あるテニスプレイヤーが観客のためいきがテンションをさげるからやめてほしいと言うようなことを言っていた。
私も以前日本人が人が弱気になったり、まけそうになった時などに、がんばれとさも同情するかのような応援に対してよくわからないというようなことを書いたことがあるが、スポーツをしていて人に同情したり共感しようというような気持ちを持つのはおそらく日本人独特の性質で、たぶんそういったことがため息と言う行為に表れているのだと思う。
私自身はそういう感情はわきあがってこないのだが、日本人は応援するときに負けるなということを言うが、これはいいかわるいかは別にして、戦っている相手に対してなぜ負けるなというマイナス的な言葉で応援するのか理解できない。
韓国ではこういう時イギョラ(勝て)と言うが、日本人がこういう表現をするのはたぶん彼ら彼女らが島国で生まれたからだと思っている。
作家のオンソンファさんだったと思うが、日本の相撲と韓国のシルムと違って土俵に出たらまけになるのだが、その感覚を韓国人は理解出来ないと言っていたが、おそらくそれは日本人が海に囲まれて生きていて、外の世界は未知の世界で、すなわち外に出てしまうことの危機感から気持ちが内に向かっていくのではないかと思っている。
「子供にボクシングを競技させることは愚行である」
そういうことを奨励している人間を見たらわかるが、決して賢いとは思えない。そういう乱暴なことで成長すると考えているような奴は本当にバカそうな顔をしている。
最近ボクシングに力を入れている国はアムネスティで問題になっている国で、こういう人権を理解しない国が子供のころからアドバンテージを持たせるために鍛え上げるのであるが、はたして頭蓋骨が大人にくらべて柔らかい子供にそうさせることが正しいことなのであろうか?
スポーツの原理は競争である、そしてその場合の競争はあくまで自由競争でなければならない。言わずともここで言う自由競争と言うのは中国のようにそれが国に指定されて、それ専門に競技する人間をつくることではない。
日本人は中国のように子供から育ててなんてバカなことを言っているが、こういうことを言うのは本当にバカで子供の人権と言うものを本当に考えてはいないと思う。
前にも言ったが欧米ではそういうことをさせるのは大人の問題であって、大人が子供にボクシングを競技さえるのあたっては医学的なことや倫理的なことを考えて判断しなくてはならない。
しかしそれでも日本と言う国家はスポーツをする権利があるのだから、アメリカのようにきちんと何が危険であるか、そしてもし競技を続けた場合には死んだり、重度の障害にもなるうる可能性を説明して、コントラクトにサインをさせる必要があると思うのだが、たぶん欧米社会では子供にボクシングを競技させた場合はこういったことが問題になってくると思う。
話はアメリカの話になるが、アメリカでは小学生のころは4つぐらいスポーツをかけもっている。
日本だったら考えられないことだが、4つも競技できるのは実践から競技に加わっていくからで、向こうでは小学生のころから基本とか言って素振りのようなことをさせることはなく、まず競技をさせてスポーツをする楽しさを教えることからはじまるのだ。
日本のスポーツはどう見ても修行である。その修行を子供にもさせるのだから異常である。
最近では何とか明るい雰囲気を作ろうとしているが、しかし私から見たらそういう雰囲気は実際に経験しないと理解できないもので、今のボクシングの指導者には海外で何年も競技していたなんて言うような人間はいないので、時にはそういう雰囲気がかえってしらじらしく見えるわけで、それはまさに新興宗教の集団に見えることさえあるのだが、本当にスポーツを修行の場にしたくないのならば、まず人権と言うものを理解して、宗教の勧誘でもないのだから、これが一番で競技人口を増やしていかなくてはならないなんていうことを思わない、自分も楽しんでやればいいと思っている。
私はアメリカと日本の決定的な違いは競争の原理にあると思っている。私が学生時代に競技していた州も毎年練習試合なども含めて試合がかなりあったが、向こうでは試合などで競争させていい選手を選出する。すなわち競争の原理の中で残っていくことがいい選手の条件である。
*アメリカの場合は競争が主体なので、もし競技人口が少なくなれば資源とその競技は淘汰されていく、それは仕方がないことで、アメリカのアマチュアボクシングの低迷はその競争の原理に基づいてである。
しかし日本はどうか、よくいい選手を育てるというが、たぶん子供にボクシングをさせるのも子供のころから育てていい選手にしていくという発想からだと思うが、しかしこういうシステムが根付いてしまったらスポーツ自体が閉塞的になり、一度そのスポーツをはじめてしまったら、ほかのスポーツがやりにくくなるというディスアドヴァンテージが出てくる。
まさにこういうシステムの中で、何も考えを持たないバカが、今はやりのほめてその気にさせれば子供はその気になって将来は世界チャンピオンなどとその気になるが、しかしこういうつくられたシステムの中で本当に子供が自発的に意思を持って楽しいと思えるのかは疑わしい。
まあ何とかの弟子とかいう奴は、よく飼いならされている。そういう奴らを見ていたらわかるが、子飼いになって育てられたというような奴はたいていは素直なバカ、人から言われてコピーしたことは言えるが本当に自分の意見を言うことができない。
親玉の言うとにただハイハイハイと言葉をかえす姿を見ると、ハイがワンに聞こえる。
まあ聞いているふりをしているこずるい奴もいるのだろうが、そういう人間がそろった世界だから英語が話せない、海外に出ても何も意見を言うことができないのだ。