時々いじめのことで相談される。私がちょっと不快だと思うことは、こういう話を聞いたりしたりすると、今は反省してるけど自分はいじめてた側だとか、やられたけどやり返したとか、必要のない見栄をはる男、あたかもやられてない側に立つことが自分は強者の側にいると勘違い、さらに格闘家が事件をおこすと、強い人間はそんなことはしないとか、そういう発言はくだらない男の見栄が存在している。みっともないし、自分もやられる側に立たないと問題は見えてこない、だからそういういらない見栄はすてたほうがいいし、言わない方がいいと思う。
経済学者のJCハーサニーは功利主義の問題点として、自ら選択する社会で自分はどのような地位に陥るかは分からないので、期待効用が最大化すると言っているが、その時自分を他者に置き換えるプロセスが生じ、自分が最悪の状態だったらどうしようと考えることで、期待効用が最大化し、それが必然的に幸福の最大化になるということである。すなわち幸福とかと言う問題はまず自分が最悪の状態を考えて、そしてそこから必要な事柄や権利を主張することで生み出されるということだろう。
MOBには気を使わなくてはいけない人はいないし、親玉中心のヒエラルキーがない、管理者はあくまでわき役に徹する黒子である。競技者だからとか、トレーナーの取り巻きになったり、声がでかくて、強引な人間に徳をさせることはない。あくまで平等、むしろ弱い立場の人間を優先するのがMOBの考え方である。人間は弱い、私自身も差別される側だと言うことに気づき、自分ではどうしようもない不条理を体験したし、そしてHawaiian tounamentのファイナルでまけた時、人間は弱くて、もろい、だから助け合って生きなくてはならないと言う事を実感した。格闘技はまだまだ男社会である。その中で弱い立場の女性やおっさんたちが生き生きとできることがジムにおける効用であり、平等だと理解している。
参考文献 「はじめての政治哲学」 小川仁志