脱あしたのジョー

MTオリーブフィットネスボクシングクラブのブログ

MOBは個性的なボクシングクラブだ

2021-02-25 | Weblog
ジムに入る前は体温をチェックします。37度以上はジムでトレーニングできません。入ったらアルコールで手と指先を消毒してください。アルコールは70%から75%のものを使用しています。 ジムではマスクを着用してトレーニングしてください。尚マスク着用に関してご事情のある方は遠慮なく申し出てください。

話は私の学生時代の話であるが、私の競技人生は大した実績ではないが、それでもすごく楽しかったと言える。私は日本は素晴らしい国だと思っているが、しかしスポーツは発展途上国だ。よく言っているが面倒くさいのは監督がお父さんで皇帝のようにふるまう家父長制のシステムだ。強豪とか言われれば言われるほど監督が威張っていて、自由度がひくいと理解しているが、そこではみんなが同じようにふるまい行動する、同じように行動するから恰好も髪型も同じようだ、そういう中に入って一緒にやっていくには非常にきついものがある、だから私がもしまた再び生まれてもここでは絶対にやらないだろう。

うちのクラブに来たらわかるがうちのクラブは個性がある。
私がいたジムのように時々クラブのようなノリになるようなかっこよさはないが、しかしお笑いの雰囲気満載、時間帯と集まるメンバーによってはテレビのバラエティの収録で、そういうノリでひとりびとりが楽しくトレーニングできていると思う。これはある人が言っていた、運動クラブ系ではマスやミットうちなどは監督やトレーナーが半ば指示してそれをさせるが、うちのクラブは「マスをしませんか?」とか「次ミットうちましょうか?」と相手に尋ねてくれるのでやりやすい、うちのクラブにはおおよそ格闘技とは思えない雰囲気があるがこう言ったことも我々が持つひとつの個性であると思う。さらに英会話を提供しているボクシングクラブなんて言うのもユニークで他にはないアドバンテージである。うちのクラブにはボクシングのトロフィーやポスターと言った類のものはおいていないし貼っていない、これはもう10年ぐらい前から言っていることであるが、そういうものを置いたり貼ったりしないのはここではボクサーが主役でなく、ダイエットの人も健康維持の人も含めて会員ひとりびとりが主役ですよと言う意思表示である。
海外に行ってわかることは、多様性を認めると言うこと、そして軋轢をおそれず自分自身を主張していくことが大事だと言うことだ。自分を主張していくことに関してはまたのちに話したいが、ジムにはたくさんの人たちがトレーニングしている、性別や年齢、国籍も違うし仕事も違う、そう言った人たちが時間をつくってここでトレーニングしてくれるが、その目的もまた様々である。そういう人たちが集まってそれぞれを認めて協力し合ってトレーニングしている、それがMOBの個性である。女性やおっさん、そしてダイエットや健康維持の人たちがある時間帯に行くと練習生とか言うのがバリバリやっているので行きにくいとか、遠慮してしまうようでは平等とは言えない。うちのクラブはいつ来てもだいたい女性がトレーニングしているが、そこで堂々とトレーニングしている、堂々とトレーニングできるから一般のボクシングクラブにこれだけ多くの女性が集まるのだと思っているが、それがうちのアドバンテージ、個性であってこれからもそうなり続けるように努力していきたいと思っている。



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Dance to Groovy music

2021-02-21 | Weblog
ジムに入る前は体温をチェックします。37度以上はジムでトレーニングできません。入ったらアルコールで手と指先を消毒してください。アルコールは70%から75%のものを使用しています。 ジムではマスクを着用してトレーニングしてください。尚マスク着用に関してご事情のある方は遠慮なく申し出てください。

話はボクシングのトレーニングの話になるがトレーニング中は音楽をかけてトレーニングするのはもはやボクシングの常識的なこととなっている。これは私の学生時代の思い出、ジムにオギと言うハワイアンがいた。彼はのちにピーターの話によるとDJになったそうだが、そういうわけだから彼は音楽のセンスがよくて、トレーニングの音楽は暗黙のうちにほぼ彼が担当していた。
みんな彼の持ってきたラップなどの音楽を聴きながらトレーニングをするのだが、さすがハワイだと思ったのは、のりのいい曲が流れると踊るようにシャドウをしたり歌いだしたりすることだ。中にはどう見てもゴキブリが殺虫剤をかけられてのたうち回っているブレイクダンスまがいのダンスを踊るやつもいたが、時々トレーニングが盛り上がりライブハウスのようなのりになる、一体俺たちは何をしに来たのかわからなくなるが、彼のおかげでドーパミンを最大限に放出、テンションを上げて楽しいトレーニングができたと思う。

個人的な意見だが、当時私のいたところと日本人のアマチュアボクシングの動きは違う、日本人のボクシングはほぼみんな同じような動きをする、まあ地道なトレーニングをコツコツとできるので、その強さはあるだろうが、しかしどちらかと言うと動きそのものは武道、一斉に基本とか言って徹底的にみんな同じことをさせると、その一つのかたちがインプットされてしまって、それが同じようなボクシングをする要因なるのだと理解しているが、みんな同じようなボクシングをするのはトレーニングで型ばかりを重視してリズムをつくっていないからだ。トレーニングでリズムをつくるということは大事なことだ、うちのトレーナーはボクシングはダンスだ、ダンスができない奴はボクシングもへただと言っていたが、ボクシングにおいてリズム感を養うことは大事なこと、音楽を聴いてトレーニングするのはリズムを養うためだ、そこを意識するのとしないのでは大きな差があると思う。

当時とあるビルの最上階に今でいうクラブみたいなものがあって、そこから見る見晴らしがすごくきれいで土曜日の夜、時々行っていた。しかし私はリズム感がないので踊れない、踊れないからちびちびと飲めないビールを飲みながら夜景を見ていた。しかしジムのトレーニングと共に次第にリズム感がついてきたのか、ある時をさかいに踊ってみたら自然と体が反応する「うわっ俺踊れるじゃないか」と感動、一応できたことを確認してそれでもやはり東洋人は控えめで、そういう場所では10分ぐらいで満足してまたちびちびと飲めないビールを飲んで満足したが、オギのおかげでリズム感が養えた、このころにはだいぶボクシングも上達していたと思う。

確か宮本武蔵の5輪の書に「拍子をよむ」と言うのがあったが、拍子とはまさにリズムのこと、日本人が時々変則的な外国人に面食らうのは、自分たちとは違う奇想天外な動きをしてくるからで、それはリズムがつかめないからだ。
よく日本人は自分の何々しろ、例えば自分のボクシングをしろと言う、しかしこういうことは私は言われなかったし、英語圏にはこういう表現はないと思う。アレンはよく相手のリズムをつかんで、自分のペースにもっていけといっていたが(ジョージはぶちのめせだが)、やはりボクシングにおいてはリズムをつかむことは大事なことであり、上達する上では不可欠なものだと思っている。



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Papio hamadraysなやつら

2021-02-15 | Weblog
ジムに入る前は体温をチェックします。37度以上はジムでトレーニングできません。入ったらアルコールで手と指先を消毒してください。アルコールは70%から75%のものを使用しています。 ジムではマスクを着用してトレーニングしてください。尚マスク着用に関してご事情のある方は遠慮なく申し出てください。

うちのクラブは平和である。平和と言うのは暴力的な要素がない、ヘタレやびびり、そして女性も安心してトレーニングできる環境だということだ。
そういう平和な環境でジムを運営していく上で招かれざる客がいる。もちろんDQNはそうだが、やっかいなのは目立とうとする元ボクサーとか格闘技経験者、そういう人間に限って1、2回勝ったぐらいの小さな実績を針小棒大に語って自慢する、特にうちのような未経験者が多いジムではそういう話しを刃物のようにちらつかせてアドバンテージをとろうとするのは近寄りがたいし、厄介である。
こういう類の人間は自分の存在感を認めさせる居場所を求めているから厄介だ、過去の吹けばとぶような小さな栄光、コンプレックス、ルサンチマン、はっきり言って管理者がアホで同じような性質だと、こういう厄介な輩を集めやすい。こういう類の人間は世の中ではたいしたことがない、認められないのがわかっている、わかっているけれども認めたくないから数で集まって常識や価値観をかえて自分たちの常識や世界観を通そうとしている、それゆえにこういう輩が集まると仲間意識が強くなり、結束がかたくなるのだと思っている。こういう人間がジムに集まって来て跋扈したらまわりに迷惑がかかる。はっきりいって自分の時間をつくってせっかくジムに来てトレーニングをしているのに、たかだかボクシングをやっていたというだけの人間に気をつかわなくてはならないのかわからない。健康維持やダイエットよりも競技者が上だとダイエットを軽く見ている人間がいるが、健康維持やダイエットの人も仕事のためそして自己管理のために一生懸命努力しているし、むしろ仕事のために自己管理できるのはプロフェッショナルとして尊敬されるべきことだ。ものさしが小さい自分が人よりも上になることだけしか考えていない、人を尊重できない人間ははっきり言って迷惑だ。

Papio hamadraysなやつらは、かりそめの強さを強調するが、しかしすべてのことは対極にある、弱さがわからん人間に強さなんてわかるはずがない、強くなりたい=暴力は害だ、本を読まない、勉強しないからそういう発想でしか物事を理解できないのだ。武勇伝を語ってアドバンテージをとろうとする人間は自分の存在を認めさせることしか考えていない、所謂相手を認める、譲るということができない未熟な人間である。そういう人間が何人か存在したら、ジムの雰囲気はわるくなる。私は人間が強くなるのは、弱い人間が集まることだと思っている。ひとりびとりは弱い存在であるが、弱いからこそその人の弱さがわかるのだ、その弱さを認めて互いを思いやり、助け合う気持ちを持って集まることは大きな力になると信じている。
ヘタレ大歓迎と言うのは弱いからその人の弱さや気持ちがわかり、そしてそういう安心できる場ではその人が持っているそのビビりやヘタレ度が思いやりや気づかいと言うアドバンテージにかえられるからだ。うちのジムが平和なのはヘタレやビビりが多くて、それを認めることができるからだ。


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今日読んだアーレントと10年後に読むアーレントは違う

2021-02-15 | Weblog
予備校の講師ではないのだが、中高生から英語の質問をされたり、受験の相談をうけることがある。だいぶ前に勉強がはかどらない、自分は理解力がとぼしいのではないかと悩んでいた子に相談された。おそらく彼女に関して言えばふたつのことが問題になっていた、ひとつは受験は今と言うスパンで理解を求められること、彼女は要領がいいとは言えないのでそれについていけていない、小説が好きだと言っていたので、機械的に覚える日本のそういうシステムにあわないのだろう、もう一つの要因はそういったことで余裕をなくしているのか、閉塞感が伝わってくる。おそらく今自分は勉強しなくてはいけないというようなそういう雰囲気であったと思う。その時私は彼女にもう少し余裕を持った方がいい、今はまだ追い込む時期ではないので、オフの日をきちんとつくって自分のやりたいことをやることも大事だと言うようなことをアドバイスしたと思う。

勉強しているすべてのことは日常と無関係ではない、英語や国語、そして歴史や化学すべてのことは我々の生活とかけはなれたものではなく、関係しているのだ。机にすわってそれを理解するだけでは限界がある、運動をしたり、いろいろな人と話して経験値をあげることは大事なことだ、家に引きこもって勉強してもそういう経験値がひくいと行き詰ってしまう、受験勉強だけではなくたまにはスポーツをしたり趣味に興じることは大事なことだ、日常の経験値をあげることで理解が深まることもたくさんある。学校でも帰宅部よりも運動をする人の方が勉強できると言う話はよく聞くが、やはりそれはただ机に座って勉強するよりもいろいろなことを経験したほうが理解が深まるということを示唆しているのだろうと思う。

前に大阪のおばさんは会話でいきなり「あのな買ってん(この前言ってた)、安かったわ、赤いから気にいってん」と意味不明なことを言ってくると言うことを言ったが、これも動詞をいきなり前にもってくるので一種の倒置であるが、大阪のおばさんは日常でよく普通に倒置を使っている。倒置と言うのを文法上で理解すると参考書で見る限りはすごくややこしいものだ、しかし日常では普通に使われているのであって何ら複雑なものではない、ただ言いたいことを言っている表現にすぎない。机にすわっているだけならば文法上の理解しかできないので行き詰まることもあるだろう、しかし少し発想をかえて倒置は文法じゃなくて会話、そうとらえるとまた違った理解の仕方ができると思っている。

学問すると言うことにおいて日常的な経験値を高めることは不可欠なことだ、これは私の経験でもあるが、今わからないと思っていたことも5年、そして10年に理解できるようになる、それは勉強とは別の経験値が理解の幅を深めて理解することに結び付いているからだ。さらに言うと今読んだ本を10年たって読み返したら内容が違う、読書も自己啓発とか前回言ったスポーツ選手の小学生レベルで読むものではなく、難解で10年後に読んだら内容がかわるそういう生きた言葉で書かれた本を選ぶことだ。

さらにスポーツしかできないと言うのは論外であるが、もし人間がパスカルの言う考える葦であるとしたならば、スポーツをしたり、趣味に興じたり、人と会話して楽しい時間を過ごすと言うことは、その人間の考え方や人間の幅を広げる上では非常に大事なことだろう。今わからないと言うのは理解力の問題ではなく、経験値の問題である。受験は今を問題にしているが学問は今ではなくこの先未来を問題にしている、だから受験で志望校に入れなくてもダメだと思わない、受験は今理解を求められているので個人差があるが、しかし長い目で見て、この先経験値を積んでもっとさらに自分が進歩していくことで同じ到達点にたつことができるのだと言うことを信じてほしい。うちのまわりには多くの受験生がいるが大学に入ると言うことは勉強しに行くのだから、今と言う受験のスパンで自分をはからず、個人差はあっても到達点は同じ、ダメな人間なんていない、それが遅いか早いの差、自分、いや自分の未来を信じて、自分を大事に学問を続けて、学生生活を精一杯エンジョイしてほしいと願っている。




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本の読み方 

2021-02-12 | Weblog
ジムに入る前は体温をチェックします。37度以上はジムでトレーニングできません。入ったらアルコールで手と指先を消毒してください。アルコールは70%から75%のものを使用しています。 ジムではマスクを着用してトレーニングしてください。尚マスク着用に関してご事情のある方は遠慮なく申し出てください。

Facebookで時々本の紹介をしているが、本を読むと言うことは人間が成長するためには不可欠なことだと思っているからだ。指導者のレベルを知りたかったら自分が読んだ本で影響を受けた本、あるいはどういう本を読んだらいいのかということを聞けばその人間のレベルがわかる、もしその時何も答えられなかったり、自己啓発的な本しかあげられないようでは、考え方が薄っぺらい、私のまわりには会社を経営している人とか大手企業の役員レベルの人たちがいるが、やはりそういった人たちは本をよく読んでいる。
本は人間を成長させるものだ、だからその人にあわせて多少難解な本をすすめて読まなければ本を読む意味がない。特に若いうちはたくさんの本を読んで見聞をひろめなくてはいけないと思っているが、それをするかしないかで大きな差が出ると思う。英語のイディオムにHit the booksと言う言葉がある、日本語的に訳せば本をたたきつけると言うことで、もう勉強すると言う意味である。実際私もよく本をたたきつけたものだ、特に哲学はひとつのことを結論づけるのにあれやこれやとややこしい表現をして結論に至るのだが、時々本当にややこしい表現と言うか言い回しがあって、それを理解できずにおこって本を壁にたたきつけたものだ。しかしそれでも根気よく読んでいくと次第にそのことに共感できたり、いやこれはそうじゃないなと言う余裕ができるのだが、その時もうひとりの自分が出て来て客観的に物事を見ることができるようになる。そういう考察ができるように本を読んで鍛えてもらうのだ。
そういう意味ではスポーツ選手の伝記みたいな本はおすすめできない。学生時代に勉強したり、本を読みなれている人は別として、自己賛辞とスポーツ自慢のそういったたぐいの本は刺激はうけるが熟考できない、いい年をした人間がおすすめの本を聞かれて自己啓発本やそういうたぐいの本しかあげられないようでは恥ずかしい話である。
指導者と競技者は一対一の関係で接するのだから、その指導者がアホだと同じような人間が集まってくる。きつい言い方だが、そういう人間を教育を受けた人や社会的立場のある人が情以外で相手にすることはない、その群れをコミュニティとして機能させたかったら、その人たちと同じ目線に立ってひとりびとりを理解して、客観的な意見を持つことだ。
本を読むと言うことは人間の考え方の幅を広げる、指導者レベルの人間は競技者目線でしかものごとを見るのではなくて観客目線で広く見ると言うことも大事なことだと思う。



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추억만이 남아시간이 흘러지만(思い出だけがたくさん残り、時間が流れるけど)

2021-02-05 | Weblog
ジムに入る前は体温をチェックします。37度以上はジムでトレーニングできません。入ったらアルコールで手と指先を消毒してください。アルコールは70%から75%のものを使用しています。 ジムではマスクを着用してトレーニングしてください。尚マスク着用に関してご事情のある方は遠慮なく申し出てください。

最近スポーツの世界もかなり女性の立場が顧みられることについての発言が目立ってきた。確かにスポーツはまだまだ男尊女卑のしきたりのようなものがある、例えばマネージャーはまわりの世話役、縁の下の力持ち的なポジションで昔から女性がその役を担ってきたと思うが、マネージャーと言う仕事はどちらかと言うと日本人が理想とする女性らしさが求められるポジションだ、前から言っているが日本の一番問題なのはシステムが家父長制だということだ。監督がお父さんでそして部員は子供たち、私から見たら何か変な世界が出来上がっている。寮生活を義務付けたり、監督の家に住まわせたり、強くなるためにはそうしろ、教えてほしかったらそうしろというのは横暴で私から見たら洗脳に近い。
うちのクラブはスポーツ共同体である、我々は年齢や性別、国籍、いろいろな人が持っている立場をこえてスポーツすると言う一つの目的をもって集まっている共同体、それがMOBである。
私は日ごろのストレスを発散させる場として運営しているが、目的がかわればそのやり方もかわるだろうが、大事なことは全体がその一つの方向に向いているかと言うこと、その方向に向かわなければいらぬ派閥やヒエラルキーが存在して不平等が出てくる。
うちのクラブではまず強者をつくらない、うちのクラブにはボクシングの賞状とかポスターや写真のようなたぐいのものはない、ボクシングがうまいとかそういうことが重要なことではなく、ひとりびとりがここでは主役でボクシングを楽しむ権利があるからだ。ふけばとぶようなアホな実績を壁にはったとて誰もそんなものには関心がない、中身のない人間はそういうことをしたがるが、はっきり言ってここでの主役はすべての会員、俺は何とかチャンピオンだとかエントリーが少ない大会で何々で優勝したと吠えてもみじめなだけ、ユダヤのことわざに「殻のツボほど大きな音がする」と言うことわざがあるが、ボクシングと言うルーラーだけで優劣をはかると、くだらない輩が跋扈する、そういう輩が出ないようにみなさんが安心してトレーニングできるように考えるのが私の仕事だ。私自身みなさんが主役になるようにきちんとその人の特別なすばらしさを見てレスペクトしている、人間はすべての人が年輪を持っている、その年輪はその人だけが体験した貴重なことで、我々のような社会的集団はボクシングよりもむしろそこをリスペクトしなければならないと思っている。ひとりびとりの価値を認めて集まっているのがMOBである、だからここに来た時は堂々と楽しくトレーニングしてほしい。

さらにジムで弱い立場の人を考えてサポートする。ジムでは女性とかにこだわらずどのような人たちが弱い立場かということを考えて配慮すべきであると考えている。格闘技はまだまだ男性優位な世界である。だからうちでは女性を基準に、こわがったり、いやがるようなことはしないさせない、裸でトレーニングしたり、奇声を発したり、けんかごしになぐりあうなんていうのは言語道断、武勇伝やスポーツ自慢なんてbullshit、うちでは乱暴な人の入会はお断りしているが、乱暴な人とはまさにそういう類の人のこと、普段からあいさつとか礼儀とか言っていてもこういうことを容認するのはコミュニティとしての質がわるいと思う。

ハワイの学生生活はすごく楽しかった。今でも思い出すのは試合の後にピーターの車でハンバーガーを食べながら海岸線沿いをドライブして帰ったことだ、夕暮れの海岸線はすごく気持ちがいい、さわやかな風にあたりながらたわいもない話をしながら帰って行ったことは今ではすごくいい思い出だ。私には先輩にしごかれたとかいじめられたようなそこでしか通用しないような意味のない思いではないし、理解もできない、私の経験は小さな島の小さな体験かも知れないが、しかしその経験は自分の貴重な経験だったと思っている。
ジョージが声をかけてきてくれたことではじまった彼と二人三脚で歩んだボクシング、そこそこ強豪のアメリカ人と対戦して勝った時は、単純だが、東洋人も彼ら彼女らと対等にやれると思ったし、メダルも取れた。そういった経験が私の中で自信になっていったことは確かである。けれども自分の実力なんて相対化されればされるほど小さくなっていく。そして一生懸命やればやるほど、自分の限界や現実を受けとめなくてはならない時があるのだ。人間は前に進むためには、時には大切なものを捨てなくてはならない時もある。でもしかしその捨てたものが正しければ年とともに思い出となり、その人の年輪となる。それは決して今しがみつくものではないが、それが年をとって思い出となって自分の軌跡を振り返った時に、自分の生きてきたことはよかったんだと振り返ることができる。それが年を取ってからの人間の幅や自信になると思う。私は本当に向こうでは小さい存在であったと思う。そしていくら頑張っても認められることはなかったそういう平凡なちっぽけな存在である。けれども一生懸命挑戦することで自分の軌跡をのこすことができた。そしてそのことを今振り返って後悔はない、それは私を語る上での本当の年輪になっていると思う。



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