今日ある会員の人が言っていて、この人はよく見ているんだなあと感心させられることがあった。
それは私の子供をここで練習させたらいい、いろいろな大人がいるので、そういう人たちからたくさんのことを学べる、私がそれをうけて、子供は本格的にボクシングなんてさせることはできないから、ここでは練習の質よりも共同体の質だということを言うと、まさにそうだということであったが、この話を聞いて見ている人は見ているんだなあと実感させられた。
私が目指しているのは、成長できる共同体である、ここに来たらいろいろと刺激をうけたり、共有できたり、大人も子供も成長しながら癒されていく共同体である。
そのためまず第一にしているのは共同体の質である、共同体の質をよくするためには知性を重んじることとそして責任者が健全であることだと思っている。
しかしまだまだスポーツの世界は質のわるい指導者が目立つ、質がわるいと言うのは言葉を持たない人間、外の世界を知らない指導者で、封建的な考え方から脱却できていないアホだ、こういう人間が暴言をはいたり、勝負という名のもとに、たかだかボクシングごときで試合は殺し合いだなどと、アホな言葉を使い、程度のひくいがもっともらしい人生論ぽいことを語り、間違った価値観を植え付けていくのだと思うが、子供は武勇伝やおしつけの礼儀では成長なんかしない、群れの指導者が知性を重んじて、子供の知的好奇心を刺激することで自尊心を呼び覚まされた時に行動が変わってくるのだが、そういう刺激をうけて成長した子供は将来の目標をしっかりと持つだろう。
スポーツというのは家族的とか言って同じような人間が仲間と称して集まる場所ではない、考え方や価値観、そして国籍や宗教の違う人間たちが集まる共同体である。そういう多様性を認め尊重するためには、指導者は広く世界を見る必要がある。世界というのはどんどん縮まっている、縮まっているというのは、国と国との関わりが身近になってきたということであり、グローバルスタンダードで物事を考えていかなくてはならないということである。
私の意見では今ボクシングに必要なのは、人権問題をよく考えることと英語教育である。
女性が試験を受けなくては試合に出られないというのは男女差別だし、いまだにえげつない権威主義が横行している。そして何年か前まではチ○コを出して軽量をしていたのだから、どれだけ人権に疎かったか理解できると思う。
たぶん英語が話せたら、そういう世界がいかに滑稽か人権を無視しているかと言うことがわかるのだが、しかし英語どころか日本語さえもきちんと話せない奴もそう少なくはない、そういう奴が集まるとまともな話し合いができないので、権威主義が横行し、まわりもその世界を守ることが正しいことだと錯覚し、それに意見するどころか、えげつなく間違った方向に行っても組織を守るためにと何も言わない、追従することしかできない本当になさけない話だ。
これは私の意見であるが絶対やってはいけないことは、弱い者いじめと差別である。
私は英字新聞を購読しているが、英字新聞には毎日のようにマイノリティな民族、女性、そして子供が迫害されている記事を目にする。
その記事が意味するのは、世の中というのは、争いごとがおきて権力の犠牲になるのは常に女性や子供そしてマイノリティであるということだ、日本人は単一民族で日本語しか話さない人間が多いので、ここまで書くと敏感過ぎるとか、そこまで考えて生きてられないなんていう人間もいる、がしかし多民族国家はここまで考える、なぜ日本の英字新聞がそこまで民族問題などをたくさんとりあげるのか考えてみたらいい、そういう問題が自分たちの身近にあるからであり、おそらくこれが日本人と多民族国家で生きる人間との大きな違いであると思っている。
この多様性の時代に民族問題、ジェンダーの問題など今まで日本人が問題にしてこなかったことが問題になってくるだろう、そういう問題をうけとめ競技者が生き生きと競技できるように指導する立場の人間は広く世界を見ていく必要がある、そのため英語は必須条件である。
私はマイノリティだ、そのマイノリティがアメリカでボクシングを競技した時、マイノリティの民族が生き生きと競技していたのを見て、ボクシングこそがこういうマイノリティが一番堂々と競技できるスポーツだと実感し、救われたことは確かなことだが、私はボクシングに対していまだにそういう気持ちを持ち続けている。
それは私の子供をここで練習させたらいい、いろいろな大人がいるので、そういう人たちからたくさんのことを学べる、私がそれをうけて、子供は本格的にボクシングなんてさせることはできないから、ここでは練習の質よりも共同体の質だということを言うと、まさにそうだということであったが、この話を聞いて見ている人は見ているんだなあと実感させられた。
私が目指しているのは、成長できる共同体である、ここに来たらいろいろと刺激をうけたり、共有できたり、大人も子供も成長しながら癒されていく共同体である。
そのためまず第一にしているのは共同体の質である、共同体の質をよくするためには知性を重んじることとそして責任者が健全であることだと思っている。
しかしまだまだスポーツの世界は質のわるい指導者が目立つ、質がわるいと言うのは言葉を持たない人間、外の世界を知らない指導者で、封建的な考え方から脱却できていないアホだ、こういう人間が暴言をはいたり、勝負という名のもとに、たかだかボクシングごときで試合は殺し合いだなどと、アホな言葉を使い、程度のひくいがもっともらしい人生論ぽいことを語り、間違った価値観を植え付けていくのだと思うが、子供は武勇伝やおしつけの礼儀では成長なんかしない、群れの指導者が知性を重んじて、子供の知的好奇心を刺激することで自尊心を呼び覚まされた時に行動が変わってくるのだが、そういう刺激をうけて成長した子供は将来の目標をしっかりと持つだろう。
スポーツというのは家族的とか言って同じような人間が仲間と称して集まる場所ではない、考え方や価値観、そして国籍や宗教の違う人間たちが集まる共同体である。そういう多様性を認め尊重するためには、指導者は広く世界を見る必要がある。世界というのはどんどん縮まっている、縮まっているというのは、国と国との関わりが身近になってきたということであり、グローバルスタンダードで物事を考えていかなくてはならないということである。
私の意見では今ボクシングに必要なのは、人権問題をよく考えることと英語教育である。
女性が試験を受けなくては試合に出られないというのは男女差別だし、いまだにえげつない権威主義が横行している。そして何年か前まではチ○コを出して軽量をしていたのだから、どれだけ人権に疎かったか理解できると思う。
たぶん英語が話せたら、そういう世界がいかに滑稽か人権を無視しているかと言うことがわかるのだが、しかし英語どころか日本語さえもきちんと話せない奴もそう少なくはない、そういう奴が集まるとまともな話し合いができないので、権威主義が横行し、まわりもその世界を守ることが正しいことだと錯覚し、それに意見するどころか、えげつなく間違った方向に行っても組織を守るためにと何も言わない、追従することしかできない本当になさけない話だ。
これは私の意見であるが絶対やってはいけないことは、弱い者いじめと差別である。
私は英字新聞を購読しているが、英字新聞には毎日のようにマイノリティな民族、女性、そして子供が迫害されている記事を目にする。
その記事が意味するのは、世の中というのは、争いごとがおきて権力の犠牲になるのは常に女性や子供そしてマイノリティであるということだ、日本人は単一民族で日本語しか話さない人間が多いので、ここまで書くと敏感過ぎるとか、そこまで考えて生きてられないなんていう人間もいる、がしかし多民族国家はここまで考える、なぜ日本の英字新聞がそこまで民族問題などをたくさんとりあげるのか考えてみたらいい、そういう問題が自分たちの身近にあるからであり、おそらくこれが日本人と多民族国家で生きる人間との大きな違いであると思っている。
この多様性の時代に民族問題、ジェンダーの問題など今まで日本人が問題にしてこなかったことが問題になってくるだろう、そういう問題をうけとめ競技者が生き生きと競技できるように指導する立場の人間は広く世界を見ていく必要がある、そのため英語は必須条件である。
私はマイノリティだ、そのマイノリティがアメリカでボクシングを競技した時、マイノリティの民族が生き生きと競技していたのを見て、ボクシングこそがこういうマイノリティが一番堂々と競技できるスポーツだと実感し、救われたことは確かなことだが、私はボクシングに対していまだにそういう気持ちを持ち続けている。