今年から留学生をあずかるので、東京から担当者の人が来られて打ち合わせと言うか話し合いをした。
交換留学生を受け入れたのは、友人の勧めであるが、実際留学生を長期にわたってあずかるというのは、はじめてである。
その代表者の方も、結構期待してくれて、末永くつきあっていただきたいと、わざわざここまで来てくれたのであるが、しかしこれは子供だけではなく、私自身のためにもなると思っている。
でその留学生、飛び級のあいた1年をここで滞在して勉強するのだが、彼女は生粋のパリっ子である。
フランス人には親しい友人がいるのだが、英語が聞き取りにくい、聞き取りにくいので「お前もっとわかるように説明せい」というような感じで言うのだが、そのことを懸念して英語はどれだけ話せるのかと聞くと、さすが飛び級、彼女はかなり流暢で、おまけにスペイン語まで流暢に話せるそうである。
しかし何もこれは驚くことではない。
ヨーロッパや各国に行くと結構外国語をいくつか話せる人に出会う。
彼女も実際フランス語、英語、スペイン語、そして習っている段階であるが、日本語と中国語を話すかなりのマルチリンガルである。
今回日本に来るのも将来アジアで仕事がしたいということで、日本に留学することを決意したのだが、ヨーロッパ人や他の国の人たちは、彼女を見ていてもわかるように語学の重要性と言うものをわかっている人たちが多いと思う。
彼女も実際アジアで仕事をするには、日本と言う国が重要だということを考え、日本語を学んでいるだけだが、弱冠十五歳でこういう考え方ができるのは、彼女が外国語を話せ、自国だけを意識していないからだと思っている。
日本の留学生は何となく日本の社会と言うか、何かに閉塞感を感じて外国に留学して、そこでいろいろな人と出会い、学んでいるうちに、これではだめだと考え方を改めさせられることが多いと思う。
しかし小学生の間から民族は、自分たちだけではないということを実際交流し、肌で感じさせることは大事なことであり、またそこでコミュニケーション手段としての言葉の重要性を教えることは大事なことである。
私は彼女にいろいろな人と出会い、特に高校生や学生は交流を深めてお互いを刺激してほしいと思っている。
私がなぜ語学、語学と言うのかというのは、スポーツにおいても語学が欠かせないからである。情報も今ではほとんどが英語のものからきている。医学の世界でも昔は医者はドイツ語が必須であったが、今ではほとんどが英語のものだそうで、外国語特に英語は必要、これがなければ情報を集めることは難しく、ついでに言えばスポーツにはインターナショナル的な感覚が必要だからだ。
最近では小学校にも外国人が来て、何やら国際交流を深める時間があるそうだが、こういう時間は我々の時代にはなかったことであり、今回留学生をうけいれてわかったのだが、その学校は留学生には制服を貸したり、授業料も無料で積極的に留学生を受け入れているそうで、そういう学校はここだけではなく、いくつか県内にあるそうである。
もうこの時代に、日本独特の縦社会の運動クラブというのはないだろうと思っている。
徹底した縦社会、意味のない礼儀、特に声だしというのは誰が考えたのだろうか、稚拙でばかげている。
今思えばあれはなんだったのだと思うことが多かったのだが、こう言った独特の考え方や、雰囲気は、単一民族が集まっているからできるのであって、今や外国から影響を受け、国際社会を目指している日本では間違いなく、弊害と言えるであろう。
スポーツと言うのは、元来国際交流の場として最もふさわしい場である。
もともと文化が違う人間同士が、スポーツと言う場を通してそこで交流を深めることができる場である。
しかしお互いが互いにその人間を受け入れ、交流を持とうと言う気持ちがなければ、それは単なる未知との遭遇であって、その交流を深める手段として語学が重要なのである。
交換留学生を受け入れたのは、友人の勧めであるが、実際留学生を長期にわたってあずかるというのは、はじめてである。
その代表者の方も、結構期待してくれて、末永くつきあっていただきたいと、わざわざここまで来てくれたのであるが、しかしこれは子供だけではなく、私自身のためにもなると思っている。
でその留学生、飛び級のあいた1年をここで滞在して勉強するのだが、彼女は生粋のパリっ子である。
フランス人には親しい友人がいるのだが、英語が聞き取りにくい、聞き取りにくいので「お前もっとわかるように説明せい」というような感じで言うのだが、そのことを懸念して英語はどれだけ話せるのかと聞くと、さすが飛び級、彼女はかなり流暢で、おまけにスペイン語まで流暢に話せるそうである。
しかし何もこれは驚くことではない。
ヨーロッパや各国に行くと結構外国語をいくつか話せる人に出会う。
彼女も実際フランス語、英語、スペイン語、そして習っている段階であるが、日本語と中国語を話すかなりのマルチリンガルである。
今回日本に来るのも将来アジアで仕事がしたいということで、日本に留学することを決意したのだが、ヨーロッパ人や他の国の人たちは、彼女を見ていてもわかるように語学の重要性と言うものをわかっている人たちが多いと思う。
彼女も実際アジアで仕事をするには、日本と言う国が重要だということを考え、日本語を学んでいるだけだが、弱冠十五歳でこういう考え方ができるのは、彼女が外国語を話せ、自国だけを意識していないからだと思っている。
日本の留学生は何となく日本の社会と言うか、何かに閉塞感を感じて外国に留学して、そこでいろいろな人と出会い、学んでいるうちに、これではだめだと考え方を改めさせられることが多いと思う。
しかし小学生の間から民族は、自分たちだけではないということを実際交流し、肌で感じさせることは大事なことであり、またそこでコミュニケーション手段としての言葉の重要性を教えることは大事なことである。
私は彼女にいろいろな人と出会い、特に高校生や学生は交流を深めてお互いを刺激してほしいと思っている。
私がなぜ語学、語学と言うのかというのは、スポーツにおいても語学が欠かせないからである。情報も今ではほとんどが英語のものからきている。医学の世界でも昔は医者はドイツ語が必須であったが、今ではほとんどが英語のものだそうで、外国語特に英語は必要、これがなければ情報を集めることは難しく、ついでに言えばスポーツにはインターナショナル的な感覚が必要だからだ。
最近では小学校にも外国人が来て、何やら国際交流を深める時間があるそうだが、こういう時間は我々の時代にはなかったことであり、今回留学生をうけいれてわかったのだが、その学校は留学生には制服を貸したり、授業料も無料で積極的に留学生を受け入れているそうで、そういう学校はここだけではなく、いくつか県内にあるそうである。
もうこの時代に、日本独特の縦社会の運動クラブというのはないだろうと思っている。
徹底した縦社会、意味のない礼儀、特に声だしというのは誰が考えたのだろうか、稚拙でばかげている。
今思えばあれはなんだったのだと思うことが多かったのだが、こう言った独特の考え方や、雰囲気は、単一民族が集まっているからできるのであって、今や外国から影響を受け、国際社会を目指している日本では間違いなく、弊害と言えるであろう。
スポーツと言うのは、元来国際交流の場として最もふさわしい場である。
もともと文化が違う人間同士が、スポーツと言う場を通してそこで交流を深めることができる場である。
しかしお互いが互いにその人間を受け入れ、交流を持とうと言う気持ちがなければ、それは単なる未知との遭遇であって、その交流を深める手段として語学が重要なのである。