韓国人の知り合いの大学生の子が卒業したらアフリカでボランティアすると言う話を聞いて驚いた。えっ嘘だろあれだけ差別していた民族がしかも大学生の女性が行くなんて、本当に韓国もかわったと思う。スペックに書き込むためかもしれないが彼女らのように積極的に海外に行ってボランティア活動をするものも少なくはない。10年ぐらい前にテレビで韓国人に差別されたと言う人が集まって涙ながらにうったえるテレビ番組があって、個人の女性が韓国の有名大学を出て面接に行った時に黒人がここに何をしに来たと言われたと言っていたが黒人や東南アジアの人間は差別されていたと思う。私の友人も黒人の男の子に名前を聞いてフランス語読みでピエールと言ったので「がははは」と笑ったが、おそらく彼らの価値観では黒人がそういう貴族のような名前をつけるのがミスマッチで生意気な名前をつけやがってとばかりに笑ったのだと思う。人種差別ほどえげつないものはない。エスニッククレンジング浄化と言う言葉をつかって民族を大虐殺できるのだからおそろしい、私は民族や人種差別が一番怖いと思っている。私自身も習慣が違う民族はあまり好きだと言えないが、しかしだからと言って排除することはしない。こういう奴がいたらはっきりと伝えるようにいているが日本人はそれができない。それができないのは、その違いがわからないその違いを理解しようとしないからだ。しかし理解すると言っても何もそれをすべて受け入れることではないと思う。世界は自分たちがすべてではないのだから自分たちが生きていく上で自分たちの権利を守り主張すると言うことである。日本人は約束を守ると言われているが、しかし西洋人は違う。たぶん西洋人は約束そのものよりも契約が重要だと思うのだが、もし何か問題がおこればそういう契約に基づいて話を進めるほうが約束するよりも重要なことだ。昔不動産関係の友人に韓国人の入居者のことで相談を受けたことがある。それは貸した部屋を平気で改造するということであった。向こうでは借りた部屋を勝手にリフォームしても問題はないと言う習慣がある。大家にして見れはまさかそんなことはと思っていたのだろうが、しかし彼ら彼女らにしてみればそれはごく当たり前のことである。この時私はどういうアドバイスをしたのかはっきりとはおぼえてはいないが、しかし契約をしっかりさせてこれからそういう文言を契約書に事細かに乗せる必要があるといったことは確かである。韓国人は話せばわかる。しかし世の中には自分たちとは全く考え方が違う民族もいることは確かである。日本人の道徳心は素晴らしいが、しかしグローバルスタンダードではもはやそういう常識は通用しないのが現実だ、自分たちの主張ばかり考えたらエスニッククレンジングのような悲劇を引き起こすこともあるが、しかし他民族同士が共存してやっていくためには契約と言う概念は必要である。
話は個性の話になるが個性はその人がどこで生まれたかそして何をやってきたかということが大きく関わっている。そしてそれは民族も然りである。しかし日本では勉強がきらいな人間やDQNのためにあるようなもの、まともに勝負できない人間の負け惜しみの言葉にさえ聞こえるがDQNの場合は個性ではなく種類である。黒人の子供がピーターをフランス語読みでピエールと言ったのは彼がフランス人だからだ。普段は日本語を話し、日本人のように生活していても、我々が認めなくてはいけない個性がある。島国の日本人がそれを理解することは難しいが、しかし一歩前に出てそれを認めて行くことは必要である。