インターネットの記事でこういうことが話題になっている。
韓国で30日から始まる野球のU18ワールドカップ(W杯)に臨む高校日本代表が、日韓関係の悪化を受けて現地入りの際に日の丸などが入っていないシャツを着ていたことについて、自民党の武田良太元防衛副大臣は28日、「韓国が強要したのなら極めて非常識で失礼だが、強要されていないのに自ら日の丸を外すのはもっと問題だ」と日本高等学校野球連盟(日本高野連)の対応を批判した。党本部で開かれた外交部会などの合同会議で語った。「原文ママ」
これにたいして韓国人のインタビューではありがたいがそこまでする必要があるのかと言う意見も多々見られたが、たが私の感想では日本のスポーツ指導者は内弁慶の人が多い。まさにこのようなパフォーマンスは典型的である。自分の子飼いたちには親でも言えないことを平気で行ったり、おしめをかえてもらったわけでもないのにひよっこあつかいしたりするが、海外に行ったらからっきし、借りてきた猫の子のようになるから不思議である。それでも通訳が来たらいきなりつよくなるが、誰にも言えないからとその通訳におこりだす姿は少々見苦しいと思う。
日本のスポーツ指導者はスポーツに関してはどうかわからないが、しかしそのほかのことに関しては少し勉強不足のような気がする。おそらくこういうパフォーマンスはかなりおかしいこと、この場合相手の立場を考えるとか言うよりも、スポーツの場として日本代表で行くのだからと、その立場を主張し、理解させることが第一であろう。
これからのスポーツ指導者は外国人と議論できる能力や語学力をつけることは必要だ、議論の仕方にしても少し違う。日本人の議論の仕方は、誰の意見を支持するが問題で、まとまりはあるのだが、しかし建設的であるとは言えない。一方、外国(特にUSA)は議論になるとそれぞれが自分の持っている様々な意見を出し合うので独創的である。日本のどこかの会合のように俺は教育のことはよくわからないからと言って持論をべらべら延々と話せるような雰囲気はない。中にはいい加減な人間もいるが、しかしそれぞれ発言するにはそれなりに勉強していなくてはならないし、いいかげんなことを言ったらたちまち突っ込まれる。それぞれが自分の意見を言える独創的で建設的であると思う。俺は教育のことはわからないけどと言って昔のことやたわいもない話をべらべらとあたかもそれが正論であるかのように語るおやじが象徴するように日本人の議論は甘えがある。どういう甘えかと言うと言わせてもらえるから言うと言う甘えだ。特にスポーツの世界ではヒエラルキーによって発言権が違うが、話し合いや議論の場では年長者や特別な人が言いたいことを言わせてもらうと言う雰囲気は、私から見て異様である。本来ならば言わせてもらわなくても重要だと思うから、あえてそこは言わなくてはならないのに言えない、日本人は議論の時のそういうエネルギーがよわい。意見する時も自己主張しない、他者の意見を追従するところがある。そしてそれは先輩や親玉の目をたえず気にして行動し意見を言うスポーツ系の組織にはありがちなことだと思っているが、これからのスポーツ指導者は自分の意見がきちんと言えないとだめだし、ナショナリティを考えて行動し、その上でしっかりと他国にも自信と誇りを持って主張しなければならないと思う。
私の見解では日本人のスポーツ集団は保守的だ。組織を選ぶ時も同じ学校とか仲間づくりを第一に考えて、刷新したり、変革したりすることは考えてはいない。トップがかわっても何も変わらないと言うのは保守的で人間関係ばかりにとらわれて、刷新しようとする力がないからだ。半分外国人の私から見て、日本人はすごく和を尊ぶすばらしい民族ではあるけれども、しかしこわすことをしない、特に組織などはだめだと思ったら一度こわすことも必要なのだが、それができないところに多少のよわさがあると思う。
うちのクラブぐらいの規模なら、もしこのコミュニティにわるいものが入ってきてだめになれば、明日からでもそれをこわして、刷新するつもりである。私のモットーはぶらさがらない、しがらみやあほなしきたりや人をしばるような上下関係はもたない。うちのクラブの会員すべてが楽しく平等にトレーニングできる場にしたいと思っている。
「人は城、人は石垣」と言う武田信玄の有名な言葉があるが、しかしそればかりにとらわれていたら組織がだめになる。確かに人間関係は大事だが、しかしまずどういうシステムにしたら人は生かされるかということを考えなくてはならないと思う。まずシステムありきだ。