よく自分の得意なことを見つけろとか、得意なことで勝負しろとかいうけれども、でも実際取り柄のない人間だっている。それにはっきりいって得意なことなんて人と比較したらそれは得意でないことだってある、というか大半がそうであろう。世の中ではたまたまそういう才能があるものを取り上げてやればできるとか言っているが、できない人間よりもできる一部の人間を例をあげて、得意なことをみつけろとかやりたいことをさがせとか言うのはいささか無責任でそれは詭弁である。
アドラーは「劣っていることは資産である」と著書"What life should mean to you(人生の意味の心理学 )”の中で言っているが、この言葉は非常に興味深い言葉である。人にはそれぞれ劣った部分がある。でもその劣った部分に目を向けて、そこから克服しようとする力が人間を大きく成長させると言うことである。以前、自分はコミニケーション能力がひくくて人とうまくやっていくことができない、たぶん発達障害ではないかと言う大学生に相談された時に、私はこう彼に伝えた。「君は自分の10年後を信じれるか?」「えっ」と言う彼に続けて「アドラーは劣っている部分は資産であると言ったが、今君が与えられた劣った部分はまさに自分が乗り越えて行かなくてはならない君への課題であって、それを乗り越えようと頑張った先に君の未来があるんじゃないのか。むしろ何のハンデもなく平々凡々と生きていく人たちよりも君は悩み、考えて、そのハンデを克服しようとするだろう、けれどもそういう努力が君を大きく成長させる、どうしてもだめだったらまた考えたらいい、でも君はまだ若い、それよりも今与えられているハンデは君を成長させるメッセージであると考えて努力することも大事だろう。アドラーは劣った部分は資産であると言っているがまさに俺が言ったそのことだ、がんばれと言う言葉は適切ではないが、俺が言えるとしたら10年後の自分を信じることだろう。」そういうと彼はありがとうございますとお礼を言ってくれたが、現在は自分の夢をかなえるために大学で勉強し、自分のハンデと向き合って力強く生きている。
実は私自身もできないことは極端にできない、未だにパソコンは指ひとつでうつ、軽度であるが特有のハンデがあって、人よりも劣った部分はあることは確かである。私のことを知っている人間にそのことを言うとほぼ全員がいやむしろ人よりもアドバンテージがたくさんあるし、外国人でも語学をつかってコミュニケーションがとれるので、コミュニケーション能力だって極めて高いと言うが、しかし以前はまったくそうではない。これじゃあだめだとそれと向き合って生きて来たからコミニケーション能力が高くなったことは確かなことで、以前の私は人とうまくコミュニケーションをとるのも仲良くなるには特有の性格とかが邪魔をしてうまくいかない。だから仲良くするのではなく人をどう扱うかと言うことを問題にして人とかかわる、そのためには共通語である英語を話す、学生の時哲学や宗教学、時には心理学の本を人の倍以上読んで勉強したことは確かなことで、そのことが今のコミュニケーション能力を培ってきた。その経験がジムのコミュニティづくりに生かせている。人には劣った部分は必ずある。けれどもそのことを認めてそれを克服しようとするならば、それは自分にとっての試練や訓練になり、そしてその試練や訓練が自分の大きな成長につながり、それはやがて希望となることを信じたいと思う。
Reference Alfred Adler "What life should mean to you" Alfred Adler