脱あしたのジョー

MTオリーブフィットネスボクシングクラブのブログ

嫌われることをおそれるな

2015-10-18 | Weblog

人に嫌われることをおそれるなとアドラーの研究者が言っていた。人に嫌われることを受け入れろそうすれば気分が楽になると言うメッセージだが確かにそうだと思う。しかし日本人はこのことがなかなかできないらしいできないからいい人を演じて疲れるらしい。しかしこの気持ちはよくわからない、私などは昔「あいつはかならずぶちのめしてやる」と意気込んでいた人間が何人かは確認できたが(10何年後ピーターにあった時いろいろと学生時代の話をしていたら、ある人間も私のことをぶちのめしてやると言っていたらしいのでもうひとり増えた)自己主張しながら一生懸命生きていればそりがあわない人間も出てくるのは当たり前だ、日本人はよく仲良くしましょうと言うが、私にはよくわからない。仲良くしましょうと言うのはまさに人に嫌われたくない、みんながすべていい人だと言うことを要求しているにすぎないのだが、こういう感覚がひとりでも違う行動をとるといじめや仲間はずれをする関係をつくるのだと思う。例えば職場の飲み会などもそうである。行きたくないと言えばいいのだが、しかしまわりが行くので行かざるを得ない、そしてそういう会社の飲み会だとみんながその日に都合をつけているのだからとまわりに遠慮してその日が休みでその時間を自分のために使いたかってもそれができないのだ。私は日本人の仲良くしましょうと言う価値観は理解できない。これは私の親父が言っていたことだ、親父いわく仲良くなんかしてもらう必要がない、そうではなく尊重してもらいたいと、外国に行けばわかるが外国に行ってまず大事なことはお互いの違いを認めるだ、そしてそこから交流がはじまると思っている。しかし日本人は同じと言うことを認め合うことで仲良くなる。たぶんそれは単一民族でひとつの言語しか話せない人間が多いからだと思っている。私は基本的に日本人と在日韓国人は世界一優秀だと思っている。特に工学系は外国の大学に研究しに行く以外では行く必要はない、むしろ教えに行ってもいいぐらいだと思っているのだが、しかし前にも言ったがビジネスや政治などでは英語が話せない、自己主張できないからディスアドバンテージである。言わせてもらえるからとか何もわからないような奴が言いたいことを言うのは自己主張ではなく虚言であるが、確かに物事をよく知ることであれかこれかと迷うこともあるだろう。こんなことを言ったらまわりを敵にまわすのではと、しかし本人の考え方がしっかりしているのであれば例え敵にまわすことがあっても、それだけではないちゃんと同じ考え方を持った人も存在する。日本人は衝突したり軋轢を避けようとするが、しかし弁証法的に言えば衝突や軋轢のない進歩はない。人に合わせることよりもむしろ自分を磨くために時間を有効に使う方が世の中のためになる。そして仲良くしましょうではなく尊重する精神を持って協力しましょうである。そういう群れが一番力があると思っている。

うちのクラブはたぶんそういう関係でつながっている。まず私が試合には興味はないボクサーは嫌いだ、うさんくさい集団とは関わらないと公言している。こんなことを言えば責任者のくせにと思う人もいるだろう。しかしここではトレーナーたちが責任を持って引き受けてくれている。そこには利害関係もなく上下関係もないただ好きだと言うだけで一生懸命やってくれる。たぶんそれはトレーナーたちが自立した素晴らしい人間だからで、それは先輩後輩とか利害関係の中から生まれたものではなく、まさに大人で自立しているからできる協力である。私は彼らを心から尊敬している世界一のトレーナーたちだと信じている。本当にこのクラブがあるのは彼らのおかげで、彼らや協力者の力で持っているボクシングクラブがMTオリーブである。

私は自分の子供にはあいさつしろとは言わないそういう代わりに人の顔色を見るなと言っている。日本人のあいさつは往々にして上下関係を位置付けるためのためだ、まああいさつなんていうのはまともな集団にいてまともに生活していたらおぼえるもので、体育会のように基本だとか言ってさせるものではないと思っている。


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The protestant ethic and spirit of capitalism

2015-10-18 | Weblog

池上彰の世界をかえた本と言う番組がある。毎回1冊の本を取り上げて紹介しこの本いわゆる思想が世界をどう動かしたかということを紹介する番組である。この前やっていたのはマックスウエーバーの「The protestant Ethic and spirit of capitalism」日本語では「プロテスタンティズムズムの倫理と資本主義の精神」と言うかなり難しい本である。内容は単純に言えばプロテスタントの信仰が人間の考え方に影響し勤勉な人間をつくる。そしてそのことによって経済が発展していくと言うことである。この書物は実はかなり難しい、どう難しいのかと言うとまずそのバックボーンであるカルビニストの考え方が理解できていないとすっきりしないからである(現に彼の説明もかなり無理があったようなところもある。)まずカルビニストと言うのは宗教改革者のジャンカルバンと言うキリスト教の学者の神学を絶対的なものとしそれを教義として受け入れている集団である。池上氏も言っていたがカルバンの教義で中心をなしているのが予定説(と言っていたが予定論)である。これは我々の善行がどうであれ人間が救われるのはあらかじめ決まっているという考え方で、この考え方は勤勉に仕事に従事することによって自分は救われていると言う救いの確信を得ると言う考え方から発展して、自分たちは選ばれているんだだから自分たちがこの世界において神の栄光をあらわすのだと言う傲慢な考え方にむすびついたものだが、たぶんアパルトヘイトなどはこのカルバンによる予定説、選民思想がそのバックボーンにあると考えている。池上氏はberufはカルバンが唱えたと言っていたが、しかしbelufはドイツ語で最初に言ったのはフランス語圏のカルバンではなくドイツ語圏のルターでおそらくカルバンとルターではこのberufのとらえ方は違うであろうと思う。少し難しい話になるが私がなぜカルビニストと言う聞いたこともないような言葉をつかったかと言うのは、そのマックスウエーバーの思想そのものがカルバンの思想をそのまま受け継いでいると言うよりもカルビニスト的であるからである。カルバンが予定論を唱えたのは神の正義を貫いた時におこる消去法的な考え方である。カルバンによれば神は絶対的に正しく正義である。その絶対正義である神が人間が少しぐらい善行を積んだからと言ってそんな人の行いによってかわるだろうか、神は絶対的でなければならない。そう考えたら自分たちが救われると言うのはすでに決まっているのではないかという絶対者である神への信頼がそうさせたと言ってもいいが、しかしこの考え方はさかのぼって考えてみればそうだろうと言う考え方でカルバンの考え方の核にはなっているが絶対的なものではないと思う。私はこのプロテスタントの精神が経済の発展をもたらした理由はマックスウエーバーが言うプロテスタント特にカルバン派が台頭したということだけではないと思っている。現にドイツはカルバン派と言うよりもルター派のほうが大多数で、さっきも言ったようにルターとカルバンではべルーフのとらえ方が違う、おそらく経済発展をもたらしたのはルターがもたらした当時ローマ教皇から束縛されていた群衆の魂を解放した精神の自由化であって、どちらにしろプロテスタントはヨーロッパやアメリカに発展をもたらせたわけである。ただおもしろかったのは最後に日本はプロテスタントでもないのになぜ日本人は勤勉で経済が発展したかと言うことに対しては答えが出なかった。私はそれは文明開化や大戦後の復興と言う自由を求めて新天地に向かうエネルギーがそういった発展につながっていると思っている。

 

 

 

 

 

 

 

 


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