脱あしたのジョー

MTオリーブフィットネスボクシングクラブのブログ

チェグル イルゴラ 本を読め

2013-06-29 | Weblog
土曜日友達のハワイにいる友達のアメリカ系韓国人とスカイプで話をした。
ハワイと日本の時差は19時間ある。だからこっちが午後2時ならば、むこうは午後の7時頃、土曜日と月曜日はその時間は比較的開いているので、ハワイの人間とはだいたいその時間に話すことが多く、実際ボクシングの情報を得るのもスカイプを使ってであるが、この通信システムは非常に便利で仕事でも活用している。
そのハワイのボクシング事情であるが、最近では日本同様ケガにはうるさく、特に向こうでは子供のボクシングについてはかなり厳しい姿勢で見ているらしい。
この前も警察が行っている有名な大会に連盟が子供の出場を見合わせたようであるが、その代表が大会出場のキャンセルの理由としてこう言っている。
Weve always been concerned about medical report saying there is a potential for brain injury, and no one certain about the long team injury the sports might inflict.つまり疑わしきことはしないというのが連盟の姿勢であるが、これは今の教育現場では基本的なこと、この時参考に出されたのがAmerican Academy of Pediatricsの論文である。
私はこの論文に関しては前からこういう論文があるから読んでおく必要があると言ってきたのだが、向こうではかなり話題になっているし、医師会が出しているので影響力のある論文である。
しかし日本の連盟は子供のボクシングに対してそういう安全性を確認する根拠がないどころか、こういう文献すらも読んではいないのではないか。もし読んでいないとすればそういう人間に成長期の子供を預けることはかなり勇気のいることで、やはりこういう問題は医学的な問題であるから、ある程度医学的な説明がなされなくてはならないのではないか?
そのためこういう専門知識と向き合うことも時には必要であろうが、しかしそういうことをやらせているような人間がそういうことができるはずがない。多少なりともそういう姿勢があれば子供のボクシングに対してかなりの懸念を持つのだろうが、しかし逆に何も考えずに煽っているバカもいるぐらいで、アメリカの連盟のようにきちんと問題とは向き合ってはいない。こういう論文があることさえ知っていることさえ疑わしいもので、そういうレヴェルの人間が子供にボクシングをさせるのだからおそろしいものだ。
煽るような人間はわかっていて言っているのだろうか?
はっきり言ってそういう知識もないし、こういう問題とまともに向き合うこともできないので、どうごまかすかということだけでやってきているのであろうが、こういう体質にどことなくうさんくささを感じるのは私だけであろうか??
こういう体質だから、うさんくさいやつが集まりやすく、クラブ内で置き引きがあるジムがあると言う話を聞いたが、こういうことがあると言うのは、まさにアウトロー的な人間を引き寄せやすい体質があるからであり、その体質は言葉や言動によってつくられるわけで、指導者のレヴェルがひくくて、学問的なことに関心がないと、言葉や表現に限界があり、どことなくうさんくささやあいまいさがでてくるのだと思う。
もう少し全体の特にインテリジェンス的なレヴェルを上げていくことも、かなり重要なことだと思うが、こういう基礎知識がないと全体的なバランスがかけてくる。
はっきり言って今後のアマチュアボクシングの課題はメダルを取ることではなく、英語が話せる代表選手をつくることで、そういう競技者が若い世代の人たちのロールモデルとなる必要があるのではないだろうか。

話しはスカイプの話になるが、内容は仕事の相談、仕事のことだからこれ以上言うことはできないが、彼女は韓国からあるものを輸入したいということで、それを手伝ってほしいのこと、見通しがよければ手伝うつもりだ。
私はよく彼女と話す時は冗談を言うのだが、自分でも言うけど替え歌は得意中の得意、この前もBilly Joelのjust the way you areの替え歌を歌ってやったのだが、腹を抱えて笑っていた。
歌の内容はお下劣すぎるのでここでは書けないし言えないが、しかしこの歌は思い出ぶかい歌で、学生の頃カラオケで歌って音程をはずしてしまい、はじをかいてしまった歌である。
ハワイと言うのは日本人いなじみが深いところであるが、いたるところに日本人の功績と思われる軌跡がある。ハワイのサトウキビ畑を開墾したのは日本人だし、日系人は教育水準が高く、日系企業だってたくさんある。それゆえにベントウ、カラオケ、サクラのようにそのまま使っても通用する日本語が多く、アメリカで家の中に入る時に靴を脱ぐのはハワイだけだと思うが、ハワイは日本人にとってたいへん住みやすい場所である。





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I am a japaneseは間違っている?

2013-06-25 | Weblog
この前英語のレッスンで「I am a japanese」って言えるますか?と聞かれた。
たぶん学校では使わないと教えられる??が文法的には間違ってはいないので、シチュエーションによってはそういう使い方をする場合もある。
しかし「I am a japanese」と言う時と「I am japanese」と言う時は少しニュアンスが違う。
どう違うかと言うと国内にいて、外国人に「あなたは韓国人ですか?」と聞かれた時「 No I am japanese」と答える。しかし外国で「Are you korean」と聞かれたら「No I am a japanese」と答えることができる。
この違いは何かと言うと「a」の使い方にある。「a」と言うのは、いうまでもなく、ひとつのとか一人のということを表す冠詞である。
国内にいて「あなたは韓国人か」と聞かれてもそのほとんどが日本人なのだから、ひとりのということを強調する必要はない、よって「a」をつけると不自然である。
しかし外国にいたら民族がいくつもあって、自分たちは韓国人なのか台湾人なのか中国人なのか、はたして日本人なのかはわからない、よって自分はひとりの日本人だということを説明するために「a」をつけてもOKである。

最近は海外旅行に行く人なども増えて、英語を話す機会が増えてきた。ここにも今年の夏休みに休暇でハワイに行く人が3組ほどいるのだが、私はその人たちに有名なホテルは幽霊が出る。そのホテルは昔病院だったのでラナイ(ベランダ)がないのですぐわかる。自分が泊まるホテルのベランダがなかったら注意といっておどかしている。

私は仕事で外国語を使うので、英語などの言葉にはもうすっかり慣れてしまったが、むかしから横文字を使いすぎることをよしとしない人たちがいる。
日本にいるのだから日本語を話せよと思っている人は少なくはないと思うのだが、しかしこのグローバルな時代に何を言っているのだろうか、私はシチュエーションによっては、横文字を使うことをわるいとは思わない。特に会議の場であれば、外国人や帰国子女なんかもいるわけだから、そういう人たちにあわせて多少の横文字にも慣れておく必要があるのではないかと思うし(むしろ本当は英語を話さなくていけないが)、大学なんかのシンポジウムやパネルディスカッションなども日本人だけが参加しているとは限らないので、英語に関する横文字は共通語として認められるべきだと思っている。
確かにニュアンスを伝えるときに英語と言うのは非常にわかりやすく、例えば私がよく言うところのアカンタビリティなんて言うのは日本語にはない言葉で、あえて日本語に訳すと説明責任、企業などの団体が権限を行使する時にそれを受ける側に十分説明をしなくてはいけないという義務であるが、封建的である団体はこのアカンタビリティがかけている。
アマチュアボクシングのヘッドギアの問題などはまさにそうだが、アカンタビリティがかけているどころか、こういう言葉さえも知らないレヴェルの村社会ではないかと疑っているのだが、横文字に疎い手段は保守的でかなり的外れな考え方を持っているということは、このブログでも十分に説明したと思う。
しかし横文字をつかうと言うのは、日本人にはない文化を理解するうえでは非常にためになる。
もともと日本人の考え方の中になかったものなのだから、この横文字を使うことで、自分たちが理解できなかったあるいは知らなかった考え方や文化を知り、自分たちの文化や考え方の中にそれを吸収するということだ、これからの社会、特にスポーツは英語などの横文字を無視しては通用しない「ファイト」「ラスト30」はひどい和製英語、Hookをフックと言ったり、病院でもないのにダイエットと言ってみたり、ボクシングにフィットネスをつけて競技目的で運営する。こういう言葉にたいする間違いを見ても、横文字に対するセンスが見られない。
学習する気があるのかないのかはわからないが、はっきり言ってアマチュアボクシングレヴェルならば社会に出ていく必要があるのだから、もう少し学習してこういう間違いも直していく教育的配慮も必要ではないだろうか。























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英語は文法だ

2013-06-22 | Weblog
英語のレッスンで、withoutが出てきて、ああ確かマライヤキャリーの歌にあったね「I can not live without you」って、withoutは「何々なしには」と言う前置詞、訳してみて、そう言うと「えーっとliveは生活するだから、あなたなしでは生活できない」
「えっそこでliveをそう訳すか、それだったらたかりの歌だろ」
二人ともここで大笑い、英語のレッスンはこういう個性的な回答もあっておもしろい。ただ大事なのはこういうちょっとした間違いをおそれていてはだめ、もっと大胆に英語をつかって会話していくことが大事である。
コレアンは英語がかなり話せるようになった民族であるが、しかし向こうで英語の教師をつとめたアメリカ人が言っていたことだが、彼ら彼女らは、間違いを恐れずに英語を話している。しかし問題はその英語がただしい文法通りにつかわれなくても、それでケンチャナヨとする点で、コレアンの英語は文法的には多少問題のある人がいて、そういう独特のコレアンの話す英語をコングリッシュと呼んでいる。
日本人もここまで大胆になればいいのだが、まだまだ日本人は失敗をおそれる民族で、韓国人のように大胆に、失敗をおそれず話すことも必要である。
しかしそれと同時にある程度文法を学ぶことは大事なことだ、英語と言うのは人がコミュニケーションをはかるために使われている言葉なのだから、そこには言葉のルールと言うものがあって、そのルールをまもらなくてはいけないと思うのだが、そのルールと言うのが文法で、ある程度文法をおぼえて話すことは、日本語でいうところの敬語をおぼえることと同じことで、いつまでたっても通じればいいと言う考えは通用しないと言うか、レスペクト精神にかけるのではないかと思う。

LAに行った時の話しだが、私はその時かなりいいホテルに宿泊した。なんでもそのホテルは大統領が泊まるホテルで最高級のホテルだそうだ、その夜のことである。時刻は11時をまわったころ、もう寝ようかと思っていたらいきなり電気が消えてホテル内は真っ暗に、ホテルはかなり広く高層階であったので、何があったのかとその時かなり不安になった。
それでもエレベーターは予備のバッテリーが作動するので、懐中電灯をたよりにエレベーターで何があったのかと確認のために、フロントまで下りて行ったのだが、私たちがそこに下りて行った時はすでに人盛りができていて、そのほとんどは日本人とおぼしき人間たちであった。
私は近くにいたスタッフらしき人間に何があったのかと聞くと、彼?彼女?いわく一時的な停電があったとのこと、もう大丈夫だからと言っていたが、しかしそこにいた日本人は英語が話せないのでかなり不安そうにしている。
ああ言葉がわかると言うのはこういう時いいなあと優越感にひたっていると、その時チーンという音とともにエレベーターが開いたと思うと、そこからサッカー選手の本田みたいな顔をした奴が出て来たそしてつかつかつかとフロントにかけよって行く。
そこには2M近くある黒人のレセプショニストがいたのだが、その2M近くある黒人のレセプショニストに向かって、でかい声で何とゼスチャーを交えながら「My room black black」っていいやがったのだ。
たぶん何が起こったのかと言う真相を聞きたかったのだと思うが、しかし彼のこのゼスチャーを交えてblack blackと話す様子はどう見てもからかっているようにしか見えない。
こいついい度胸してるな、確かにブラックは差別用語とまではいかないと思うのだが、しかし片言の英語でblackを連発する彼の態度はぶっきらぼうすぎる。相手を怒らすには十分だ。
言うんだったらせめてblack personぐらいつけろよと、いやそんあ問題ではない、たぶん彼は5つ星ホテルじゃなければ絶対どつかれて彼の意識がblack outしているだろう。
しかしあくまでここは高級ホテル、黒人はその男に苦笑いして説明していたが、black blackじゃなくて、せめてもう少しまともな文法をつかって話す必要があったのではないかと思っている。
よく英語は文法じゃないと言う奴がいる。何を根拠に言っているのかはわからないが、しかしこの言葉は負け惜しみに近い言葉だ、英語と言うのはコミュニケーションをはかる言葉であるからルールと言うものがあって、そのルールと言うのが文法である。 
文法を無視してただ単語を並べるだけでは通用しないどころか、この男のように勘違いのもとになる。Im excitedとIm exciting を間違えてトラブルに巻き込まれたと言う話は有名な話だが、この男も5つ星のホテルだったからこそなぐられなかったものの、少しチープなホテルならば、その黒人の大男からすごいパンチかキックの一撃をくらう可能性大である。
英語を話す時は文法を無視してはいけない。
過敏になる必要もないが、しかしまともに話したければ、せめて中学英語はマスターする必要がある。

話しはボクシングの話になるが、アメリカ系黒人特にスポーツをやっている人間は体のつくりが我々と違う。
それを成長期に減量とか言って無駄な筋肉をつけないなどと言う、日本人独特の考え方ははっきりいってせこい、たぶん他のスポーツも同様成長期には体作りをさせているのだと思うのだが、なぜボクシングはこういうせこいと言うか見当違いなことをするのか理解できない。
成長期にはもっと栄養をとって体作りをする必要がある。アメリカにいたら周りが大きいので小さいと競争に生き残っていけないと言う本能的な危機感が出てくるのだが、普通高校生ぐらいの人間はたくさん栄養をとってトレーニングして体を大きくしていくのが普通、それを高校生ならまだしも中学生や小学生に減量などさせるのだから異常である。
さらに小学生に節制しろと言ったバカもいるらしい(知っている話や、もれ聞こえてくる話があるが、そういう前にこいつらは下半身の節制をする必要がある)。
こういうバカなことをさせる奴を文部科学省が取り締まったらいいのだが、はっきり言って連盟自体がまともとは言えないので、こういう問題はひとりびとりの常識にまかせるしかないであろう。
子供になぐりあいをさせる、成長期の3キロ以上の減量、10キロ以上させるバカもいるらしいが、狭い世界で同じ仲間同士、結託してかばいあって正当化しているので、それが正しいことだと思っているのだろうが、こういうことは医学的に見ても、倫理的に考えてもおかしいことである。
この前インターネットを検索すると「even amateur boxing can cause brain damege」と言う記事があった。
読める人は読んだらいいが、欧米ではスポーツする側とそれを客観的に見て監視する機関があってバランスを保っている。
イギリスでは少し前に子供にボクシングをさせるなと言うパンフレットを学校やその他の公共機関で配ったらしいが、イギリスが子供のボクシングに厳しいのは、医師会が子供にボクシングをさせるのは危険だと言う論文を発表したからである。
特にボクシングは危険なのでこういう存在がなければいけないのだが、残念ながら日本にはそういう役割はなく、こういう危険なスポーツをこどもにさせても野放し状態、はっきり言ってまだまだ日本は欧米に比べて精神的な考え方は遅れていると考える。
少し前ヘディング脳ということが問題になって、サッカー協会は子供にヘディングをさせないようにしているらしいが、サッカーのヘディングでさえ問題になるのだから、ボクシングなどさせていいわけがない、そう少し英語をおぼえて、外の世界を観察する必要はあるのではないだろうか。
ボクシングクラブで何人スタッフがいても、その中に共通語が話せないと言うのはなさけない話だ。
今やスポーツで共通語が話せないとこういう常識が理解できない、はっきり言って自分のやってきたボクシングのことを何も知らない人に教えるのはサルでもできる。スポーツクラブの指導者として指導力が問われるのはまさにこういうことで、これからのスポーツ指導者は語学力やある程度の教養レヴェルが求められるだろう。







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チャルモシ イッスミョン コチヌンデ コリジマルラ 間違いは改めろ

2013-06-21 | Weblog
だいぶ前にスペシフィックなことを恰もみんなが知っていて、当たり前にそのことを質問してくる私の子供にこう言った。
「なあサルとそうじゃない人間の違いってわかるか?」
「えっ何々??」
彼は私のブラックアイロニーはきらいではない。すると目を輝かして聞いてきた。
「サルは自分の世界がすべてだと思って行動する人間のこと、彼、彼女らの世界はサル山がすべてだからそれがそのすべての世界だ、だからそれ以上学ぶことはないと勘違いしている。
しかし人間は自分の住んでいる世界がもっと広いことを知っている、だから自分の知っていることがすべてだと思わない。
お前の質問はスペシフィックすぎで僕にはわからない、いくらお前らの学校では有名で当たり前のことかもしれないが、しかしそんなことは誰もが知っていることではなく、君たちの間で有名なだけ、だからたぶんそれはひょっとしたらコンビニの前を陣取って、一般にはわからないサル用語を使って盛り上がっている輩と同じじゃないか」
そういうと笑って否定していたが、しかし小学生ならまだしも程度のひくい人間はやたら共通の話題を持ちたがったり、同じであることを強調しようとする。

だいぶ前にあるボクサーがこういう冗談を言ってきた、それはおもしろおかしく言ってやろうと思って言った事であるが、彼が言うにはアフリカ人は時間にルーズで遅れてくるそうだ、だからいつも30分ぐらい遅れていくとちょうど彼彼女が来るころなので、約束をした時は30分ぐらい遅れて行ったほうがいいと、彼はわるい人間ではないのだが、詭弁で、すぐに物事をおもしろおかしくしようとするタイプである。
しかし彼の言葉はでたらめ、わるいがこういううそは教養があるかないかということがあきらかにわかるでたらめである。
まずアフリカ人ってどこの国の人?アフリカに国はいくつあるのか知っているのだろうか??日本人はアフリカと言う国を軽く見ているのか一つにして見ているが、しかしアフリカと言う国はいくつもあって、それぞれ異なった文化や宗教が存在する。
さらに時間にルーズと言うのもどうだろうか?アフリカと言うのは厳格なイスラム教徒も多く、保守的であり家父長制の多い国が多い、そういう文化を持つ国が時間にルーズだとは思わない、ハワイであればハワイタイムというのがあるが、しかしアフリカタイムなんていうのは聞いたこともない。こう言うことは軽々しく言うべきことではない。
かわいそうだが、知識があさいととんだ大恥をこく、たぶん同じようなレヴェルの人間としか付き合ってこなかったから、こういうことを言ってもわははははと受けていたのであろう。
しかしこういう話は多少語学ができて、客観的に物事を見る訓練ができている人間にはあきらかにでたらめであることはわかる。
この人種差別的な発言は聞く人が聞けば不快感さえもおぼえるものであるが、レヴェルがひくいと何も考えないでただ笑っているのだが、意外とこういうしょむないと言うか、場合によっては不快なことが笑いになっているからおそろしいものである。

私は言葉をつかう仕事をしているが、言葉と言うのは非常にむずかしい。
よく私は人から立て板に水のように話、外国語が話せるので言葉に関しては、かなり上手にそれをあやつる能力があると思われている。確かに自分で言うのも何だが、物事を論理的に考えたり、自分は何をいいたいのかということをうまく伝える能力は人よりも秀でていると思う。
しかしそれでもその言葉の勢いにまかせて話すのではなく、なるべく正確に正しく物事を伝えようとしていることは確かなことである。ダイエットのことにしても英語のレッスンやボクシングのことにしてもあいまいなことは、後でかならず調べて間違っていたら訂正する、あるいは補足が必要であれば補足するようにしているが、言葉と言うのは正確にそして正しいことを伝える必要があると思っているからだ。

スポーツの世界で守られなければならないのは「人権」である。体育会は不祥事を起こして道徳とかしつけ、さらには柔道家としてなんてDQNなことを言っているが、そんなセクハラや暴力をふるうような基本的なことができない奴が何をいっているのだ、そんなこと偉そうに言う権利はない、それよりもまずこの人権が守られなければならない、それすらもわからない程度のひくい人間が多く、そういう人間が間違いをおかすのだと思う。
そういう意味ではスポーツクラブと言うのは人権や人種そして国や文化、宗教などをよく知って理解する必要があると思う。





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ボクシングにおける依存性の問題

2013-06-19 | Weblog
前にボクシングとドーパミンの関係について述べた。
ドーパミンは日常の行動の動機付けになっていて、特にスポーツなどのパフォーマンスが高くなるとドーパミンの量が多く分泌されるそうである。ドーパミンとは何かということをひとことで説明するのはむずかしいのだが、ドーパミンは脳内の快楽物質、適度に分泌させればいい刺激になるが、しかし麻薬や快楽殺人などもドーパミンの量が多く分泌していて、麻薬や快楽殺人がやめられないというのはドーパミンを増やす効果があるので行動そのものが動機となってあらわれるからである。

しかしドーパミンはやる気が起こった時に分泌されるので、ドーパミンを分泌させることはわるいことではない、これが少ないと無気力になるらしいが、これが多くなると心のバランスがわるくなり、統合失調症をおこしたり、変なことや恥ずかしいことを平気で言ったりするらしいが、ここで注意すべきことは麻薬やギャンブル依存症はドーパミンと大きく関連しているということだ。
笑える話だが、前に子供のボクシングは危険かということを親に電話で聞かれた時、責任者に聞いてくれと言ったら、トレーナーはそんな難しいことはわからないとはっきり言った人がいたが、そういう人間は本当に無知なのかドーパミンのせいかわからないが、日ごろからバカなことを言っているのだろう。電話で語彙がとぼしいから真剣に話す気がしないと言っていたが、同じようなことは説明できたり、言えても臨機応変に人の言葉に対応することができない、さらに突っ込めば逆切れするようなことをするから疑われるのだろう。

前から子供に殴り合いなどさせるなと言っているがと、その理由の一つは子供の頭蓋骨が柔らかくダメージを受けやすいということ、アマチュア軍団は大丈夫だということを強調するが、しかし危険性をきちんと説明しないから問題だということを指摘したが、それはきちんと医師などの専門的な人間が判断して大丈夫だと言っているのだろうか?むしろ海外では医師がさせるなと言っているのだが、そういう現実をしっかりと理解してボクシングを奨励しているのか疑問である。
さらにもうひとつの理由は依存性とドーパミンとアドレナリンのバランスである。
ボクシングや格闘技系のスポーツはなぐられるので、ドーパミンの分泌量が他のスポーツに比べて多いと言えるであろう。頭をなぐられたら気持ちいいとも言えるような快感を得ることができるのは、危険を察知して脳内にドーパミンが分泌するのだと思うが、よくボクシングは一度やったらやめられないというのはこれ、前回ボクシングしかできないようなアウトローくさい人間が、出所仲間を頼って集まるようなジムは子供の教育上よくないと言ったが、そういう人間が集まると言うのもボクシングは依存性の高いスポーツだと言えることだと思う。
子供を取り囲んで「おら行けーっ」とか「ファイトー」と下品な言葉で煽って刺激を与える。刺激を与えたり、ほめられるとドーパミン効果が表れるので目は生き生きしてくるのだが、しかし激しい下品な言葉で煽ったり、殴り合いをさせるのはほめるのとはまた別の次元だ、そういう環境で子供の時からボクシングをさせるのは、まさに軽い麻薬を与えているようなものである。
少年期に頭をたたきあうということは、どう冷静に考えても子供にとって健全であると言うことはできない、こういう時期に頭をなぐって麻薬のような高いドーパミンの分泌を経験させたり、攻撃性ホルモンであるアドレナリンを出しまくるということが将来人格を形成していく上で健全であるかどうだろうか。
私は専門家ではないのでおおすじに従って言っているだけだが、しかしボクシングと言うスポーツは特殊なスポーツで医学的な安全性と言うものが説明されない限りは、子供には競技させてはならないと思う。

最近おこったボストンテロ事件であるが、その主犯がアマチュアでオリンピックを目指していたそうであるが、彼は問題児でその事件と暴力にボクシングによるheadtraumaが関係しているのではないかと言う論文がでている。もちろん日本語のものではないが、読んでみたらいいと思う。
英語にはこういう論文や記事がたくさんある。
しかしたぶんそういうことを奨励している人間は読めないのでわからない。
読めないくせに詭弁で一応ごまかしてはいるけれども、こういう問題をしっかりととらえて問題にできなければ無責任、俺たち勉強キライデース、だからボクシングを一応一生懸命やって他人と差をつけようとしてまーすというような考え方は、社会で通用しない。
真面目に考えているならばしっかりと文献を読んで、ある程度専門的な知識を身に着ける必要がある。

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他動詞の力

2013-06-15 | Weblog
昨日2回にあがると風呂がわいていた。まだ昼なのにおかしいな自動ボタンを押し間違えたのだろうかと思って風呂場に行ったら、そこにはうちのせがれがいて、私を見るなり驚いている。
お前何してるんだと湯船を見たらなんとそこには卵が3つ入っていて、あやしいので問いただすと温泉卵をつくっていると白状した。
えっお前温泉卵をつくるのに風呂をわかしたのか?
さらに聞けば風呂をわかしたのは1回2回ではなく、何回かそれをやったそうであるが、たかだか3つの温泉卵をつくるために風呂をわかすとはえげつない。で肝心の温泉卵はと言うとできるそうだ、つくるにはやり方があってここで書けば子供がまねをするので書かないが、そのやり方でやると温泉卵がきちんとできるそうである。

話しは英語のレッスンのはなしになるが、この前高校生に自動詞と他動詞について前置詞の使い方と意味がよくわからないので、詳しく説明してくれと言われた。
これは私なりのとらえ方であるが、一言で言ってそれは動詞をどういう感覚でとらえるかという問題だ、よく何々を知っていると言う時、日本人は「I know Blad Pitt」と言う表現をよく使うがこれは少々強引かも知れない。
もちろん話してと聞き手がお互いのことを知っていたら、ああブラッドピットは有名だからどんな人物か知っているんだと理解できるが、しかしこの場合の「know」は直接目的語をとる他動詞なので、動詞がBrad Pittと言う名詞に直接力だ及んでいる、だから「I know Blad Pitt」と言うとあたかも彼のことをよく知っていて、友達であると言うような印象をうけるであろう。
こういう場合はそれがどの程度知っているのかということが、聞き手に伝わらなくては知っていると言う言葉が実用化しない「I know about him」とか「I know of him」というのは、まさにその「know」の力がどこまで及んでいるかということを前置詞によって示している。だからこの場合の「know」は自動詞とか他動詞とかいうことではない、力の度合を表すために前置詞が必要なのである。
他の語学を勉強したものにはわかると思うが、英語には基本動詞がない基本動詞とはもとになっている動詞のことで、それが人称や目的に応じて変化していくわけだが、韓国語にもこの基本動詞と言うものがある。
例えば韓国語で「行く」の基本形は「カダ」それが「カムニダ」「カヨ」「カセヨ」「カゴシッポヨ」と変化するわけで英語にはこういった変化が動詞自体にない、だから力が及ぶ感覚をとらえて動詞を調整していくのだ。

英語と言うのは非常におもしろい言葉である。
日本語とは文法もまったく違うので、日本人からしたら多少やっかいな言葉かも知れないが、英語が話せればかなりのアドヴァンテージになるが、私も実際英語圏で競技したが、その競技したことでスポーツだけではなく、文化や考え方の違いを知ることができ、その体験はいろいろなことを考えていく上で大きなアドヴァンテージになっている。
しかしいつも言うようにアマチュアボクシングは最低レヴェル。おそらく英語が話せたら大きなアドヴァンテージになるということさえ、はっきりと理解できない人間が少なくはないと思っているのだが、今や何とかチャンピオンとか何とか何位と言うマイナースポーツの肩書よりも、英語が理解できるかできないかということの方が重要なことで、日常会話もできないようではなさけない話だ。今時小学生でも英語を習っていて、多少の日常会話はできるのだから、スポーツクラブもそのレヴェルに合わせていく必要があると思っているのだが、そういうことに興味がないどころかコンプレックスとさえ感じる奴もいるからおそろしいものだ。
ボクシングをやって自信をつけろなんていう奴がいるが、しかしはっきり言って何を根拠に言っているのかわからないが、ボクシングでは自信なんてつくはずがない、むしろコンプレックスを持っている奴が目立つ。
私は人間が本当に自信がもてるのは教養をつむことであると思っているが、教養と言うのはただ単に教科書から学ぶことだけではなく、スポーツと言う世界を通して学ぶことができる教養もたくさんある。私が体験したこともまさにそうだったと思うが、そういうたくさんのことを学ぶためには語学などの基本的な学力が必要である。

これは英語を教えている会員が言っていたことだ、その人が英語をおぼえる理由は、英語をおぼえてさらにその英語でいろいろなことがわかると、人と話をするときにこちらから自信を持って話せるからだそうだ。
何とかチャンピオンとか何とか何位とかマイナースポーツの肩書を振りかざしても、言葉を話せなければまわりからなめられるだけ、実際にそういう肩書を自慢するような奴は、コンプレックスがあって、まともに話したらなめられるのがわかっているから、へんに威圧したり、試合は殺し合いだなんていう過激なことを言うようだが、しかしそういう人を威嚇したり、勢いでものを言うのは自信のなさのあらわれ、きちんと言葉で表現できない、書物などを読んでそういう訓練を積んでこなかったと言うコンプレックスがあるから、同じようなレヴェルの軍団とかたまり、威嚇しようとするのだ。
私が一番したくないことはボクシングクラブがボクシングしかできない奴が集まって、それを得意げに自慢できるような場にすることである。
世の中ではたいしたことがないくせに、たかだかボクシングができるぐらいで偉そうにされては、真面目に働いて来てくれている会員に迷惑であるからだ。
刑務所からでて来た人間が出所仲間を頼って集まってくるように、ボクシングしかできない人間が、居場所をもとめて集まるようなところがあるが、そういう場だけは絶対にしたくないと考えている。
うさんくさいような奴が集まってきて、窃盗などの犯罪がおこる場はまさにそうだが、そういうところは親玉が本当にバカだ、そういう場にならないためにもスポーツと教養のバランスを考えて運営したいと思っている。








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HOLY S○IT! うそやろ!

2013-06-14 | Weblog
前回のブログで若いうちは無駄な体作りをしろと言うことを言ったが、高校生ぐらいの成長期は無駄な金幾をつけないなどと言うようなことを言って減量などしないで、ウエイトトレーニングなんかで体作りをしたらいいだろう。
実際にスポーツをするアメリカ人はウエイトトレーニングなんかで体作りをしている。
ボクシングなんかでももちろんそうだが、筋トレをしてさらにヴィタミンや牛乳プロテインなどを飲んで体を大きくしたものである。
むこうでは体を小さくして小さい相手に向かっていくことよりも、大きい相手に向かっていくことの方が勇敢であると考えられている、だから3階級制覇とか抵抗なく階級を上げていくのだ。
余談であるがパッキャオが6階級だったかかなり階級を上げて成功したのにはわけがある。
それは彼独自のボクシングスタイルにあるのだが、フィリピンと言う国はボクシングがさかん、ハワイにも多くのフィリピン人がいたがかなり人気が高く、カーチスと言う地元のプロボクサーはフィリピン系移民の中では半ば英雄でよくジムに来ていたが、ボクシングは彼らの国民的スポーツだと言ってもいい。
たぶんフィリピンのちょっとしたところに行ったら、近所のおっさん若い衆や子供たちがグローブをつけてうちあう姿が見られるが、私はおそらくパッキャオはこういう階級無差別の草ボクシングで少々小さくても大きいものへ向かっていく技術を習得することができたのだと思っているのだが、パッキャオのスタイルは粗削りであるが、体格を感じさせないファイトで、まさに彼のファイトはこういう土壌から生まれたと思っている。
ボクシングと言う言葉はBox拳でたたくと言う動詞の動名詞である。だからボクシングの醍醐味はこぶしでたたきあうことで、そのこぶしでたたきあうからこそ人々を熱狂させ、スポーツとしての支持を獲れるのである。
辰吉はその点では素晴らしいボクサーと言えると思う。はっきり言って倫理的な問題でとらえると彼の生き方は正しいとは思わないが、しかし体をはって命がけで打ち合いする姿はまさにプロ、ボクシングにあまり興味がない私でさえ辰吉の試合は見入ってしまう。彼が未だに多くの支持を得ていることは理解できる。
ボクシングから殴り合いをとってしまったら意味がない。
はっきり言って危険であるからこそメディカルチェックをしっかりうけて、自己責任を促し、ボクシングは危険であるから子供が競技目的ですることを禁止する必要があるのではないだろうか。
それをはやくとめるから安全だとか、危険であるということは言わないのは詭弁である。ボクシングは頭を殴るスポーツであるのだから、その危険性を説明して自己責任を促す必要があると思う。

昔友人のピーターがゴールデングラブに参戦、私はアメリカ国民ではないので出場できなかったので、ピーターのセコンドをすることになったが、最初の予選であたったのがノーランと言う前回の優勝者、彼はギャングか何かのメンバーでストリートファイトが強いのでパワーがかなりあった。
でピーターはどちらかというとへたれの部類に入る。自分でもわかっているのか、せめて1回戦はと3か月前からウエイトとジムでトレーニングに励んでいたが、しかし相手がわるすぎた。
ゴングが鳴ってピーターはいきなりコーナーにとばされてしまった。
その様子はロッキー4でドラゴがロッキーをパンチで吹っ飛ばすようなシーンがあったが、まさにそれ、普通そこでタオルを投入するが,あまりに見事だったので、唖然として見ていたら、そのままたたみかけられてRSC、試合はあっけなくおわってしまった。
彼は終わって私に次のハワイアントーナメントは、あいつがお前と同じ階級で出てくるから、やっつけてやれと負け惜しみにもならないようなことを言っていたが、しかし次のトーナメントは彼と当たることはなかった。なぜなら彼はその後強盗か何かでつかまってしまったのだ。

よく日本人は外国人とはパワーが違うということをいうが、しかしそうではない、おそらく多少は身体的な特徴もあるが、私が感じたのは鍛え方の違い、向こうではスポーツ選手はボクサーであっても筋トレをして体をつくっている。





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成長期に減量させるな 

2013-06-12 | Weblog
オリーヴにはダイエット目的の人が多い、たぶん半数以上の人がそうだと思うが、健康維持組を入れると80%がそういった目的で来てここで汗を流している。
私がよくわからないのは成長期に減量させるバカである。
もともと太っているのならともかく、運動をしている人間に、しかも栄養を足らなくてはいけない時期に5キロも10キロも減量させるのはむちゃなことで、最近では小学生にもさせているバカもいると聞いたが、こういう仕業は虐待と言ってもいい、何を考えてこういうことをさせているのかはわからないが、
日本ではアマチュアの選手でもかなり減量するらしいが、なぜそこまで減量をするのか不思議である。
体重をさげたら戦いが有利になるということは、科学的には証明されていない。むしろ私は体をつくって十分に動ける階級で闘った方が有利に戦えると思っているのだが、しかしかなり無理をしてでも階級を下げていくのだから不思議である。

はっきり言って勇気だの根性だの言うのだったら、体重をあげてでも大きいものにむかっていけばいいのだ。しかし小さく小さくしようとするのだから、考え方がせこい、もともと小さい人間がさらにちいさくなろうとしてどうするのだと思うのだが、孫子の兵法では戦いをする時は、そのルートの食料を調達することが基本、腹が減っては戦ができぬとはこのことで、無理な減量などしては練習に集中できないし、力がでない、おまけに冬場だとカゼをひく危険さえあるが、成長期であるならば階級を意識させずにその時期にたっぷりと栄養を取らせて体作りをさせることが重要なことだと思っているのだが、米国ではその時期に高校生なんかもウエイトトレーニングをして、からだづくりをしているうのだが、やはりそれは成長期に体作りをしっかりすることが合理的だと考えられているからである。
自慢ではないが私自身も学生時代はかなり体づくりをしたので、何もしなくてもこの年になってもまわりが驚くほど力は強い、向こうは体の大きい人間が多かったので、どんな奴がきてもたたきのめしてやろうぐらいに思っていたぐらいだ、それを無駄な筋肉をつけないとか何を言っているのだと思うのだが、ボクシングを競技する人間は他の競技にくらべて体が小さい、野球をやっている少々体格のいい人間とけんかをしたら一撃でのされてしまうのではないかと思うぐらいよわよわしく、そういう体の人間がなぜ減量するのかと思うのだが、ボクシングをやっている奴のアドヴァンテージは腕っぷしが強いことだ、それをボクシングをやっていて勉強もできないケンカも弱いではなさけないに輪をかけたようになさけない、成長期の減量などさせるべきではないもっと体力づくりをさせる必要はあるだろう。

日本人は減量にこだわりすぎである。
他国に行くとそれがよくわかるのだが、私などは3キロ以上の減量はしなくて、経験上むしろ1階級上げたほうが調子がよかったぐらいである。
前に本気で減量はかっこいい、だから減量していることを人に言いふらしたいというようなことを言っていたバカがいたが、まさにこれは漫画の影響、本などは読まない、学問の基礎的なことがわからない、英語もまったく話せないと言うレヴェルだからまともな考え方ができないのだと思うが、減量がかっこいいなんて言うのは個人的な意見、そういうことがかっこいいからと公に言いふらしても意味がない、こういうバカなことが平気で言えるのは、英語どころか日本語もきちんとまともに話せねないじゃないかぐらいのレヴェルだが、こういう意味不明なことを平気でいうバカがいるからボクシングはバカスポーツだと揶揄されるのだ。
ボクシングを学問的にとらえていく必要があると言うならば、子供に競技目的でボクシングをさせたり、成長期にむやみやたらに減量などさせてはいけない。

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黒船襲来 That’s fucked up 

2013-06-10 | Weblog
今から5年ぐらい前の話だが、忙しい時間にひっきりなしにかかってくるセールスの電話本当にむかついていた。
しかもしつこい。断っても断っても電話をかけてくるのだが、家とクラブが同じ電話なので結構かかってくるのだが、うっとうしいので一時は電話を2台つけようと思ったぐらいである。
その時は日曜日だと言うのにフリーダイヤルの電話が、せっかくの休みの日なぜこういう電話をかけてくるのかと腹が立ったが、しかし無視すりゃあいいと最初はとらなかったが、しかしその電話はだいたい2時間ごとにかかってくる。
昼から2時間ごとに出るまで電話をかけてくるのだが、ここまでくれば脅迫に近い、なぜこういう電話をある大手の会社の名前を使って電話をしてくるのか理解できない。電話はそういうたぐいの会社に委託してさせているのだろうが、そもそもそういう会社に電話番号を教えたり、勧誘に関しては責任をおいかねると言う立場であるのにそういう名前で電話をしてきていいのだろうか。
そして4回目はこともあろうか9時すぎてかかってきた。
さすがにこれは非常識すぎる、腹が立ったので、一言言ってやろうと思ったが、しかしこういう営業はそういう注意になれているので注意しても意味がない、はいわかりましたと言ってまた別の奴がかけてくるだろう。その時前にアメリカ人が英語で出たらそれからかかってこなくなったと言っていたことを思い出し、からかいついでに、私が「ヨボセヨ ヌグセヨ」と言うと「...... あれっ、-様でしょうか? わたくし○○の○○と申します。本日お知らせがございまして」とマニュアル通りの言葉で、しかしこんな時間に丁寧な言葉を使えば夜遅く電話してもゆるされると思っているところが、どあつかましいところだ。
私は「What are you? I don’t understand japanease.」と言ってそれから少しきつい言い方で「ENGLISH PLEASE!」すると日本人ではないと思ったのだろう「えっえっえーっとYES」と言うような答えを返してきた。
しかしこいつずぶとい奴だと思ったのは普通営業と言う立場では、こういうシチュエーションになるとあせって「ええええーっ」とあせった様子になるのだが、こいつの「えっ.えっ.えーっ」は落ち着きも見られる。話し方もつらの皮が厚そうだったが、そうでなければここまでしつこい勧誘などはしないだろう。
そしてかたことのめちゃめちゃな英語で何かを言おうとしているので「OK LISTEN」と言うと何やら耳を澄ましている様子。
そこで一言「F○CK OFF(うせろ)」と言って電話を切った。その後電話は来なくなったが、この話を香港人の友人にしたら大笑いしていた。
しかし最近はこういう伝達手段が発達した分、プライヴェートを侵害されることもしばしばある。
私はFacebookを前に来ていたフランス人の子と家族の写真をみせたり、連絡のためにFacebookを使っているが、よくアクセスされるので名前は日本名ではなく、生年月日もかなり若い。それでもなおアクセスされるのだが、こういう個人情報に関しては警戒している。

話しはボクシングの話になるが、今後アマチュアボクシングではヘッドギアの着用の義務がなくなるそうだ、この話しを聞いて私はアホかと思ったのだが、日本は文部科学省をおそれて、安全ということを必死でアピールし、ヘッドギアも一斉にAIBAのではないとだめだというルールまでつくったのに、ここにきていきなりヘッドギアはしなくていいよはえげつなすぎる。
USAでは国内ではヘッドギアの使用にあたってはかなり幅をひろげていたが、しかし日本はAIBAのマークにさらに代紋まで入れて独占販売させたのにこの始末、このことに対して日本は何も言わなかったのか?たぶん英語が話せないので何も言えなかったのだろうが、なさけない話だ、徳川幕府のように上からのおふれに対して徹底して服従はしたものの、しかしいざ黒船が襲来するとあっけなく退散They really fucked upである。
しかしなぜ今更ヘッドギアの着用を廃止したのだろうか?彼ら彼女らにとってヘッドギアは4,5千円ぐらいかもしれないが、しかしはっきり言ってこっちでは連盟の代紋入りで2万4000円、これでなければ試合に出れないと言われたが、これを無駄にするのだからはっきり言ってなめてるとしか言いようがない。そこまでやったのだから命がけで阻止してほしいものだ。しかし何も言うことができない不甲斐ない話である。
おそらくアマチュアが人気がないので、ルールは完全に近づけることはできないが、それならもう少しパフォーマンスを高めて人気を取り戻そうと言う打算があるのかはわからないが、たぶんそういうパフォーマンスを上げると危険度が上がると思っている。
前に米国では自己責任を促すということをブログで書いた、一応メディカルチェックを10ドル出してうけてコントラクトにサインしてという手続きがなされて、試合に出場するということを言ったが、たぶん今後こういうコントラクトをしっかりと作成し、自己責任を促すことが必要となってくるのだが、USAでは連盟が保険なども斡旋して窓口となっているが、日本のように大丈夫だ安全だということをごまかしで言うのではなく、これからはメディカルチェックを徹底して、コントラクトをきちんと作成して世界の動向を見て、自己責任を促すことが必要になってくるのではないかと思っている。

しかしこれに対して何がっても責任はとらないという、やくざの証文のようなものに名前を書かすことがコントラクトだと思っている人間がいるが、はたしてこれはどうだろうか?
人からそう書けとアドヴァイスされて書いている奴もいるが、しかしこれが一体法的にどういう拘束力を持つのだろうか?たぶんこういうコントラクトは書き方とかアカンタビリティのようなものがあると思うのだが、ただちょっとした文章を書いて名前を書かせてというのはあまりにも横暴すぎる、ボクシング界はこういう闇金のような下品な発想しかできない奴が思った以上にいる。








 


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ミットはかくれたところでたたけ  モルヌンゴシ ヤギダ

2013-06-09 | Weblog
日本代表がワールドカップ出場を決めた。
本田がインタヴューでこれからの日本は「個」を磨いていくことが大事だとコメントしたことは有名だ。
私はだいぶ前から彼のことは日本人にはいないタイプだと思っていたが、本田だけではなく日本のフットボールは語学を重要視して外国に出て行っているので、国際感覚を持った選手が多い。
外国で勉強したり生活した人ならよくわかるが、日本に比べて外国では「個」を大切にする。
たぶん「個」と言ってもそれは外国語が話せなかったり、よその土地に行ったことがなければ理解しにくいことだと思うが、しかしこれが外国人と日本人の大きな違いだと思っている。
日本人はどちらかと言うと同じということで共感を得る民族だ。共通の話題を持ち、同じ趣味を持ってとか友達と言うのは、せいぜいそういう同じと言う共感をもってできるものだと思っている。
しかしこれに対して外国ではまずお互いの違いと言うものを認めることからはじまる。特にアメリカでは多くの民族が入り混じっているのだから、お互いの個性を認めないと協力し合って生存することはできない。

おそらく「日本で家の食事ではご飯をスプーンで食べて、箸は食べ物をとりわけるために」なんていうと「なぜ」と思うだろうが、しかし民族がいくつもある国では当たり前のことで、外国にいるとこういう違いや多様性を認めることの必要性が見えてくるものである。
それに対していつも思うことだが、インタヴューでチームの雰囲気がいいとか言うコメントはあほらしい、チームの雰囲気がよければ何なんだと思うのだが、集団が稚拙であると時には村社会的な和というものを重んじる傾向がある。
アマチュアボクシングも変な共通認識と言うか、村社会的な集団である。
私は親玉中心の社会で、変な秩序や仲間意識や親分子分の関係が存在することにかなり違和感があるのだが、たぶんこういう違和感と言うのは語学ができないことと、外の世界を見ていないからだと思うが、特に英語が話せないというのはこういう社会をつくる上では非常にディスアドヴァンテージである。

試合も非常に封建的である。
審判も人によっては威圧的で、髪の毛が目にかかっていたという学生にその場で切らせたということをを聞いたが、なぜこういう人権を無視したことが通るのか理解できない。
競技場も雰囲気がわるい、こういういかめしい雰囲気が競技者にも伝わっているのだろう、競技者が故意でやったわけでもないのにファウルをとられた時にペコペコと頭をさげる姿にかなりの権威主義を感じるのだが、普通故意にファウルをした場合でなければペコペコとあやまる必要はない、そういう時は「damn it!」「shit!」「what the heck!」のいずれかだろう?

さらに私が驚くのは試合後にお互いがお互いの陣営にあいさつに行って話をすることだがこれはよくわからない。
なぜ勝った相手が負けた相手にわざわざあいさつに行くのか?
ある試合でウルトラバカ高校生軍団は試合後には勝った相手に一応たたえるような感じのあいさつはしたが、その後親玉にあんな奴すぐにたおさなくてすみませんと言っていたが、こいつらは間違いなくバカだ、こういうことも狭い社会で、こいつらがたかだかボクシングができるからということが認められているから、こういう茶番ができるわけであって、こういうアホが存在し、こういうことができるのはその村を牛耳る特定の集団山賊が存在する村社会だからである。
しかしアメリカではアマチュアスポーツでこういうアホ軍団だけが認められることはない。
試合後アメリカでは握手はするがしかしその後で相手の選手のところに行って話をするなんていうことはない、私も実際勝った相手が試合がおわった後にこっちを見てくるので、何回か目が合った時ににこっと笑ったら近づいてきて話をしたということはあったが、しかしもし負けた人間に勝った人間があいさつに行ったとしたら、いやみいがいの何物でもない、場合によっては相手をおこらせてしまいケンカになるだろう。

こういうことで得意がっているが、しかし頭をたたかれるのだから人の倍以上は勉強せいと思うのだが、試合前のミットうちが滑稽である。
なぜこれから対戦しようとする人間の前で自分の手の内を見せるのか、こんなことまずありえないだろう。
たぶんこういうことができるのは村社会であるということと、そこには見えない力関係があって、それができるボクシング軍団がどやとばかりに威嚇しているのだろう。
会場のなるべく見えるところで親玉の指示に従って、パンパンパパンパンとリズムよくたたく姿は見事である。
ここでたたきおわった後にバク転でもすれば、見事な芸で、さらに太鼓でもあれば完璧なのだが、人の目につく場所で、人に見られているとあつくなってたたく自意識過剰の軍団が、おまえらどやという日光猿軍団まがいの大道芸を披露するのだが、私はこれをモンキーミット芸と呼んでいる。

韓国に「モルヌンゴシ ヤギダ(知らないことが薬だ)」と言うことわざがある。これは日本でいうところに「知らぬが仏」自分たちの軍団がいかにバカかと言うのは外の世界から見たらよくわかる。
親玉の顔を見たらいい。




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