ここオリーヴには外国語を話せたり、国際的なものに関心のある人は少なくはない。
先日も国際コミニケーション学科を卒業した人若い人と話をしたのだが、彼女いわく私の話はおもしろく、ためになるそうで、そう言われるとたいへんうれしく思う。
ここ最近というか何年か前から、英語を勉強する人が増えてきている。
ここは企業人が多いのだが、その人たちに話を聞くとたいていの会社では英検やTofulなどを受けることを義務付けているそうで、その人も今年英語の検定を受けるそうである。
そう言えば最近プチ留学なんていう留学もあって、ほとんどの人が外国に行って何かを学ぼうとする時代で、よくグローバルという言葉が使われるが、実際日本人は外国に目をむけていることが分かる。
しかし私が思うにこの国際社会で日本人が外国人を知るためには根本的に足りないものがある。
それは何かと言うと宗教を知るということで、特にバイブルを読むと言うことである。
まあ読むと言ってもそれは教養として読めばいいことである。教理や手引きみたいなものをなしに、ただ読んでいるだけならば布教されることはまずないので、安心して読めばいいと思うが、しかしこのバイブルの世界を知ると言うことは外国人の考え方を深く知ると行っても過言ではないのだ。
私は英字新聞をとっているのだが、記事自体を見ても宗教的な記事が多く、面白かったのは先日呼んだ記事で神のジェンダーについて書かれてあった。
それはバイブルで神を表現する時「彼」にするのかしないのか、しかし「彼」神は完全に男としてみなされるので、それは性差別につながるということを真面目に大議論している。
我々から見たら理解できないことであるが、しかし我々にしてみたらどうでもいい議論でも彼ら彼女らにしてみたら重要なことで、これが彼ら彼女らにとっては重要なことなのだ。
まあ実際英語の記事なんかを見たらバイブルの引用がたくさんあるし、彼ら彼女らのスピーチなどでもその言葉を分からなくては真意が伝わらないことが多く日本人は訳す時にそこをあえて訳さないことが多いのだが、彼ら彼女らの日常は常にバイブルと関わっていると言っても過言ではないのだ。
少し前うちのスタッフが恋愛の相談をしてきた。相談と言っても若い人たちにありがちなあれかこれかの選択で、私はこういう話が苦手でなんとか切り抜けたいと思っていたのだが、すると彼女はこういうことを言ってきた。
「まわりはいろいろな人と付き合って決めればいいと言うけど、自分はそういうテンポラリーな恋愛はできない。私が求めるのはエターナル(フォーエヴァー)な恋愛で、そういう人にならすべてをゆるしてもいい」と。
それに対して私はこう切り返したのだが、この意味わかるだろうか?
「エターナルラヴ?そりゃ不可能だ、持っているのは彼(HE)だけだよ。」
まあうちのスタッフはそんな冗談は言わないでくれと言っていたのだが、この意味は宗教と言うものを勉強し理解していなければ分からない。宗教なんてばかげていると思うが、しかしこれが彼ら彼女らの世界観である。
彼ら彼女らの歴史はキリスト教とともに発展してきたのだが、その歴史においてキリスト教徒以外は異邦人とみなし、人間扱いしてこなかったことも事実である。
そう考えればヒラリーは敬虔なキリスト教徒であるらしいが、彼ら彼女らの人類愛と言う視点から見れば我々は同じ人間であるのだが、しかしある意味我々日本人はキリスト教徒である彼ら彼女らから見れば異教徒であり、未だ何を考えているのかわからない、信用に足らない民族なのである。
しかしもしわれわれが相手を知り、この壁を乗り越えることができたならば、ひょっとしたら外交も多少は有利に持っていくことができるかもと考える。
たぶん我々は彼ら彼女らの世界観を理解しついて行ってはいないだろう。
ある大学で教鞭をとっている外国人の先生が、外国語学科の生徒にはバイブルを勉強させる必要があると言っていたが、これには私も同感だ、信教の自由と言うものがあるが、しかしそういうことではなく教養として、知識として外国人をよりよく知るためには不可欠なことであると思っている。
宗教を学ぶと言うことは大事なことだ、おそらくこういうことを知るのと知らないのでは、国際交流をしていく上では大きな違いがあると思う。
私は向こうで結婚式や葬式などのセレモニーに出たが、確かにこう言った場においてもその宗教観の違いがわかって、かなり勉強になったと思う。
先日も国際コミニケーション学科を卒業した人若い人と話をしたのだが、彼女いわく私の話はおもしろく、ためになるそうで、そう言われるとたいへんうれしく思う。
ここ最近というか何年か前から、英語を勉強する人が増えてきている。
ここは企業人が多いのだが、その人たちに話を聞くとたいていの会社では英検やTofulなどを受けることを義務付けているそうで、その人も今年英語の検定を受けるそうである。
そう言えば最近プチ留学なんていう留学もあって、ほとんどの人が外国に行って何かを学ぼうとする時代で、よくグローバルという言葉が使われるが、実際日本人は外国に目をむけていることが分かる。
しかし私が思うにこの国際社会で日本人が外国人を知るためには根本的に足りないものがある。
それは何かと言うと宗教を知るということで、特にバイブルを読むと言うことである。
まあ読むと言ってもそれは教養として読めばいいことである。教理や手引きみたいなものをなしに、ただ読んでいるだけならば布教されることはまずないので、安心して読めばいいと思うが、しかしこのバイブルの世界を知ると言うことは外国人の考え方を深く知ると行っても過言ではないのだ。
私は英字新聞をとっているのだが、記事自体を見ても宗教的な記事が多く、面白かったのは先日呼んだ記事で神のジェンダーについて書かれてあった。
それはバイブルで神を表現する時「彼」にするのかしないのか、しかし「彼」神は完全に男としてみなされるので、それは性差別につながるということを真面目に大議論している。
我々から見たら理解できないことであるが、しかし我々にしてみたらどうでもいい議論でも彼ら彼女らにしてみたら重要なことで、これが彼ら彼女らにとっては重要なことなのだ。
まあ実際英語の記事なんかを見たらバイブルの引用がたくさんあるし、彼ら彼女らのスピーチなどでもその言葉を分からなくては真意が伝わらないことが多く日本人は訳す時にそこをあえて訳さないことが多いのだが、彼ら彼女らの日常は常にバイブルと関わっていると言っても過言ではないのだ。
少し前うちのスタッフが恋愛の相談をしてきた。相談と言っても若い人たちにありがちなあれかこれかの選択で、私はこういう話が苦手でなんとか切り抜けたいと思っていたのだが、すると彼女はこういうことを言ってきた。
「まわりはいろいろな人と付き合って決めればいいと言うけど、自分はそういうテンポラリーな恋愛はできない。私が求めるのはエターナル(フォーエヴァー)な恋愛で、そういう人にならすべてをゆるしてもいい」と。
それに対して私はこう切り返したのだが、この意味わかるだろうか?
「エターナルラヴ?そりゃ不可能だ、持っているのは彼(HE)だけだよ。」
まあうちのスタッフはそんな冗談は言わないでくれと言っていたのだが、この意味は宗教と言うものを勉強し理解していなければ分からない。宗教なんてばかげていると思うが、しかしこれが彼ら彼女らの世界観である。
彼ら彼女らの歴史はキリスト教とともに発展してきたのだが、その歴史においてキリスト教徒以外は異邦人とみなし、人間扱いしてこなかったことも事実である。
そう考えればヒラリーは敬虔なキリスト教徒であるらしいが、彼ら彼女らの人類愛と言う視点から見れば我々は同じ人間であるのだが、しかしある意味我々日本人はキリスト教徒である彼ら彼女らから見れば異教徒であり、未だ何を考えているのかわからない、信用に足らない民族なのである。
しかしもしわれわれが相手を知り、この壁を乗り越えることができたならば、ひょっとしたら外交も多少は有利に持っていくことができるかもと考える。
たぶん我々は彼ら彼女らの世界観を理解しついて行ってはいないだろう。
ある大学で教鞭をとっている外国人の先生が、外国語学科の生徒にはバイブルを勉強させる必要があると言っていたが、これには私も同感だ、信教の自由と言うものがあるが、しかしそういうことではなく教養として、知識として外国人をよりよく知るためには不可欠なことであると思っている。
宗教を学ぶと言うことは大事なことだ、おそらくこういうことを知るのと知らないのでは、国際交流をしていく上では大きな違いがあると思う。
私は向こうで結婚式や葬式などのセレモニーに出たが、確かにこう言った場においてもその宗教観の違いがわかって、かなり勉強になったと思う。