脱あしたのジョー

MTオリーブフィットネスボクシングクラブのブログ

Acta est fabula. plaudite!

2008-12-25 | Weblog
全日本社会人大会が開催されているらしい。うちの同盟ジムからは二人の選手がともに出場したらしい。
山口さんの日記によると、一人は今回これで引退するらしいが、自分はここまでがんばったその彼にエールをおくりたい。
全日本社会人であるから当然みんな仕事をそれぞれ持っていると思うが、仕事とボクシングの両立はたいへん難しいことである。健康維持や趣味でやっているのであるならば、むしろ仕事のモティベーションをあげるためにいいことかもしれない、がしかし試合に出るということならばそれは別、試合に勝つためのボクシングをするのであるから、当然中途半端な考えや練習では通用しないし、試合のリングへあげてはもらえないだろう。しかしそういった環境で時間をつくり、練習をして全日本大会に出場するのであるからたいしたものである。
ここにくるまでにいろんな思いや出来事があったと思う。本当に自分はやっていけるのだろうかという不安や、がんばりたいという願い、そこにはいろいろなドラマがあったことであろうと思う。
Acta est fabula. plaudite!(芝居が終わった拍手せよ)は自分が好きなラテン語の言葉であるが、自分はボクシングをひとつの舞台と考えている。
われわれはそこで芝居を演じるアクターのようなものである。勝つものもあれば負けるものもある。そして彼らに求められているのはどれだけ一生懸命戦ったということ。そしてもしそこで負けて終わったとしても、その人が立派にその舞台の役をつとめたのならば、観衆は惜しみない拍手をもって賞賛しなければならないのだ。
役者の「価値」はその芝居が終わった後の拍手によってきまる。
ボクサーの「勝ち」もその試合が終わって引退した時、どれだけ多くの人が拍手を送ってくれるかということであり、もし多くの人がその人を賞賛し、惜しみない拍手をおくるのであれば、最高のボクシング人生をおくれたのではないだろうか。





  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

へたれ軍団のルサンチマンパワー

2008-12-24 | Weblog
試合の時の声援は選手にとってありがたい。
この前の試合でもうちの選手が「誰々さんの声援は力になりました」とか「あれだけ声を出してくれたのに負けてしまって申し訳ない」と言っていたが、この言葉からも彼らが声援をうけてそれに応えようと戦っていたことがわかる。
うちのジムが参戦する大会はたいていは他県である。地元であるならば見に来てくれる人も多くいるのだが、兵庫県ともなればAwayであり、誰もが不安な状態で試合に臨むこととなる。
幸いなことにうちのジムは同盟ジムが共に応援してくれるので、それがたいへん選手の励みになるのだが、この前も終わって、その応援がよほどうれしかったのだろうか、終わった後も彼らは声援のことばかり語るのであるが、この気持ちは外国で多くの試合を経験した自分にとっては十分理解できる。
彼らもたぶんAwayであるからこそわかるありがたさであると思うが、不安でしんどい時に、こうして大きい声で応援してくれる存在があることは、たいへん心強いことではないだろうか。
自分がボクシングをやってきて一番わかったことは、しょせん人間は弱いと言うことである。
強さを求めてボクシングをはじめたのに、やればやるほどその弱さがわかると言うのは皮肉なことであるが、逆に言えばその弱い自分に気づき、それを克服しようとするからこそ本当の強さが見えてくるのかもしれない。
しかし自分は超人ではないから、一人ではその不安や恐れを克服することができない、できないからこそみんなの助けが必要である。だからこそ応援は自分たちの力となる。
人間は弱い、試合はこわいし不安である。しかしそれでもボクシングは人と戦わなくてはならないスポーツである。
けれどもその不安やおそれをかくしたり、それをひとりでのりこえる必要はない。
その恐れや不安を共に共有してくれようとする友の存在を、われわれは知らなくてはならない。
「自分も戦いたいけど仕事でいけない」「試合に出て殴り合いをしたいのだがそれが怖いからできない」そういう人たちはここにはたくさんいる。
また選手たちも然り、そういう不安や恐れをもって試合に挑むという点では同じである。だから応援と言うのは、そういうみんなのそれを乗り越えていこうとする声であり、自分たちにかわってがんばってくれよという力である。
俺たちはへたれ軍団である。正直けんかもそう経験したことがないものが多いので、殴り合いなんて怖い、しかしそういう人間だからこそ、またお互いの不安や恐れというものが理解でき共有できるのではないかと思っている。
自分は思うボクシングはひとりではできない。一人でやるもんだと思っている地点で負けである。
自分は言う「怖かったらかたまれ、そしてかたまって不安な奴を応援したれ」と。
へんな言い方かもしれないが自分たちは弱い、しかし弱いからこそ、その弱さをお互いが理解し合い支えあうことができる。そういう弱さを認めて戦うからこそ、本当にがんばれ負けるなという気持ちになれる。その声を相手にとどけるのである。
たぶんニーチェに言わせれば、自分たちの考え方はルサンチマンのようであるが、それで結構、弱いからこそお互いを支えあうのであって、そこから強さと言うものを引き出していけると自分は信じている。







  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

へたれジム

2008-12-19 | Weblog
うちのジムはへたれジムである。優等生っぽいのは多いが、けんかはからっきしだめというのがほとんでで、この前も試合に行った時のこわい輩についてのへたれ話で盛り上がっていた。
だいぶ前もうちの小学生が同級生をおこらせ、ぼこられるという事件があったし、ここにきたら本当に強くなるのかとさえ疑問さえ抱かせる場所である。
しかしここにもそれなりのメリットはある。
それはそれだけへたれが多いぶん、めちゃめちゃ強い選手やこわいヤンキーに気をつかわなくてもいい。へたれでも堂々と自由に練習できるのである。
プロのジムでは練習生がプロに気を遣い、サンドバックをたたく時もプロや強い奴が優先とか、そりゃ競争の原理が働けば当たり前のこと、しかしここには小競り合いはあっても、競争の原理などないに等しい、だからへたでもへたれでも堂々と練習ができるのだ。
うちのジムにK尾という大学生がいる。彼は言葉に「絶対」とか「間違いなく」とか「100」という断言的な言葉をつけるのであるが、彼が言ってた「普通ボクシングジムってヤンキーの巣窟でしょ100そうですよ」と。
しかしここは以外だったらしい。
確かに究極の強さを求めるには物足りないジムかもしれない、だがみんなが楽しんで充実したボクシングができればと思っている。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

タシ マンナソ ノム キッポヨ

2008-12-18 | Weblog
タシ マンナソ ノム キッポヨ(また会えてたいへんうれしいです)の言葉で、久しぶりの再会ははじまった。
10年ぐらい前のキンポ空港での話。昔の友達である趙くんとの再会である。
その頃30を過ぎていたのだが、彼のジャンパーがすごい、日本人は絶対着ないようなまっ赤なジャンバーをきている。
おそらくこんなの日本で自分らぐらいの人間が着てたら、変な奴と思われるだろう。しかしここでは不思議と違和感はない。
韓国の人は原色が好きである。なぜかと聞くとはっきりしているからであるそうだ。これに対して日本人はどちらかというと、灰色のようなあいまいな色が好きであるが、彼曰くこの色の好みにお互いの性格が表れているという。
確かに話していても彼らは物事をはっきりさせたがる。あまりにダイレクトな質問にお茶をにごすような態度であるならば、はっきりさせろとばかりに結論を促す、そういう民族性なのだろう。
自分はそういう時はけんかになってもかまわないから、はっきり答えるようにしている。時々日本のことを聞かれておおげんかになったこともあったが、それでもお互いそこで終わることはなく、今友人としてこのソウルで再会できた。
えらそうなことをいうかもしれないが、自分が人間関係の中で学んだ教訓は、人に合わせるよりも認められろである。あいまいな意見を言って人にあわせるだけでは本当に人から理解されないし認められない、けんかになってもかまわないという気持ちで主張していくことも大事なことかもしれない。
人づきあいというのはたいへんむずかしい。最近人間関係が希薄になっていると言われているが、おそらく最近の若い人はこのキャパが小さいのであろうと思う。
傷つきたくない、穏便に行きたいという気持ちは誰にだってある。しかしそんなことにおじけづいていてはだめだ、はっきりと自分を主張することが求められている。
あらい意見かもしれないが、今このけんかのできない奴が多い。ここでけんかと言っても集団で相手をなぐったり、凶器で相手を傷つけるようなやくざまがいのものではない、ルールあるけんかといったらおかしいが、自己主張するけんかである。
昔はよくけんかをして仲直りをした後、その相手と普通以上になかよくなったものだが、今こういう体験がすくなくなっているのではないかと思っている。
若いうちは自己主張のかたまりである。
だからもっともっと自分の意見を言い合うことが大事であり、時には大きなぶつかり合いも必要だ。その経験が相手を受け入れたりできるキャパを、ひろげるのではないだろうか。
よく自己主張とか言うが、よくあるのはそれをお互いにぶつけることをせず、親や教師というような、自分が傷つけられないような相手にしかぶつけられず、逆に友達には気をつかう。何かおかしいような気がする。
自分曰く友達と言うのは、そういう自分の主張と言うのをぶつけあい、ときにはけんかになるがうけとめあうからこそ友達である。そしてその経験が本当にかけがいのない友人をつくっていくのだ。
自分と趙くんも10年以上はなれていたが、しかし久しぶりに再会した時昨日あった友のように話すことができたのは、自分と趙くんがお互いに自己主張しあったからである。
一日や二日メールがこないとか、そういうことを気にするような人間関係はさみしい、最近自己主張と言う言葉がつかわれるのであるから、お互いをもっと主張しあって自分を高めていってほしい。











  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

二人三脚

2008-12-16 | Weblog
時々若いのに「練習したらうまくなって試合に勝てますか」と聞かれる。
自分はそう聞かれたら「わからん」と答えるが、最近、何をやるにしてもその見返りを先に求めるのが多い。
「練習したら強くなるか」とか「練習したら試合で勝てるか」など、どういう答えを求めているのだろうか、子供でもあるまいし、高校生どころか20代ぐらいでも聞いてくるのであるから驚きである。
とにかくやってみなくてはわからない、何もせずに後からああすればよかったと嘆くよりはいい、だから一生懸命やるのである。
むかしHIでジムに練習に行った時、ゴールデングラブの選手とスパーリングをしたことがある。ゴールデングラブがどれだけ大きな大会かと言うことは関係者ならわかっていると思うが、このゴールデングラバーに対して自分はその時一発もパンチをあてることができなかった。
その時の苦々しい思いでは今でも記憶の中に残っている。
終わって自分はしばらくジムに立ちすくんでいたのだが、その悔しそうな自分の姿を見て「ボーイ 強くなりたいか」と声をかけて来たのがいた。
その人物こそが日系のコーチジョージである。今でもその時の様子は覚えている。自分がしばらく彼をみつめ、そして「Yes」と強い返事をしたと思うが、その時ジョージは笑って明日またここに来いと言った。
この時から自分は彼の教えを個人的にうけることにしたのだが、少なくとも自分はこの時、手ほどきを受けたら強くなるのかとかいうくだらない質問は一切しなかった。
自分が強くなりたいから彼に教えを受けたのであって、逆に自分が努力すれば強くなる自信があったし、逆にそんな他力本願なことを聞くような奴にジョージも救いの手を差し伸べなかっただろうと思っている。
ボクシングはコーチとボクサーの二人三脚である。
一方だけに頼っているだけではうまく走ることはできない。だから強くなれますかとか、試合で勝てますかというようなおろかな質問をするような他力本願なやつとは二人三脚は組めない、いくらコーチががんばったところで最初からコースアウトである。
ボクサーにとって最も重要なことは気持ちの強さである。人をたよってどうのこうのではなく、自分は強くなりたい、試合で優勝したいそういう気持ちが人よりも強ければコーチとの二人三脚はうまく走れるであろう。
しかし逆にこの気持ちが弱ければコーチとの二人三脚はうまくいかない。
ボクシング大国に行けばわかるが、日本で少々才能があってもそこでは才能なんていう言葉すら言葉にできない、それぐらい天才がごろごろころがっている。
そういう中で強くなり生き残っていくには夢を持つことである。
夢と言っても小学生がかたるような夢でもなければ、言わせてもらえるから言うような低レベルの話ではなく。何を具体的にどうするかということであり、自分がどうなりたいかという強い「希望」「要求」である。
そしてそのために一生懸命努力する。そういう強い気持ちがここでは要求されるのである。
ボクサーを育てるというのは単に技術的なことを伝授するのではない、最終的にはその人がどうなっていくかということが問題であり、その目標に向けて二人三脚で歩んでいくことが大事であり、そしてその目標はボクサー自身がどうあるかという気持ちの強さと責任の問題である。







  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

我が恩師

2008-12-15 | Weblog
ほぼ毎年のことであるが、HIから自分の恩師が来られる。Hiと言えば自分の青春時代の一部を過ごした場所ではあるが、ここには多くの思い出がつまっている。
特にこの先生との出会いは大きく、勉強以外にもたくさんのことを教えられたことは確かである。
今でも覚えていることは、食事に招かれていった時のことである。自分はここでよく食事をごちそうになっていたのだが、実は自分がここに行くときは、いつも試合の前であまり食事ができず、ごはんなどもプレートの隅に軽くもるぐらいで、自分が食べないことを先生ご夫妻は心配していたそうである。
しかしその時は試合の後ということもあってよく食べたらしい。
料理もおいしいのであるから自然と食が進み、確か三杯目をおかわりした時だと思うが、その時先生ご夫妻はお互いの顔を見て安心したように「はじめておかわりしたね」と自分にいってくれたのだが、その時本当に心から自分のからだを気遣ってくれていたのだという様子が伝わってきた。
クリスマスの時もツリーにいってごらんと言われて、行って見るとツリーの下には自分のプレゼントがおいてあったり、そこにいる間は家族の一員としてふるまってくれたことは事実である。
今この体験は自分にとって大きい。
この体験が自分が人を信じようとか、相手のことを受け入れる時の原動力となっていることは確かである。
ボクシングのはなしであるが、日本人にとってむこうのコーチはほめることばかりというイメージがある。しかし、実は結構怒る。自分もよく飲み込みが悪いときにおこられたことを思い出すが、しかし彼らはその怒れば怒っただけ褒めてくれるのである。
時々ほかのコーチの前で「こいつのパンチのスピードは世界一」だと歯の浮くようなことを言われとまどったことがあるが、しかしそれは単なるお世辞ではない、自分のそういう才能を見出し認めているから逆におこるのである。
ほめたりおこったりするのは、その人のことを受け入れていなければ成立しない。特に相手のことを受け入れていないのに、ああだこうだと注意するのは無意味なことであるかもしれない。
向こうでコーチは選手のことをボーイと呼ぶが、ボーイと言う言葉はまさに自分の息子ということである。自分はリングでもリング外でも、この人に受け入れられているという強い体験によって支えられてきた。勝っても負けてもたとえ結果を残せなくても、いつもと変わらず自分をうけいれてくれる人がいる。だからこそ異国の地で精一杯競技でき、過酷で繊細なスポーツと言われるボクシングで、ある程度結果を残せたと思っている。
まさにこの先生ご夫妻との出会いはその中でも大きいものである。
コーチングにおいて日本人は褒めるのが下手だと言われている。しかし実はそういった表現力の問題よりむしろ、相手のことをどれだけ受け入れているのかということと深くかかわっているような気がしてならない。








  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

Hayley Westenra - Pie Jesu (live)

2008-12-11 | Weblog
Hayley Westenra - Pie Jesu (live)



  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

Hayleyの歌に関する一考察

2008-12-11 | Weblog
また音楽の話になるが、Hayley westenraというシンガーがいる。
日本でAmaizing graceで知られるソプラノ歌手であるが、個人的にはそのLiveで歌うPie Jesuは彼女の右に並ぶものがいないとさえ思っているぐらい、素晴らしい歌声である。
名探偵コナンで戦慄の楽譜(フルスコア)というのがある。
これは音楽家ばかりをねらった殺人事件の謎をコナンが解いていく物語であるが、その中で、トラブルに巻き込まれたことによって代役を得たソプラノ歌手が、音楽家である演出家に、やる気を見せるために言うセリフがある。
それは「私一生懸命歌って代役を務めてみせます」と言う言葉であるが、それに対して演出家は「一生懸命歌うのではない。音楽は神との対話だ、だから祈るように歌え」と言うのだが、このシーンは西洋の、特にバロック音楽の特徴を言い表しているように思えるが、Hayleyも然りである。
Hayleyの歌は、その神との対話というものを彷彿させるものがある。
Hayleyは歌うとき遠くを見つめるように歌うのだが、まさにその姿は自分が努力してきたことを表現するのではない。神との対話である。
そこには神聖な恐れと敬いさえも感じ、圧倒される。そこに聞くわれわれは心をうばわれ、時には深い感動さえも覚えさせられるわけであるが、信仰と言うのはそれ自体悪いものになったり、いいものになったりする。悪い例では宗教戦争などの憎しみや争いではある。自分なんかは、むしろニーチェが言っていることに対して同意することが多くあるのだが、しかし時としてこのような素晴らしい芸術をも生み出す、確かにルネッサンス以前の芸術には限界点があるが、しかし素朴な意味での極みというものも存在しているのである。










  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

僕の好きなシンガー

2008-12-10 | Weblog
今同盟ジムで純愛の話題で盛り上がっている。
自分もそこに居合わせた人間なのでわくわくしながら日記を見ているが、恋愛と言うのは誰でも経験する淡い思い出である。
以前ブログでもあげたがYangpaという韓国人のシンガーがいる。
彼女は、その若い世代の人間の恋愛の感情を歌にしたシンガーソングライターであるが、自分が彼女をおす理由は、歌もそうであるが、彼女の歌には気持ちであるからである
彼女の歌は若い世代の恋愛についてうたわれたものが多いが、その歌の中にその人間の恋する気持ちをこめて歌う、そういう気持ちのこもった歌にぐっとさせられるからである。
韓国語で「怨(wong)」という言葉がある。しかしこれは日本語で言うようなうらみやつらみということではない。
以前説明したと思うが、「怨」とは、一種の感情、気持ちのこすれである。自分が伝えたいけど相手につたわらないもどかしい気持ち、そういう何とも言えない気持ちを韓国語で「怨」と言うそうである。
Yangpaの歌はまさにその気持ちがこもっている。私があなたのことをどれぐらい愛しているか、でもこの気持ちをあなたに伝えることはできない、彼女の歌は時々その相手が去ってしまって、その気持ちや感情をぶつけるような詩が多いが、まさに言葉にできない、ダイレクトに相手に「好きよ」と伝えることができない気持ちを歌っているのである。
恋愛とは言いたくても言葉にできない、伝えたくても伝えることができない、そんなことの繰り返しであろう、Yangpaはまさにそういう「怨」を歌にこめて歌うそれゆえに心に響いてくるのである。



  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ゴールデングラブ

2008-12-08 | Weblog
ゴールデングラブが終わる。結果はうちは一人が優勝。
優勝したY君はまさに作戦勝ちであった。
前日相手が回るときに足がそろいがちであることに気づいたので、Y君にリードをついてとにかく前に出て行って圧力をかけることを指示、結果前へつめられると足がそろってパンチが強く出せなくなりこちらのペーストなる。
おそらく3ラウンド目は、リードパンチをつかつて体勢をたてなおしいっきにたたみかけてくるとにらんだので、しっかりパリングをしろ指示、テクニックは相手のほうが上回っていたが勝利、Y君には自信のつく試合となった。
終わった後一応RSC勝ちなので3賞はあるのかと佐藤に聞いたが「あいつはかたちがわるいから無理や」とあっさり言われみょうに納得し断念。
言い方はきついが実力で勝ったと言うよりはむしろ作戦がちなので、今後は3賞をねらえるようなボクシングをこころがけたいと思っている。
ラッキーのN君の勝ちは気迫がこもっていた。かなり実力差があるので、自分の予想では3ラウンドで10ある力をこっちは「3」「3」「4」の配分で使うところを「4」「4」「1」あるいは最初から「5」ぐらいのペースでくると思っていたので、最初は大きく回って疲れさせて勝負、どこかでたたみかけてRSCをねらっていたのだが、しかし3ラウンドすぎてもラッシュはおとろえず。まさに彼の気迫がまさったといえる。一応こっちの計算ではさすがに3ラウンドまでくるとエグゾーステッドだと思い、そこで行けと指示したが、彼の気迫がまさる。
やはりこちらの作戦ミス、もっと1ラウンド目からジャブをつかって相手を疲れさせるボクシングをすべきであったと思っている。
試合後金星を得たN君がY君に「Yさんのボクシングにあこがれていました。本当に納得のいく試合ができました。ありがとうございました」と言っていたが、この言葉は単なるおべんちゃらではない。彼がどれだけこの試合を大事に考え、そして気迫をこめていたかが分かる。おそらくあの試合は多くの人に勇気を与えたのではないかと思っている。
今回ゴールデングラブに来てあらためて思ったことは、声援の大きさである。
特にうちのY野くんはその声援が聞こえていたらしく「あれだけみなさんが声援してくれたのに結果を出せなかったのが残念です」と言っていたが、そういう応援を感じてがんばっている、まさに応援と選手の気持ちがいっしょになった時、力が発揮できるということを実感した。
7月にはまたゴールデングラブが開催されるが、次の試合ではもっと結果を出したいと思っている。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする