日本に滞在したことのあるアメリカ人と話をしていた。
彼の話によると最近売れて来ている女優がいるらしい、彼女のそのデビュー作となったのがボクシングの映画で、名前は忘れたがむこうでは結構有名になりつつある女優であるそうだ。
彼はカリフォルニア出身の青年だが、ボクシングはここカリフォルニアと言うか、LAなどのヒスパニックやフィリピン系が多い地域では人気があるスポーツで、よくボクシングの中継をテレヴィなどで見たそうであるが、彼のお父さんはボクシングが好きでよくリビングでその中継を見ていたそうだが、彼の小さいころの思い出と言えば、その父がカウチにすわってボクシングを見ている姿だそうで、ボクシングを見ていると彼は何となくノストラルジアを感じるそうである。
ハワイところもは移民が多いせいか、ボクシングが盛んであった。
それは日系人の間でも人気があったのだが、実際私がいた頃も盛んで、その当時は日系人とかフィリピン系などがヴォランティアで試合などの運営をしていたのだが、結構試合なんかもひんぱんに行われていて、年間に練習試合みたいなものをあわせたら20試合することは十分可能で、俺は100戦やっていると言うのがざらにいたことをおぼえている。
その当時はアマチュアでも結構スターっぽい選手がいて、彼らは強くなればプロになり、そう言う人間が世界を目指してメインランドに旅立った。しかしそういうスターっぽい選手たちだが、ハワイではずば抜けて強いので、まるでチャンピオンのごとく新聞などに書きたてられるが、しかしメインランドはもっとひろく、競争も激しく、強豪もたくさんいる。そういう中で彼らがサヴァイヴしていくのはかなり難しく、ほとんどの人間が夢半ばにしてかえってくる。
私の知り合いのオギというハワイアンの人間もそうだが、彼は今ラジオのDJをやっている。
その彼が「大きな国で勝ち残っていくことは難しい」と言っていたが、むこうに行ったらやはりまずレヴェルの違いを思わされるそうだ。
私も実際人階級上だったが、向こうから来ていた黒人の世界ランキング何十位とかいう選手とスパーリングをやらされたのだが、これがえげつなかった。みんなスパーをしたがらないので、じゃあ俺が根性をみせてやるとばかりに志願したのだが、これが間違いだった。
正直その時は無謀にも倒してやろうというようなことを本気で考えていたのだが、それはめちゃくちゃ甘い考えだった。
相手はレヴェルがあまりにも違いすぎるので、左のパンチしか出さないと言うことだったが、しかしその左がめちゃめちゃ強く、例えるならば10キロぐらいの石を直接、頭と言うかでこにおとされているような感じで、生意気に倒そうと狙ってくる私に多少のいらだちを感じたのだろうか、それは結構厳しいパンチを入れられて、1ラウンドが終わった時はほとんど脳しんとう状態で、まっすぐコーナーに歩けなくて、千鳥足のような感じでふらふらと歩いてかえっていったことをおぼえている。
2ラウンドのスパーが終わるとまわりの人間が「おまえよくやったなあ」とか「おまえは根性ある」なんて言うことを言っていた。私の親友の台湾人は冗談で私のグラブをほどきながら「お前あんなスパーを志願するなんて、神風の生き残りだ」と半分笑いながら言っていたが、しかしあんなえげつないパンチはもうもらうのはごめんである。
当時のハワイにはプロボクサーが何人かいたが、たいていはアマチュアで実績を積んでライセンスを取って何戦かしてからメインランドに行くのだが、彼らの実際の戦いはここから始まる。
まずメインランドに行くにはここで相当の実績を積んでいかなくてはだめだ、しかし実際実績をつんでもむこうではそういう実績を積んだ者は掃いて捨てるほどいるわけで、現に私がいたころ何人かプロになってメインランドに渡ったが、今まで成功と言うか世界ランキングの1位にまでのぼりつめたのはヘススというフィリピン系の人間ぐらいで、それはメインランドで勝つことはいかに難しいかということを物語っている。
スポーツは才能がものを言う世界である。しかし才能は磨かなければそれが発揮されることはない。
たぶんアメリカでは才能があっても努力しないと生き残っていけない。なぜなら才能ある人間なんて掃いて捨てるほどいるからで、努力と言うのはそういう中で生き残っていくための術でもある。
天才と呼ばれる人たちが多くいるアメリカで、そのことを私は彼らから感じとったと思う。
よくアメリカは大きい国で世界中の人たちが集まるので、才能ある人が多く、そういう人たちは自分の才能ひとつでのぼりつめたというようなことを考えてしまいがちだが、しかしその考え方は一面的である。
あの国では常に競争の原理が働いているので、生き残っていくためには努力が必要である。
ここではたとえ才能があってもどう努力するかが問題である。才能というのは英語で「Gift」すなわち天からの授かりものだ、その天からの授かり物をどう生かすかというのが、われわれに与えられた課題であり、その才能を信じて彼ら彼女らは生き残りをかけて戦っているのだろう。そういう姿を私はこの小さな島から感じることができた。
オギーは実際自分がメインランドで成功しなかった理由を自分には才能がなかったからだと言わない。自分の努力が足りなかったんだと言う。実際彼は自分には才能があったと信じて疑わない、しかし努力が足りなかっただけで、その気持ちは今の仕事に生かせているだろう。
彼の話によると最近売れて来ている女優がいるらしい、彼女のそのデビュー作となったのがボクシングの映画で、名前は忘れたがむこうでは結構有名になりつつある女優であるそうだ。
彼はカリフォルニア出身の青年だが、ボクシングはここカリフォルニアと言うか、LAなどのヒスパニックやフィリピン系が多い地域では人気があるスポーツで、よくボクシングの中継をテレヴィなどで見たそうであるが、彼のお父さんはボクシングが好きでよくリビングでその中継を見ていたそうだが、彼の小さいころの思い出と言えば、その父がカウチにすわってボクシングを見ている姿だそうで、ボクシングを見ていると彼は何となくノストラルジアを感じるそうである。
ハワイところもは移民が多いせいか、ボクシングが盛んであった。
それは日系人の間でも人気があったのだが、実際私がいた頃も盛んで、その当時は日系人とかフィリピン系などがヴォランティアで試合などの運営をしていたのだが、結構試合なんかもひんぱんに行われていて、年間に練習試合みたいなものをあわせたら20試合することは十分可能で、俺は100戦やっていると言うのがざらにいたことをおぼえている。
その当時はアマチュアでも結構スターっぽい選手がいて、彼らは強くなればプロになり、そう言う人間が世界を目指してメインランドに旅立った。しかしそういうスターっぽい選手たちだが、ハワイではずば抜けて強いので、まるでチャンピオンのごとく新聞などに書きたてられるが、しかしメインランドはもっとひろく、競争も激しく、強豪もたくさんいる。そういう中で彼らがサヴァイヴしていくのはかなり難しく、ほとんどの人間が夢半ばにしてかえってくる。
私の知り合いのオギというハワイアンの人間もそうだが、彼は今ラジオのDJをやっている。
その彼が「大きな国で勝ち残っていくことは難しい」と言っていたが、むこうに行ったらやはりまずレヴェルの違いを思わされるそうだ。
私も実際人階級上だったが、向こうから来ていた黒人の世界ランキング何十位とかいう選手とスパーリングをやらされたのだが、これがえげつなかった。みんなスパーをしたがらないので、じゃあ俺が根性をみせてやるとばかりに志願したのだが、これが間違いだった。
正直その時は無謀にも倒してやろうというようなことを本気で考えていたのだが、それはめちゃくちゃ甘い考えだった。
相手はレヴェルがあまりにも違いすぎるので、左のパンチしか出さないと言うことだったが、しかしその左がめちゃめちゃ強く、例えるならば10キロぐらいの石を直接、頭と言うかでこにおとされているような感じで、生意気に倒そうと狙ってくる私に多少のいらだちを感じたのだろうか、それは結構厳しいパンチを入れられて、1ラウンドが終わった時はほとんど脳しんとう状態で、まっすぐコーナーに歩けなくて、千鳥足のような感じでふらふらと歩いてかえっていったことをおぼえている。
2ラウンドのスパーが終わるとまわりの人間が「おまえよくやったなあ」とか「おまえは根性ある」なんて言うことを言っていた。私の親友の台湾人は冗談で私のグラブをほどきながら「お前あんなスパーを志願するなんて、神風の生き残りだ」と半分笑いながら言っていたが、しかしあんなえげつないパンチはもうもらうのはごめんである。
当時のハワイにはプロボクサーが何人かいたが、たいていはアマチュアで実績を積んでライセンスを取って何戦かしてからメインランドに行くのだが、彼らの実際の戦いはここから始まる。
まずメインランドに行くにはここで相当の実績を積んでいかなくてはだめだ、しかし実際実績をつんでもむこうではそういう実績を積んだ者は掃いて捨てるほどいるわけで、現に私がいたころ何人かプロになってメインランドに渡ったが、今まで成功と言うか世界ランキングの1位にまでのぼりつめたのはヘススというフィリピン系の人間ぐらいで、それはメインランドで勝つことはいかに難しいかということを物語っている。
スポーツは才能がものを言う世界である。しかし才能は磨かなければそれが発揮されることはない。
たぶんアメリカでは才能があっても努力しないと生き残っていけない。なぜなら才能ある人間なんて掃いて捨てるほどいるからで、努力と言うのはそういう中で生き残っていくための術でもある。
天才と呼ばれる人たちが多くいるアメリカで、そのことを私は彼らから感じとったと思う。
よくアメリカは大きい国で世界中の人たちが集まるので、才能ある人が多く、そういう人たちは自分の才能ひとつでのぼりつめたというようなことを考えてしまいがちだが、しかしその考え方は一面的である。
あの国では常に競争の原理が働いているので、生き残っていくためには努力が必要である。
ここではたとえ才能があってもどう努力するかが問題である。才能というのは英語で「Gift」すなわち天からの授かりものだ、その天からの授かり物をどう生かすかというのが、われわれに与えられた課題であり、その才能を信じて彼ら彼女らは生き残りをかけて戦っているのだろう。そういう姿を私はこの小さな島から感じることができた。
オギーは実際自分がメインランドで成功しなかった理由を自分には才能がなかったからだと言わない。自分の努力が足りなかったんだと言う。実際彼は自分には才能があったと信じて疑わない、しかし努力が足りなかっただけで、その気持ちは今の仕事に生かせているだろう。