脱あしたのジョー

MTオリーブフィットネスボクシングクラブのブログ

ジーンときた韓国語

2016-06-01 | Weblog

うちのクラブは女性が多い、時にはほぼ女性だけで占められることもあって、その時入ってきた男性はすごくやりにくそうである。うちのクラブではどちらかと言うと女性のほうが真剣にやっている。男はほぼ遊びで途中でしゃべっている光景をよく見る。ちょっとやったら水を飲んで休憩、そしておしゃべりと言う人もめずらしくはない、前に私があまり動かない人間に限って2リットルぐらいの水を持ってくると言うとうなづいていたが、うちはそういうペースでできるクラブだ。しかし女性はストイックに黙々と、女性がサンドバッグをうっている時にすごい執念やなあと茶化したことがあったが、ある意味女の執念は体育会系の言う根性よりもえげつない、たぶん女の執念は男の根性よりも強いと言うことをここのクラブに来たらわかるだろう。

よくある思春期の子供の相談。自分は透明の存在だとか言う。たぶん彼は人の輪にうまく入って行くことができない、友達との関係がうまくいかずに悩んでいるのだろう。私は彼にこうアドバイスした。「人間は絶えず自分が何者かわからないし、自分が自分であると言う自信なんてない。君が今自分は人とうまくやっていけないということで悩んでいるようであるが、人間は不安だから固まる、固まって仲良くすることでお互いが安心しあう。そういう意味では人間はすべて自分が何者かわからない透明な存在なんだよ。多くの人間は透明であるからかたまって安心する。けれどもそれができない人間がいる。たぶん君のような人間はそうだと思うのだが、人間は固まって生きるか相手にその存在を認めさせるかだ。たぶん私のような人間はそう生きてきたかも知れない。けれどもそういう生き方よりももっと大事なのは自分が今生きている証をつくることである。何かを一生懸命やっている間は自分は透明ではない。くやしさをバネにとかマイナスエネルギーをつかって自分を向上させるのではなく、今生きている自分を大切に何かを一生懸命まじめにやればそれ自体が生きている証となる。人間の存在証明なんて履歴書のようなものではない。進行形で何かをし続けるから自分は自分でありうるわけで、そういう生き方ができる人間は自分の生き方に自信が持てる。透明だなんて言っていないで、今自分に何ができるかと言うことを考えて、そしてそれがわからなかったら今ある身近なことから一生懸命取り組んでみろ。そうすれば君はもはや透明ではなくなる。」

韓国語の映画にこういうセリフがある。그래, 굴레를 씌운 건 고약한 세상이지만, 그 걸 벗는 건 김윤식. 미 몫이야(偏見を作ったのは世間だが、克服するかは、キム・ユンシク、君次第だ。)思わずジーンときた。これは身分制度のある朝鮮において、身分の違いにあきらめようとする女性に男性が言った言葉である。自分は透明な存在だと言って感傷に浸るのもいいが、人間はうごかなきゃ何もかえることはできないし、そして自らをかえていくこともできない。自分たちは命が与えられて生きている、その自分が与えられた命の中で生きることがゆるされている。権利としてあるということは素晴らしいことである。世界や世の中は動きづづけている。そういう動き続ける世界の中で化石にならないようにとにかく何かを始めること、それをはじめることで自分は透明ではなくなる。

 

 

 

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