脱あしたのジョー

MTオリーブフィットネスボクシングクラブのブログ

秩序

2009-06-29 | Weblog
少し前に高知県でおこった子供の虐待死をおぼえているだろうか。
交際相手か内縁の夫かはしらないが、それが連れ子である子供を殺したという事件。しかも子供を一人殺しておいて、10年以下と言う強盗並みの判決に対して、以前ブログで書かせてもらったが、こともあろうかその女性はその男が出てくるのを待つというコメントをのこしていたらしい。
当たり前に考えて何かおかしい。常識をというか人間性をうたがうのは自分だけだろうか。実はこのオリーヴでも女性問題を含め、異性のいざこざに対して注意をはらっているのはこの点である。
男と女のいざこざというのは、時には常識を覆すことがある。
最近読まれているカラマーゾフの兄弟なんていうのも、典型的なその例だが、一人の女性をめぐって、肉親同士が殺し合いをするわけだから、ここまでくればもう異常である。
ドストエフスキーの鋭いのは人間の罪の根源を、当時神との関係の和解という宗教くささだけにとどまっただけではなく、ヒューマニズム的な視点で捉えこういうどろどろした欲望の中に罪の根源はあるのだということを表現したことだ。
ユダヤの格言では恋と川の用であり時には氾濫するとさえ言っているが、まさしく男女関係とは複雑で善悪をもたない極めて難しいものであり、これをきちんと抑えることができなければ、本当の意味で秩序ある集団を生み出すことができないと思っている。
MOBは年齢層も様々でいろんな立場の人がいる。だからこそその公共性というものを常にしっかりと考えなくてはならないと思っている。







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Stand up

2009-06-17 | Weblog
Stund upと言う映画を観た。
むこうではかなり話題になった映画であるが、しかし日本ではそれほど話題にもならなかったような気がする。
この映画は、単純に言えば、セクシャルハラスメントをうけた鉱山ではたらく一人の女性が会社を相手に訴訟をおこし、それが認められて働く女性の地位が改善されていくと言う映画であるが、この映画を観たとき改めて性別が違いと、それをお互いが納得いくというかたちで受け入れると言うのは難しいと言うことを実感させられた。
最近女性のボクシングが日本でも盛んになってきているが、はたしてこの女性のボクシングと言う、今まで男性中心の競技にたいして、進出しようとしている彼女たちをどう認めそしてどう受け入れているだろうか。
これは一方的な意見ではあるかも知れないが、自分からみればまだまだそこには日本体育会系というしきたりに対する大きな壁が、まだ立ちはだかっているような気がしてならない。
まずなぜ女性だけが、C級テストを受けなければ試合に出れないと言う根拠がよくわからない、技術的な問題であるならば、明らかに偏見である。オリーヴには多くの女性が練習しているが、むしろある点では女性のほうが男性よりも秀でている場合がある。
またよく母体保護の観点からということを言うが、そもそも母体保護の観点とは一体何であろうか?これこそまさにあいまいな言葉で、これを強調しすぎると、女は子供を産むための道具だと言うニュアンスのひびきにもなってくる。
未成年に対してならまだしも、一般の成人にたいして競技のだびにこうした母体保護の観点からと言い、乳房やメンスのことを聞くのは、まさにプライヴァシーの侵害ではないだろうか。
女性に対して気を遣っているのか、蔑視しているのかはわからないが、自分の感想では、必要以上に女性だけを特別に考え、男性と分けてC級テストがあるということは、蔑視しているような気がしてならない。
昔大学チームでで2人ほど女性が練習をしていた。
だいたいここではリングワークが終わってから筋肉トレーニングをするのだが、その時、そこに入った女性たちも加わったのだが、この時コーチのアレンが女性なので男性よりも筋トレの回数を少なくすることを提案した。
しかしその言葉を聞いた一人の女性が怒って、どうして私たちだけ数が少ないのかということを言ってきたのだ。
結局彼女たちはへとへとになりながらも同じ回数の筋トレをこなしたと思う。
当時はまだUSAでも女性差別ののこるそんな時代であった。
この件に関して女性たちがどう、それを解釈し、そしてどのような見解をもっているかはわからない、しかし自分は「自分たちだけなぜテストをうけなくてはならないのか」という人間がでることを期待している。



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