うちの留学生はもう日本に来て半年になる。
だいぶ日本語も話せるようになり、家での会話はほとんど日本語で、前まではアリンと呼ぶと「ハイ」だったが、最近では「何?」という返事になってきたので愉快である。
彼女には特に好きな食べ物が二つある。ひとつは「てんぷらうどん」今度うちのクラブの人に、おいしいところにつれていってもらうそうだが、このことを伝えたらよほど大好物なのか、連れて行ってもらえるのをかなり楽しみにしている。
そしてもうひとつは「牛すじ煮込み」これは焼肉屋で私が食べているのを見て、それを少し食べて以来、その味にはまってしまったのだが、食べ方もわかっていて、「牛すじ煮込み」はごはんといっしょに食べるのがおいしいことがわかったそうで、今では注文して先に「牛すじ煮込み」がきても、さきにそれに手をつけずご飯がくるまで待ってごはんといっしょに食べると言う通な食べ方がわかってきた。
よくうちの家には外国人がくるので楽しそうだという人もいるが、しかし私たちは、楽しもうとか刺激を求めてそうしているのではない、ただ自分が向こうにいた時にお世話になったからということと、私の親が外国人だったので、私も彼ら彼女らの力になれたらと思って、ホームステイなどを頼まれたら引き受けている次第である。
私は彼ら彼女らが、ここには遊びに来ているのではないと言うことを認識している。
特に白人系の人はちやほやされるので、そういう付き合いはなるべくしないように、そしてそういう環境になるべく身をおかないように釘はさしているのだが、ここでフランス語をヴォランティアでしているもの、ひとつはフランスの文化を伝えることと、もうひとつは、彼女がフランス語を教えることが日本人のために何か役に立てることのひとつであるからで、ここに来たのだからせめて何か日本人の役に立ってもらいたいからである。
この前も言ったが、彼女には私は「対等な付き合いができる人間を友達にしろ」と言っている。
やたらちやほやしたり、パンダのように珍しがるのはだめ、特に金髪や青い目がかっこいいとか、自分の目の色や髪の色に誇りが持てない人間に他国の人間を本当に尊重できるはずはない。
彼女は将来外交官になりたいと言う夢があるのだが、自分の意見をしっかり持って、対等に付き合える人間は、将来的にも大切な友人になれるからであって、ここでとりまきを100人つくるよりも尊いことだと伝えてあるのだが、そのことはよくわかっているようである。
彼女の夢は外交官だが、本国から新聞をダイジェスト版で送ってきてもらっている。
先日ある文を日本語に訳したいということで、その記事を持ってきた。「フランス語は訳せない」と言ったら、意味を調べてあとは英語を訳すようなものだから見てほしいと言うことを言ってきたので、少し見てあげた。
やってみるとなかなか面白いものだ、言葉もだいたい英語ににているので、そこから意味を察して、あとは英語を訳するようにつなげていくのだが、しかし訳していて意見が食い違うことがしばしばある。
どこが食い違うかと言うと特に前置詞のとらえ方である。
いっしょに訳していて分かるのだが、欧米圏の人間はこの前置詞を感覚的にも文法的にも、我々と違うかたちでとらえていることは確かである。
どう違うかと言うことは私がいっしょに訳していて感じたことなので、間違いがあっては困るので、あえてここで詳しいことは書かないが、しかし、最近はそういった前置詞の研究が進み日本でもそのような本が売られているが、日本人と欧米圏の人間では、この前置詞のとらえかたが感覚的なものも含めて違うことは確かなことである。
「何がお望みですか」を英語でどう訳すだろうか?
よくあるのが「What do you need to me」であるが、しかしこれは間違いである。
こういう間違いは特にアジア人に多いそうだが、正確には「What do you need from me」と訳す。
私にという要求が自分に向いていくからToでいいんじゃないのかと思うかもしれないが、しかしネイティヴというか欧米の人間の感覚やとらえかたは少し違うそうだ。
なぜToではなくFromかというと、ここでは自分がある事柄が要求されているわけで、その要求されている事柄が自分から離れていくわけであるから、Toをつかうと、逆にその事柄が自分にかえってくることになる。
その要求されている事柄は自分に与えられるのではなく、自分から離れていく、だからToではなく、分離をあらわすFromをつかうのが自然らしいが、このように我々と欧米の人間では実にこういう感覚の違いがある。
この「What do you need to me」の文は間違いであるが、しかし彼女とその訳で、意見が食い違ったのも、この感覚というかとらえ方の違いであると思っている。
私は専門家でないのでこういうことをいうのもなんだが、今英語の文法がとらえなおされてきている。
最近では前置詞や動詞などに関する本が出て来ているのが、おそらく文法ではこの前置詞に関する本が一番多く出されているのではないかと思っているが、私が中でもお勧めするのが、大西泰斗の「ハートで感じる英文法」である。
これは見事にそのネイティヴと言うか欧米圏の言葉を伝える時の感覚を表しているのだが、おそらくはじめて読む人にとっては目からうろこと言ってもいい。我々が英語を話していてつまずくのは文法ではない感覚である。おそらくこの感覚がわかれば、日本人にとって英語はもっと話しやすくとっつきやすいものになると思っている。
だいぶ日本語も話せるようになり、家での会話はほとんど日本語で、前まではアリンと呼ぶと「ハイ」だったが、最近では「何?」という返事になってきたので愉快である。
彼女には特に好きな食べ物が二つある。ひとつは「てんぷらうどん」今度うちのクラブの人に、おいしいところにつれていってもらうそうだが、このことを伝えたらよほど大好物なのか、連れて行ってもらえるのをかなり楽しみにしている。
そしてもうひとつは「牛すじ煮込み」これは焼肉屋で私が食べているのを見て、それを少し食べて以来、その味にはまってしまったのだが、食べ方もわかっていて、「牛すじ煮込み」はごはんといっしょに食べるのがおいしいことがわかったそうで、今では注文して先に「牛すじ煮込み」がきても、さきにそれに手をつけずご飯がくるまで待ってごはんといっしょに食べると言う通な食べ方がわかってきた。
よくうちの家には外国人がくるので楽しそうだという人もいるが、しかし私たちは、楽しもうとか刺激を求めてそうしているのではない、ただ自分が向こうにいた時にお世話になったからということと、私の親が外国人だったので、私も彼ら彼女らの力になれたらと思って、ホームステイなどを頼まれたら引き受けている次第である。
私は彼ら彼女らが、ここには遊びに来ているのではないと言うことを認識している。
特に白人系の人はちやほやされるので、そういう付き合いはなるべくしないように、そしてそういう環境になるべく身をおかないように釘はさしているのだが、ここでフランス語をヴォランティアでしているもの、ひとつはフランスの文化を伝えることと、もうひとつは、彼女がフランス語を教えることが日本人のために何か役に立てることのひとつであるからで、ここに来たのだからせめて何か日本人の役に立ってもらいたいからである。
この前も言ったが、彼女には私は「対等な付き合いができる人間を友達にしろ」と言っている。
やたらちやほやしたり、パンダのように珍しがるのはだめ、特に金髪や青い目がかっこいいとか、自分の目の色や髪の色に誇りが持てない人間に他国の人間を本当に尊重できるはずはない。
彼女は将来外交官になりたいと言う夢があるのだが、自分の意見をしっかり持って、対等に付き合える人間は、将来的にも大切な友人になれるからであって、ここでとりまきを100人つくるよりも尊いことだと伝えてあるのだが、そのことはよくわかっているようである。
彼女の夢は外交官だが、本国から新聞をダイジェスト版で送ってきてもらっている。
先日ある文を日本語に訳したいということで、その記事を持ってきた。「フランス語は訳せない」と言ったら、意味を調べてあとは英語を訳すようなものだから見てほしいと言うことを言ってきたので、少し見てあげた。
やってみるとなかなか面白いものだ、言葉もだいたい英語ににているので、そこから意味を察して、あとは英語を訳するようにつなげていくのだが、しかし訳していて意見が食い違うことがしばしばある。
どこが食い違うかと言うと特に前置詞のとらえ方である。
いっしょに訳していて分かるのだが、欧米圏の人間はこの前置詞を感覚的にも文法的にも、我々と違うかたちでとらえていることは確かである。
どう違うかと言うことは私がいっしょに訳していて感じたことなので、間違いがあっては困るので、あえてここで詳しいことは書かないが、しかし、最近はそういった前置詞の研究が進み日本でもそのような本が売られているが、日本人と欧米圏の人間では、この前置詞のとらえかたが感覚的なものも含めて違うことは確かなことである。
「何がお望みですか」を英語でどう訳すだろうか?
よくあるのが「What do you need to me」であるが、しかしこれは間違いである。
こういう間違いは特にアジア人に多いそうだが、正確には「What do you need from me」と訳す。
私にという要求が自分に向いていくからToでいいんじゃないのかと思うかもしれないが、しかしネイティヴというか欧米の人間の感覚やとらえかたは少し違うそうだ。
なぜToではなくFromかというと、ここでは自分がある事柄が要求されているわけで、その要求されている事柄が自分から離れていくわけであるから、Toをつかうと、逆にその事柄が自分にかえってくることになる。
その要求されている事柄は自分に与えられるのではなく、自分から離れていく、だからToではなく、分離をあらわすFromをつかうのが自然らしいが、このように我々と欧米の人間では実にこういう感覚の違いがある。
この「What do you need to me」の文は間違いであるが、しかし彼女とその訳で、意見が食い違ったのも、この感覚というかとらえ方の違いであると思っている。
私は専門家でないのでこういうことをいうのもなんだが、今英語の文法がとらえなおされてきている。
最近では前置詞や動詞などに関する本が出て来ているのが、おそらく文法ではこの前置詞に関する本が一番多く出されているのではないかと思っているが、私が中でもお勧めするのが、大西泰斗の「ハートで感じる英文法」である。
これは見事にそのネイティヴと言うか欧米圏の言葉を伝える時の感覚を表しているのだが、おそらくはじめて読む人にとっては目からうろこと言ってもいい。我々が英語を話していてつまずくのは文法ではない感覚である。おそらくこの感覚がわかれば、日本人にとって英語はもっと話しやすくとっつきやすいものになると思っている。