うちのクラブは健康維持やダイエットが目的の人たちが占める文科系ボクシングクラブである。文科系と言いうのは毎週英語のレッスンを持っているように、ボクシングだけではなく学術的なことにも関心を持っているので、運動音痴やスポーツ経験がない人も気軽に来れる、所謂一般のイメージで言うところのボクサーが集まるところではない。
確かにうちは競技には力を入れていないので人によっては少し物足りないと感じるだろし、あいさつしろとか礼儀とかも言わないのでかなりゆるく感じる人もいるであろう。しかしそうだからと言っていい加減ではない。むしろ倫理的な次元はかなり高く、それゆえに知的な人も多い方だ。ただならぬ雰囲気で汗をまきちらしてサンドバッグをたたき、疲れたらばたっと寝転がる。ひどいのになると道端でも平気で寝込むのもいるが、裸でトレーニングしたり、でかい声で叫んだり、そういった行為は他者の迷惑になるし、作法にかけるのだが、うちではそういうトレーニングをするような人はまずいない。中高生や学生ならまだしもここは大人が集まるクラブだ、みなさん所作に気をつけて作法を守ってトレーニングしてくれている。ゆえにみんなが安心してトレーニングできるのだと思っている。
うちは基本的にはコミュニタリアンの立場をとっているがコミュニタリアンは共同体に価値を置く考え方、単純に言えば共通善と言うのを第一に考えて共通のルールやシステムを求めるコミュニティだ。しかしそのためには自分の利益しか求めない人間はダメ、以前ロールズの無知のベールと言う考え方はかいつまんで言うと自分の利益ではなく、まずお互いが相手の利益を考えて公平や平等性について語ることだと言ったが、群れがコミュニタリアンであると言うことは自分勝手や自分ファーストではだめ、自分だけが利益を得ることで他者が傷ついたり損をしたりするのは公平であるとは言えない。私は日本人は他の国に比べて道徳心が極めて高いと思っているが、うちのクラブにはもともと持っている日本人の倫理や道徳の基準の高さを持った人が多い。それらは教育レベルや生活環境や社会的立場によるものだが、事実こういう人たちが集まると自ずと共通善と言うものができて、他者への配慮ができるようになり、その群れは正しく機能する。それは有機的であるとも言えるであろう。
事実ここではベテランの人や競技に出場した人が初めて来た人や女性にサンドバッグやリングを使う順番を譲る光景を目にする。試合が近づいていても一通りまわりの人に順番を譲って自分たちは一番最後にそのメインのトレーニングをしていることはよくあることで、たぶんそういうことができるのは自分の権利だけを主張したり、自分ファーストと言うことがいかにバカげたことで全体の雰囲気をこわすもので、他者への配慮が全体の雰囲気をよくするもので全体の利益となると理解しているからだと思う。試合に出るとかそういう一部の人間たちがリングを優先的に使いジムの中でアドバンテージをとるというのは、コミュニタリアンの群れでは考えられないことである。ここではたかだかボクシングができるぐらいで特別扱いすると言うことはまずない。所作に気を付けて作法を守って、そして他者のことを考えてくれるのは、ルールではないがここには共通善が存在し、それを理解してくれているからだろう。その群れの質はそこにどういう人たちが集まってくるかだと言うことをよく言っているが、私は彼、彼女らを本当に心からリスペクトできる。ジムの秩序が保たれているのは会員の人たちひとりびとりのおかげである。