あるスポーツ校の生徒が自分の担任の体育教師を言及した時に、あの先生は何か忘れたがあるスポーツで全国制覇した人ですと言っていた。その時思った、ああこの学校のクラブの指導はまず権威づけからはじまるんだと。はっきり言って自分に自信がない人間に限ってそういうくだらない経歴をちけひらかそうとするのだが、おそらくこういう顧問の権威づけからはじまるクラブは少なくはないと思う。ボクシングでも何とかチャンピオンとかほんとたいしたこともないような実績をあげて指導するのも同じこと。うちのクラブには私のメダルやトロフィ、さらに言えばボクシング関係のものを一切置いたり飾っていないのは、ここではたかだかボクシングをやっていたからえらいとかそういうことではなく同じ目線で対等に向き合って指導したい。そして各人が思い思いのままに楽しくボクシングしてほしいからである。私の経験ではコンプレックスを持った奴は往々にして、人が知らないと思ってたいしたこともない実績やスポーツの経験を針小棒大にしてどうだ俺はすごいだろうとばかりに語ってえらく見せようとする。俺たちだけがそのスポーツをよく知っているんだ、お前らまだまだわかっていないとばかりに特別な態度をとるようなコンプレックスを持ったアホたちが集まったら思い思いのままにボクシングができないし、常にそいつらに遠慮しなくてはいけない、こんなあほらしいことはないだろう。
自分を大きく見せようとするような指導法はアホなヒエラルキーをつくるだけ。何も持たない自信のない人間がこういうことをするのだが、指導する人間はそういった自分のくだらない実績をいったんごみ箱に捨ててその競技者に向き合うことが求められる。えらそうに言わせてもらうとうちのクラブでみんなが楽しく思いのままにボクシングしているのは、私が一切自分の実績を語ったり、人と比べたりしない、そしてそのひとりびとりの権利を尊重しているからである。うちのクラブに来たらわかるが、みんな女性も子供もおっさんもすごく楽しそうだ。自分の教えてもらったことを教えあっているそういう会員の人たちの親切な姿が見られるだろう。もし私が自分の実績を語っていかにも自分はすごいんだということやトレーナーたちの実績をあげて、いかにそれがすごいかなんて言うことを言っていたら、たぶん会員の人たちは思い思いのままにボクシングができない。私は自分のやったことがすごいなんて思っていないし、それは単なる思い出だと思っている。それよりも今ここに来てくれているひとりびとりが何かをしようとしていることが大事なことで、そんな過去の小さいことはごみ箱に捨てていつも新鮮な気持ちでみんなに接することで、生き生きとした楽しく健全なクラブを運営することができると信じている。私は思う。べらべらとお前いつまで同じことを言ってんだというような自分の自慢話をして人に何かをさせることだけがスポーツの指導ではない。もちろんトレーナーが中心だが、その習ったことや自分で気づいたこと取得したことをまわりが教えあったりみんなで協力して何かをさせていくのも指導であり、その役割を担うことでコミュニケーション能力や協調性が身についたり、自信がでたり、人としても成長すると思っている。