脱あしたのジョー

MTオリーブフィットネスボクシングクラブのブログ

see you later!

2015-10-14 | Weblog

私の初戦はフィリピン系の相手、ジョージによれば1階級上げてきたらしくオアフかマウイのチャンピオンだと言う。ジョージは相手がわるいので経験ぐらいに考えていただろうが、しかしここまで一生懸命やってきたのだから負けたくはない絶対にしずめてやると意気込んでいた。カーンとゴングがなって20秒ぐらいあれと思ったらダウンしていた。レフリーがカウントを数えていたのだ。あれれなんで俺こんなことしてるんだろと思いながらファイティングポーズをとって再開、コーナーに戻ってきた時ジョージはすごい剣幕でまくしたてていた。たぶんあの時くらったのはスイッチしながらのフックだったと思う。日本ではこういうパンチをくらうことはないがアメリカでスポーツを競技してる人間は子供のころからいろいろなスポーツをしているのでバランスがいい、だからこういう奇想天外なパンチがうてる。ここでは日本の常識が通らんなと気を引き締めて3ラウンドを戦いぬいたが、結果私の逆転ギリギリ勝利ジョージは負けたと思ったらしいが、勝利をおさめることができた。基本的にむこうの競技者はリング外ではあいさつすることはない。さらに私は勝った相手にはあいさつには行かないと言うポリシーがあったのでそのままリングをおりて控室と言うか競技者が待機しているところに戻って行った。そして試合が終わって帰る時、廊下を歩いているとさっきの相手が、そしてすれ違う前に向こうがニコッと笑うのでこちらもニコッと笑いかえす。かえした後であれはホモのサインじゃないだろうなと心配したが、彼がニコッと笑ったのはnextと言う意味だ、現に3か月後の試合では2回戦で当たった時にすごい闘志で向かって来たことをおぼえている。自慢になるがこの時も私がまたまたギリギリの判定で勝利したが、しかしこの時日本にはない雰囲気アメリカは競争の世界だなあと思わされたものである。ゴールデングラブで優勝した奴が偉そうに「優勝したとたんに俺の首をみんなが狙いに来るから気が抜けない」と言っていた。思い切り歯がうくようなセリフだが強ち向こうではおおげさではない、なぜならむこうは完全な競争社会だからだ。英語のことわざに「double or nothing」と言うことわざがあるがこれは強者が弱者から得ると言う意味である。日本語では一か八かとなっているが、しかし直訳すれば2倍得れるか何も得れないかということで敗者は何も得ることがないむしろ奪われると言う意味合いが強いだろう。向こうの人間は一度負けた相手には闘志むき出しで挑んでくる。これ以上負けてはいけない、競争社会においては負けたら何も得ることができないnothingになることをおそれるからだ。そういうルールを彼らは子供のころからたたきこまれているようにさえ思える。それに比べたら日本人は甘い、少し聞き苦しい言葉で申し訳ないが、負けた相手のところにあいさつに行って「ありがとうございました」じゃないだろ。本当に勝ちたい気持ちがあれば「i will beat you next」だろ。日本人が試合後あいさつに行くのは自然であるがしかしこういう競争社会では不自然である。あの時彼が廊下ですれ違った時にニコッと笑ったのは「次はお前ぶちのめすぞ」と言うサインで、私もただにっこり笑って「see you later f○c○ you」とサインで答えただけである。普段はこういうことは書かないが、しかし勝負事と言うのはこういう厳しい一面があって、特に競争社会ではそれがむきだしになることもある。


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ノレバンで聞いた歌

2015-10-14 | Weblog

今日はちょっと疲れたなあとか元気がない時davichiの歌を聞く。日本ではあまり知られてはいないが向こうでは有名である。彼女らの歌はほとんどが別れの歌である。歌唱力が高いので聞かせる歌はぐっと聞き入ってしまうが、しかしそれとは裏腹にその別れの歌をあかるくアップテンポなメロディで歌う、それはあたかもそういう悲しいシチュエーションから立ち直るかのようでそのギャップが元気を与えてくれるのだ。ダビチと言うのはおそらく韓国語の「タ」すべてと言う意味と「ビチダ」照らすの合成語ですべてを照らすと言う意味で聖書にちなんでつけたものだと思う。私がファンになったきっかけはたぶん初期のころであるがノレバンで聞いた友人のワイフの歌「ミウオドサラハニカ」と言うバラードである。韓国人は歌がうまい。もともと母音が21あるのでボイスコンパスが広いからだろう、その声に恩やハンと言う感情をこめて歌う歌は非常に心をうつ、原曲も歌もまさに聞かせる歌で「ケンチャヌン チャン ソリド ハジ アヌルゲ ミウオドサラハニカ」となんのこっちゃわからないと思うが思わず聞き入ってしまう。特にイヘリは個人的には歌唱力もさることながら民族の感情を最も伝えるシンガーだと思っている。

話はうちのクラブの話だがうちのクラブは女性が多く全体の50パーセントを占める。たぶん一般のボクシングクラブのようなところだと比率的に一番多いと思うのだがたぶん暴力的なことやアウトローを徹底して排除する姿勢が安心できるからだと思っている。さらにそれとは別にこう言う意見も聞く、それは英語などの言語ができるからそういう雰囲気があるクラブにアウトローは集まらないだろうと言う安心感あると言うようなことだが、そのことは男性の会員も言っていた。私が自信を持って言えることはここの会員の人は信用できる人が多いと言うことである。お金をロッカーに忘れていってもそれがなくなることなんてないし、わりと高価な時計が3日間もロッカーに置きっぱなしと言うこともあったが、それに誰一人として手をつけようとしない「あっこれ誰かの忘れものじゃないですか」と気づいた人が持ってきてくれるのだが平和なクラブである。そんなことは当たり前のことであるが、しかしアウトローくさい様な人間が集まれば話は別だ、それしかほかにやることがないあるいはできない目立ちたがり屋、話に一貫性がない話が二転三転する奴、アウトローくさい奴やうさんくさい奴は顔つきや雰囲気に出ている。こういう奴らは都合がわるいことは隠すか嘘をつく、ジムでは礼儀正しくふるまっていても考えることはアウトローだ、こういう奴が何人もいたらクラブの風紀は乱れ、そういう乱れがちょっとした事件をおこすものである。責任者はこういうことをきちんと管理できなければ失格だ。確かにケンカが強ければボクシングはうまくなるだろうが、しかしそういうことを管理できないでは全体のバランスがわるくなり、そういうアウトローを競技ができるからと言ってのさばらせたらわるいものをひきよせる。公立の学校でもそうだがだいたい授業を邪魔したり学校の雰囲気をこわすのはこういったアウトローである。さらにたちのわるいことに子供がクズなら親も同じ教師の活動の半分以上がこういう奴らの対応にさかれてるのではないかと思っているが、たいしたこともない人間が小さい意地を見せるために個性とかわかったことを言うのではなくてやるべきことをしっかりやらせる、大事な時期に子供には当たり前のことさせるのが親の義務だと私は思っている。話はアウトローの話になるが学校でもこういう奴がいなかったりきつく罰することができれば教師も授業に専念できるし学習しやすい環境はできる。たぶんうちのクラブでしょうむない事件がおきることはない、社会ではまったく意味のない格付けがないのはアウトローに対して思いっきり厳しく接しているからである。


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