よくコーチが基本と言うが基本っていったい何なのだろう?基本ができていないとかよくわけのわからないことを言うが、日本人は基本にかえれというと妙に納得するが、基本と言うのはそのスポーツのルールをおぼえることではないかと思っている。そもそも外国ではbasic的な動作は存在するが、しかしそれは根本的には日本で言うところの基本ではない。私の経験上日本人は強くパンチをうたせる時にどうやったら強く打てるかと言う方法を教えるが、しかし向こうではとにかく強くうてと言い、それを試行錯誤いろいろなやりかたで何回もためして強くうてたらいいという考える。基本と言うのは大事なことだが、しかしやたら基本と言うのはその人の個性をつぶすものでもあると思う。日本の空手は最初に型ありきであるが、しかしボクシングは西洋のスポーツだから空手のような型は存在しない、存在しないから人のを見てコピーしてそれにオリジナリティをくわえて上達していくのがボクシングのトレーニングである。
スポーツしかできないのは思いっきりディスアドバンテージだというのには根拠がある。最近ではそうではないが、しかし日本と言う国はスポーツしていることがいいことだと勘違いしている。それが場合によっては偉いことだと勘違いするのだが、スポーツ校では中間や期末などの試験がなかったり、授業を切り上げて練習をさせていると言うような話を聞くが、しかし一般の中高生はコツコツと机に座って勉強して試験をして単位をとっているのだ、それをただスポーツをやってればいいというのは思いっきり間違っている。人間は思い切り勉強をしなくてはいけない時期がある。そこでコツコツと一生懸命するかしないかで差が出てくると思う。私が高校生の頃中学時代の知り合いがあるスポーツ校の運動クラブに入っていた。そこは寮生活でほぼ毎日練習や試合がある。そういう生活を彼は3年間続けたらしいが、その引退した頃に彼と町でばったりとあった。学生時代にやくざのチンピラになった地元の同級生と組の前でばったり会ったこともあったが、しかしはっきり言ってそいつよりもインパクトはあった。まずファッションがいけていない やっと伸びかけた髪にパーマをあてるからほぼパンチパーマだ、さらに私服も目立てばいいと言うようなブライトカラーで黄色いズボンに派手なベルトはまさに刑務所から出てきた奴はこんな感じなのだろうなあと彷彿させるかっこうだ。もう少しましな恰好はないのかよと思ったが、3年それしかやってこなかった彼にとっていけてる恰好がこれである。少し話はずれたが人間は一生懸命学ばなくてはいけない時期があってその時期に一生懸命学ぶことで差が出てくる。きちんと学習をしてこなかった人間は未熟である。こういう未熟さをのこしたままでスポーツでほめるだの都合のいいことを言うのは教育的には弊害であると思う。当たり前だが中高生は勉強をするのが本業であり、これは国民の義務でもある。私がこういうのは一般論であって。こういうとじゃあ勉強ばかりしている学者は変人が多いじゃないかと言う人間もいるが、しかしあくまでこれは教育的な視点から見た一般論であって、その一般論を位置付けるのは教育の度合いであると信じている。