脱あしたのジョー

MTオリーブフィットネスボクシングクラブのブログ

アーレントとMOB

2024-02-09 | Weblog
ハンナアーレントの「権力」は、「人びとが共に集合し、協力して活動するとき生まれ」共同する人間が多数であればあるほど「権力」は 大きなものとなり、「活動」を 通じた集団の共同行為によって形成・維持されるものである。この考え方はマックスウエーバーが「権力と支配」の中で語るような、他者の抵抗に反してでもおのれの意志を貫徹する可能性としての「権力」とは大きく異なっている点が特徴的である。権力と言うと力による何かによって抑制する力を思い浮かべるが、しかし私なりに解釈すると権力とはその群れが無秩序や暴力的な支配にならないように正しい秩序へと結び付けていく何かであり、それはハーレントのいう活動(言葉による人間関係の構築、異なった考え方の意見が言葉を通じて知られることで、共通理解と認識が生まれ、共通世界が実現させることを理想とする)を通して実現されると理解している。アーレントは「全体主義の起源」の中で共通世界が画一化されて全体主義になると他者の立場になって考えることが希薄になると言っているが、全体主義は権力が集中することだと理解しているが、運動クラブで起こる暴力やいじめなどの不祥事は監督の考え方ひとつで全体の方針や目的が決まる全体主義がひきおこす問題であろう。MOBの権力はそのひとりびとりのコモンセンスやエチケットによって決定づけられるもので、それはひとりびとりが安全でかつ、平等そして自由にトレーニングできる権利をうばうものにたいして抑止力となるものである。そしてさらにアーレントが言うように権力が活動によって生み出されるものならば、その群れは流動的であり、たえずそこでは意見交換がなされなくてはならない。話は少しずれるかもしれないが、私がよく群れに知的レベルの高い人たちが一定数存在することでその秩序が自然と保たれると言うのは、常にコミュニティの秩序が流動的な活動を通して守られ、導かれると考えているからだ。

参考文献
「暴力について―共和国の危機」 ハンナアーレント みすず書房
「ハンナアーレント革命について入門講座」 仲正昌樹 作品社


この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 「Drastic」「 Dogma 」「Dou... | トップ | おすすめの電子書籍 »
最新の画像もっと見る

Weblog」カテゴリの最新記事