脱あしたのジョー

MTオリーブフィットネスボクシングクラブのブログ

右は左そして左は右で

2023-05-30 | Weblog
時々競技者をよく見てたらパンチをうつ時左か右にずれる。というのはパンチをうつ時体のバランスのシンメトリーが成立していないからだろう。前から思っているのだが右なら左、左なら右でシャドウしたらどうだろうか?利き手でないほうでパンチをうつことで腹と腰の使い方をおぼえるからジャブやフックにも力がはいるし、このことによって左右のバランスがしっかりしてくると思うが、左右のバランスがしっかりしてくるとフットワークも楽になるだろう。

監督や管理者には責任がある。トレーニングや技術指導についてはトレーナーにまかせればいいが、私は監督や管理者は、まず競技者の矜持を保つこと、そして安全管理このことを徹底する必要があると思っている。矜持を保つことはよくブログでも述べているが、管理者は自分の矜持を保つよりもまず会員の矜持を保つ、そのため黒子に徹することが私の管理法である。おいそことか、犬のように人をよびつけたり、できないことにいらいらしたり、たわいもないことで叱責するような行為は言語道断、絶対やってはいけないこと、とにかく競技者をレスペクトすることが大事である。そして健康管理をしっかりする。ジムでできることはケガをさせてはいけないということである。私はUSAで競技したが、向こうのガイドブックは300ページぐらいあってその約半分が栄養学と医学のことについて書かれていて競技者の健康とけがを防止することをも目的としていることがわかる。私は日本の管理法にいささか疑問を持っている。競技者にたいして扱いが乱暴で、いろいろな意味で知識不足であることはいなめないことであろう。減量に関しても、もともと太っていた人間が10キロ落としてとかならわかるが、成長期にサウナスーツを着て汗を大量に流して食事制限をするのは生命上危険なことだ、本人がどう言おうがやめさせなくてはいけないことだ。そして小中学生に実戦でコンタクトをさせるのも医学上は正しいことではなく、避けるべきことである。実際英語で子供にボクシングさせることは危険だという論文が出ている。そのことをLos angels timesが「Boxing KO’d by doctors as too risky for kids’ and teens’ brains」と言う見出しで取り上げたが、LAは全米でもヒスパニックの多い地域で貧困層が多く、ボクシングが盛んである。そういう地域でたびたび問題としておこっている事柄がたまたま論文と符合するものがあったのだろう、軽く当ててるとか、あぶなくなったらとめるとか、中学生みたいなことを言うのではなく、ボクシングは危険なのだから、競技目的でさせるのであればその危険性について親にしっかりと説明してコントラクトにサインしてもらう必要がある。私は今歯医者に通院しているが、その歯科はインフォームドコンセントがしっかりとしている。実際ここまで専門的なことまで説明してくれるのかと思ったほどだが、おそらくそれが歯科医にとって義務だと思っているから専門的なことも交えて私に伝えてくれるのだろうと思うが、やはり命にかかわる競技なのだから説明する義務はあると思っている。

MOBでは対象年齢や目的などを考えて、特にけがをさせるような行為についてはしっかりと管理し、安全かつ楽しんでもらえるようにしているが、やはりそうするためにはまわりの人たちの協力と最新の注意と配慮をすることが必要であると思う。



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私のあほな話

2023-05-22 | Weblog
海外は大きなものに向かっていくことが勇敢とされるので同じ階級にとどまってVなんちゃらするよりも階級をあげていって制覇するほうが評価される世界である。私自身も当時は減量して小さくして言って試合に出るのはチキンだ、ウエイトが2、3階級ぐらい上でもボコボコにしてやると本気で思っていたが正直あほで病気であったと思う。当時は体育館のような建物がボクシングジムのようなものになっていて、そしてそこには公式リングが二つあってサンドバッグも15,6機ぐらいあるのだが、そこにチームなどが集まってトレーニングしていた。当時はハワイは日本でいうところのライト級ぐらいまでが強くて、レベルが高かったと思う。現に日本で優勝した大学が遠征に来てハワイの選抜に大差でまけたと言っていたが、当時向こうは競技人口も多く、ひとつのジムにみんな集まってくるのでスパーリングの相手が豊富にいたからだと思う。でジムにはキムと言う2階級ぐらい上の選手がいて、ある時ジョージが私に自信をつけさそうと「あいつはパンチ力がなくスピードがおそい2連敗しているから勝てる行け」とスパーをすすめてきた。いわゆる彼を私の当て馬にしようとしたのだ。正直当時は心のどこかで韓国人を憎んでいるところがあったので、よしと承諾、彼と2ラウンドスパーすることになった。でも実際対峙したら相手が大きく少しひるんだが、しかしやってみるとパンチ力はないしスピードは遅い、一度対戦してまじで物が3つに見えたネルソンのほうが強いパンチだわと思い、結構いい感じでスパーをしていた。そしてスパーが2ラウンドにさしかかろうとする時、そこにひとりのおやじ登場、そして突然「おいやめろ」とスパーを中断させたのだ。なんじゃこいつわ何の権利があって俺のスパーをとめるんだと思っていると、わたしのところに近づいてきて「お前バカになりたいのか」と上から目線で言ってくる。言い方があまりにも偉そうだったので思わず「お前よりましじゃ」と口がすべってしまったのだ。その時鬼の形相と化したおやじがなんだともう一度言って見ろとつめよってくる。その様子にまわりがあわてて彼をとめたが、最悪なのがジョージが仲裁に入ったつもりがさらに火に油をそそいでしまったようで、とんでもないごたごたになってしまった。のちに聞いたらそのお方は有名なチャンピオンで、確かよくジムで会う私におれはもとチャンピオンだとか言っていたことを思い出したが、しかしそんな人私は知らないし、興味がないのであっそうぐらいの態度をとっていたのだが、おそらくそういう態度がいけなかったのだろう。たぶんその時なぐられていたら今ここにはいないであろうと思う。ピーターが時々私に言っていた「お前LAだったら死んでる」って、うん確かにうなずけると思う。


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思い出のチキンステーキ

2023-05-18 | Weblog
昨日会員の人にマスボクシング選手権に出たらどうですかと聞かれたが、しかしもうボクシングはできない。できない理由の一つはまずパンチがこわくなったこと。音をきているだけでぞっとすることもある。そしてシャドウが3分間できないイメージできないし、自分のリズムがわからなくなっている。そして最大の理由は闘争本能がなくなったこと、当時強いとか言われている人間を認めることはしなかったし、そういう人間の名前を聞くたびに「〇ね」と思っていたが、本当に身の程知らずでほとんど病気だったと思う。これは私が学生の頃の話、私のコーチのジョージと私のだいきらいだったノーランのコーチが仲が良く、ある時昼食を4人で食べに行った。最初一緒にランチに行くぞと誰と行くとか聞いてはなく、しかし実際行って見ると、なんとそこにはノーランの姿が「げっなんでこんなやつがここにいるんだ」と相手も間違いなくそう思っていたであろう。そしてレストランに入って席を通され座席につくが、その時もお互い目をあわさず、ジョージが何かふってきてもああとかうんとかつれない返事、そして食事が運ばれてきたのだが、その時私の目を疑う光景が、私はチキンステーキを頼んだのだが、なんと彼も私と同じものを注文していたのだ。「げげっ俺と同じものを注文しやがって」と怒りがふつふつ湧き上がってくる。おそらく飲み物が同じだったら、お互いつかみかかって行っていたかもしれない。ジョージが私を選んで教えてくれたのは「お前はガッツがある」と言うことであったが、技術は大したことはないが外国人相手でも物おじしないし、2、3階級ぐらい違ってもたたきのめしてやるぐらい思っていたが、確かに闘争本能は強かったと思う。本当に私は若い時は身の程知らずで病気だったと思う。次回はこの2、3階級違うけど叩きのめしてやると言うあほな考え方がおおきな火種となりジョージと私はチャンピオンをおこらせてしまう話。
多少のデフォルメはあるがすべてノンフィクションである。


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Hey! Have you ever seen the rain?

2023-05-18 | Weblog
Creedence Clearwater Revival - Have You Ever Seen The Rain (Lyrics)

バーガーが筋トレの時によく流していた曲。当時かなりガラのわるい人間のチームがあって特にバーガーと私はそいつらのことをすごく嫌ってた。ジムは体育館のようなところで、そこに自由に来てトレーニングできるのだが、彼らが近づいた時に私とバーガーはすごく嫌な顔をもろに出していたのでまわりが「お前ら刺激するな」と言っていたことを思い出す。筋トレをしている時彼は言う「試合であいつらに「Have you ever seen the rain(雨を見たかい)」って言ってボコボコにしてやったら気持ちいいだろうな」ある時実際試合で彼らとあたることになる。たいした試合ではないのだが、日ごろからジムに来て大きい顔をするのでむかついていて、こいつらには絶対まけるかとあほな闘志を向けるが、それはみんなも同じ気持ち、我々の中では勝手な代理戦争である(相手は何とも思ってはいないが)。最初はびびっていたので控えめな応援、しかし2ラウンドぐらいから私が優勢になるとすごく盛り上がって、そして最終ラウンドがおわり、「勝者ブルーコーナー」とコールがあがると全員一斉に大歓声をあびせる。リングから降りて来て調子に乗って「I got him!」と言う私に「よくやった。最高だ!お前は偉大だ」とかアメリカ人が言いそうな美辞麗句、ゴールデングラブの代表選手とあたってビビッて本当に一回転してRSCでまけたピーターが一番エキサイトしていたが、でもしかしなぜこれぐらいの試合でこいつらこんなに盛り上がってるんだとまわりは不思議に思っていたと思う。これは私の学生時代のあほな思い出、コメディのような話である。


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MOBにおける3本の矢

2023-05-17 | Weblog
MOBは次の3つの理念を持って運営している。
1、情報、インテリジェンスを重要視する。
コミュニティを豊かにするために正しい日本語を話し、語彙力を合わせる。英語などを駆使して海外からの情報収集し、参考にする。当たり前だが社会人を相手にするのだからある程度のレベルで日本語の会話ができないといけないと思っている。ジムの秩序を正しく保つためには知的レベルの高い人たちが一定数在籍することがもとめられると考えている。ヴィトゲンシュタインによれば、言葉のレベルがその人間の交友関係をあらわす。だからある程度ジムでは人に応じて言葉を使うことも必要だと思っている。

2、無駄な拡張はせず。会員ひとりびとりの充実を考える。
ひとりびとりに行きとどいた指導、そのためにはひとりびとりが技術的に成長し、教えあうことができ、そしてそのことによってコミュニティとして広がっていくことが求められる。私が目指しているのは誰もがここにきてくつろぎ楽しくトレーニングできて、日々の活力をえてもらえるそんなジムである。人を入れればいいというものではなく、まずコミュニティの質を考える。暴力的なこと不公平は徹底して排除し、ひとりびとりの存在価値を最大に認めて互いにリスペクトしあい、その関係性をもってコミュニティを広げていくのが私の理想である。そのため管理者は目立たない、黒子に徹し、会員の人たちを精神的にもサポートしていきたいと思っている。実際友人の精神科のドクターに群れがどうすれば私が求めるような群れになるかということを協力、アドヴァイスしてもらっている。

3、社会貢献を目指す。
自分たちのことだけではなく、今世界で何がおこっているかということを考えて多少なりとも痛みを共有する。そのためドネーションをつづける。スポーツのコミュニティは閉鎖的である。最近ましにはなってきたが、私の感想では英語や語学に疎いコミュニティほど、保守的で外の世界のことに目を向けないと思っている。自分たちだけのことを考えないで、まわりのことそしてそこからひろげて世界のことを考える余裕、その心の余裕をもつこともジムのコミュニティをよくしていくものだと考えている。

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Long, long ago, when I was a college student

2023-05-15 | Weblog
50代のおじさんがジムで韓国語を教えてもらっている。最初はボランティアで教えてくれていたのだが、1時間近く教えてくれるのでそれではわるいとコーヒーや食事をおごってくれているそうだが、勉強はジム集合でそのあとカフェで勉強、でも50代から学ぶ語学はきつく、それでも講師の人がうまく教えてくれるのでそのかいあってかきちんとハングルが読めて文法も少しわかるようになってきたそうである。
ジムでは英語と韓国語が学べる場であり、習うことを奨励しているが、でも実は私は韓国人が大嫌いであった。私は反韓のはしりだといっても過言ではないが、特に在日韓国人には敵意みたいなものも持っていたし、キムチなんか絶対に食べなかった。しかし否定しても私は彼ら彼女らとはつきあっていかなければいけない。そういう中で彼ら彼女らのいやな部分を見てますます嫌いになっていったことは確かなことである。でも私はハワイで一人のチングによってかえられた。それはよくブログにも出てくるジウンである。もう詳しく話す必要はないと思うが、フルネームはキムジウンアメリカ系韓国人で3か国語を流暢に話す。その彼女とはウマが合うのかお互いいろいろなことを話し合えたのだが、日韓問題についてもすごく議論した。その時までは私の問題が複雑なので日本人に話してもややこしいので関わりたくもないのだろう、正体がばれたらはなれていく人間もいた。当時はそれだけ日韓の問題は複雑であったのである。しかし私はこのアジア人が多い国で、彼女に率直に気持ちをぶつけて行くことができたと思う。時にはすごいえげつない議論に発展しもう関係がおわるんじゃねえのかと思ったこともあったが、しかしどんなに激しく議論しても決して関係がこわれることもなく、次の日あったらまた普通に話せる、そんな韓国人を私は信用していったことは確かなことであった。議論をしている時エキサイトする私に彼女は言った「どっちが正しいと言うことではなく、憎しみだけの色眼鏡をとおしてみているだけでは何も解決しない。大事なことはお互いがゆるしあい、愛し合うことだ、それは今を生きている私たちのためだけではなく、これからの未来のためだ.....憎しみや怒りは戦争と言う負の産物を残す、しかしゆるし合い、愛し合うということは私たちが未来に平和をのこすことができる。怒りや憎しみをもったままでは幸せにはならない、キムホヨン、人間は幸せになるために生きている。もしあなたがそうだとしたら私の言っていることがわかると思う」とそんな感じの、まあ昔のことなのでデフォルメはあるがこの言葉は私にとって衝撃的で、この日からお互いそのことについては議論しなくなったのだが、この一人の韓国人の出会いによって自分の過去と向き合い、民族や国籍に関係なく話し合えば必ず仲良くなれる、特に韓国人はわれわれの隣人であると言うことに気づいたのである。あれから何十年たって今ネットやマスコミはお互いをバッシングしあっている。しかし怒りや憎しみの色眼鏡をとおしてお互いを見るのではなくて、互いの未来を見てゆるしあい愛し合う精神が大事だと言うジウンの言葉はまさに今の我々の関係に向けられているように思える。



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十戒といじめ

2023-05-11 | Weblog
話は私の知り合いの話になるが昔後輩からある女性に日本人の男性を紹介してほしいと頼まれた。彼女はソウルの優秀な大学を出ている英語と日本語が話せる才女である。そして何よりも気に入ったのが彼女は非常に我慢のできるタイプで、きちんと人の話を理解しようとする。たぶんそれはしつけと学習がそのような人格をつくってきたのだと思うのだが、世の中の裏技が賢いことだと勘違いしているDQNとは全く質が違う。何回か話して彼女は私のことをかなり信用するようになったのだが、私はアドバイスとしてもし国際結婚するのだったらバイリンガル以上がいいと言うこと伝えた。なぜなら一つの言葉しか理解できない、単一民族はもしお互いが壁にぶつかった時にそれを理解しようとする経験や考え方のキャパがせまいので限界がある。しかし言語を2つ以上話す人は考え方や発想がひとつだけではないので理解できるキャパがある。もし国際結婚するのだったらせめて英語が話せるバイリンガルで、家で話す時は英語と言うような家庭のほうがうまくいくのではないかと考えるからだ。
単一民族で一つの言語しか話せない人間にとって人種の壁と言うのは高い、なぜならその壁をこえて理解しようとする能力がとぼしいからで、一つの言葉しか話せない、同じところから出たことがないと考え方が狭くなってしまうからだ。私は人種差別は一番みにくくおそろしいと思っている。もうかなり昔の話であるが、とある外国での話、私の知り合いが母親が日本人だと言うことでつけられたあだ名がイルチェ、イルチェと言うのは日本製と言う意味と日帝と言う意味があるのだが、何かことあるたびに彼は日本人だからとか言われて差別をうけた。彼はその怒りをぶつけてまわりから一目置かれる存在にはなったが、しかしイルチェ(日本製)は所詮イルチェ(日帝)心から信用できる友達などできるはずはなく孤独であるということは何もかわりない。たぶんこういう話は格闘技をやっている奴が好きそうな話だ、逆境を自らの力で乗り越えて最後は強引にサクセスストーリーにしていく、しかし大事なのはこういう人間はまわりが救ってやらなくてはいけないということだ。私は基本的に人は人によって癒されると思っているが、いちいち人種差別などの差別を怒りのエネルギーに変えて憎しみ合うと言うことほどアホなことはない。戦争や内乱なんてまさにそうだが、そういうことは根本的に否定されなくてはならない。しかしマンガしか見ないような格闘技おたくは本当に何が正しいのかと言うことをまともに考えることができない、所謂かっこいいとか目立つとかの刺激でしか動かない、事実未だにやられたらやりかえせ的な発想を持っているような人間がいるが、しかし本当に大事なことは誰かがその人間の友達になると言うことで、そのための正しさや勇気を教えることだろう。そしてその正しさや勇気を教えるのが教育であると思っている。オーストラリアのある学校ではいじめをするのもそれを黙って見ているのも同じいじめだと言うことを子供に浸透させることでいじめをなくしたらしいが、おそらくこの背景には宗教教育があると考えているのだが、聖書の十戒には「汝偽証してはいけない」という言葉がある。これは裁判で偽証するということもそうであるが、相手の命にかかわることなのだから証人は知っていることをすべて話しなさいと言うことで、当時の宗教裁判は証人の証言によって殺されることもあるのだから、そうならないように積極的にかかわりなさいということである。そういう宗教的背景がこの学校のバックボーンにあるのだろう。人間は弱い、弱いから支えあって協力し合わなければならないのだ、自分の力ではなく、いじめや差別は自分たちの問題でもあるのだということを理解し、見て見ぬふりをする人間は同じであると、少し厳しいかもしれないが、ひとりびとりにその責任をおわせることも必要なことであると思う。人に差別されたりいじめられたりしたことをサクセスストーリをつくりあげてごまかしてはいけない、人種差別やいじめというのはあってはいけないことで、言語道断である。英語は共通語だ。英語圏の考え方や発想を学ぶことは非常に大事なことで、特に人権や女性問題と言うのはその発想を持っているのと持っていないのとでは大きく差が出る。英語話せません、つかう機会がないからというのもいいだろうが、しかしこれからのスポーツ団体は積極的に英語をマスターして行くことが求められると思う。
 


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Abent studia in mores 熱心に学ぶ姿勢は習慣として定着する

2023-05-06 | Weblog
よく小学生ぐらいの子供を持つ親からの見学のアポイントメントがある。子供に自信をつけさせたいのでここがいいと思って来たとのことである。確かに子供にスポーツをさせることはいいことであると思うのだが、しかし自信をつけさせたり、そこで成長させると言うことはその群れに目的と考え方があるかどうかということが必要である。ただ試合に出したり、しんどいことをさせるだけではサルに芸を仕込むのと同じである。厳しくしたりそこだけのルールをしこめばある程度従順にはなるだろうが、しかしそれは本当の意味での成長とは言えないだろう。「啓蒙」と言う言葉がある。英語では「enlightenment」ラテン語の「illustratio」光をあてると言う言葉が語源で、もともとは無知な民衆に学問の光をあてて大事なことを気づかせると言うことで、アウグスティヌスは真実の光をあてると言ったニュアンスで使っていたと思う。私の考えでは人間の群れと言うのはお互いが啓発される群れでなくてはならないと思う。アドラーは人間は自らをかえていく力があると言っているが、人間は社会的集団であるので、大事なことはどういう群れにつながっていくかと言うことで、お互いが啓発できるよりよい群れに帰属し、自分の未来をよりよい方向に選択できると思う。成長とは自分自らが生まれ変わると言うか変革していく力であるが、そのことを繰り返し人間は個として確立し成長していくのではないかと思っている。私からみたら運動部出身の人、特に厳しい部活を経験した人たちは人の顔色を見て判断する傾向がある。監督や先輩そして力のある人間にはペコペコするがしかし我々のようなおとなしい利害関係のないような人間にはとたん勇ましい態度をとるのは何回も見ていることである。人間は人から命令されたり、稚拙なルールを押し付けられることで成長しない、ただ言うことを聞くロボットになるだけであるが、そのことを今までの社会は求めてきたと思う。
けれども人間はある特定の人や集団で言われたことに従順になるのではなく、いろいろな人から受ける影響や刺激によって成長していくことが必要であり、その自らが変革し、成長していくことが個をつくり自信につながっていくのだと思う。
アドラー心理学では家族地域そして職場などでの自分はその一員なんだと言う共同体感覚を養うことが大事だと考えているが、共同体感覚と言うのは啓発と言う言葉にもあるように無知で無学な親玉を中心としてとというようないわゆる仲間程度のレベルではないと言うことは理解できると思う。アドラー心理学において共同体感覚をそなえた人の特徴は「仲間が興味を持っていることに興味を持っている」「自分は所属グループの一員だと言う感覚を持っている」「積極的に共同体の役に立とうとする」「かかわる人たちとお互いに尊敬、信頼し合っている」「すすんで協力しようとする」、たぶんうちの群れがそれに近いと思っている人も少なくはないと思うのだが、こういう群れをかたちづくっていくのはお互いが啓発できる力があるからで、やはりそういうレベルで関わることができる人間が多く、トレーナーたちのああそういうことかと気づかせるような教え方もまさに啓発的である。こういうベースがあるから雰囲気も良く、環境もいいのだと思っているが、ここに子供が長くいればいろいろな刺激をうけていい意味で成長する、価値のあるコミュニティだと思っている。

参考文献 「性格を変える心理学」 岸見一郎 NHK出版

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