またまたスポーツ指導者が暴力をふるったようである。残念なことにこういう記事は結構頻繁にでてくる。そしてそれに対して元アスリートたちががけしからんことだとコメントするが、私は彼ら彼女らにすごく違和感をおぼえる。本当にそう思っているなら元ジャイアンツの桑田やイチローみたいにもっと前から体罰はだめだと言っているはずだ、私もずいぶん前から言ってきたことだが、そういう行為を目の当たりにしたり聞いたりしたら、誰もがあかんと思うはず、何も言わない人間はその暴力を容認しているのと同じだ、今までは自分を強くしてくれるための愛ある体罰とか言って、多くのアスリートが容認してきたのに、時代がかわれば手のひらをかえしたようにそれはけしからんと異口同音に唱える、私はこういうずるい人間はわかるし、たまらなく嫌いだ。基本的な事柄として暴力や暴力的な行為は絶対にしてはならないこと、そして口で暴力をふるうなと言うのではなくて、むしろそのクラブが平和的な雰囲気を持たなければ意味がないと私は思っている。
話はハワイのヨーロッパ系の監督の話になるが、彼は私がお手本とする指導者である。彼は噂によるとケベックでフランス語を話すとか、大学で教えているので知的で、教養を重んじる人だった。そして彼の語る言葉は時にはラテン語をつかったり、哲学の言葉を用いたり、すごく含蓄の深い言葉であった。私がよく運動クラブなどの話は小学生の終わりの会のようなものだと言うのはそういうスポーツ指導者を彼と比べるからで、私がスポーツ指導者は知的教養を重んじなくてはいけないと言うのは彼の影響によるものだ。彼がよく言うのはボクシングは暴力をあつかうスポーツだからリングを降りたら、ジェントルマンであれ、そして教養を積めということであった。監督や指導者の言葉が知的であったり洗練されると自ずとその群れは平和的になってくる。ヒラリースワンクが主役を演じた、フリーダムライターズと映画があったが、荒れ果てた学校の生徒たちにドラマや文学を教えることでその学校を立て直していったと言う内容だ、知的教養を重んじると言うことは理性を重んじると言うことだ、理性を重んじたらその群れが暴力的でなくなるのは当たり前のことである。
ひとつの事柄を問題にしたら2つ3つの文献や言葉が頭に浮かんで適切な言葉でてくる。私はそういう幅ひろく物事を考える人が、こういう群れにおいて問題解決力に優れている人と理解しているが、こういう知的な人が群れの監督でその群れを管理している。彼は自分の考え方を人におしつけたりしないし、根性論なんて言ったこともない。運動クラブはpatriarchy(家父長制)で監督がお父さんで競技者が子供、その関係は認められるか認められないか、監督によってはきちんと対話もできないくせに、いばったり、威厳を保つのに躍起になっているのもいるが、うちの監督は対話できる、お互いを尊重しあえる関係をつくってくれる、そういう関係をつくってくれたからこそ安心してスポーツを競技出来たと思っている。いつも言っていることだが指導者が知的教養を重んじると言うことは群れを平和にするためにも大事なことだ、うちのクラブはそのことを重んじる、群れが平和的で安心して会員の人がここでトレーニングできるように。
話はハワイのヨーロッパ系の監督の話になるが、彼は私がお手本とする指導者である。彼は噂によるとケベックでフランス語を話すとか、大学で教えているので知的で、教養を重んじる人だった。そして彼の語る言葉は時にはラテン語をつかったり、哲学の言葉を用いたり、すごく含蓄の深い言葉であった。私がよく運動クラブなどの話は小学生の終わりの会のようなものだと言うのはそういうスポーツ指導者を彼と比べるからで、私がスポーツ指導者は知的教養を重んじなくてはいけないと言うのは彼の影響によるものだ。彼がよく言うのはボクシングは暴力をあつかうスポーツだからリングを降りたら、ジェントルマンであれ、そして教養を積めということであった。監督や指導者の言葉が知的であったり洗練されると自ずとその群れは平和的になってくる。ヒラリースワンクが主役を演じた、フリーダムライターズと映画があったが、荒れ果てた学校の生徒たちにドラマや文学を教えることでその学校を立て直していったと言う内容だ、知的教養を重んじると言うことは理性を重んじると言うことだ、理性を重んじたらその群れが暴力的でなくなるのは当たり前のことである。
ひとつの事柄を問題にしたら2つ3つの文献や言葉が頭に浮かんで適切な言葉でてくる。私はそういう幅ひろく物事を考える人が、こういう群れにおいて問題解決力に優れている人と理解しているが、こういう知的な人が群れの監督でその群れを管理している。彼は自分の考え方を人におしつけたりしないし、根性論なんて言ったこともない。運動クラブはpatriarchy(家父長制)で監督がお父さんで競技者が子供、その関係は認められるか認められないか、監督によってはきちんと対話もできないくせに、いばったり、威厳を保つのに躍起になっているのもいるが、うちの監督は対話できる、お互いを尊重しあえる関係をつくってくれる、そういう関係をつくってくれたからこそ安心してスポーツを競技出来たと思っている。いつも言っていることだが指導者が知的教養を重んじると言うことは群れを平和にするためにも大事なことだ、うちのクラブはそのことを重んじる、群れが平和的で安心して会員の人がここでトレーニングできるように。