スポーツ指導者は教育的センスがなければだめだと思う。スポーツの技術や体力だけではなく人を精神的にも成長させるためためには共同体がどういう方向に向かっているか、そしてその指導者が何を考えて運営しているかと言うことに大きくかかわっていると思う。
私のヨーロッパ系のコーチがリングを降りたらジェントルマンであれとよく言っていた。しかし彼がそういったのは運動系が言うようなあいさつしろとか先輩や親玉に服従するとかヤクザまがいのパフォーマンス的なものではなく、相手をいたわる気持ちを持てと言うことだと思っている。ボクシングと言うスポーツは女性がマイノリティである。だからジム内で裸になってトレーニングしたり、やんちゃ自慢や武勇伝をほざいたり、男性が自由にふるまうというのは女性にとっていささか威圧感があったり、不快であったりするものだ。ボクシングは男性だけのものでもないし、競技者だけのものでもない、そういうことを無視して相手のことを気づかわずに自由にふるまうのは弱いものいじめに等しい。共同体のレベルは特に格闘技のような男性中心の世界では女性や子どもをどう扱うかによると思ってる。個性か何か知らないがど派手な威嚇したようなファッション、堂々と武勇伝をほざいて、裸になって肉体をさらしてトレーニング、そういう人間があいさつや敬語もどきの言葉を使えたからと言って、礼儀正しい人間だと言えるのかどうかはわからないが、こういう人たちはうちのクラブではアウトローとみなすので入会はお断りしている。
私はよくある日本の運動系の礼儀とか言うのがよくわからない。それよりもコモンセンスとエチケットだろと思う。よく試合に終わった後に相手にあいさつに行く。おそらく勝っても負けてもお互いをたたえ合うと言う名目でいくのだろうが、ラグビーならまだしもボクシングと言うのは個人スポーツだ、負けた相手にならわからんでもないが、しかし自分がうちまかした相手のところにあいさつにいくのがよくわからない。なぜ自分が勝った相手にあえてそこに出向いて行ってありがとうございましたなんていうのか理解できないが、私がリーダーの時もしそんな奴が近づいてきたらF○ck you! コジョ(失せろ)!と中指を立てて追い返しただろう。自分が勝った相手にありがとうなんていやみでもなんでもない、その負けたくやしさがわかるのならほおっておいてやるのが武士の情けと言うものだ。お互いをたたえるとかわけのわからないことを言っているが、私は負けて悔しい時、そっとしておいてほしいと思うからあいさつになんて行かなかった。ただ試合が終わった時にthank you!とグローブをポンとあわしただけだ。あいさつに行かなかったら先輩や監督があいさつに行けとか言うこともあるらしいが、そいつらは自分の意思がないのかとさえ思う。私にしてみたらなぜ負けた相手をそっとしてあげないのか不思議だ、パフォーマンスばかりを優先させないで、見えないところでのいたわりの気持ちを持つことも大事なことだと思うのだが、パフォーマンスばかり優先させると思いやりの気持ちにかけるであろう。
前に試合に行った時に試合を終えた競技者が監督にあやまっていた。なぜあやまっていたかというのはこんな奴相手にすぐに倒せなかったことすみません的なことを言ってあやまっていたと思うのだが、パフォーマンスも行き過ぎるとこういう歪んだ形ででてくる。私はそいつらの話を聞いて不快極まりなかったが、こう言う奴らがあいさつや敬語もどきの言葉をつかえたからと言って礼儀正しいとは言えない。人をいたわる気持ちにかけている。メンタリティが子供、たかだかスポーツができても精神的な面が成長していないとウジ虫がハエになったレベルだ、監督やコーチなどがきちんとコミュニティを通してその精神的な面を成長させなくてはいけないと思う。そして精神的な面を成長させたかったならば、まず共同体の質を上げることが必要、そのためには特に監督やコーチにはある程度の知的レベルが求められるのだが、私の考え方では共同体でその弱さをおぼえていたわり、配慮の気持ちを持つためにはある程度の哲学的なものの考え方ができなければならない。そのため指導者は責任者はきちんと勉強しなければならないと思う。
たぶんそのコーチがたいした教養もなく、パフォーマンス的にリングを降りたらジェントルマンであれと言っているだけならアホかと思ったであろう。しかし彼は教養があって知性がにじみ出ている。そう言う人の声だからこそ心に響いて考える、そしてそこで考えさせられるから考える力がついてくるのだと思う。