脱あしたのジョー

MTオリーブフィットネスボクシングクラブのブログ

クラブが村社会にならないために

2013-07-30 | Weblog
最近韓国の企業が日本に進出してきている。そのせいか日本人と結婚する人たちも増えてきているらしい。
私の後輩は韓国のある大手起業につとめている。その彼の紹介で最近知り合った日本人女性であるが、彼女の夫は韓国人だ、しかし彼女は夫の仕事の関係上日本に住んでいて、今年幼稚園になる一人の息子がいる。
その彼女であるが去年のチュソクに息子を連れて実家に帰ったそうだが、そこで少し不安な思いをしたらしい。
彼女は韓国語が話せるのだが、その食事会での出来事だが。
親戚のおやじ「○○は何歳になった?」
母親    「5歳にになります」
おやじ   「ほうところで彼は韓国語が話せるのか」
母親    「いえ、日本で生活しているので話す機会がなく、あまりうまく話せません」
おやじ   「でもおやじが韓国人ということは彼もそうだろ、その○○が自分の国の言葉を話せないと言うのは恥ずかしいことだ、○○話し       てみろ」
おやじはその子供にマレバ(話してみろ)マレバとしつこく言って、緊張とその子は日本で育っていてうまく話せなかったので、お母さんはおやじに韓国人だから言葉をきちんとおぼえさせろときつく言われたそうである。
そしてその話をして私に「やっぱり言葉をおぼえさせた方がいいですか?」と聞くので、「確かにおやじの国の言葉をおぼえさせる必要はあると思うが、それは無理しなくてもおやじと接していたら多少おぼえる。それよりもまず英語をおぼえさせる方が優先、たかだか4000万人ぐらいの人間が使っている言語と世界共通語ではアドヴァンテージが大きく違う。実際に韓国人ビジネスパーソンは英語に堪能な人間が多く、海外出張もいとわない。そういう時代になってきているので、やはり英語をまずおぼえさせる方が先決だと思う。今度マレバと言ってきたらハングン ピョ○ ○○セ○キと辱(ヨク)でみごとにかえしてやれと言うと、笑って何か安心したような感じで「そういってくれるとうれしいんですが」と言ってくれた。

こういう自分たち中心の狭い文化と言うのは、私のような立場から見て間違っていると思う。
最近ではこういう社会の傾向を嫌って外に出ていく韓国人も増えたが、こういった狭い社会をつくるメンタリティーは東洋人独特であり、はっきり言って日本人も同じようなものである。
私は仲間と言う言葉が大嫌いである。程度のひくい奴が固まって傷口をなめあったり、かばいあったりして、それを支えることだと思っているが、しかしこういう仲間をつくる奴にかけているのは客観的に物事を見ること、そして公平に物事を見ることである。
それはこういうクラブにおいてもそうだが、指導する立場の人間が仲のいい人間をつくって人とべたべたしていて、客観的に公平に物事が見れるのだろうか?
特にオリーヴのように社会人が集まるような場では先輩後輩の関係や師弟関係など必要がない、はっきり言ってこういう関係は村社会を生み出し、程度のひくい奴やそこでしか認められないような人間を集まりやすくしている。
こういう集団ははっきり言って言葉に問題がある。平たく言えば英語がまったく話せない、それどころか日本語もきちんと話せないような人間が、ただ勢いと雰囲気で集まってきている。そしてそういう群れでは言葉や日本語の正確さよりもモティベーションが大事で、ひとつの目標に向かってファイトーなどとさけんで盛り上がればまとまっていると勘違いしている、指導者も俺たち勉強キライデースと言ったような教育的にはあまりよくない集団、そういう程度のひくい奴らが独特の狭い考え方で集まって仲間中心の世界をつくるのである。

このおやじも確かに民族の言葉をおぼえると言う大義はある。私自身も自分のおやじの国の言葉を教えるということは賛成である、がしかし子供は現在日本に住んでいて、日本で生きるかも知れないし、母親が日本人だ、それにさっきも言ったようにソウルは国際都市で英語が話せればいいのではないか、そういうことも考えずに自分たちの国や民族と言うところだけに視点をおくからこういう押し付けができるのである。
ボクシングのクラブと言うのもともすれば仲間をつくる傾向がある。
おそらく指導者が仲のいい人間をつくってべたべたしているところは仲間ができてしまうので、客観的に物事を考えることができないと思うのだが、指導する人間は客観的に物事をとらえすべてのことを平等に考えるためには孤独であることが必要なことだ。

ワンドウギと言う映画がある。韓国映画でユーモアありのヒューマンドラマである。
主人公はぱっとしないが、どことなく当時の私に顔つきが似ている。
彼がキックボクシングをはじめたり、クラスでも誰ともつるむことなく一人でいる姿は非常に共感がもてたのだが、この映画は非常に奥が深い。
まず彼のお父さんは障害者で大道芸人をしている。そしてお母さんは貧しい国の外国人、しかし彼はお母さんのことを高校生になるまで知らず、そのことをある日突然学校の教師に告げられお母さんと会うのだ、しかし韓国の外国人差別はひどい、特に発展途上国である東南アジアの人間い対しては非常に差別意識を持っていて、そのことは過去にもいろいろと問題になっていることは確かで、お父さんが彼のお母さんのことをひたすらかくし続けてきたのは、そういう土壌があったからである。
それでも彼は自分のお母さんだということを受け入れて、絆を親子の結ぼうとするのだが、この映画の興味深いところは世の中の差別に対して、彼ら彼女らが明るく生きようとするところである。
障害者の父と外国人の母と言う社会的なハンデを背負った少年が、悩み、傷つき、そして時にはキックボクシングで感情を爆発させながらたくましく成長して行く姿は、そういう社会全体もいろいろなことを受け入れて成長し続けなくてはいけないということを暗に示しているようだ。
何度も言うがこういう公共の場で仲間だと言って固まるような人間ははっきり言って信用できない。
たぶん障害者問題や人種差別と言うのは、一度自分が孤独になってこの社会や世界を客観的に見なければ、見えてこないことで、そういった問題はウリ(我々)の世界からではなく、一度そういう世界から出て孤独になって自分と向き合って考えるからこそ見えるものかも知れない。









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人権に疎い国が目立つアマチュアボクシング

2013-07-26 | Weblog
ボクシングのルールが改正されたらしい。私自身以前ルールなどが都合よく変えられるということをブログで予想していたので驚かないが、はっきり言ってこれからボクシングは危険になっていくことは間違いないだろうと持っている。
今回ヘッドギアの着用廃止ははっきり言って時代と言うか世論を逆行している。ヘッドギアの着用を廃止したのは安全性よりも競技性を重要視し、プロボクシングに近づけたということが言えるのだが、たぶんルールがプロボクシングに近づいて行っているのは、近年アマチュアとプロとの乖離が目立ってきて、ボクシングの統一化をはかり人気を取り戻すためであるが、それと同じくしてたぶん中国のように人権が疎い国が、子供の頃から養成所のようなところに入れてびしびしと鍛えた選手を引退後もプロとして市場に売り出すためにそうするように仕向けたのではないかと思っている。
中国と言えば北京オリンピックあたりからボクシングが目立って来た国であるが、どうやら現地の人間の話によると中国では一般の人がボクシング(キックボクシングをボクシングだと言う人間もいるが、ここでいうボクシングはオリンピック競技にあるボクシング)を競技できないらしくて、ボクシングをする人間は養成所みたいなところに入れられて競技させられるらしいが、たぶんこれはボクシングが欧米諸国で人気がなくなって来て、メダルがとりやすくなったということをキャッチしてボクシングに力を入れる。中国が自信のメンツを保つためにとった作戦ではないかと考えている。

AIBAと言うボクシングの団体は調べたらわかるが、過去にもいろいろと金銭がらみの疑惑が浮上してきた、スポーツでも最も汚い団体である。
ボクシングがヨーロッパやアメリカなどの経済大国において人気がなくなっているのに対して、中国のような人権の疎い国が台頭してきているということは、疑惑のひとつやふたつぐらいはあってもおかしくない、もともとボクシング廃止論が問題になり、子供が競技することに対する反対の声が上がる中、安全性がとなえられてきたが、欧米の人気がなくなり、中国などの人権に疎い国が台頭したとたんにプロにルールが近づくと言うのは、どこかでそういう思惑が動いていると思うのだが、これからはアマチュアもどんどんプロボクシングのスタイルに近づき危険なってくるのではないかと思っている。

だからこれに対して日本語今までのように、はやくとめるとか、CTを義務付けるなんて言うような後手後手に回るような不良がおこられてするようないいわけでは通用しない。
早く止めようがメディカルチェックを義務付けようはボクシングはあぶない。ここを文章化してはっきりとさせる必要がある。
よくボクシングはなぐられるからあぶないのではないかという質問をされると早く止めるとか、アマチュアのパンチはポイントだからなどと言うようないいわけをする奴がいるが、なぜあぶないことを認めてアメリカのようにその競技性をはっきりと説明して認識させ、コントラクトにサインさせると言うようなことができないのか理解に苦しむ。
英語を読める人間は調べればわかるが、アメリカの連盟は競技者登録をするのにあたってボクシングは危険であり、死んだり、後遺症がのこったりする危険があるということを文章化して、そのことをうけてコントラクトにサインすると言う措置が取られていて、スポーツ保険なんかも連盟が窓口になって責任を持って受け付けているのが特徴である。
これからのアマチュアに必要なのは抽象的な説明やごまかしではない、前にも言ったがアカンタビリティーとコントラクトである。

だいぶ前にどこかのバカトレーナーがシャドウボクシングで山場をつくれと言っていたらしい。
シャドウボクシングで山場って何??「こういった」を「こおいった」と言っていたが、こういうことは真面目に授業を聞いている子供ならば、おかしいと気づく、たぶん成績のいい子ならばなめられて見限られてしまうであろう。揚げ足取りではないが、こういう奴は今のアマチュアボクシングの象徴で、そういう奴に文章化してコントラクトをつくるなどと言う発想はないに等しいのだろうか?






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ナン クミ イッソヨ

2013-07-21 | Weblog
この前まだ受験勉強をはじめて2か月だと言うのに、やる気がなくなってしまった息子に喝を入れた。
私は中学受験などどうでもいいのだが、しかし自ら受験をしたいと言うので、かなり授業料が高いが進学塾へ入れたのだが、時間が長く休みがないので最近疲れてしまったのかかなりいいかげん、やる気が見られなかった彼に私はこう言った。
私 「ところでイスラエルの成人式って何歳からか知っているか」
息子「知らん」
私 「13歳、もう彼らは13歳にもなればバルミツバと言う成人式を迎え、そこで彼らは宣言し立派な社会人となる。おまけにイスラエルと言う国はハマスやアラブ諸国の対立もあり、戦争と言う危機に立たされているので、もう13歳にもなれば自分たちはそういうことを理解して兵役に行く準備をしなければならない、イスラエルの兵役は男3年、女が2年、特にイスラエルでは女が兵役に行かなくてはいけないぐらい厳しい現実の中で子供たちも戦っているんだよ。ところでお前、前に自分は人の役に立つ仕事をしたいといっていたよなあ。でも人の役に立つ仕事をしたいと言っている奴が戦うことを知らないでどうするんだ。イスラエルの子供はイスラエルの子供なりに戦っている。また世界に国には戦争や貧困などで学校にさえいけない子供たちがいて、そういう子供たちもそういう子供たちなりに一生懸命戦っている。人の役に立つ仕事がしたいと言っている奴が、一生懸命戦うことをしないで、人の気持ちがわかるものか!勉強と言うのは本当の自分との戦いだし成長するには必要なことだ、お前は自分から勉強をして人の役に立つ仕事をしたいと言ったのだから責任を持って最後まで自分の仕事をやりとげろ、戦うことをやめるな」と
この言葉を聞いて彼はやる気を出したらしいが、私のパートナーがこういうことが言えるのは、私がバイレイシャル(ハーフ)で、いろいろな文化を見てきたバイレイシャルの発想で、私が言うから彼は理解できる。説得力があるとさえ言っていた。
しかし私は彼にわかってほしかったのは中途半端に自分の目標をなおざりにしてほしくなかったことで、特に彼は大きい志を持っているのだから、その志を無駄にしないでほしい、ここでやるのかやらないかでは彼の成長度が違う。中途半端にやれば受かっても意味がない、しかし志をしっかり持って学習すれば、たとえ結果がよくなくても大きく成長して、それは次の受験に大きくつながると思っている。

でも正直私は戦いと言う言葉が嫌いである。なぜならDQNボクサーたちが好んで使う言葉であるからで、こいつらの言う戦いと言うのは自分たちの世界の中での戦いであって、非常に狭い漫画のような世界であるからだ。
特にバカそうな奴に限って他にいうことがないので、戦えとかにげるなということを言うが、しかしこういうことを言う奴ほど物事からにげて生きている奴が多く、勉強はもちろんのこと何もできない、することがないからボクシングという世界に逃げ込んでいるだけで、そういうたぐいの奴にとってのボクシングクラブは、他では相手にされないけど、ジムやクラブならば一応認められると言うことを期待して集まってきている単なる居場所にすぎないのだが、しかし本当はやらなくてはいけないことを逃げてきているのにボクシングをやっているからと言う理由だけでは認められない、もし認められるとしたら自分たちの狭い世界だけである。
こういう奴らに限って武勇伝を語ったり、それらしく振舞って自分たちは君たちとは違うと偉そうに見せようとするが、しかしバカがこういうことをするとみっともないだけ、本当の戦いと言うのは孤独である。そしてその戦いと言うのを知るのは孤独を知っている人間で、学力不足で暴走族のようにすぐに固まる奴に戦えとか逃げるななんて言われたくない。
そういう出所した人間が刑務所仲間を頼って集まるような、うさんくさい奴の集まりでは、たとえ偉そうなことを言っても本当に戦うこと知らない、こういう奴らは社会では戦えない、世の中では戦力にならないのではないか。

私が尊敬するチェゲバラと言う革命家がいる。私が勝手に言うのもなんだが、彼は孤独で、そして絶えず彼はその孤独の中で一生懸命自分の目標に向かって戦い続けてきた人間である。もし彼が孤独を愛さなかったならば晩年はカストロと同じく、キューバで為政者になっていただろうが、しかし彼は未だに苦しめられている国のためにあえて革命と言う道に自分をささげたのである。
私が興味深いことは、彼がその戦いの中でも本をひたすら読み続けていたことである。孤独で精神的にも肉体的にも疲れはてた戦場で本を読み続けることが彼にどういう意味があったのかはわからないが、しかしそのことが彼を支えていた精神力と深くつながっていると信じている。

筋トレやサンドバッグで本当の精神力など養われない、バカはスポーツで完全な精神力を養えると思っているが、しかしそんなものは疑わしい、体育会で養われるとしたら、先輩や上司にこびへつらうことで、上司の腰巾着や宴会部長ぐらいにはなれるであろうが、しかし本当に精神を鍛えようと思ったらまず頭を磨くこと、前にも言ったようにかなり難しい本を葛藤しながら読むことである。本当にそういう難しい本を読み切ったら一皮むけて何か成長したことがわかる。指導者で本を読まない奴はだめだというのは、こういう葛藤を経験しないと物事を広く見ることができないからで、こういう経験をするのとしないのとでは考え方に大きな差が出てくるし、狭い考え方では心に余裕など持てないからだ。

最後にイン スニの歌で「ガチョウの夢」と言う歌詞の中にこういう言葉が出てくる。
「ナン クミ イッソヨ。ポリョジゴ ッチギョ ナムルハヨド」日本語に訳すと「私は夢がある。すてられて、ひきさかれて、ぼろぼろになっても」たぶん自分の夢や目標を達成することはしんどいことで、そこには大きな試練がある。そしてそれは孤独であることは欠かすことができない事柄だ、その孤独から逃げていては何もできない、勉強したり、本を読んだりして考えることはその孤独に対する抵抗であり、このことが夢に対する自分の孤独や困難立ち向かっていく強い武器になると思っている。
そうラテン語のdum spiro spero(息をし続ける限り希望がある)と言う格言同様、人間は考えている以上は成長し続けるし、存在し続けている。

最近ほめるということが言われてきているが、しかし勉強もしないで好きなことだけしかしないような道楽学生を芸ができるからと思えはすごいとほめるのはどうかと思う。どこかの運動部は自分たちは偉いと勘違いしていると言う話をよく聞くが、こういう奴らを勉強もさせないで野放しにして、さらにほめるなどということはどう考えても教育的ではない。まず勉強させろ。









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だめだこりゃ

2013-07-18 | Weblog
会員の人が言っていた。アマチュアボクシングの親玉の顔を見たそうだが、こりゃああかんわと思ったそうで、親玉の顔を見た時に、私の言っていることがよくわかったそうである。
顔と言うのはその人の性格がよく現われている。子供に殴り合いをさせる教養のないトレーナーはバカそうな顔をしているし、意地悪そうな奴は意地悪そうな顔をしている。
目は口ほどに物を言うと言うが人間の顔と言うのもそれと同じことが言えると思うが、顔と言うのはその人の性格や能力を見る上では重要なことで、運動クラブの狭い世界で、それだけしかできないような奴は乱暴そうであったりバカそうな顔をしているが、そういう奴らが集まるような雰囲気をクラブは作ってはいけないと思っている。

話しは韓国の話になるが韓国と言えば政治的に反日感情が最も激しい国で、日本に対して敵対心を持っている人たちが多い国である。
はっきり言ってこの国のことを批判するのはいささか断腸の思いであるが、金九という人物は韓国人なら誰でも知っている人物だ。
彼は独立運動家で三一運動後韓国独立党党首となった人物だ、韓国では柳寛順と並んで抗日運動家の象徴的人物である。
この二人にまつわる伝記は韓国のいたるところに見られるが、金九の伝記によると彼がミンビ殺害にかかわった日本人を殺害し、奪ったお金を町の貧しい人たちに配ったと言う記述がある。
この物語は実際に向こうでは子供のための偉人伝にもなっていて、金九が日本人将校を殺害してお金ををうばって貧しい人たちに配ったということが美談のごとく書かれている。
しかし彼が殺害したのはミンビ殺害にかかわった日本人将校ではない。
実際は普通の日本人商人である。そのことは取り調べ書やその他の文献にたくさんでてくるのだが、日本人将校を殺害して貧しい人たちにお金を配ったというのは彼の手記のみにでてくるのであって、反日を利用して自分の行いを正当化しうまく物語を美談に作り替えたのだと思う。
実際は彼は何の罪もない日本人を殺害しあげくのはてにお金まで強奪したのだが、強盗殺人をおかしておいて話をねつ造し、それを自分の伝記にしたてあげるとは、ぬすっと猛々しいとはまさにこのことである。
さらに普通子供の伝記で人を殺すと言うことを正当化するというのは考えられないことである。
しかし向こうでは反日であれば、それが大義名分になるようだが、朝鮮ではこういう反日にかこつけて殺人や強盗などがあちこちで起こったという記述がある。
私が思うに朝鮮民族であるということはルーツや思想やどこで生まれたかということ、あるいは韓国語が話せると言ったことが問題ではない。それは反日であることと深くかかわっていて、国民はいまだ事あるごとに親日か反日かと言う踏み絵をふまされているのだが、この踏み絵が韓国人と日本人が仲良くできない大きな問題のひとつでもある。

けれども私は韓国人は日本人と同様に優秀だと信じている、また義理人情にあつい民族であるということも知っている。これはある日本人の話であるが、彼女が旅行でソウルに一人旅で行った時のこと、ある店を探していたのだが見つからない。見つからないので意を決して片言の英語で聞いたものの、店員はあっけなくモルラヨ(知らない)と韓国語で答えるだけ、一人旅で気弱になっていた彼女は、あっけない答えに意気消沈してしまって、とぼとぼと道を歩いていたそうだ。
しかししばらくしてその店員がこっちに向かって走ってくる。どうやら彼女の店を地図か何かで調べてくれたそうで、地図を持って彼女に片言の英語で説明してくれたそうだが、彼女は自分のためにここまでしてくれる親切に深く感動したそうであるが、私はこういう部分をよく知っているので、せめて反日と言う視点を外して歴史をとらえたらと思っている。

韓国人は日本人に比べてノーベル賞の数が少ないと言う奴がいる。
確かにそれは事実であるが、これははっきり言って能力の問題ではなく、ウリナラを中心に歴史をとらえるのでものさしがせまく、反日と言う考え方にとらわれすぎていることが、彼ら彼女らの世界観を小さくしてしまっているのだろう。しかし韓国人は優秀だイナムインと言うソウル大の教授が世界哲学112人に選ばれたように、優秀な人間がこらからも出てくるだろうと信じている。

なぜ教養がなく、考え方の狭いトレーナーがクラブなどを仕切ることに問題があるかというと、そういう奴らでもそれなりの大義名分を持ち、そういったことが学問的におかしかったり、常識的におかしかっても狭い世界では通用し、それが正しいことだと言う認識を持たされるからである。
子供のボクシングなんて言うのもそいつらの世界では、礼儀とかしつけ、自信を持たせると言うような大義名分があるかも知れないが、しかし頭の骨の柔らかい子供に殴り合いをさせるというのは、医学や幼児心理学的なことから見て正しいと言えるのだろうか?
それでもボクシングの危険性を棚に上げて、アメフトやラグビーはもっとあぶないなどとうそぶくバカがいるが、これこそまさにDQNの考え方で、こういう考え方は駐車違反をしてあの車はもっとはみ出ているように見えるから、あの車から取り締まれといっているようなもの、この議論はボクシング廃止論の言葉をかりるとボクシングが問題なのは他のスポーツに比べてKOすることを目的とするから問題であって、こういうことを問題にすること自体運動バカの考え方であって、こういう奴らの考えには柔軟性が見られない。
こういう中で子供がけがをするのではないかとか言う心配事を言ったりや批判などすれば、村八あるいは仲間外れにされる。現に試合などでけがをしたと言うような話があるが、こういうことは問題にならないのが不思議だ。こういう狭い考えの人間が家族的で、仲良しだと言うのもこいつらの特徴で、裏を返せば閉鎖的であるということが言えると思うのだが、仲間意識と言う狭いしかも客観的に物事を考えられない人間が集まっているので、他の人間は入って行くことはできない、そういう中で生み出されてきた価値観や考え方はどう考えてもまともだとは思えない。
ボクシングやその他のトレーナーと言うのは深く物事を考える必要がある。
深く注意深く物事を考えるためには書物をよく読み、何かを学ぶことが不可欠であるが、しかし乱暴なこと、バカなことや同じことしか言えない奴はこういう大事なことを無視して生きているので、非常におかしい事やゴリ押し的なことが多いのだが、そういう奴はきちんと顔に書いてある。俺たち勉強キライデース、英語が全く話せません。興味ないデースと


















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人生の授業

2013-07-15 | Weblog
人に本を勧めるのにDiscover出版のNHKの白熱教室シリーズを勧めることにしているのだが、私自身Discoverはよく読む出版社の本で、全般的に興味をそそる学術的な本が多いからである。
しかし私自身人に勧めるのだから内容をよく知っていなければならない、人に質問や何かを聞かれたときにと言うか、興味があるので参考文献などを見て、これは読んだほうがものになるという文献は買うようにしているが、その文献はまだ日本語訳になっていないものが多く、たいていは英語で書かれている。
私が今おもしろいと思っているのは、この前もあげたキムナンドと言うソウル大の教授の本だ。
この人は所謂エリートコースから外れてしまった人だが、大学を卒業しても職がなく、お金もなくて苦労して、悩んで悩みぬいて大学の教授になった人だが、その苦労して悩んだからこそ、彼の語られる哲学講義はおもしろく、実践的で、彼は我々と同じ悩みを持って生きた人ゆえにわかるのだと思う。

彼が言っていたことだが、アメリカに留学していた時、本が高かったからそれを買うのにたいへん苦労したらしい。
しかしアメリカは日本に比べて本が安い。
実際に辞書など購入してみるとそれがわかるのだが、日本で購入するような、例えば哲学の大辞典は日本語ならば3万円ぐらいするが、しかし英語であれば100ドルぐらいで買える。
しかし韓国ではそれ以上に安く、私は大辞典などを購入したことがないのでわからないが、たぶんそういうたぐいの本は50000ウオン(5000円ぐらい)で買えるのだと思うのだが、私が買ったドイツ語の辞書は300円ぐらい、これらはやはり韓国が受験大国で本の受容があるからだと思っている。

そのキムナンド教授の本であるが、最近読んだ「人生の授業」にこういうことが書かれてあった。
それは彼の弟の話だが、その弟がつとめていた会社をやめて起業したらしい。
長年勤めていた堅実な会社をやめるのにはまわりからの反対もあったが、長い目で見てパワーがあるうちに事業を起こした方がいいと会社をやめて起業したらしい。
彼はそれまで築きあげてきた人脈を生かせば勝算はあると踏んでいた。しかし現実の言うのはそうあまいものではなかった。彼がはじめた引っ越し屋は不動産業界の低迷でみうごきがとれなくなり、あっけなく倒産そのぼんやりとした希望は現実と言う厳しさにくだけちってしまいどんぞこまでおちてしまったそうである。
しかし彼はその後そのどん底から這い上がる準備をした。1年間収入ゼロの状態で様々な業界の研究を重ねた結果、飲食業をしようと決心した。
しかし飲食店を経営すると言うのはむずかしいらしく、ソウルでは10店舗中8店舗が6カ月以内に店をたたむそうである。
しかしそれでも弟はいろいろなことを学び、実際に自分でいろいろなところに出て行って経験を重ねたらしい。そしてその苦労と研究の結果、ついに弟の店はいつ店に行ってもひとつも席が空いていないと言うぐらいの人気のある飲食店になったそうである。
そして彼は言う、弟が成功した秘訣は何か??それは完全なリセットができたからである。
1回目に事業で失敗した後に弟は決心した。もう今まで自分が頼っていた人脈や経験キャリアなど自分が手にしていたものに一切期待しない。期待しないで自分だけの力でがんばろうと。
彼曰く悩みに悩んで、そして自分の力で努力したものは必ず成長する、そしてそのためには自分の人生を思い切って一度リセットすることが大事であると。

私が一番あほだと思う奴は過去の実績にこだわる奴だ。
大したことでもないのにそれを誇張して自分を大きく見せたがる奴がそうだが、そういう吹けば飛ぶような自慢話にいつまでもこだわって何がおもしろいのかわからない。
特にアマチュアボクシングなんて言うのは競技人口が少なく1回勝ってチャンピオンとか、負けてもランキング入りなんていうことがざらにある。そういう世界で過去のことを自慢して何になるのだろうか、そういうことで満足するような奴は先が見えている。
先が見えているから人にぶらさがって、かたまって生きるのだろうが、世に中では大したことがないくせに、ここでは偉そうにできるからと、たわいもない実績を振りかざすのはかえってみじめであるが、そういう奴らにはかならず頭の上がらない先輩や親玉がいて、そういう人間たちにぶら下がって生きている。
さらに言うとよくあの人は知る人ぞ知ると言うような奴なんかもそうだ、イヴェントや祭りの時によくでてくるのだが、そんな言葉に満足しちゃダメ、そういうことを言われると言うのはもうすでに同情されているということ、そういう過去のくだらないことにこだわる人間は、失敗したり挫折したときに立ち直れない、なぜなら失敗や挫折から立ち直るのはリセット力であり、私は失敗してリセットした後に再スタートを切ることができれば、キムナンド教授ではないが成長してその成長が成功に結びつくと信じている。

はっきり言って40年以上生きてきたら人間は誰でも失敗することがわかる。
しかしその失敗から這い上がってこれるのは、リセット力のすぐれた人間であると信じている。
私の友人も何人かいい仕事をしていたのにその仕事をやめて起業した人間が何人かいるのだが、その起業した人間で成功した人間は、いずれも自分とは畑違いの仕事をしていて、人のために何かをしたいという願望がある。

私も一応いくつかメダルを持っている(正確には持っていた)。
しかしいくつかはなくして、そしていくつかはこんなもの持って帰るのがめんどくさいからピーターにあげてしまって、手元にはない。
ただクラブのチームメートたちが、その年のトーナメントで優勝したのにゴールデングラブに出れない私に記念のTシャツとエンブレムをどこで手に入れたのかはわからないがくれたのだが、それだけは大事に持っている。

話しはかわるが今度ブログでボクシングが、西から東のビジネスになるというタイトルで書きたい。
今アマチュアボクシングが強いのは人権に疎い国や共産国で、ボクシングは一部の人種を除き西から東に移行してきている。
特にえげつないのが中国、たぶんAIBAの野望が実現すれば、人権を無視してまでも中国が育ててきたボクサーたちを市場に売り出すことができる。そのためにもルールはアマチュアではだめ、今回ヘッドギアがなくなったり、プロ参戦を示唆する報道があったりあやしい、特にヘッドギアの件は代紋まで入れてべらぼうな値段でしかも独占販売させておいて、1年後にはそのヘッドギアは使いませんではあまりにも人をなめている。はっきり言ってここまでやったのだから命がけで阻止しろよと思うのだが、英語が話せない、自分たちよりも上の相手には何も言えないから、そう決まればはいそうですかとただ従うだけ、こういう時こそいや選手たちの安全を考えて自分たちはヘッドギアを着用すると言う必要があると思うのだが、こいつらにとってヘッドギアを着用するということは何が意味があるのか?
選手たちの安全を考えるならばその立場に立って、国内だけでも使用すればいい、しかしそういったはっきりした態度をみせるわけでもなく、アマチュアボクシングの軍団とは所詮こんなもの、こういう奴らが医学的にもあぶない子供にボクシングをさせて奨励させているのだからおそろしいものである。

日本アマチュアボクシングに点数をつけるとこうだ(10点満点中)
語学力 0
発言力 0
政治力 0
海外でのフェア度 10 
理由 ファウルととられない。とられたらすぐにあやまる。文句は言わない(言えない)
国内でのフェア度 1
理由 くだらん派閥 独占販売 「おいそこ」とか人をものあつかいするような人権を無視した発言






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英語は聞き取りよりも話すこと

2013-07-14 | Weblog
今日女性の方が話を聞きたいと来られた。
一つはダイエットのこと、そしてもう一つはご主人が単身赴任で海外にいるので、向こうに行った時に自分も話す必要があるので、英語をもっと勉強したいとのこと、前に買った某英会話カセットは全然効果がないので、ここだったら両方できるのでということで、来たらしい。
だいぶ前からテレビで話題になっている某英会話の教材だが、あれははっきり言って詐欺に近い。
その某英会話の宣伝では聞き流すだけで自然に耳に入ってくると言うが、しかしそんなものはうそだ。そんな魔法のような教材がどこにあるのか??
幼児期ならまだしも、ある程度できあがった脳と言うのは、判別できない言葉は雑音としてうけとる。だからいくら英語を聞き流してもそれが理解できなければそれはただの雑音で、その英会話教材の宣伝が体験談を多く使って、おまけにタレントまで使っているところがうさんくさく、それが脳科学的に実証されていることでもなく、学者の理論的な裏付けや、推薦の言葉がないことがあやしいのだが、こういう教材が売れているからテレビと言うのはおそろしいもので、はっきり言って冷静に考えてみればわかることだが、たぶんこの高い英会話の教材にだまされたと思った人は少なくないと思う。

これは私の意見であるが英会話はリスニングよりもスピーキングの能力が重要である。
なぜなら自己主張できない人間は欧米社会では通用しないからであり、よく海外旅行に行くと英語が通じなかったと言うよりは聞き取れなかったから英語が話せるようになったらいいというようなことを言う人が多いのだが、はっきり言って少々聞き取れなかっても自分の意見をある程度言える方が相手に関心をかわれると思っている。
まあ雑な意見であるが相手の言ったことがはっきりわからないのに、意見なんてしない方がいいなんて考えないことである。
ある程度聞き取ってこうだと感じたら、率直に自分の意見を言えばいい、向こうもちがっていたら違うと言うし、勘違いであるならばはっきりとそういうだろうし、逆にそういうことを言うことで相手の関心をこちらに向けることができるだろう。
ネイティヴの英語と日本人の使う英語は明らかに違う。だから向こうがこっちにあわせてくれなければ、当然会話に入っていくことができない、できないからこそ、自己主張してわかるように話させなければ英語がわからないままに終わってしまうのである。

日本人は優秀で(スポーツバカは世界最低であるが)英語の文法もよく理解しているのに、英語が話せないのは自己主張ができないからである。最近は受験英語も教えているので、参考書を買ってみているが、こんな難しい単語や文法を理解して高校や大学に入っているのに、それでも話せないと言うのはおかしい事であり、たぶんその話せない理由と言うのが自己主張できない、コミュニケーションが取れないということではないかと思っている。

だから単語や文法をおぼえたらそれをどう使うかということを考え訓練した方がいい、例えば日記をつけるなんて言うのも一つの方法、そういう日常に起こったことを書くことで自分の言いたいことが表現しやすくなるのではいかと思っている。






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それはただの孵化

2013-07-08 | Weblog
うちの会員の人が言っていたことだが、だいぶ前にテレヴィで感動物語とか言って野球部の話しをしていたらしい。その人が言うには甲子園に出場できなかった子供たちを、監督がその子供たちのために卒業の思い出の試合としてもってあげると言うのだが、その番組ではそこまでいきつくまでの出来事が実に感動的に描かれ、そして実際に試合を持ってもらった後はその子供たちの親や本人たちは感動の涙を流していたそうである。
しかしその人も言っていたのだが、その光景は何かおかしい。はっきり言って野球はそこでおわったわけではないし、なぜ甲子園に出場できないからと言って甲子園に出れないものが、試合など組む必要があるのだろうか??
出場できないから試合をもってあげるというのはいささか同情めいたことであり、こういうことは半ば押し付けのようなことであるから、普通ははばかるのだが、しかし運動部の縦社会のヒエラルキーの中だからこそ、こういう監督の押し付けが通るのだと思うが、はっきり言ってこういう試合は持ってもらいたくないという人間もいると思うのだが、こういうたわいもないことになぜ人は感動するのかわからないが、そういうたわいもないことを感動にしてしまうのが、テレヴィの恐ろしさである。
こういうことを言うとやったことがない人間にはわからない、俺らには俺らにしかわからない世界があると言う奴がいるが、こういうことを言うこと自体自分たちが狭い世界で生きているということがわかるのだが、そもそもスポーツと言う平等の世界で、人にはわからない俺たちの世界なんて言うものをつくること自体がおかしいことで、それは柔道やあの事件の起きた高校を見てもわかることだと思う。

前に何とかチャンピオンとか何とか何位と言っても狭い世界で生きていて、武勇伝かバカなことしか言えないような奴をうじ虫がハエになったぐらいだと揶揄したことがあるが、この言葉を最初に使ったのはとんでもない暴走族に対してである。
当時私をとりまく環境にはそういう人間たちが多くいた。もともと父親がよその国から来た人なので、差別もあって必然的にそういう人たちとかかわることにならざるを得なかったのだが、身近にいた奴の中にはえげつない暴走族の親玉もいた。
私自身は真面目な人間であったが、こういうとんでもない人間たちと一番盛んな時期を過ごしたことは確かなことで、私が前にボランティアで施設の子供のカウンセリングのようなことを頼まれたのは、生徒の引率中ににキャバクラに行ったり、女を連れ込むと言うようなバカ教員たちのように(この件に関してはこいつらを知っている人間はそいつらならやりかねんと笑っていたが)子供の信頼を裏切ることはないと信じてくれたからであり、私がかたくなにそういう人としてはやってはいけないということを絶対にはしないという意思を強く持てるのは、こいつらも含めて暴走族もそうだがそういうくだらない奴らを反面教師にしてきたからだと思っている。
話しはその暴走族に対して言ったことだが、私は日ごろから武勇伝を語り、しょうむないことで虚勢を張って自分たちを鼓舞する姿に、頭にきてこう言ったことがある。
それは「お前らはもともとうじ虫だと思う。だから例え腕力があってヤクザの世界でのし上がってもうじ虫がハエになったぐらい。自分たちでは飛べたので偉くなったつもりでいるが、しかし世間から見たら害虫にすぎん所詮ハエはうじ虫の親玉だ、お前らがお前らのやり方で偉くなったと思っても、世間の見方なんか変わらない、それでもそんな生き方をするのか」とこれを聞いた奴らはかなりおこっていたが、しかし事実は事実、まあ身内はどつきまわすわけにはいかないので、何も言わなかったが、しかしそいつらの後輩は私の言葉に凍り付いていたと思う。
私が狭い世界で生きる人間のことを批判したり非難するのは、こういう世界をつくると言うのはろくでもないことだと言うことがわかっているからで、いじめや暴力、差別や偏見と言うのはすべてこういう小さい世界で生きる人間たちがもたらすものだと思っているからだ。小さな世界と言うのはくだらない偏見や考え方を作り出してしまう。競技人口が少なく1、2回勝っただけでチャンピオンになったり、負けてもランキングするようなスポーツの世界でそれだけを自慢にして何の意味があるのか?
よく言うがこういう世界で英語が理解できない奴は世界をどんどん小さくしていく、俺たちにしかわからん世界など作り出して自己満足するよりももっとたくさんのことを学んで理解して、視野を広げて行くことは大事なことで、しょうむないことをこれ見よがしに自慢せずに、もっと自分の足りなさに気づく必要はある。







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ダイエットとWORKOUT

2013-07-07 | Weblog
オリーヴにはダイエット目的の人が多く、ここでは極力いろいろと話を聞いてカウンセリング的なことを行っているが、ここ数カ月のことであるが、ダイエットの人たちがあることでつまづいいていることがわかった。
それは本人も気づかなかったことであるが食事制限のことだ。
ダイエット効果が著しく見られない何人かの女性の話のよると、ここでエクササイズして食事制限もしているのに思ったよりもダイエット効果がみられないらしい。
しかし物事には必ず原因があるので、いろいろと話を聞いてみると、実は運動をして食事の量は減らしているが、しかしお昼休みの休憩などに自分は食事制限までしてると言う気の緩みからか、必要以上にカロリーの高いものを食べてしまうことがあるそうで、おそらくそのことが原因であろうと思われる。
まあだいたいの原因はわかっていたのだが、私はダイエットする人にはむしろ食事制限はしない方がいいと言うのだが、この逆効果があることを知っているからだ。
この逆効果を英語でmoral credentialと言うのだが、これは心理学の用語で保険でつかうモラルハザードという言葉と同じような意味である。
モラルハザードと言うのは、例えば自動車保険に入った人が保険に入ったことに安心して事故をおこしやすくなると言う心理学の用語であるが、このmoral credentialと言うのもまさにそれと同じことで、moral credientialと言うのは直訳すれば道徳の成績証明書(日本語ではモラルライセンシングと言っているが英語では通用しない)寄付など自分がいい行いをした時に自分はいい行いをしたんだと言う気の緩みからかえってわるいことをしてしまうという心の隙のことで、ある行為を一つしただけで、もうすでに目的を達成してしまっているという錯覚を起こすことである。
話しはダイエットの話に戻るが、その女性たちも自分は食事制限をしていると言う気持ちがすでに成績証明書を得たようなものだと勘違いしてしまっている。
そしてその勘違いと自分は運動をして食事制限までしているのだからと言う心の隙が、昼ならたくさん食べても大丈夫とか量は同じなのだからとカロリーの高いものを選んでしまうのだろう(心理学の実験ではあえてそれを選ぶらしいが)。

私はダイエットには心理カウンセリングと言うのが必要だと思う。
今や商業戦略と言うのはかなり進んでいる。
世の中を見渡せば手をかえ品をかえいろいろな方法で我々に語りかけてくる商業的戦略は、すべて脳科学や心理学的な根拠に基づいたものでかなり研究されているが、食品産業は特にそうだ。
例えばお菓子を売るのにそのお菓子とは関係ない、ドーパミン効果のあるにおいを出して購買欲を出さるらしいが、こういったことは脳科学や心理学に基づいて計算されていることである。
これはその企業に勤めていた奴があててみろと言うような感じで出してきた問題がある。
それはあるファストフードの店のストローの穴の大きさと同じものは何か?と言う問題。
私は一発であてたのだが、答えは乳首、幼児期に吸った感覚をそのストローで覚えさせるのは、ある意味効果的なのかも知れないが、巷ではこういった戦略があちこちに見られる。
そういうことの誘惑から自分を守るためには常に客観視する必要がある、その客観視するもう一つの目を持ってアドヴァイスする必要はあると思っている。

さらに女性にとってのダイエットは深刻で、女性のダイエットは男性のように興味があるから健康維持もかねてと言うようなものでもなく、食事制限なども含めて人によっては深刻な問題でストレスも多く、挫折しやすいのも確かなことである。
私がなぜ英語などの語学を教えているかと言うのは、ダイエットしなきゃというストレスをここに来たらこういうこともできるということで分散してやるのと、こういう習い事をすることが心のバランスを保つにはいいと言う結果がでているからである。
そんなに興味のないボクシングをダイエットのために女性はするが、しかし実際にそれだけではウォークアウトが修行になってしまう、はっきり言って運動をしたことがない人が運動した後のそう快感を感じるまでには少し時間が必要だし、ウォークアウトが修行にならないためにも心理的に支えていく必要があると思っている。私の読書量が半端ではないのは、そういう人たちに興味をもたせ退屈させないためである。
少々自慢になるが英語や韓国語のレッスンはみんなわかりやすくて楽しい、アジア人が教えてくれるアドヴァンテージがあってためになるので、英語圏の人に習うよりもいいと言ってくれる人もいるが、こういうアプローチでやる気をおこさせ、続けさせることは必要なことで、今後さらにいっそう楽しくしようと思っている。

私の友人の娘ソヒョン(私の唯一の弟子??)であるが、彼女は韓国語、日本語、そして英語を話すのだが、彼女は背が高くスタイルがいい。前にあった時もペペロを食事の後に食べていたが、それでもスレンダーでスタイルがいいから驚いている。
今年中一になったのでダイエットなどしているはずはないが、しかし彼女はテコンドーで体を動かしているだけではなく、英語や勉強で頭をつかっていろいろなことをしているのだが、このエネルギーの使い方のバランスがスレンダーな体を保っているのだと思うが、彼女を見ると英語を勉強したり、本を読んだりすることもダイエットには大事?と思ってしまう。

話しはかわるがよくなぜボクシングを始めたのかということをよく聞かれる。理由はさまざまであるが、しかし実は私がボクシングを競技したのは反日ならぬ反韓のメッセージが込められている。








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チェグル イルゴラ 本を読め2

2013-07-02 | Weblog
スタンダードの自分を変える教室について日記で紹介した。
この本は一応自己啓発的な本の部類に入るのだろうが、普通自己啓発の本と言えば成功話などのでかい話で盛り上げその気にさせるのが常とう手段であるが、しかしこの本は脳科学や心理学の見地から書かれており、一応批判を受け入れながらも限界を認めつつ、意志力を高めていくためにはどうしたらいいのかということが書かれている。
この本は日本語版で買ったのだが、しかし日本語版には参考文献がのっていなかったので、英語で購入する予定だが、この本は誘惑が多く、意志力を必要とするダイエットの人の手助けになると思うので、参考文献なども参照にしていろいろと研究したいと考えている。

自己啓発と言えばDカーネギーが有名だ、しかしなぜこういう本が未だに売れているのか理解できない。
向こうではだいぶ昔からDカーネギーの話なんかを引き合いに出したら、無学な人間と思われる。この本は昔々の単なる自己啓発本だが、日本では最近までは結構うれていたようである。

Dカーネギーと言えば、だいぶ昔ある中小企業の社長のおっさんに飲みに誘われたことがある。私はあまり酒の席が好きではないし、飲み屋が嫌いである。さらにこのおっさんが見栄はりでいつもお金を見せびらかしていて下品だと思っていたので、断っていた。
しかし私のことを気に入ってくれているのか、どうしても連れて行きたかったようである。
私はしぶしぶ彼の誘いにうなづいたが、案の情このおっさんはいいところを見せるために子分をひきつれてやってきた。
えげつないなあと思ったのは子分に自分の財布を持たせていることだ、この縦社会の業界ではよくあるらしく、いくら入っているか気になったので支払いの時に見たら、札束がぎっしりとつまっている。何をしたらこんなにお金が入ってくるのかわからないが、どうやらこのおっさんにとってお金はみせびらかすためにあるらしい。
そしてこのおっさんと行った2軒目に行ったスナックで、おっさんが子分に偉くなりたかったら本を読めと説教じみたことを言っていたのだが、その時おっさんがおもむろに出した本が「人を動かす」と言うカーネギーの有名な本、そして私に「先生は読んだやろ、ここには成功するための哲学がかかれている」みたいなことを言ってきた。
すかさず「いいえ、そんなもの今や誰も読まないですよ。他にもっといい本はいっぱいあります。そういう本をすすめるんだったら、もっと難しくて読み応えのある本を読んだ方がいい」と言ったら、おっさんはかなり不服そうでそれ以来私と連絡を取ることはなかった。

この手の人間はよく哲学と言う言葉を口にする。古代ギリシャの考え方もわからない奴が何を言っているんだと思うのだが、スポーツの世界なんかでもボクシング哲学なんて言うことを言う人間もいるが、まさにそうだ。
しかし弁証法的な考え方もできないくせに、ただ成功話のような武勇伝を語っていることが、哲学的な話をしていると勘違いしているが、技術的なトリックを語ったり、単に成功話をして自己啓発的なことを語ることが哲学ではない。こいつらの言っていることは一方的で矛盾したことが多い。
例えばあいさつしろなんていうのも、ただ一方的に言っているだけで、今の時代ならば心に問題を抱えていて人と話しをすることさえこばむ子供もいる。そういう子がただ体を動かしたいだけで来ただけなのにあいさつは基本だなどと言われて強制されることが正しい事なのか、そう言うとできない子はしないでいいと言う奴もいるだろうか、しかし問題はそういう子供がいると言う可能性があるのにそれがルールになっていることである。まあこれは私の考え方もひとつの意見であるが、しかしこういう批判も受け入れつつあいさつをすることが正しいという見解に達すればいいのだが、しかしこういうことが正しいとただ主張する人間はあさはかで、一方的に物事を考える人間が多く、こういう人間が桜の宮のような暴力事件を起こすと考えている。
今やこういうことを語る時も脳科学的に見てとか心理学的な見解をもってそれが、動機付けとなるということを言う時代なのだから、基本と言う言葉を都合よく使わずに、自分たちが学問の基本に立って物事を考えていく必要があると思っているが、哲学すると言うのは物事を一方的に考えるのではなくて、批判などを受け入れつつ、その批判についてじっくりと考えて物の考え方を高めていくことであるが、私の見解では日本のほとんどのスポーツ系クラブは哲学などない、しいて言えば安っぽい自己啓発である。

よく親が自分の子供に自信をつけさせると言って格闘技をさせるが、しかし自信をつけると言って何をさせるのか?このこの本の章に「感染する」と言うテーマがあったが、ケリーマクゴニガルによると、人間の集団はその一番わるいところで感染するらしく、指導者の程度がひくいと感染しかねない、言いたくはないがまさにバカが...自体になりかねない。
単純な奴は世界を目指せとか、オリンピックを目指せ、ここだと四国チャンピオンとかそういうニンジンをぶらさげて練習をさせることで自信がつくと思っているが、しかしそんなことで本当に自信がつくのだろうか??ただその世界で通用することを自信と思っているだけで、そういう錯覚をその群れで起こさせているだけではないかと疑っている。
現にそういうところで偉そうにできても、外の世界では小さくなっている奴が多い、海外に行った時のアスリートの態度などがまさにそうだが、言うべき時に何も言えないのが日本のアスリート界の現実、縦社会と学力不足で議論する能力が養われていないのだ。

何度も言うが若いうちは哲学をしなくてはいけない。
しかし運動系はどちらかと言うと単純なことに応えを求める。そこらじゅうの高校中学のクラブのTシャツに四字熟語がかかれているのを見るが、まさにそれを表しているのだが、前にも書いたリーダーとしての条件なんて言うのもそうだ。
スポーツはバカじゃできないと言うが、こういうところに単純さがでている。
本を読む人にはわかるが、私は本当にいい本と言うのは難解で難しいと信じている。
そしてそのほとんどは弁証法と言うかたちをとって書かれていて、哲学者のサンデルが質疑応答を繰り返すのもそう、真実と言うのは簡単にはたどりつかない、真実は否定や肯定を何度も繰り返してたどり着いていくものだ、だから人の批判を受け入れて、否定と肯定を繰り返して熟考する必要がある。
そういうことを知ると言うか経験するために、本を若いうちに一冊は読んでおく必要があると思うのだが、しかしあさはかな人間はこういう訓練ができていないから単純な答えを求めてしまう。
ただケリーマクゴニガルの場合は弁証法的でもあるが、医学と言ってもいいので見解も実験結果を通してあげられる過程が多いが、しかしこの本も読み応えがある。
日本語の翻訳は丁寧すぎて、少し原本とは解釈が違うことがあるので、英語が読める人は英語で読むことをお勧めするが、この本は1年足らずで17刷も発行されているベストセラーだ、こういう本が日本で多くの人に読まれているのだから、スポーツ指導者もそれにあわせて本を読む必要があると思う。




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