Mars&Jupiter

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アントン・ブルックナーの弦楽五重奏曲ヘ長調を聴きながら二俣川から鶴ヶ峰駅まで歩く

2008-07-17 05:59:10 | アントン・ブルックナーの作品
昨日は二俣川から鶴ヶ峰駅まで歩きました。
途中聴いたのは、1824年生まれのブルックナーの室内楽曲。
ブルックナーといえば交響曲と宗教曲の分野で活躍した作曲家で、
室内楽の分野で残している作品は比較すると僅かしかない。
弦楽五重奏曲ヘ長調はその中では有名で、
1879年に作曲された代表的な作品である。
高校生の頃、ブルックナーの交響曲に魅せられた私は、
他の分野の作品にも興味を持ち、ホイトリンク弦楽四重奏団と
ハインツ=オットー・グラーフによる演奏のレコードを買い、
この演奏による盤を何度か聴いたものである。
今回はウィーン・フィルハーモニア弦楽五重奏団によるCDを聴いた。

第1楽章「中庸に」は、モデラートでソナタ形式で書かれている。
田園風でのどかな感じで始まる冒頭の主題は、
ワグナーのジークフリート牧歌を想起させるが、
音楽はすぐさまブルックナー的なオルガン風な響きをみせ、
転調の手法などはさすがで、展開部の主題の扱いもなかなかだ。
交響曲に見られる彼の音楽の魅力がこの弦楽五重奏曲の中に
凝縮されていることはこの第一楽章を聴くだけでも確かである。
再現部も単なる主題の再現にとどまらない新たな展開がみられる。
第2楽章スケルツォ(速く)-トリオ(トリオ)は、
彼の交響曲のスケルツォ楽章の特徴をよくあらわしている。
中間部のトリオはレントラー風ののどかな感じの曲である。
伝統的な弦楽五重奏曲のスケルツォらしくはないだろう。
第3楽章アダージョは、この五重奏曲の中でも長い楽章で、
交響曲のアダージョに見られる美しい音楽の世界が、
ここでも垣間見ることができる感じがする。
最後の静かに終わるところはまさに交響曲っぽいのである。
第4楽章フィナーレ(生き生きと動いて)は、
対位法的な部分も取り入れ、工夫のみられる楽章である。
第1楽章の第1主題を思わせるような部分も
かすかでも感じさせるところがあり、
交響曲第5番の第4楽章にみられるような技法が、
ここでも聴くことができるような印象を受ける。
また、交響曲第4番の終楽章を思わせる部分もある。
終わり方もやはり彼の交響曲を思わせるのである。

当時ウィーンの音楽界に大きな影響力を持っていた
ヴァイオリン奏者のヨーゼフ・ヘルメスベルガーの
すすめにより作曲されたこの弦楽五重奏曲は、
その第二楽章スケルツォが演奏上難しいという理由から、
ヘルメスベルガーの要求を受け間奏曲に代えられた。
確かに全体を通してみてもこの弦楽五重奏曲は、
従来の伝統を打ち破るような革新的なところがある。
特にスケルツォは顕著に思え、奇抜に見えたのだろう。
CDにはその間奏曲も入っているので聴いてみる。
オーストリアの舞曲風の曲は、のどかな感じで、
しかし少し哀愁を漂わせたところもある。
スケルツォの中のトリオの部分も登場する。
こちらの方があたりさわりのない感じはする。
それにしても一つの枠におさまらず、
あふれ出てくる彼の音楽はやはり魅力的である。
コメント
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