人に嫌われることをおそれるなとアドラーの研究者が言っていた。人に嫌われることを受け入れろそうすれば気分が楽になると言うメッセージだが確かにそうだと思う。しかし日本人はこのことがなかなかできないらしいできないからいい人を演じて疲れるらしい。しかしこの気持ちはよくわからない、私などは昔「あいつはかならずぶちのめしてやる」と意気込んでいた人間が何人かは確認できたが(10何年後ピーターにあった時いろいろと学生時代の話をしていたら、ある人間も私のことをぶちのめしてやると言っていたらしいのでもうひとり増えた)自己主張しながら一生懸命生きていればそりがあわない人間も出てくるのは当たり前だ、日本人はよく仲良くしましょうと言うが、私にはよくわからない。仲良くしましょうと言うのはまさに人に嫌われたくない、みんながすべていい人だと言うことを要求しているにすぎないのだが、こういう感覚がひとりでも違う行動をとるといじめや仲間はずれをする関係をつくるのだと思う。例えば職場の飲み会などもそうである。行きたくないと言えばいいのだが、しかしまわりが行くので行かざるを得ない、そしてそういう会社の飲み会だとみんながその日に都合をつけているのだからとまわりに遠慮してその日が休みでその時間を自分のために使いたかってもそれができないのだ。私は日本人の仲良くしましょうと言う価値観は理解できない。これは私の親父が言っていたことだ、親父いわく仲良くなんかしてもらう必要がない、そうではなく尊重してもらいたいと、外国に行けばわかるが外国に行ってまず大事なことはお互いの違いを認めるだ、そしてそこから交流がはじまると思っている。しかし日本人は同じと言うことを認め合うことで仲良くなる。たぶんそれは単一民族でひとつの言語しか話せない人間が多いからだと思っている。私は基本的に日本人と在日韓国人は世界一優秀だと思っている。特に工学系は外国の大学に研究しに行く以外では行く必要はない、むしろ教えに行ってもいいぐらいだと思っているのだが、しかし前にも言ったがビジネスや政治などでは英語が話せない、自己主張できないからディスアドバンテージである。言わせてもらえるからとか何もわからないような奴が言いたいことを言うのは自己主張ではなく虚言であるが、確かに物事をよく知ることであれかこれかと迷うこともあるだろう。こんなことを言ったらまわりを敵にまわすのではと、しかし本人の考え方がしっかりしているのであれば例え敵にまわすことがあっても、それだけではないちゃんと同じ考え方を持った人も存在する。日本人は衝突したり軋轢を避けようとするが、しかし弁証法的に言えば衝突や軋轢のない進歩はない。人に合わせることよりもむしろ自分を磨くために時間を有効に使う方が世の中のためになる。そして仲良くしましょうではなく尊重する精神を持って協力しましょうである。そういう群れが一番力があると思っている。
うちのクラブはたぶんそういう関係でつながっている。まず私が試合には興味はないボクサーは嫌いだ、うさんくさい集団とは関わらないと公言している。こんなことを言えば責任者のくせにと思う人もいるだろう。しかしここではトレーナーたちが責任を持って引き受けてくれている。そこには利害関係もなく上下関係もないただ好きだと言うだけで一生懸命やってくれる。たぶんそれはトレーナーたちが自立した素晴らしい人間だからで、それは先輩後輩とか利害関係の中から生まれたものではなく、まさに大人で自立しているからできる協力である。私は彼らを心から尊敬している世界一のトレーナーたちだと信じている。本当にこのクラブがあるのは彼らのおかげで、彼らや協力者の力で持っているボクシングクラブがMTオリーブである。
私は自分の子供にはあいさつしろとは言わないそういう代わりに人の顔色を見るなと言っている。日本人のあいさつは往々にして上下関係を位置付けるためのためだ、まああいさつなんていうのはまともな集団にいてまともに生活していたらおぼえるもので、体育会のように基本だとか言ってさせるものではないと思っている。