安をおぼえる。ここ最近外国人が増えて来ているのに関心ごとと言えばゴシップネタや芸能、スポーツのこと、日本で生活している外国人は欧米人だけではない、アジア人やその他のマイノリティも生活していて彼ら彼女らは日本人の隣人である。最近韓国人には芸能ごとに関心を持ちだしたら、話題になってきたが、しかし日本人は芸能とかスポーツ以外では他国のことについては無関心だ。香港人留学生たちが新橋駅前で日本人に支援を訴えるデモが行われた、しかしそのことはテレビではほとんど取り上げられていない。しかしチベットやウイグル地区や、そして香港で起こっている人権蹂躙は遠い国でおこったことではなく、我々の隣人におこったことである。
日本人は欧米人だけではなく日本人はもっと多くのアジアの隣人を意識すべきである。半分外国人の私は外国人特に香港人のようなアジア人が置き去りにされていることに不安をおぼえる。もはや今は日本に住んでいるのは日本人だけではない、ある特定の仕事などは多くの外国人、特にアジア人が担ってくれているが、仕事やビジネスそして生活なども多くの外国人によって支えられているのも事実である。
これは私のアジア人の友人が言っていたが、彼女が留学に来てアルバイトをした時の話だ、接客で注文をとったところ、外国人だとわかったとたん、犬を追っ払うようにしっしっと手で合図されたようである。おそらく日本語がわからないと思われて面倒くさいからそうしたようであったが、しかし今の時代はたとえたどたどしい日本語であっても多少英語がわかれば、その共通語をつかってやりとりをするのも必要なことだと思っているが、事実私は日本語がたどたどしい人がいたら英語でやりとりするようにこちらから、英語がわかれば英語でいいよといっている。日本に来て犯罪をおかす外国人、そういう奴らにはそれ相応の刑罰を与えてやったらいいと思うが(私などは人身売買やえげつないことをするやつらに関しては江戸時代の刑罰を適応させてやったらいいと思っているが)しかしまじめに仕事をして一生懸命隣人になろうとしているアジアの人たちもたくさんいる、そういう隣人にもっと関心を持って隣人の役割をはたすことは必要なことだと思う。

私の友人の香港人が自分たちのことをホンコニーズと言っていたことを思い出す。台湾人はチャイニーズではなくタイワニーズ、それと同じような意識があると思う。Save Hongkong people! 


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Joyeux Noël(ジョワユー ノエル)

2020-12-01 | Weblog
 

ジムに入る前は体温をチェックします。37度以上はジムでトレーニングできません。入ったらアルコールで手と指先を消毒してください。ジムではガイドラインを参考に行動してください。また水分補給は十分におこなってください。 アルコールは70%から75%のものを使用しています。

もう12月、クリスマスまであとわずか、欧米ではたぶんアドヴェントを迎えていると思う。この季節巷ではクリスマスのイベントやセールにむけてにぎやかになるが、クリスマスは宗教とは関係なく日本でも重要なイベントである。クリスマスはキリストが生れた日、そしてこの誕生を喜びの日として全世界が迎えているが、しかしこの日はそのキリストをめぐって嬰児が大虐殺された日であることを知っているだろうか。その出来事はバイブルに記述されているが、事の次第は当時王様に君臨していたヘロデと言う王が「東に新しい王様が誕生する」と言う予言者の言葉を聞いたことによるものだ。そして彼は、それを信じてそれでは自分の身があやういと、保身のために場所を探させ、そしてそのあたり一帯の嬰児たちを皆殺しにしたのがクリスマスに起こった出来事だ。実は私はこの話を当時仲の良かったジウンにしたことがある。「こういうめちゃくちゃな話があるので、俺はクリスマスを祝えない」と、でもジウン曰く確かにこの日、大虐殺があった日であるかもしれないが、しかし、イエスの誕生と言うのもある意味犠牲的なもので、ごたごた書くと宗教くさくなるので、かいつまんで言うと、神が人としてのかたちをとってこの世界に到来したのは人類が愛し合うためであり、そのために神は自らを喜んでささげて人間のための犠牲となった。彼ら彼女らの言う基本的なLoveと言うのは惜しみなく与えるもので、それがGod's loveだ、そしてそのことを知ることが大事だと言う。さらに彼女は続けて言った。ホヨン、クリスマスはプレゼントをもらう日ではない。プレゼントを与える日だ。この日は子供たちはプレゼントをもらう日だが、でももらう子供たちよりもそれを与える大人たちの心が満たされる、この日はもらう喜びよりも与える喜びを知る日、ここにクリスマスの貴重なメッセージがある。

私は基本的にクリスマスはお祝いをしない。なぜならこの日多くの生まれたての嬰児たちが大虐殺にあった日であるからだ。だから私はこの日はその嬰児たちをおぼえてクラブの名前で募金をするようにしている。クリスマスは家族団らんで集まってケーキを食べたり、教会に集まって自分たちはなんて幸せなんだと思うのもひとつのあり方だと思う。でも大事なことは我々は何かをもらうのではなく、与えなくてはならない、与える喜びを知る日だ。私が募金するのは決して喜びとかそういう傲慢なものではないが、しかしこの日いろいろな世界の子供たちのことをおぼえて、それに目を向けて少しでも協力できることで、いくらかでも心に安心感をおぼえる。たぶんその安心感は、与えあうことで人間は満たされる、人間は与えあって支え合う生き物なんだと言う天上からのメッセージだと思っている。

今日あげた動画はVeni, Veni, Emmanuelこの言葉はラテン語の言葉でVeniはカエサルのガリア戦記にも出てくる有名な言葉「Veni, vidi, vici(来た、見た、勝った)と同じ言葉が出てくるが、Veni, Veni, Emmanuelと言う言葉の中に神の到来を待ち望んでいる様子がうかがえる。ジウンが私によく言っていた。それは「人間には見えるタイプの人と見えないタイプの人がいる。そしてあなたは見える人だ」と。私は決して特定の宗教は支持しない。けれどもいろいろと体験をしていく中で、自分が何か大きな存在にぶちあたる、それを一般的に神と言うのだろうかわからないが、多分この世には我々の人智をこえた正義、何かがあると信じている。





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