英語上達のひとつの登竜門は英語の本を訳すこと、文章をある程度訳すことができたら多少の自信はつくだろう。
昨日は実際に習った文法がたくさんでてくるトピックを1時間ぐらいかけて一緒に訳していったのだが、私はこのレッスンをするたびに日本語と言うのはまどろっこしい言葉であるということを実感させられるものだと感じさせられる。
この前地元の新聞をとってほしいと代理店の人が新聞をおいていった。
しかしその分厚さを見て読む気がしない。こんな分厚いものを誰が見るのか日本語の新聞は非常に分厚い。これをサラリーマンは毎日読んでいるのだから非常に勤勉だと思う。
私は英字新聞をとっているのだが、英字新聞はその日本語の新聞に比べて非常にうすい、だいたい4分の一ぐらいの厚さであるのだが、しかしこれは内容がないと言うことではない。
基本的に英語と言うのは日本語のようなややこしい表現もなく簡素に伝える言語である。実際英語から日本語に訳すと150ページのものが300ページぐらいになるのだが、それは日本語には省略と言う習慣がないからだ。
これは笑える話だが日本人は安直が好きでよくわかりやすい何々と書店などで発売されている。
しかしそれらは非常に厚い、私は英語の哲学の安直のようなものを持っているがそれらは非常にうすく、要点をついているから安直だと言えるのだが、これでは安直の役割を果たしてはいない、おそらくそれは重要なところを抜粋しているに過ぎないだろう。
日本語の文章が長くなるのにはそれなりのわけがある。それは文を省略しないからだ。
分かりやすく言えば英語でare you playing the piano.と聞かれたらYes I am. と答える。そしてHave you ever been to Hawaii.だとYes, I haveだ。どちらもIm playing the piano. I have been to Hawaiiの省略であり、英語には省略がたくさんある。だから文を簡略化できるのだと思っている。
しかし日本語には省略と言うテクニックがない。だからページ数が多くなってしまうのだろう。
私は中学生に教える時には必ずこれは何が省略されているのかと言うことを説明させるのだが、実はこの省略になれることが英語をより鮮明に理解するひとつのコツのようなものだと思っているからだ。
それにしても日本語の新聞は分厚い。日本語によく似た文法の韓国語の新聞もここまで分厚くはない、おそらく日本語の新聞は世界一分厚いのではないかと思っているのだが、日本人の若い人たちが新聞を読まないと言うのは何かよくわかるような気がする。
私はよくスポーツの責任者で新聞も読まない奴はダメだと言っているが、これを毎日読んでいるんは非常に勤勉であると思う。その新聞をひさしぶりに見た時、日本語の新聞ってこんなに分厚かったんだと実感したが、こんなもの勤勉じゃなければ読めんだろう。